きみを希う 序章


 大陸中原の南東端に、モース王国という国があった。

 モース王国の領土はその八割が作物を育てるのに不向きな不作の土地で、王国全体が常に節度ある食生活を求められていた。王族や貴族でさえ例外ではない。王も民もほかの国では考えられないほど慎ましやかな食卓を囲んでいた。

 農作物の収穫には恵まれなかったモース王国だが、この国の民は皆、手先がとても器用で、繊細な細工を得意としていた。真面目て辛抱強い国民性はモースの自慢とするところであり、粘り強く修業を重ねるのに適していたらしい。王は多くの優秀な職人を擁していた。

 彩色豊かな精密で美しいモース製の工芸品は芸術性が高く、諸国にとても人気があり、王は多くの優れた芸術品を輸出し、それで得た利益で食糧を輸入し国内に卸した。

 モースの国王は民のために常に地道に国を治めていたのである。

 だが、ある夏を境にその歯車が狂いだした。

 その夏、中原一帯は近年稀にみる猛暑に見舞われ、特にもともと乾燥地であったモース王国周辺ではひどい水不足が各地で起きた。

 水不足は次に食料危機を引き起こすのが定石である。

 幾日も雨が降らない日が続くと、大地はひび割れてわずかな収穫がのぞめた農地もまた干からび、農作物のほとんどが枯れ朽ちて、少ない秋の収穫量がさらに少なくなるのは確実となった。

 王は緊急に対策を念じて即座に食糧輸入量を大幅に増やすよう命じた。しかし、その年はどこの国も日照り続きで例年の半分ほどの収穫量しか見込めず、他国に売るほどの余裕がない。

 諸国から断られてもモースの外交担当は食い下がり、昨年収穫したものでもいいから売ってほしいと申し込んだ。だが返事は変わらない。各国とも今年の不足分が昨年の余剰糧で賄う考えであるらしい。

「どこぞも自国大事なのは皆同じだ、致し方ない。何にせよこの冬を耐え忍び、春の収穫に期待するしかないだろう」

 王は外交担当の臣下を責めることなく春の収穫に賭けることを決意し、早速、王宮や領主の館に眠っている備蓄糧を配給するよう勅命を出すと、少ない食糧であるがこれで冬を越すようにと民に向けて広く通達し協力を求めた。

 民は王の意向に理解を示し、春までの我慢、春になりさえすればたらふく食えると信じて、じっと春を待つことにした。

 天を仰いで祈るように雨雲を待つ。だが、秋が過ぎても冬になっても、空はどこまでも青く晴れわたったまま、雨が降る気配などまったくない。

 このまま雨不足が続けば、春の収穫も危うくなるかもしれない。いつ降ると知れない雨を待ち続ける心細さが、どうせ雨が降ったところでほんの少量のお湿りでは作物は育たない、期待するほどの収穫は到底見込めないだろうという不安に変わり、この先、食物が手に入らなくなるかもしれないと誰もがふせぎがちになるのはあっという間だった。

 王は確かに食糧を配給すると民に約束をしたのだとモースの民は自分たちの王の言葉を信じて待つしかなかった。

 そんな折、ひとりの貴族が身の安全を優先して国からの配給品を着服した。すると、それを知ったほかの貴族や領主たちも、これは皆がしていることだと体のいい理由をつけて次々とそれにならった。配給された糧のすべてを私物化し、さらに勅命を無視して穀物庫の扉を固く閉ざすという愚行を犯したのである。

 これにより、私欲にまみれた領主が治める領地では、民がばたばたと倒れはじめた。当然である。食べるものがなければ人の子は生きてはいけないのだ。

 この異変を深刻に受け止めた家臣たちは穀物庫を開放するよう、切実に主人に訴えた。だが、説得に時間ばかり過ぎて功を成すことなく、その間にも領民はますます衰弱していく。

 とうとう進退に行き詰まった家臣たちは自身の忠義のありように苦悩しつつも、身を引きちぎる想いで王宮に馳せ参じ、謹んで国王に進言した。

「このままではいつ一揆が起きてもおかしくありません。どうか国王陛下の御威光をもちまして、助けていただきとうございます」

 王はこれに固く頷いた。

「春になれば諸国も態度を和らげよう。今だけの辛抱である」

 王が貴族や領主たちをきつく叱責すると、彼らは自らの罪を反省し、配給品の返却を申し出た。王は諭すだけにとどめ、彼らを刑にかけることはしなかったが、至急、民に改めて配給を行うよう固く誓わせた。

 王のなさりようは手緩いと諫言する臣下もいたが、
「もともと先々の不安ゆえに走った着服である。彼らの愚行はまさに許しがたいことだが、そもそもモースが貧しい土地柄な上、日照り続きで諸国ともども食糧不足となったことが諸悪の根源なのである。飢餓を恐れぬものなどおらぬものよ」
 と王はまったく取り合わなかった。

 すると重鎮たちは口々にぼやきはじめた。

「もしもこれが中原一豊穣の地で知られるイクミル王国のロザイ地方であるならば、同じ猛暑に襲われたとしてもモースほどの大打撃を被ることはなかったでしょうな」
「いかにも。もともとの収穫量がまず違う。少しくらい不作であっても我国にとっては豊作にあたる量であろうよ」
「ほんに妬ましい。どうして我が国ばかり苦しまなければならないのか」

 王は王座から彼らを眺めながら、「他国をうらやんだところでどうにもならぬ」と深くため息をついた。ことの理非を王が本当に言い聞かせたかったのは王自身にだったのかもしれない。

 その後、悪事を犯した貴族や領主たちは、約束通り民に食糧を平等に配り、滞りなくことは治まるかに見えた。だが、正しく配給品をさばいたはずなのに、飢餓に倒れる民の数は日を追うごとに増えていく。そのうちとうとう疫病まで流行りだす始末である。

 毎日各地から被害状況を知らせる早馬が王宮に駆け込んでくるのだが、何か手を打ちたくても穀物庫や薬剤庫はどこもほとんど空に近い有様である。王や官僚たちはなすすべもなく報告書の束を手に立ち尽くすしかなかった。

 王は頭を抱えた。

 このままではモースの民は皆、餓死してしまう。例え、この一時の苦しみを乗り越えられたとしても、この国が食糧難であるという現実は一向に変わらない。

 東の隣国オルゼグン王国との国境を越え、さらに南東に下ると、そこには中原第二の穀物庫と名高いカジャスツン地方が広がっている。オルゼグン王国ではこの穀倉地方にたわわに実る麦をはじめ、東部のケルル地方周辺でもたくさんの農作物が毎年大量に収穫されている。今年は不作であったとはいえ、きっと春になれば緑豊かな大地が広がるのだろう。何と贅沢な。

 この豊穣の土地の一部でいい。永遠にモースのものにできれば、積年の食糧問題が一気に片付くのではないか──。

 王は迷った。悩んで迷って、そして苦悩の中、未来のモースために隣国オルゼグン王国への侵略を決断した。

 決意した王の行動は素早かった。まずは早急な食糧確保のための策を講じることにした。

「ハンギドに向かうオルゼグンの公用船を襲い、貴族たちや高官たちを人質にして食糧との交換をオルゼグン王に向けて提示せよ」

 モースの南西の隣国ハンギド王国は医療先進国として知られ、毎年多くの学者や使節団が訪れている。オルゼグンからハンギドに向かう場合、モースを抜ける陸路を行くより、オルゼグン、モース、ハンギトに面するミューラン海を渡る海路を利用するのが一般的だった。

 戦をしかけるにしても兵糧が必要となる。軍に回す物資が不足していてはこの先の指揮にもかかわるというものだ。モースとしては、とにかく一刻も早く食糧の物納を獲得したかった。

 ところが、モースはどこまでも運に見放されていた。ずっと待ち望んでいた雨雲だったのだが、偶然重なったとはいえ、時期と場所が悪すぎた。

 雨は積年を恨みを果たすかのごとく、狂ったように何日もかけて降り注いだ。風も暴れ馬のごとくいろいろなものを壊してまわり、たくさんのものを吹き飛ばした。雨が降り、最初のうちは王も民も喜んだが、喜んでいられたのは、暴風雨が大陸東側の海にもその勢力を広げていると知るまでだった。

 人質交換の交渉の舞台となった海域が、激しい荒波に飲み込まれたのである。

 待ち望んでいた恵み雨がどうしてこのような無体を働くのか。どうか嵐よ、早く過ぎ去ってくれ。モースの王宮は祈りに包まれた。

 ところが数日後、祈り空しく、オルゼグンの公用船とモースの駆逐艦がそろって沈没したという最悪の知らせが届く。

 王は愕然と項垂れた。

 交渉したくても人質がいなければ話にならない。人質たちの死亡により、当然交渉は決裂に終わった。

 この時、この水難事故がモース王国を滅亡へと導く導火線の火つけ役となるとは誰も想像していなかった。

 一方、オルゼグンの王宮でも公用船の沈没と生存者全滅の報告を受けて、王侯貴族たちは激昂した。オルゼグン王国第七十八代国王ケリムス・ケランは怒りあらわに肩を震わし、噛み締めた唇からは幾筋も血が流れたとオルゼグン国史は語っている。

 沈没した公用船には多くの貴族や官吏とともに、王の外孫とその家族も乗船していた。老王の愛娘の王女は自国の公爵家に降嫁し、男児を儲けていた。男児は老王にとって初めての男の孫で、王の可愛がりようは皆が知るところであった。男児は成長すると師団長を任されるほど優秀な騎士となり、事故当時、彼には美しい妻と二歳になる愛らしい娘がいた。

 孫夫婦、そして将来楽しみだったその曾孫もまた、ほかの乗員とともに海に沈んだと聞かされたのである。公用船沈没という災厄の知らせは老王の理性の紐を引きちぎるのに充分な誘因となった。

 同じ時、モース国王はオルゼグンとの国境に一万の大軍を差し向けていた。

 それを知ったオルゼグンの老王は急遽、中原一の大国であるイクミル王国に支援を求め、両国協力してモースの進撃を打破する協定を申し込む。

 魔道大国として名高いイクミル王国は、モースとオルゼグンの両王国と国境を接している。モースの進軍は他国の問題と片付けておけるものではなかった。火は足元まで近づいていた。いつ飛び火してもおかしくない。

 イクミル王国は迅速、慎重に期してオルゼグン王国と連携し、モース王国軍の侵略を阻止する協定締結を内約してきた。

 ここにオルゼグン・イクミルの同盟軍が形成され、両国の王の名において開戦の鬨の声が挙がった。

 対モースへの戦いに参戦したのは自国の騎士や兵士だけではなかった。オルゼグン・イクミル両国ともに多くの外国人傭兵を雇い入れ、戦場に惜しみなく投入した。熟練の騎士同様、もしくはそれ以上の功績を残していく戦いの専門家たちの手腕に、モース軍兵は驚愕し慄き、士気を低迷させていく。

 同盟軍の正規兵たちは雇いものと見下しながらも、粗野で野蛮な集団であるにも関わらず協力するべきところは息を合わせて一糸乱れのない機動力を発揮する傭兵たちのその凄まじい戦いように感嘆たる眼差しを注ぎながら、負けてなるものかと功績を競った。

 戦い以前は農民や工芸工職人だったモース兵と比べるとその実力はまさに鷹と鼠ほどの差があった。

 だが、自国領土が戦場となったことが幸いした。地の利を知り尽くしたモース軍にも反撃の機会が訪れた。

 起伏の激しい山地には隠れ場所も多く、奇襲がかけやすい。高台から崖下に向かって放たれる矢はそのほとんどが的外れであったのにかかわらず同盟軍の足をとめるのに役立った。

 モースの元工芸職人たちは矢尻にさまざまな細工を施していた。回転して飛ぶ矢は破壊力を増し、楔帷子の鎧さえ貫通する威力があった。矢尻を逆爪にすれば、一度食いこんだら肉を挟んで簡単には抜けなかった。そのまま抜けば肉が引き裂される。この矢尻で負傷した兵のほとんどが戦線離脱を余儀なくされた。無理に矢を抜けば大量出血で命取りになり、抜かねば激痛にさいなまれて思うように戦えない。

 元工芸職人たちは一時退却の合図があると、火が起きる仕掛けを残した。草原が火に包まれると敵兵は散り散りに逃げ惑った。夜のうちに元農民たちは穴を掘り、穴の底に竹串を立てると面白いように罠にかかった。

 生きぬくためには勝たなければならない。戦に負ければ死は逃れられない。戦に負けるのが嫌ならば最初から戦わなければいい。

 だが、モースの民は戦をさけたところでこのままでは餓死が待ち受けていた。まさに背水の陣だった。

 死に背負ったモース兵は強かった。同盟軍の勢いは徐々に削がれ、両軍の戦力の差は僅差だった。

 いくつかの季節が過ぎると、被害は負傷や戦死だけでなく、モース軍にいたっては飢餓死するものが増えていった。それでもモース軍は耐えに耐えた。

 戦況はなかなか動きを見せず、それに焦れたイクミル王国は打開策を講じることにした。自国内に所在する魔導学総本山《学びの塔》に終戦の協力を要請したのである。

 魔道大国とも呼ばれるイクミル王国は多くの魔道師を擁しているが、彼らはあくまで《学びの塔》に属している魔道師である。王の命令よりも《学びの塔》の申し渡しを重視するのが魔道師だった。

 イクミル王国首脳陣は中立の立場を確固とする《学びの塔》へ幾度となく使者をたて、とうとう魔道師たちを動かすことに成功した。

 こうして中原の平和安寧の願いのもと、魔道師たちが早期解決のために参戦すると戦況は激変した。戦局が同盟軍に一気に傾いたのだ。

 一方でモース軍の動きにも変化が現れた。

 死を持って敵を打て。自決覚悟の戦法への切り替えの勅命は、年端のいかない少年や少女まで行きわたった。モースのために武器を取って敵を向かい打ち、血飛沫をあげて戦地に倒れていく。

 じろじりと押されていくモース軍勢の前方には味方だったものたちの屍の山が平原を埋め尽すさまが広がっていた。裸の大地が赤黒い血の海に染まり、鉄の匂いがあたり一面に立ちこめ、戦の凄まじさを知らしめていた。

 退路を失くし死線を越えて挑んでくるモース兵たちの追撃は圧巻だった。だが、同盟軍の強さは更にそれを上回っていた。

 死力を尽くして戦うモース兵は敵兵ながら憐れだった。眼は血走り、痩せ細った腕は骨が浮き出て、今にも折れそうだ。立っているのもやっとなのか、足取りはふらついて危うい。何日も食べていないのだろう。それでもモース兵はしぶとく向かってきては剣を振り、鉾を突きだしてくる。

 同盟軍にすれば、自分勝手に侵略を企て、多くの味方を死に貶めたモース兵は殺しただけでは到底許せぬ憎い敵である。だが、余りにも悲惨な敵軍の戦禍を眼にした同盟軍兵たちは、憎しみとは異なる怒りを覚えた。モースの民はどうしてこれほどまで見るも無残なのか。誰が彼らをここまで苦しめたのか。

 早期終結こそ温情だと心に刻みつけ、敵に向かうのだが、早く終わらせたいを気持ちを馳せてもモース軍はなかなか負けを認めようとしない。モース国王の首を取れれば明らかな終結となるのだろうが、肝心の王は王宮に留まったまま、戦場に出て来ていなかった。

 だが、戦いは突然、終局を迎えた。

 突如、大きな力が戦場を襲い、平らな地面が立っていられないほど大きく揺れると同時に大地がふたつに裂けたのである。

 揺れが治まったあとも悲鳴がやまない。崖が崩れて下敷きになったり、地割れに落ちたりと二次被害が起きている。

 思いがけない災異に両軍ともに統制が乱れ、戦場は怒涛の勢いで混乱の渦となった。

 特にぎりぎりの精神状態で戦っていたモース軍の崩壊は著しく、極限の緊張のさなかで起きた大地震は、兵たちの精神に大きな負荷を与え、正しい判断力を根こそぎ奪った。

 狂ったように剣を振り回すもの、敵と味方の区別ができなくなり呆けるもの、そして大地の怒りに恐れおののき自害するものが出た。憑かれたものを落としたかのように状況を正確に把握した兵たちもいた。中にはこれ幸いにと脱走しだしたものもいた。彼らの多くは元農夫だった。

 戦場の混乱を直接的に引き起こしたのは大地震という人智を超えた現象だったが、虫の息のモース軍の陣営にとどめを刺したのは人の子が流した噂だった。

 働き手の男たちを召集され、わずかでも収穫を見込んで畑仕事を任されていた老人たちや女子どもたちが農作を放棄して逃げ去った──。故郷の惨状を知らせる風評はさざ波のように耳から耳へ広がってモース兵たちの心を揺さぶった。

 徴兵によって参戦していた元農夫たちは家族がモースから逃げ去ったと聞くな否や、すかさず迷いを捨てた。王国のために戦う意味がなくなったのだ。

 命を賭して戦えという王命にも不満を抱いていた彼らの胸に、新たな想いが生まれていた。自分たちを守ってくれない国のために命を賭して戦う必然性がどこにあるのか。ここで命を落とすのは馬鹿らしいではないか──。

 離反する彼らの逃亡をくい止められるものなど誰もいなかった。兵をまとめるべき将軍や隊長たちでさえじりじりと足が退くのを抑えられずにいたのだ。

 戦場から離れたモースの王都市街地でも、市民たちは不満を募らせていた。いつまで経っても食糧の配給が行われる様子がない。なのに税の重さだけは増えてゆく。食べるものさえままならない虐げられた現状に市民の鬱憤は爆発寸前。そんな時に大地が揺れた。

 突然生まれた不安と抱き続けてきた先々への不安。人の子が抱えられる容量を超えて、緊張の糸がぷつりと断ち切れた。耐え続けていた堪忍袋もここにきて限界を超え、市民はとうとう行動を起こす。

 暴動がそこかしこで起こり、貴族たちの館を襲い、貯蔵庫から備蓄の食糧を見つけた市民はますます怒りを募らせた。そして暴動は王都全体に広がり、王侯貴族を追い詰めていった。

 その市街地が落ちていく様子を王宮の一室から眺めていた男がいた。モース国王その人である。戦場から敗戦の報告が先程届いたばかりだった。

 王は王国の崩壊を防ぐために自決の道を選んだ。辞世の句には、この首を持って憤怒を鎮めてほしいと残されていた。

 王は次代に王冠が継がれるものと最期まで信じていたようだったが、王の遺体が発見される頃にはすでに王太子もこの世にはいなかった。残りの王族や貴族もこぞって暴行の対象となり、十日もしないうちに小さな子どもを含む王族の首すべてが市民広場に晒された。

 この時、モース王国の王家の血脈は絶たれ、国を導くべき王を失くしたモース王国はその後も国政のあり方を巡って内乱が続いた。内乱は王都市街地だけでなく国中に広がり、国土は荒れに荒れた。

 モース迷宮時代の到来である。

 そのモース迷宮時代と呼ばれたモースの内乱を鎮めたのは、《学びの塔》から派遣された魔道師たちだった。

 モース王国からモース公国へと名称を変え、中原一の大国であるイクミル王国の属国とし、表向きイクミルが監守することで近隣各国も承認した。

 初代モース大公には、人格、能力とも優れていると評判のイクミル王国の将軍が就き、一連隊二千の兵もまた駐屯した。

 モース公国の一部の地域はオルゼグン王国と共同領域とし、モース公国の未来の穀倉地域を目指してイクミル・オルゼグン両国共同作業のもと農地改革が行れることになった。収穫が見込まれるまでイクミル王国から物資や技術援助を受けることが約束されると、逃走した農民たちも戻ってきた。そうしてモースの地は徐々に落ち着きを取り戻していった。

 中原に一定の平穏が舞い戻ると、モース王国終焉の戦いは、もっとも過酷な戦地となった断崖一帯の地域名をとって「シンラスの戦い」と呼ばれるようになった。

 約三年にわたるシンラスの戦いで、ふたつの王国がともにそれぞれ王を失くしたことは皆の知るところである。自害したモースの国王。そして、戦乱中に老衰で倒れたオルゼグン王国の老王ケリムス・ケラン。

 ふたりの王の死により、それぞれの国はそれぞれ新しい時代を迎えることになった。

 老王ケリムス・ケランの後継となったのは四十を過ぎた壮年の王子テレンツ・テインだった。

 オルゼグンの亡き老王は賢王として貴族や国民から慕われていたが、死後もなお深慮な王らしからぬと囁かれた無情の一点が、臨終の床に臥しても頑固として後継者を指名しなかった一件である。

 老王ケリムス・ケランは正妃との間に王子ひとりと王女ひとりが生まれている。だが、王子に恵まれたにもかかわらず、老王は最期まで王子の立太子を退く姿勢を崩さなかった。

 不可解な、老王の無情の一点。オルゼグンの老王の真意はどこにあったのか。

 オルゼグン国史は新しい記述を待っている──。



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