2.王宮武芸大会
年に一度、建国記念の祝祭日のみ、民間人に開かれるエターナル城の城門。それが、王宮武芸大
会。
この日、グラン・パーブルには、島内外から力自慢の豪傑たちがぞくぞくと、集まってきていた。
「見物人の頭ばっかしで、城門がどこにあるか見えないぞ」
ジャンは、タルクの腕につかまりぴょん、ぴょん背伸びをして、前方をうかがう。
「グラディウス、スコーピオン、バトル・アックス、なかなか賑やかな顔ぶれじゃないか」
反対にタルクは見物人の頭の上から、悠々と参加者を見渡して言う。
「ちぇっ、でかい奴はこーいう時にいいよな。でも、グラディ……とかって、何なんだよ」
「グラディウスは剣、スコーピオンは長槍、バトル・アックスは斧だ。どれもこれも使いこなせば、相当な
殺傷力をもつ武器ばかりだ。どうするタルク?お前、勝つ自信はあるのか?」
珍しく快活にゴットフリーが笑う。
人出が多いのは好きではないが、これだけの数の豪傑と武器を目の当たりにしては心が踊らぬはず
がない。武芸大会に参加する気などさらさらないが、彼も並々ならぬ剣豪の一人なのだから。
「参加者の登録を打ちきるぞ!希望者はさっさと済ませて城門に入れ。見物人の入口はここじゃな
い。別門にまわれ!」
王宮の衛兵が大声で叫ぶ。
「待て、待て!俺も参加者だ。登録してくれ」
人垣をなぎ払いながら、進み出たタルクの風貌に感嘆の声があげる。
「すげえ大男が来たぞ。それにあの長剣の長さを見ろよ!」
だが、その背の後ろに隠されていたミッシェの姿が現われた途端、人々の声はため息に変わった。
きらめく白銀の髪、透き通った玉の肌、吸い込まれそうに済みきった青の瞳。
「ありゃ、何者だ……地上に天使が舞い降りたみたいじゃないか」
「スウォード・リリーも綺麗だけど、桁が違う。神々しいっていうのか……あの娘は」
そして、ミッシェの後ろにはジャンが。
"ちぇっ、僕には目もくれないのかよ"
奥底に壮大な力を秘めているとはいえ、見かけだけでは、ジャンはただの少年にすぎない。
つまんないぞ。と、後続のゴットフリーに声をかけようとして、ジャンは思わず苦笑した。
黒装束に黒い帽子を目深にかぶった姿は、ある意味、タルクやミッシェより存在感を示していた。空
気の色が違う……彼が通る道を、人々は無意識のうちに開けてしまう。知らず知らずのうちに感じ取る
畏怖の思い。頭を垂れよと命令しているかのように上からのしかかってくる重力。
「と、登録用紙は?」
衛兵は目立ち過ぎる一行に、かなりたじろいで言う。
「登録用紙ぃ?そんなまどろこしい物がいるのか」
「事前に配布があっただろう!用紙がないと、城門の中へは入れないぞ」
その時だった。
「これ、忘れもん!」
ひゅっと、音をたてて城門に一本の矢が突き刺さる。それにくくりつけられたタルクたちの登録用紙を
手にとって、衛兵はむっつりと射手をにらみつけた。
「ラピス!お前の弓の腕前はよく知ってる。でも、城門に穴をあけるなっ。登録用紙は手で持って来い
っ!」
「人が多すぎて、そんな所までたどり着けるか!俺はこれから仕事なの。武芸大会の真似をして決闘
する馬鹿がいるからな。そいつらを看ろってさ」
がんばれよ!とラピスはタルクに手を振ると、あちらこちらからかけられる声(主に女の子)に愛想を
振りながら、人ごみの中に消えていった。
「あいつ、本当に見えてないのか?信じられんな」
「でも、この島では顔が広そうだね。それに、けっこう女の子には人気がありそうだ」
ジャンがタルクに笑いかける。
「あのツンツン立たせた金髪がいいのか?盛場の兄ちゃんって感じじゃねえか」
と、タルクは不満顔だ。
「おい、さっさと行かないかっ。城門を閉じるぞ!」
最後に城門に入って来たゴットフリーを急かせて、彼と目をあわせた衛兵は、一瞬、びくりと身をすく
めた。目深にかぶった帽子から垣間見える灰色の瞳。心の底まで見透かされているような鋭い眼光。
「城門を閉じるんじゃなかったのか。人を急かしておいて、動作ののろい奴だ」
な、なにをっ!偉そうに。
衛兵はそう思いながらも、ゴットフリーに命じられたかのように、そそくさと城門を閉めはじめた。とて
も、言い返す事はできなかった。ゴットフリーが怖かった。
城門は閉められた。
王宮武芸大会 開催!
― グランパス王国に咲き誇る花、グラジア・リリース・グランパス
"剣百合(スウォード・リリー)"の名にかけて 集えよ、勇敢なる戦士
永遠なる居城エターナルにその勇士を刻めよ。―
王宮の中庭に作られた競技場に軍楽隊の荘厳な合唱が響き渡る。会場の真上に特設されたバルコ
ニーに現われるグランパス王と妃。そして、同時に王宮の扉が開き、近衛兵に守られながら、一頭の
馬が登場する。
金糸と銀糸で縁取られた鞍に跨っているのは、銀の鎖帷子―シルバーメイルに身をかためたグラン
パス王国の第一王女、"グラジア・リリース・グランパス"だった。
齢16。腰まで伸びた金の髪を、三編みに束ねている。きりりとした眉と紫暗の瞳は王族の気位の高
さを見せつけているようでもあったが、薔薇色に染まった頬にはまだ、少女のあどけなさが残ってい
た。
「スウォード・リリー!!」
どっと沸き立った観客からの声が会場に響き渡る。その声に答えるかのように王女は携えた剣を鞘
から引きぬき、空高く掲げ上げる。
王女を迎えるため、競技場の中央に左右の列に分かれ、膝まづく参加者と随行者の中にタルク、ミッ
シェ、ジャン、ゴットフリーがいた。
「スウォード・リリーって、誰だ?あの派手な馬に乗った女のことか?」
ジャンが声をあげると、前にいた参加者らしい男がしっと、それを諌めた。
「あの方は、この国の王女だ。だから、"女"よばわりはやめろ。人柄、容姿ともに素晴らしい方だが、
ああ見えても、剣の腕は、近衛隊の上層部の者と匹敵する。だから、国民は彼女の事を尊敬の念をこ
めて、こう呼ぶんだ。"スウォード・リリー(剣百合)と"
王女リリーは馬を歩かせ、品を定めるように、武芸大会の参加者を馬上から見下ろす。
どれもこれも、毎年変わり映えもしない、がさつそうな男ばかり……武芸大会にもそろそろ飽きてきた
わね
口元からでそうな欠伸をどうにかこらえる。だが、目立ちすぎる一行を前にした瞬間、リリーの眠気は
一気に消えうせた。
「お前たち、どこから来たの?」
馬上からいきなり声をかけられたタルクは、かなり緊張した面持ちで頭を垂れた。
「ガ、ガ、ガルフ島でございます」
「ガルフ島?聞いたことないわね」
「このグラン・パープルよりはるか西の孤島ですわ。私たちは、島主のご子息の見聞の為、各島々を漫
遊しております」
がちがちに固まったタルクをかばうように後に追いやって、ミッシェが香るような笑顔で微笑む。
畜生!あの大入道。あんな別嬪に守られやがって。
まわりにいた荒くれの参加者たちは、ミッシェに触れられたタルクの腕にさえ嫉妬する。そんな雰囲
気を感じとってか、リリーはむっと声を落として言った。
「お前、名は?」
「私の後ろに控えておりますのが、護衛官のタルク。そして、その後が島主のご子息、ジャン・アスラン
様」
ミッシェの言葉に、ジャンは、何で僕が!と、とび色の目を見開いた。"ご子息はお前だろっ!"と、後
ろを振り向いたジャンは、にやりとほくそえむゴットフリーを見るなり、ちぇっと舌を鳴らした。
"詐欺師め……こいつ、何か悪巧みをしてやがるな"
気持ちの上で、シンクロ(同調)することが多々あるのだ。ジャンとゴットフリーは。
「違う。聞いているのは、お前の名よ!」
いらつく様子でリリーがミッシェを指差す。今まで、剣百合――スウォード・リリーと崇められていた自
分を押しのけ、男たちの羨望の目を浴びるミッシェが気にくわなくてたまらない。
「しがない召使でございます。私の名など王女様にお伝えするほどの価値もございません」
言葉と裏腹に、ミッシェは王女を哀れむかのような声音を出す。そして、笑う。
「何て無礼な奴!私の質問に答える必要がないとでも言うの!」
リリーは馬から飛び下りると、つかつかとミッシェに元に歩み寄ってきた。
「王女を侮辱して、ただで済むと思うの?お前、見たところ少しも隙がない。何か武芸をたしなむのでし
ょう?ならば、私と勝負しなさいっ!」
"おい、おい、どうするんだよ。ミッシェの奴、王女に喧嘩、売りやがった"
タルクは正面に立ちはだかるリリーの方を向いたまま、後に手をやり、ジャンをつつく。
「おもしろいから、やらせておけよ」
小声で囁いたジャンの言葉は、残念ながら、タルクの予想通りだった。
黒馬島でミッシェはジャンの力が暴走するのを、制御したんだ。へたをすれば、ジャンよりもべらぼう
な力を持っているんじゃないのか?これは、ヤバいぞ。
タルクはあせった様子で、すがるように、ゴットフリーの方を見る。しかし、
「残念ながら、私は武芸はたしなみません。でも、もう一人の護衛官なら王女様のお相手にちょうどい
いかと……」
ミッシェの青い目が、ゴットフリーを見据えている。それに、導かれるように黒装束の男に目をやり、リ
リーは一瞬、とまどいを見せた。目深にかぶった帽子のせいで、その表情は見てとれないが、他とは
明らかに違う研ぎ澄まされた空気をまとっている。
それでも、勝気な王女は声を荒げて宣言した。
「おもしろい。でも、私がその男に勝ったなら、お前には、地面に土下座して非礼を謝ってもらう。覚悟
していなさいっ!」
おおーっと、雄叫びが上がる中、黒い影が静かに腰をあげた。
「ゴットフリー、本気か?た、頼むから王女を殺さないでくれよ」
あせって袖を引っ張るタルクの腕を、軽く振り解いて、ゴットフリーは笑う。
「さあ、興が乗れば、それもおもしろいかもな」
「おいっ、王族なんか殺したら、末代まで祟られるぞーー」
タルクを完全に無視して、ゴットフリーは王宮の庭に特設された格闘場に進み出た。すでに王女は剣
を身構え、戦闘の準備を終えている。
スウォード・リリー(剣百合)、その花言葉は"密会"そして、
"武装完了"
特設された王宮のバルコニーでは、リリーの父、グランパス王が、苦々しげにその様子を眺めてい
た。
「また、リリーが戦闘か。あれは王女のくせに、血の気が多くていかん」
「まあ、陛下、最近の王宮武芸大会は多少、マンネリ気味。余興にはちょうどよろしいですわ。それに
よもや、外海の田舎剣士にスウォード・リリーが負けるはずもございません」
前菜にあの男を血祭りにするっていうのはどう?リリーの奴、そこまでやる勇気があるかしら……。
小太りのグランパス王に、紅銀のドレスに身を包んだ妃がしなだれかかる。
「それより、晩餐会につける宝石の事なのですが、とても良い瑪瑙を見つけましたの」
「ああ、欲しい物があれば、何でも買うがいい。グラン・パープルは栄えている。金は税金が山のように
入ってくる。宝石くらい痛くも痒くもないわ」
だるそうなグランパス王の返事に、妃の真っ赤な唇がほくそえむ。妃といっても、この毒々しい化粧の
女はリリーの母親ではない。リリーの母は、数年前に病気で亡くなった。その直後、不自然なほど早く
王妃の椅子に収まったのが、今の妃だった。
王はもう、私の手の中。ランカを横流しにしたエターナルポイズンのあがりも、入ってくる。もっと、もっ
と税率をあげてやろう。民が苦しむ?かまうものか。グラン・パープルの富は全て私の物なのだから。
銀色に染めた長い小指の爪先を、ぺろりとなめると、王妃はリリーが、相手の男に剣を突き刺す瞬
間を見逃すまいと、バルコニーから身を乗り出した。
銅鑼を打ち鳴らすかのような人々の喚声。だが、その99%はスウォード・リリーへの激励の声だ。
「ヤな感じだな。完全にアウェイだし。ゴットフリーを応援する奴なんて誰もいないじゃん」
不満げにつぶやくジャン。だが、
「心配しなくても、直に静かになる」
タルクはきっぱりと、そう言いきった。
「王女の御前だというのに帽子を脱がないつもり?」
「気にするな。頭の一部と思えばいい」
王女はゴットフリーのそっけない答えに皮肉っぽく笑う。
「禿げた頭でも隠しているの?見た目と違って、随分なさけない男ね」
観客がどっと笑い声をあげる。だが、
引きぬいた剣を斜めに構えてから、リリーはむっと表情を曇らせた。
「お前っ、何で剣を抜かないの!?」
ゴットフリーは相変わらず目深に帽子をかぶったまま、身構えるそぶりもみせない。
「なかなかおもしろい武器を持っているな。マンプル……攻撃力は絶大だが、男でも使いこなすのは難
しい剣だ。お前にそれが扱えるのか?」
リリーが携えた剣には3つの刀身があった。中心になる長刀の左右にそれぞれ短刀が、1本づつ付
いている。ちょうど、フォークのような形だ。しかも鞘と刃の境目にも小さい鉤爪がある。
「いちいち五月蝿いわね。それは、勝負をすればわかる事!」
「そんなに、始めたいなら、遠慮せずに斬ってこい」
「どこまで私を馬鹿にする!ならば、遠慮なく串刺しにしてやるわ!」
リリーの腰まで垂らした三編みの髪が風にひるがえった。手にした剣を目線の位置で水平に切り込
む。
「待ってましたあ!」と感嘆の声。グラン・パープルのほとんどの住民はリリーの剣の腕をよく知ってい
た。かろやかな身の動きと形の美しさには目のみはるものがあった。
それは、剣技というよりまるで、舞踏。ため息が出るほど優雅ではあるが、その剣の切先は鋭く相手の
急所を突いてくる。それに加えマンプルという変わった剣を使う王女……その派手な特異さは人々の
心を魅了するに十分だった。
だが、優雅な剣の舞に開始早々、幕を引く者。そんな男が現れるなんて……。
ゴットフリー。
彼は、一刀必殺のリリーの剣を首を傾かせただけで、こともなげにかわしてしまったのだ。
な、何で?こんな男に私の剣がかわされるなんて!
信じられない面持ちでさらに突く。だが、またかわされる。
「あの難しい剣を使うだけでも、王女の腕はたいしたもんだ。動きだって伊達じゃない。けれど、マンプ
ルは3本の刃と鉤爪をすべて使えて使いこなしたといえるんだ。こういう1対1の武芸大会なら通用して
も、あの様子じゃ本当の戦闘には役立たない」
タルクが得意げにジャンに解説する。
「でも、つまんないな。ゴットフリーは剣を使わない気なのか?まさか、殴ってやろうとか、思ってるんじ
ゃないだろうな。あ……もしかして」
「考えたくはないんだが……」
そりゃ、目立つだろうけど、やっていいのか?
タルクとジャンが目と目を見交わしたその時、
場内の空気が一瞬、暗に染まった。黒い影が通り過ぎた気がした。
一体、何が起こったの?
ぽかんと立ち尽くすリリー、そして、言葉をなくす観客たち。
「お前にはその剣は重過ぎる。お望みならもっと軽くて扱いやすい剣を用意させるが」
そして、長刀をまっぷたつに折られたマンプルが、土の上に転がっていた。
負けた?この私が……。
あせって、声のした後を振り返った。その瞬間、リリーはびくりと体を縮込ませた。
黒刀の剣……いつの間に抜いた!?
ゴットフリーに握られた黒刀の剣は禍々しいまでに研ぎ澄まされた光を放っていた。そして、リリーを見
据える灰色の瞳。心の奥底をすべて見透かしているかのような……。
王族の自分が、たかが孤島の護衛官に、なぜ、こんなに震える必要がある?
「王女だろうが、勝負は勝負!斬ればいいでしょう。咎めはしないわ。こんな屈辱に合うのなら、斬られ
て死んだ方がましよっ!」
先ほどまでの湧きえるような声援が、今は凍り付いたように静まりかえっていた。
「ほうら、静かになっただろ」
得意げなタルク。
ゴットフリーが使っているのは、黒馬島の神剣"闇馬刀"だ。あの剣の威力を目の当たりにして、普
通に騒げるはずがない。
"闇馬刀"には、鞘がない。なぜなら、その剣はゴットフリーが求めた時のみに姿を現すからだ。強い
て言えば、その刀身の中の闇、それが鞘……なのかもしれないが。
だが、タルクの表情は、ジャンの一言で、あっという間に焦りに変わった。
「タルク、大変だ!ゴットフリーの奴、王女を斬りやがった!!」
「何ぃぃ!!」
「陛下!王女が!」
地面に崩れ落ちたリリーの姿を見て、バルコニーの王妃が叫んだ。
「なんじゃ?相手を串刺しにでもしたかあ」
グランパス王は、相変わらず、だるそうな眼で玉座にふんぞりかえっている。
「ち、違いますっ。き、斬られました。黒い男に……」
ええっと!この時始めて王は、ぱっちりと目を見開いた。あせった様子でバルコニーに身を乗り出
す。
リリーは、地面にひふれすように倒れていた。だが、
「斬って欲しいと言ったからそうしたまでだ。だが、自分の足で立てるだろう?」
ゴットフリーのそっけない言葉に、倒れていた王女が苦しげに顔をあげたのだ。
体の痛みは少しも感じなかった。だが、傷つけられたプライドに心が張り裂けるようで、立ち上がると、
リリーは、きっと唇をかみしめゴットフリーを睨めつけた。
その瞬間、王女の黄金の髪がはらりとばらけて扇のように広がる。
二つに斬られ地面におちたその髪留めを拾い上げると、ゴットフリーは笑った。
「悪かったな。だが、これには王女の紋が入っていたから、お前のかわりに斬らせてもらった」
「な、なぜ私を斬らないのっ!どこまで私を馬鹿にする気!」
「それは……」
「それは、何っ」
「それは、お前が王女だからだ。しかも、国民に愛された……」
ゴットフリーの言葉にリリーは一瞬、絶句する。
「マンプルは、お前には扱えない。だが、ちょうどいい剣をもっている。俺たちの島でも極上の刀匠に打
たせたレイピアだ。非礼の詫びに後で届けよう」
「そ、そんな物!」
いらないわ……と、言葉が口から出掛かっているにも関わらず、リリーにはそれが出来なかった。絶
対的な力が彼女にのしかかっていた。逆らう事ができないのだ。
「咎めはしないんだったな。非礼は詫びたし、では、俺はこれで失礼する」
くるりとリリーに背を向け、唖然と見つめる観客たちを尻目にして、ゴットフリーはタルクたちのいる場
所へ帰っていった。
「ゴットフリー、ひやひやさせないでくれー」
タルクは、もどってきたゴットフリーを捕まえて言う。
「何だ、タルク、気の小さい奴だな。そんな事でこれから闘えるのか?王女よりもっと手練れた奴らが
列をなしているというのに」
「そういう事じゃなくて、王族相手に無謀すぎるぞ」
二人のやりとりを横で聞いていたジャンが口をはさむ。
「そうだよ。王女の気性がああだったから良かったけど、下手すりゃ、僕たち全員、磔の刑だ」
「そこは、そう。いろいろと案は考えてあったのよ」
ジャンの後でミッシェが香るように微笑んだ。
「プラン1、プラン2、プラン3……、まあ、1で上手くいったのは良かったわね」
「おまえら、俺とジャンをはずして、二人してそんな打合せまでしてたのか!」
「あら、ラピスも一緒に考えてくれたのよ。いろいろアドバイスもしてくれて」
「やってらんねー。結局、僕とタルクが除け者だ」
「あなたたちには、余計な事を考えないで、普通に武芸大会に出て欲しかったの」
あ、それと……
ミッシェは、はっと思い出し、手にした白い包みをゴットフリーに差し出した。
「レイピア。船に積んだ武器の中から持ってきたわ。この剣なら軽くて使いやすいし、装飾もお姫様風、
持ってゆくんでしょ」
「ああ。そのまま、俺は帰らない。後はお前たちで上手くやれ」
だが、受け取ったレイピアを携えて、王宮の方へ行こうとするゴットフリーをジャンが止める。
「王宮の地下へ潜入する気だな?だったら、僕も連れてゆけ!」
しかし、ゴットフリーは首を横に振った。
「だめだ!お前はここにいろ」
「何で!」
「気がつかないのか?この王宮の不穏な空気に。王宮武芸大会の猛者どもが放っているんじゃない。
もっと、陰気で悪質な何かをお前は感じないのか」
そういわれてみれば……、城門を入った瞬間から胸を押さえつけられるように空気が重い。
「タルクに付いておけ。奴一人では、抱えきれない事態が起こるかもしれない」
ゴットフリーの言葉にジャンは、黙ってうなずいた。
エターナル城の西、サライ村の野営地がある海岸。
その砂浜をラピスは悠々とした足取りで歩いていた。肩にはお気に入りの自作の弓を抱えている。
生まれた時から、目が見えなかった。だが、そのことに不便を感じた事はほとんどない。
医者になるために両親を故郷の島に残し、グラン・パープルにやって来た。最初、師匠は、ラピスを弟
子にすることを渋った。だが、"見えない症状"まで気づいてしまう、その能力を彼が知るには、そう長く
時間はかからなかった。
"この世のすべてが、俺の頭に浮かび上がってくるんだよ"
さすがに、姿、形をあますところなく知る事はできなかった。だが、生命力が強いものほど、おおよそ
の大きさや、位置、行動を知る事がたやすかった。人、動物、植物。建物や橋、食器類でさえも、それ
らを建てたり、使ったりする人々の思いいれ―それが、善意、悪意に関わらず―を感じることができれ
ば、ラピスは察知する事ができた。
けれども、極まれに、全く知る事のできない物にでくわす事があるのだ。
エターナル城。
何も感じない。近づいて城壁に触れてみても、中身には、虚無の空間があるだけとしか思えない……
だが、人はそれを白亜の城と誉めそやす。
あの城には決して入るまい。
ラピスは、そう心に決めていた。
エターナル城が怖かった。
「ラピス、えらくご無沙汰だったじゃないか?もう、計画から抜けたのかと思っていたぜ」
正面から近づいてくる声にラピスは笑顔を作る。この酒とタバコで荒れた声。サライ村のリーダー、ラ
ガーだな。
「仕事が忙しくてさ、この島は医者不足みたいで。あ、それとこの間はご免な。お前が悪いんだぞ、俺
の患者を盗むから」
ラガーは多少、むっと眉をしかめたが、敢えて平静をよそってみせた。
「その話はまた後だ。それより、お前に紹介したい奴がいるんだ」
「紹介?」
「ああ、新しい俺の参謀、BWだ」
「ラピス・ラズリ。ラガーから話は聞きましたよ。医者で超一流の弓使い、しかも盲目とはね」
BWが差し出した手。
ラピスは、ラガーの後ろに感じた気配に向かって"よろしく"と手を差し出そうとした。が……、
お門違いの方向へ手を出すラピス。そして、次の瞬間、顔を強張らせて手を引いてしまった。
「ラピス、お前、どこ向いてる?BWはこっちだぞ」
初めて見る彼のそんな姿にラガーは首を傾げた。
この引力は何だ?大きな波に引き寄せられてるみたいな……それに、どこが頭で足で手なんだよ?
いつもなら、はっきり感じる事ができるのに、こいつ、さっぱり、わけがわからない。
まてよ、BW……って確か
「BW!レインボーへブンの欠片、海」
「よくご存知で。では、改めて……よろしくお願いしますね」
今度はラピスは、びっくりするほど、すんなりとBWと握手を交わすことができた。
今はまるで普通の人間だ。この野郎、俺の態度を見て自分の気配を消しやがった。
「あんた、そうとうなくわせ者だな。あの単純明快なジャンとはえらい違いだ」
そういえば、ジャンは触れなければ、力の強さを感じなかった。彼はレインボーへブンの欠片、大地
だというのに。こいつみたいに力を隠しているようにも思えないし……。
「彼にはミッシェがついていますからね」
「俺は何にも言ってないぞ」
「不思議ですね。何となくあなたの考えが私に伝わってきますよ」
「気色悪い奴だなっ」
「あなただって、さっき私の中を覗こうとしたじゃありませんか。お互い様です」
「俺は少なくとも人間だ。お前らと一緒にすんな!」
放っておくと、ラピスとBWの舌戦はどこまでもエスカレートしてゆきそうだ。ラガーは聞いちゃおられ
んと、口をはさんできた。
「ラピス、弓の稽古をつけてくれるんだろ。例の計画の最終確認も兼ねて、みんなを俺の所へ集めてく
れ」
この腐った王国を覆してやる。ガルフ島で出来なかった事を、俺はやるんだ。
これは、王に虐げられてきた、グラン・パープルの住民の挑戦、そして、俺の挑戦でもあるんだ。
ラガーの思いは強かった。
サライ村の野営地にはすでに、30人ほどの人間たちが集まってきていた。先日、ラガーの参謀に就
任したBWの指示に、彼らは驚くほど早く順応していた。
当初、突然、現れたうさん臭い男のいう事なんて、当てになるかと反抗的だったメンバーも、いざ動い
てみると、実に効率がよい。2日とたたないうちにBWに対する不平不満は引き潮のように消えていっ
た。
「へえ!随分、以前と空気が違うな。きびきびして、やる気満々って感じじゃん」
ラピスは剣の練習をするかけ声を聞いて、頬を高潮させる。いったい、どんな魔法を使ったんだ?
「これでも、私は、ガルフ島警護隊長の参謀でしたからね。ちょっと、編成を変えてみただけですよ。以
前は剣を触れた事もない者が下手な稽古をしていましたから。剣は経験者のみに、あとは、小難しい
事は教えずに、基本だけを教えました」
BWが、笑う。
「上段、中段、下段の構え。あとは実践をふまえて、ひたすら地稽古。それだけですよ。必要なのは」
「でも、剣の経験者以外はどうするんだよ?素手で自分の身を守れってか?」
「武器を扱えない者には3つの秘技を教えました」
「3つの秘技?」
「守る、攻める、そして、逃げる」
「ちっとも秘技じゃないじゃん。そんなんじゃ、武芸大会なんて夢のまた、夢だな。すんなり出場しちまう
タルクが羨ましい限りだ」
タルクが武芸大会に?その名を聞いて、BWはふっと皮肉な笑みをこぼした。
なら、見学に行かないとね。今だに、ゴットフリーの忠臣をきどってる、あの男がどれだけ戦えるの
か、見てみたいですから。
「……で、俺の弓部隊はどうなった?まさか、解体しちまったんじゃないだろうな」
ラガーが決まり悪そうに口をはさんできた。
「あー、弓部隊はその他のメンバーで構成してあるよ」
「サライ村の奴らか?」
「いや……奴等は、トンネル掘ったり、爆薬をしかけたりで役目があるからな……弓部隊は残りの…
…」
「わかったぞ!剣も使えない、素手でもだめ。落ちこぼれたちを弓部隊に集めやがったな!」
BWがくすくすと笑う。
「そんな事はないですよ。とても優秀です。ただ、平均年齢が少し低くなってしまいましたが」
「悪い予感がしてきたぞ。まさか……あとのメンバーって?」
「お察しの通り、弓部隊は二人だ。お前と……ココの」
ラガーの言葉にラピスは頭を抱えた。
ココと俺だけ!?冗談じゃないよ。
「だって、お前はエターナル城に入るのが嫌なんだろ?だから、場外から俺たちを援護してくれ。まあ、
弓部隊兼連絡係ってところかな」
BWはラガーの台詞に人の悪い笑みを浮かべると、ラピスの肩をぽんとたたいた。
「あれでココはけっこう、戦力になると思いますよ。だから、よろしく指導して下さいね」