ハーシェルたちの肖像
ウィリアム・ハーシェルの天文学上の業績(1)
斉田博
200年前というと日本では江戸時代ですね。そんな古い話をとお考えかもしれませんが、地球が生まれてから46億年です。この46億年を仮に1年に縮めてみますと、人間の祖先が生まれたのは12月31日午後4時となります。200年前というのは12月31日午後11時59分59.3秒です。わずかに大晦日の終わりから3分の2秒前のことなのです。3分の2秒の間にいろいろな事件が起きたことになります。この短い間に天文学がものすごく発達したのです。その基礎を作ったのがハーシェルでした。彼は43歳まで音楽家で、その後で天王星を発見したというわけなのです。
よく人に聞かれるのですが、私は天文学者ではありません。どうして天文が好きになったのかと質問されます。皆さんもそういうときに答えられないでしょう。私もいつも笑って答えません。しかし、ハーシェルははっきり書いています。彼がなぜ星を見る気になったかというと、音楽を研究したかったからです。音楽と天文学は関係がないようですが、ハーシェルにとっては作曲をするために音階あるいは和音がどういう仕組みかを研究する必要があり、そのときに読んだのがケンブリッジ大学の天文学の先生が書いた音楽の本でした。これは音楽の本ですが、数学を使って説明してありました。ハーシェルは急に数学が好きになったのです。その先生は「光学」という本も書いており、次にそれを読んで望遠鏡の作り方、それを使って天文学者がどういうものを発見したかを知りました。ハーシェルは自分でも望遠鏡を作り星を見たいと考えたのです。
さらにもう一つ、ファーガソンという学者が書いた天文書がありました。彼もアマチュア出身で少年時代に羊飼いをやった人ですが、非常に詳しい天文の本を書きました。その中に天文現象を書き綴っています。恒星の世界のことを詳しく書いてはありましたが、距離は分からないと記されていました。望遠鏡を大きくし、もっと立派なものができれば、それを通して見て距離は求められると述べてあるのです。ハーシェルはそれに惚れこみました。自分で望遠鏡を作り星の距離を測ってみせると決心したのです。
当時の天文学というのは,プロといわれる天文学者が天文台で仕事をしていました。今から300余年前にパリとロンドンのグリニッジにできたのが近代的天文台の最初です。その仕事は海上を走る船の位置を測定するための航海暦を作るのが主でした。そのためには太陽・月・惑星などの位置を精密に測り,それに基づいて暦を作るのが大きい仕事だったのです。したがって天文台での観測は位置を正確に測るのが最も大事でした。
ところがハーシェルが考えたのは自分で星の距離を測ることでした。やがてそれが星の距離だけでなく、宇宙はどんな構造になっているのかを探るため大きな望遠鏡で星の光を十分に集めよう、そのためには少々位置が正確でなくてもよい、遠い星を観測すれば宇宙の構造がわかるだろうと考えていったのです。ところが遠い星を観測しても、当時は6等星までの星図しかありません。口径の大きい望遠鏡では星図にない多くの星が見えてしまいます。結局は自分で星図も作らざるを得ません。毎日毎日、場所を決めて星を観測し、自分で星図をこしらえていったのです。その過程で1781年3月12日にふたご座の観測を終え、13日におうし座の観測に入って、その晩に見慣れない星を見付けました。彼は彗星だと思いました。惑星は土星までと考えられていたし、まさかそこに惑星があるとは思えず、初めは彗星と判断したのです。これが天王星でした。
ハーシェルはこの新しい惑星を発見し報告したところ、喜ばれるかと思うとかえって反撃を食いました。プロの天文学者から総反撃を食ったのです。彼は天王星を観測するとき、900倍以上の倍率を使い、後には7,000倍をかけました。そんな大きな倍率で見るなどということは考えられなかったのです。それにハーシェルが測定した位置が信用できないというのです。プロの天文台では暦を作るために非常に精密に測っており,それに比べるとラフな測定だったのです。こうしたことで必ずしもハーシェルは天王星の発見で誉められたわけではありませんでした。ところがフランスでハーシェルを持ち上げる人が出てきたものですから、イギリスでも自国民のハーシェルを発見者として誉め讃えるようになったのです。しかし、ハーシェル自身はこの発見が大きい仕事だとは考えていません。彼の目的は宇宙の構造を突き止めることにあったのです。
ハーシェルは毎日のように星空を見て、一定の面積の中に何個の星があるか数えました。その結果、皆さんもご存知のように銀河系宇宙が凸レンズの形をしていることを発見しました。この考え方は今までずっと引き継がれていますが、実はハーシェルは晩年になって自分の観測に自信がなくなり,凸レンズ型の天の川宇宙を否定こそしませんが、主張しなくなったようです。
1981年10月23日にサンシャイン・プラネタリウムで開かれた天王星発見200年記念講演会より要旨を再録した、
日本ハーシェル協会ニューズレター第15号(1986年7月)より転載