ハーシェルたちの肖像
ウィリアム・ハーシェルの天文学上の業績(2)
ハーシェルが残した主な業績は何でしょうか。天王星の発見は惑星天文学では快挙でした。人類始まって以来の発見でしたし、この発見によってボーデの法則で火星と木星との間のぽっかりした穴に何かあるのではないかと観測が開始され、小惑星帯が見つかったのです。さらに、天王星の動きがおかしいということから計算と観測の結果、海王星が見つかりました。天王星の発見は非常に重要なことでしたが、ハーシェル自身は重要視しないという性格でした。彼の性格上、まず目的を持って観測をするべきで、目的なしでの観測は役に立たないと常に主張しました。そして観測したら自分でその現象を説明しなければならない、要するに仮説を出すべきだというのが彼のモットーでした。自分の仮説が明らかに間違いだと分かるまではあくまでも守っていく頑なな性質を前提として、彼の発見したものと残した業績とを並べてみましょう。
まず、火星の四季を最初に発表した人がハーシェルでした。火星を観測し、その自転軸が傾いており自転が24時間と30分ほどだと書いています。先ほど申し上げたファーガソンの本に「神様が宇宙を作ったとき、地球だけに人間を作ったのではない、どんな天体にも生物がいる」とありました。ハーシェルはこれを死ぬまで信じており、太陽にも月にも人間がいることを否定しませんでした。
彼の業績でもっとも讃えられるのは、太陽系外の天体に関することでした。星団などのカタログを作ったメシエは絶えずハーシェルを激励し、彼から送られたカタログをハーシェルは片端から自分で観測していきました。その結果、星雲というものは存在しない、あれは実際には星団であるが遠くにあるため星に分かれて見えないのだ、つまり星雲は星団であると信じていました。しかし大きい望遠鏡でも星に分かれない星雲があることに気づき、晩年になって星雲から星団が生まれる、つまり恒星の進化という考えを打ち出しました。恒星進化論のはしりはハーシェルと言えましょう。星雲の中でも惑星状星雲というのをご存知でしょうか、これを発見したのもハーシェルでした。惑星状星雲という言葉を作ったのもハーシェルです。太陽系の外へ出ると彼の業績は膨らんできます。
太陽が太陽系の天体を従えて宇宙空間をヘルクレス座の端あたりに向かって走っていることは皆さんご存知だと思います。ハーシェル以前からこのようなことを考えた人もいました。恒星には固有運動がある、恒星が動いて太陽が動かないはずはないという考え方で、太陽は宇宙空間を運動していると唱えた人がいますが、ハーシェルは観測によってはっきりとどちらの方向へ運動しているかを計算でも求めたわけです。ハーシェルの業績の中で一番の功績と言われるのはこの問題です。
もう一つ、二重星の一種で二星が重力的に関わり合っている連星を発見したのもハーシェルです。ハーシェルは太陽系以外の分野で非常に大きな業績を残したといえましょう。そのために長さ12m、直径1.2mという巨大な望遠鏡を作りました。残念ながらこれは失敗でした。何一つこれで発見をしていません。もっとも活用したのは長さ6mの望遠鏡でした。ジョン・ハーシェルが南アフリカヘ持って行って観測したのもこれでした。確かに世界一大きい望遠鏡は失敗作でしたが、大きい望遠鏡を作ることによって宇宙の遠くまで見通せることを証明し、しかもそうした望遠鏡が作れることを証明したのです。その30年ほど後にロス卿という人がさらに大きい望遠鏡を作りましたが、ハーシェルの望遠鏡製作の実績が刺激になったことは間違いありません。ロス卿はそのおかげで渦巻星雲を発見したのです。
最近は電波天文学が盛んになっています。目に見えないもので天体を見るという天文学が華やかに活躍していますが、ハーシェルが赤外線というものを発見したのです。赤外線を発見したときに使ったプリズムや温度計が残っています。赤外線という目に見えない光を彼は発見し、それによって太陽の研究もしています。目に見えない天文学の創始者もハーシェルと言えましょう。
ハーシェルの生きた200年ほど前は、単に位置を測る天文学から天体物理学への端境期にあり、そのときに大いに活躍したのがハーシェルだったと言えましょう。現在のすさまじい天文学の発達は、ハーシェルに始まると思われます。
1981年10月23日にサンシャイン・プラネタリウムで開かれた天王星発見200年記念講演会より要旨を再録した、
日本ハーシェル協会ニューズレター第16号(1986年9月)より転載