きみを希う vol.1



 初夏の緑を西に落ちようとする陽の光が世界を朱色に染めていた。オルゼグン王国の首都アルゼイングから延びた街道を三頭の馬が走り抜ける。

 草原を突き進む街道には点々と行き先を示す案内板が立っているが、彼らはこれまですべて通り過ぎてきた。北に連ねる山峰がその雄大な姿を大きく見せていくのを目印に走る三頭は、ある村の名が記された看板の先で街道をそれ、脇道に入る。すぐに周囲は森に囲まれ、馬車がすれ違うのがやっとの幅の細道となった。

 先頭と最後尾の乗り手たちは、外套が風にはためくたびに胴衣、手袋、長靴まで黒地に銀文様の一揃えをさらす。身に着けている衣装は両者ともに近衛騎士団に所属する騎士のものである。

 横から突き出た枝で外套の端が切り裂かれるのも構わず、乗り手たちは馬の速度を落とさない。

 ふたりの騎士は栗毛をはさんでひた走る。栗毛に騎乗しているのは乳白色の髪の子どもだった。目立つ乳白色の髪はカンギール人の特徴のひとつである。

 子どもの細腰には中振りの剣が下げられ、いっぱしの小騎士のようだった。

「オトゥール卿、もうすぐ着きますぞ。この先はずっと曲がりくねってます。少し速度を落としましょう」

 息を切らしながら、先頭をゆく騎士がうしろの子どもを振り返った。

「さすがにウッドローのご出身だけあって馬の扱いに慣れてらっしゃる。このまま行けば日が暮れるまでに何とか着けそうですね」

「ありがとうございます。こちらこそ、おふた方にはいろいろお気遣いしていただいてとても助かりました」

 子どもに声をかけた騎士は三人の中で一番道理をわきまえた年長者だった。年端もいかない相手であってもただの子どもとは扱っていない。高貴な身分のものを前にした態度を貫く姿勢はいかにも騎士然としていた。後方を走る若年の騎士も年長者ほどではないが改まった態度を崩さずにいる。

 それもそのはず、カンギール人の子どもの身分は首から下げる銀細工の首飾りを見れば一目瞭然で、五十日伺候中の身の上だと知らしめていた。

 貴族には王家に従う義務が生じる。代表的なのが五十日伺候と呼ばれる制度であり、領地を治める貴族であろうと、一年のうち五十日間は王家のために伺候しなければならなかった。伺候内容はさまざまで、王族への接待など領内で済むものもあれば、領地から出ていなければならない伺候もある。

 だが、彼ら貴族にも都合というものがある。病気や怪我、冠婚葬祭など事情がある場合は免除許可を願い出ることができる。ただし、五十日伺候の免除を申請すると通年の課税に加え、さらなる納税金や収穫物などの物納が課せられるので、余程裕福な大貴族でない限り、免除許可申請を行うものはいない。

 まさに五十日伺候は実質、半強制的な徴集制度であった。

 近衛騎士たちの任務は五十日伺候に就くカンギール人の子どもを指定された場所まで送り届けるというものだった。五十日伺候中の貴族の警護は本来、近衛騎士団の仕事ではないが、上からの命令では逆らうことなどできない。

 要人が十歳の子どもだと紹介された当初、ふたりの騎士は足手まといになりそうな予感に眉をひそめたものだが、すぐにこの小柄な警護対象者が馬の扱いに慣れていることに気が付いた。ほっと胸を撫で下ろす彼らだったが、すぐにそれもまた浅慮な安堵だったことを知る。

 馬術において、カンギール人の子どもは王都出身の平地しかしらない新米騎士など比べものにならないほどの技量を持っていた。聞けば、出身はウッドローだと言う。さもあらん、と騎士たちはすぐさま納得した。

 カンギール人の子どもの故郷であるウッドロー領は、王都アルゼイングから北西へ馬車で三日ほど走った先にあり、オルゼグン王国最北の領地として知られている。オルデ山脈の東部一帯を含む厳しい自然に囲まれた山間地方は寒さの厳しい気候でも有名で、北のウッドローといえば極寒の冬の代名詞でもある。

 ウッドローへは山沿いの急斜面の細道を行くしかない。山側の反対側は深い谷となっているその細道を早馬で走り抜けるには並大抵の技量ではないとも言われている。新人に喝を入れる時、先輩騎士が度胸試しに、「ウッドローへ早馬を飛ばすか」と口にするのは、それだけ危険を伴う曲がりくねった細道だということだ。ましてや、ウッドローの夏は短く、冬が来るのはとても早い。一年のおよそ半分を雪に覆われるウッドローである。馬術に自負しているものでも雪山の細道を走るのは命がけとなった。

「まだ礼には早いですぞ、オトゥール卿。貴殿を無事に送り届けるまでが我々の仕事ですからな」
「まあ、その仕事ももうすぐ終わりですがね」

 先頭の騎士の真面目くさった返事に後尾の騎士が軽口をたたく。騎士たちの声音には、子どものものとは思えない見事な手綱捌きへの敬意がこめられていた。

 カンギール人の子どもは無言でふたりに頷いた。

 その時だった。前方左の道脇の茂みから、突然、ずんぐりとした黒いものが転がり出てきた。

「何だとっ」
「うわあっ」
「ああっ」

 突如、目の前に飛び出してきた丸い塊に驚いた馬たちは掛け声を合わせたかのように同時にいななき、これまた示し合わせたかのように三頭揃って前足を高く蹴り上げた。特に先頭馬の前足は天に向けるほど高く空を掻き、馬上の騎士はその勢いに耐えきれずに叩き落される。

 途端、手綱が自由になった馬は一目散に走り去り、あっという間に森の中に姿を消してしまった。

 続くふたりは何とか落とされずに済んだが、興奮する馬たちを落ち着かせるのに精一杯で、逃げた馬を追うのは難しい。

「大丈夫ですか!」
「何ものだ!」

 前者はカンギール人の子ども、後者は若い騎士。ふたりは同時に地団駄を踏むように足踏みする馬上から声を張り上げた。

 ちなみにふたりが声をかけた相手はそれぞれ違っていた。だが、次の瞬間には同時に同じ相手に向かって同じ言葉を叫んでいた。

「危ない!」

 ふたりの視線の先には、身体をふらつかせながらも立ち上がった騎士へ突進していく豚のように丸々と肥えた男の姿が見える。豚男の手には短剣が握り締められ、地上の騎士を狙って突きだした。騎士は咄嗟に避けたが、地面の窪みに足を取られ膝をつくしかなかった。どうやら足首をひねってしまったようだ。

 豚男は好機と見たのか、短剣の柄を握る手にぎゅっと力を入れたと同時に、猫が鼠に飛びかかるように一気に騎士に向かって襲いかかった。

 しかし、豚男の短剣は騎士を傷つけることはできなかった。どこからか飛んできた一本の縄が大股に勇んだ豚男の太い足に絡みつき、見事一括りにしたのだった。

「うわああああっ」

 下半身をぐるぐる巻きにされた豚男は身体の自由を失い、両手をあげ万歳の体で勢いよく大地に頭突きをくらわす。

 だが、日頃の肥満が幸いし、腹の肉が先に地面に叩きつけられたことで頭部への痛みは半減した。べちゃりと顔面を激突するように転びつつも昏倒することはなかったのである。豚男はすぐさま慌ただしく縄から逃れようともがく。

 だが、そんな豚男の慌てようを嘲笑うものがいた。

「よかったなあ。縄のほうで。こいつだったら今頃豚足二本ともなくなってたところだぞ」

 茂みから、十五、六歳くらいの赤毛の少年が姿を現した。同じ方向からやっていたところからして、豚男を追ってきたのだろうか。細い鋼線を手にしている。その糸ほどに細い鋼の端には金属の短い棒が結ばれていた。

「さあ、逃げてみやがれよ。次はこいつを見舞ってやるからさあ。切れ味抜群だぜ」

 豚男の顔色が瞬時に変わった。

「わ、わかったから、そいつは投げるな。投げないでくれ」

 余程、鋼線の威力を正確に理解しているらしい。

「何てえ餓鬼だ。おまえみたいなのが騎士を目指してるなんて偉い詐欺だぜ。騎士道精神なんてこれっぽっちもねえ。騎士ってのは正々堂々、真正面から剣で勝負するもんじゃねえのかよ」

「はあ? 何をほざきやがる。詐欺はどっちだ。贋金作りってのは詐欺とは言わねえのかよ、ええ?」

「に、贋金なんて俺はそんなもん知らねえよっ」

「しらを切るのもいい加減にしろよ。さっさと知ってることを全部吐いてもらおうか。悪ぃが俺はおまえが知ってるお偉い騎士様みたいに気が長くねえからよお。死んでも話せねえってんならそれならそれで別に構わねえぜ。生きて役に立ってくれそうな奴はほかにいるんだからな。とにかく俺は誰でもいいんだよ。誰かが吐いてくれればそれでいいんだ。変わりはいくらでもいるんだからさあ、あんまり手間かけさせないでくれねえかな」

 少年は豚男から視線を向けたまま、鋼線を円を書くように振り回し始めた。鋼線が近くの細枝が絡みつくたびに、簡単にパキンパキンと折れて飛んでいく。切れ味抜群なのは誇張というわけではなさそうだった。

「いい感じだろ? 昨日研いどいたから安心しろや。一瞬だぜ」

 本当に安心していいのだろうか。近衛騎士たちは豚男に同情の視線を送った。

 少年は今にも豚男の首に鋼線を巻きつけようとしていた。豚男は少年の眼を見て本気を悟ったらしい。

「わ、わかった。わかったからそいつを遠ざけてくれっ」

 まさに電光石火の諦めの早さである。呆気なく落ちた。

 そこへ、また茂みから別の顔が現れた。今度は壮年の額の広い大柄な男だ。

「おお、エルウィン。無事捕まえたか。大手柄だったな」
「別にこれくらい、大したもんじゃないですよ」

 エルウィンと呼ばれた少年は謙遜しているのか照れているのか、ぷいっと明後日の方向を向いてしまう。

 そのうちまた別口のふたりが加わった。こちらのふたりは一足先に現れた大柄な男よりも随分若い。手には抜き身の剣を持っている。平服を身に着けてはいても、腰の青地に銀刺繍の剣帯が宮廷騎士の身分を語っていた。

「おい、おまえ。エル坊相手に五体満足でいられただけでもありがたく思えよ」
「まったくだ。往生際の悪い男め、初めから大人しく捕まってればいいものを。エルウィン、おまえもおまえだ、これじゃあ大雑把すぎるだろうが。もう少しちゃんと縛るからこの男を押さえていてくれ」
「ああ」

「ああ、じゃねえ。わかりました、だ。何度注意したらわかるんだ。礼儀も勉強だぞ、しっかろしろよ。そんなんじゃいつになっても試験は通らないぞ」
「はいはい、わかりました」

 乱入者たちは手際よく豚男を縄で縛りあげていく。多少の足掻きを見せつつも、複数が相手では観念するしかないと悟ったのか、豚男に最初の威勢の良さは残っていなかった。

「おい、おまえ。ちんたら歩くなよ」
「いてっ。わ、わかったから、旦那、尻を蹴飛ばさないでくだせえよ」

 豚男に対する連れの雑な扱いを見て、大柄の男が広い額に手をあてて天を仰いでいる。

「やれやれ。おまえたち、とりあえずもう少し丁寧に扱ってやりなさい。こんな奴でも今のところは大事な生き証人なのだからな」

 今のところ、と期間限定を強調した大柄の男の意を汲んで、連れの三人が揃ってにやけた。

「わかってますよ」
「ほら行くぞ」

 多少言葉は丁寧になったとはいえ、豚男の尻に蹴りを入れる代わりに剣の峰で叩くのはいかがなものか。部下たちのやりようを見守っていた大柄の男が「これこれ」と苦笑する。けれど本気で止めるつもりはなさそうだ。

「おい、男。気をつけろよ。そいつらは意外に臆病者でなあ、上司の機嫌伺いにそりゃあ敏感なのだ。おまえを逃がせば叱咤されるのはそいつらでな、だからおまえが逃げ出さないよう極度に気を張っている。変な行動をわずかでもしてみろ。ビクついたそいつらは威嚇のつもりで剣を振り回すかもしれん。中には新人もいてな、手荒な真似はまだ不慣れだから威嚇が威嚇でなくなることも多々ある。手違いで指の一本失うくらいはご愛嬌だ。極力行動には気をつけたほうがいい。──ああ、これは余計なお節介だったかな」

 このお節介は、どうやら豚男の最後の抵抗を削ぐのに成功したらしい。

 大柄の男は満足して頷くと、先程までまったく笑ってなどいなかった眼を穏やかに細めて、膝をついたままの近衛騎士に大きな手を伸ばした。

「すまなかったなあ。怪我はないかな」
「いえ、大丈夫です。それよりこれは何事です?」

 大柄な男、エルウィンという名の少年、立ち去ってゆくふたりの宮廷騎士、その騎士たちに連行される豚男。

 近衛騎士は順繰りに見渡して、もう一度、大柄な男に視線を戻す。伸ばされた手を遠慮なく握り立ち上がると、打ち身程度の怪我で済んだようで、足首のほうは大事に至らなかったらしい。

 あとから加わったふたりが騎士と知った時点ですでに警戒は解いていたが、宮廷騎士がこのような場所で捕物劇をしているなど不自然だ。どうにも腑に落ちない。

 近衛騎士団には優秀な人材が集まる傾向があることから正統派花形騎士団として注目を浴びやすく、一般的に近衛騎士のほうが宮廷騎士より地位が高いように思われがちだが、宮廷騎士と近衛騎士の大きな違いはその守るべき対象の違いにある。つまり、近衛騎士は王族を守り、主に宮廷騎士は王宮を含む王都全体を守る。部署が異なるだけで同僚であることに違いのである。

 宮廷騎士団の守護範囲は広い。複数の師団ごとに王宮や王都の警備が割り当てられている。優秀な騎士から近衛騎士団に推挙されるため、平凡な騎士が残りやすい一面があるが、特出した技をもつものや何かと癖のあるものも残りやすいのが王宮騎士団だった。

 その王宮を守るべき騎士たちがどうしてこのような王都から離れた田舎にいるのか。

 オルゼグン王国は数多くの騎士団を擁している。本来ならばここにいるべきはこの地を任されている騎士団であるべきではないか。

 ひとつだけ思い当たることに行きついて、
「もしかして巡監使どのでいらっしゃる……?」
 近衛騎士は目の前の人物に対し別の意味で身体を強張らせた。

 巡監使は王国全土をねり歩く特別監察官を指す。巡監使はほかの監察官同様、監察庁に属しているが、王都に留まる監察官と異なり、巡監使は滅多に王都には寄りつかない。

 監察庁は宰相直属の部署であり、その特異な職務形態から宰相省とは独立している。特に巡監使から報告は地方自治に関わる問題がほとんどのため直接宰相のもとへ届けられ、しいては王の耳に直に入ることになる。

「いかにも。おお、そちらのお方がウッドローの……。今か今かと来られるのを待ち望んでましたぞ」

 身体に似合いの野太い声が田舎道に朗々と轟いた。

「これは失礼しました!」

 近衛騎士たちは姿勢を正し、もうひとりの近衛騎士も即座に馬から降りて先輩騎士に倣った。

「いや、ご苦労であった。予定より早い到着であったな。結構結構」

 巡監使はこれまでの労をねぎらうと、遅れて地面に降り立ったカンギール人の子どもに向かって開け広げた笑顔を披露した。

「巡監使ミッターヒル・ル・ギルバーベルと申します。このたびは当捜査へのご協力ありがとうございます。お会いできるのを首を長くしてお待ちしてました。カンギール・オッドアイを持つ貴殿がいれば我らは百人力ですぞ」

「ウッドロー伯爵代行セシル・セイラ・セイリッシュ・ル・オトゥールです。よろしくお願いします」


   


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