城下町の"腕ずもう"大会。
「なんだよ。もう終りかあ?思ったよりつまんないもんだな」
ジャンが大あくびをしながら言う。
タルクに秒殺でなぎ倒された男たちの数が30人を越えた時、さすがに挑戦者に名乗りをあげる者は
いなくなった。
「あいつ何者だ?ここの大会はけっこう賞金が多いんで、島以外の人間がやってくるのは珍しくも何と
もないが……」
「きっと、あれは海賊の首領だ。あの背にしょってる剣の長さを見てみろよ。きっとあれで何百人も斬り
殺してきたんだぜ」
汗の一つもかくでもなく、平然と立っているタルクの姿を酒の肴に、観客たちが好き勝手に噂を始め
る。
"海賊の首領が、"腕ずもう大会"なんかで、ちまちまと賞金を稼ぐかい!"
いささか、退屈になってきて、タルクは審判の男に言った。
「おい、もう挑戦者はいないんだろ?なら、優勝は俺だな」
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、船の資金難、解消のためには仕方ないと自分で自分を慰めてみる。
ゴットフリーを先頭に船には、そんな事に気を配る奴なんか誰も居やしない。タルクがいないと、レイン
ボーへブンを見つける前に、十中八九、船は破産する。
しかし、タルクの快進撃を面白く思わない一団がいるのは、当たり前の事で、おまけにそれが"腕ず
もう大会"の主催者だったものだから、質が悪かった。
「オヤジよ、優勝者は事前に頼んでおいた男に決まりで、賞金払わずに、参加金と掛け金、丸儲けって
話はどうなったんだ」
ヤクザ風の男が、場をしきっていた中年男に悪態をつく。
「あいつは、今まで誰にも負けた事がない奴だったのに……おまけに、賞金ニ千ラベルなんて最初か
ら用意なんてしてねえぞ」
「どうするよ?」
オヤジは、苦々しげに、タルクを睨めつけていたが、
「あの大入道、調子にのりやがって、ちょっと耳かせ」
耳打ちされたヤクザは、中年男から手渡された品を手にすると、にやりと嫌な笑いを浮べた。
「ちょっと、待て。まだ、挑戦者はいるぜ!」
歩み寄ってきた、いかにも下世話な感じのヤクザを見て、タルクは眉をしかめた。悪い顔色、うつろな
目。身の丈はそれなりにあるのだが、筋肉はそげおちて、一見しただけでも、薬中毒の臭いがぷんぷ
ん漂ってくる。
こんな奴が挑戦してくるなんて、俺もなめられたもんだ。
「なら、とっとと勝負つけてしまおうぜ。俺はいい加減、こんな勝負に飽きてきた」
「それなら、さっさと負けてしまえ」
「何っ!ふざけやがって」
熱くなって、男の襟首をつかもうとしたタルクを審判が静止する。この審判でさえ、主催者の回し者だ
った。ただ、タルクのあまりにも早い勝ちに、偽りの判定を下そうにも、その機会に恵まれなかっただけ
なのだ。
「では、始めっ!」
ヤクザ風の男が、組みあわせたタルクの手をぎゅっと握り締めた。その瞬間、タルクは手のひらに、
チクリと嫌な痛みを感じた。
何っ!?腕に力が入らないっ。
そして、勝負は一瞬のうちに終わった。
タルクの太い腕は、生っ白いヤクザなの男の手によって、完全に机に押し付けられていた。
「すっげえ!!あんな柔そうな腕で、大入道を倒したぞっ!!」
まわりから、どっと歓声があがる。
「タルクっ!お前が負けるなんて、どうしたんだよ!?」
ジャンが慌ててタルクに駆けよってきた。合点がゆかない様子で、その顔を下から覗き込む。
「畜生っ!腕がしびれちまって、力がでない。あいつ、手に何か細工してやがる」
タルクは、悔しげに右の手のひらをジャンにむけた。かすかに小さな穴があき、血がにじみ出てい
る。
「よし。首尾よくやった。エターナルポイズンの効き目は抜群だな。なあに、大丈夫。この毒はほんの少
量なら、手や腕がしびれる程度だ。いくら外海の奴とはいえ、殺しちまったら洒落になんねえからな」
主催者のオヤジは、狡猾な笑いをもらして、ヤクザの男にほくそえむ。
からくりはこうだ。あらかじめ、ヤクザの男がオヤジから手渡された毒薬、エターナルポイズンの小型
注射器を手に隠し持つ。注射器といっても、画びょうのような針にカプセルをつけただけの、単純な造
りだ。
腕ずもうの勝負が始まり、タルクの手を握った瞬間、それをタルクの手のひらに刺す。毒がまわっ
て、タルクは手や腕に力が入らなくなる。そこを、ヤクザがすかさず、倒す。
「大入道よ。人を見た目で判断しないことだな。ま、俺みたいな細い腕でも、体の奥底に力を秘めた人
間もいるってことだ。お前もいい勉強になっただろ?」
ヤクザは、誇らしげにタルクを見やる。
ちっ、ふざけんなよっ。この野郎!何が奥底の力だ?調子にのりやがると、長剣でぶった斬るぞ」
だが、剣をとろうにも、腕にまったく力が入らない。タルクは、苦々しくヤクザの男をにらみつけた。
その時だった。
「待てよ!今度は僕が挑戦する」
憮然とした表情で、ジャンが前に進み出た。
「お、おい。お前が出ちゃ、笑い話にもならんだろ」
ジャンは、レインボーヘブンの大地の力を内に秘めている。へたをすれば、相手をあの世へ送りかね
ない。
タルクはあせった様子でジャンを止めたが、
「手加減するから。だって、このままじゃ、引き下がれない」
タルクは、その言葉を聞いた瞬間、にやりと笑い、行ってこいとばかりに、ジャンの背を押した。
「何だあ、ずいぶん、威勢のいい小僧が出てきたぞ。お前、いくつだ?15それとも16か?そんな細っ
こい手で俺に挑戦?」
ヤク中でも、ジャンよりは体格はいい。それに仮にもヤクザだ。勝負となれば、子供なんぞとは場の
踏み方が違う。毒など使わなくても楽勝だなと男は笑った。
「やってみなきゃ、わかんないよ。審判、早く始めて」
と、言ってから、ジャンは、あ、ちょっと待ってと言葉をつけ加えた。
「この対戦の前に決めておこう。これで勝った方が優勝!って事でどうだ?」
ヤクザの男は大声で笑う。
「自信満々ってところか?別に俺はかまわないぜ。いい加減に勝負をつけないと、見てる奴らも退屈だ
ろうしな」
そうだ。そうしろと、誰かがおもしろ半分に叫ぶ。この時点ではジャンの勝ちなんて、考える者は一人
もいなかった。
「では、勝負、始めっ!」
審判の声と同時に、大地が震えた。
ドドドーンン!
ヤクザの男は"腕"の置かれた机とともに、体ごと地面にたたきつけられていた。骨折は確実であろう
手の痛みに顔を歪めながら、ヤクザは地面に這いつくばっている。
その廻りには大破した机の残骸。
まわりの観客は一瞬、呆気にとられたように声を失った。
「僕の勝ちだろ。判定を下してよ」
涼しげにジャンが言う。
「あいつ、あの男を机ごと地面にたたきつけやがった!!」
その瞬間、どっと歓声があがった。
「人は見かけだけで判断するものじゃないんだろ?」
本当は人じゃないんだけどね。
ジャンは、いたずらっぽく目で笑って、ため息まじりに苦笑するタルクにVサインを出した。
「つ、机まで壊しちまうなんて、ル、ルール違反だ!あんなの勝ちとは言えないだろ」
「や、やめとけ、オヤジ。あいつはとんでもない野郎だ」
審判に食い下がろうとする、主催者のオヤジをヤクザが大慌てで制止した。
なぜなら、ジャンがヤクザと机をたたきつけた地面には、おびただしい数の亀裂が入っていた。
ジャンは地面までも、叩き壊していたのだ。
「そんな馬鹿な……」
ぽっかりと口をあけて、真空状態に陥っているオヤジに、ジャンはにこと笑顔を見せた。
「僕の優勝だ。賞金は二千ラベルだったな」
まだ、しびれの残っている腕を押さえながら、タルクが言葉を付け加える。
「それと、副賞もあったけな」
「え、えーと、賞は今日は用意してないんだ」
「何ぃっ!」
鬼の形相のタルクが怖い。
「い、いや、ちょっと待て……待ってくれ!」
オヤジは大慌てで、胸元に手を入れる。
「と、とりあえず、五百ラベルある。今日のところはこれで何とか……」
「はあっ?ふざけてんのか……じゃ、副賞は?」
「わ、わしの店に酒樽がある。それを勝手に持ってけ!」
「仕方ねえな。じゃ、二樽ばかりもらってくぜ。ジャン、お前一つ持ってくれるか?」
まだ、少し腕に痺れが残っている。二つの酒樽は持てそうにないんだ。タルクの言葉に、ジャンは、う
ん!と元気に答えた。
その場に居合わせた人々は、また、目を白黒させた。どう見ても普通の子供のジャンが、自分の胴
体よりも大きさのある酒樽を、ひょいっと肩の上に持ち上げたのだから。
「残りの金は用意しとけよ。じゃあな」
悠々と去ってゆく、タルクとジャンを、ため息まじりに見送る人々。だが、その中の一人の男が、興奮
した様子で彼らの元に駆け寄ってきた。
「お前ら、これに出ろよ!十日後で賞金は二万ラベル!王宮主催だから、賞金も保証されてる。お前ら
だったら、絶対、優勝確実だ」
男が差し出したビラ。それには、こう書かれていた。
"王宮武芸大会 賞金二万ラベル 優勝者にはグランパス王主催、晩餐会に招待。また、王宮直属
の近衛師団へ推薦"
「タルク、二万ラベルだってよ」
聞かぬそぶりで、行こうとするタルクの袖をジャンがひっぱる。
「おい、お前また、出ろっていうんじゃないだろうな」
「だって、家計の為だろ?」
「……ちょっと、考えさせてくれ」
「なら、僕が出る!」
タルクは、ジャンが手にしているビラを大急ぎで奪い取った。
「駄目だっ!これ以上、目だってくれるな!」
「なら、お前が出ろよ」
「……ゴットフリーが何ていうか……」
「あいつが、くたばってる間にでちまえばいいんだ」
「何て事いいやがる。とにかく、今は宿へもどろう。少し買い物に出るつもりが、余計な時間をとっちまっ
た」
まずは、ゴットフリーが回復してからだ。そしたら、王宮武芸大会だろうが、演芸大会だろうが、俺は
何だって出てやるよ。
タルクは、ジャンから奪い取ったビラをくしゃくしゃにして、ポケットにしまうと、ふっと短くため息をつい
た。
しかし、いつになったら、目をさますんだ……黒馬島を出てからずうっと、眠りっ放しじゃないか……
黒馬島……黒馬っ?!
「ジャ,ジャン!く、黒馬だっ!黒馬っ!!」
ぎょっと、目を見開いてタルクが叫んだ。
グランパス島の中央に位置する城下町。その両脇に添うように、海岸まで長い並木道が続いていた。
巨大な黒馬が、疾風のように、その道を駆け抜けて行く。
「これ、馬……だよな?」
黒馬の背で、ゴットフリーにつかまりながら、ラピスが言う。
「見れば解ると言いたいところだが……何故、そんな事を聞く?お前はこの世のすべてが、頭に浮か
んでくるんじゃなかったのか」
だから、戸惑っているんじゃないか。イメージができないんだ。力の強さに頭の芯が痺れちまって…
…馬というよりは何か大きな流れの上に乗っている感じで。
むっつりと黙り込んでしまったラピス。
「これは黒馬だ。黒馬島の御神体の……この馬は俺が求めれば、闇の道を駆けてくる」
「闇の道を駆けてくる……って、ゴットフリー、あんたって一体?」
その時、並木の向こうから響いてきた馬鹿でかい声。
「ゴ、ゴットフリー、ゴットフリー!!」
その声に負けぬほどの、巨体の男が息せき切って走ってくる。
「タルクか……!?意外な場所から現われたな。いや、意外な場所にいるのは俺たちの方なのか」
ゴットフリーは、胸のすくような笑いを見せた。
ラピスの医院
そこに、ゴットフリー、タルク、ジャンそして、ラピスがいた。
「そのヤクザは、エターナルポイズンを使ったんだ。少量なら、心配することもないが、とりあえず、解毒
薬を出しておくから」
そう言って、ラピスはタルクの口に、丸薬を二つばかり放り込んだ。
「エターナルポイズン?」
「ランカっていう植物からとれる毒薬さ。どういうわけだか、ランカは、エターナル城のまわりにしか生息
しない。だから、エターナルポイズンって呼ばれてるんだ。軽い痺れを起こさたり、じわじわと効果をみ
せて息の根を止める風にも、何だって加工ができる。でも、本質は即効性の劇薬だ。王宮側もヤバい
輩に渡らないように、厳しく管理しているようだけど、何処からか流失してしまうんだな、これが……」
ゴットフリーがかすかに眉をひそめた。
「そういえば、ラガーの奴……やけに王宮の内部を探りたがっていた」
突然、百年越しの敵を思い出したかのように、
「あの野郎!ゴットフリーを拉致なんて、考えただけでも腹が立つ。それに、いつの間にグランパープル
へ来てたんだ!」
大声で叫ぶタルクの頭を、うるせえ、と、ラピスが遠慮なしにぶん殴る。
「痛えな、何すんだよ!」
ラピスは涼しげに笑うと、悪びれもせず、話を続けた。
「サライ村の連中がこの島に来たのは、先月の初めだ。旅の途中で具合の悪くなった者がいて、そうい
う繋がりで、俺は彼らと知り合ったんだ。お前らの間に何があったかは知らないが、きっと、ここに来た
時にたまたま、ゴットフリーを見かけた奴がいたんだろうな」
そんな会話をジャンは落ち着きのない様子で聞いていたが、意を決したように口を開いた。
「ラピス、それなら、お前、サライ村のココって女の子を知らないか?紅の髪に茶色の目をした……」
「ココ……ああ」
紅の髪に茶色の目、へえ、ココってそうだったのか。そんな外見よりも、あんな、やんちゃで、悪辣で
しかも、微笑ましい奴を、忘れるはずがないぜ。
だが、ラピスをさえぎるように、ゴットフリーが口をはさむ。
「ラガーの話では、サライ村の女、子供は別の島においてきたらしいが」
「え、何で……」
「さあな。奴等もレインボーへブンを探しているようだったから、女、子供は邪魔なんじゃないのか」
腑におちないゴットフリーの言葉に、ラピスが顔をしかめる。何で?実際、彼はラガーの隠れ家で、コ
コに会っているじゃないか。
ジャンとココを今、ここで会わす事にゴットフリーは一抹の不安を抱いていた。
火の玉山でジャンとあの娘が別れた時、ジャンの心はひどく揺れていた。それが引き金になって、ジ
ャンは前後の見境もなく自分の力をすべて、ガルフ島に放出してしまったのかもしれない、と。
ゴットフリーはラピスに圧力をかけるかのように、低い声音で話を続ける。
「あの娘の事より、このグラン・パープルと王宮の事だ。地下に眠っているという、レインボーへブンの
欠片の件も然りだが……その他にも何かがあるな……」
その時、同時にあがったジャンとタルクの声。
「王宮の地下にレインボーへブンの欠片が眠ってるって!?」
ラピスは中断されたゴットフリーの言葉に、ほっとした気分で言った。
「そーなんだ! "女神アイアリスに分けられたレインボーへブンの七つの欠片。その一つがエターナル
城の地下で眠っている。しかも、至極の宝物、水晶の棺に納められて" ……それは、グラン・パープル
では、"至福の島、レインボーへブンの伝説"と同じくらい有名な話だぜ。」
「水晶の棺!?確かにレインボーへブンの水晶には邪悪を封じる力があるが、それを棺にするなん
て、聞いた事もないぞ」
「……ジャン、お前、まるでレインボーへブンを知っているかのような口ぶりだな……」
言っておいて、ラピスは、まさかっと表情を変える。
「ジャン……ジャン・アスラン!ラガーの隠れ家で、ゴットフリーが言ってた、レインボーへブンの欠片、
大地……ジャン・アスランってお前の事か?!」
「うん。そうだよ」
にこと微笑むジャンの顔。目が見えないラピスには、その顔形は想像にまかすしかなかったが、彼は
手を伸ばすと、何かを探るかのようにジャンの頬に触れた。
どうして、こんなにどきどきしてやがる?俺の心臓。
「なんてこった!形は人間なのに、お前にはとんでもない力が宿っている。……王宮の地下に眠る、も
う一つの欠片をラガーが欲しがるわけが、やっとわかってきた」
ゴットフリーが言う。
「だが、王宮の地下は"永遠の迷宮"らしいな。あの頭脳派、ラガーでさえも手をやくような……あいつ
は王宮の内部をどれほど知っているんだ?」
「い、いや、ラガーは王宮に入った事はないと思う。警備は最強の近衛兵に守られてて、どんな大泥棒
だって忍び込めやしない。あそこは特別な許可がない者は誰も入ることができない場所だ……」
「ラピス、お前はどうなんだ?ラガーとはそれなりに親交があるようだったが」
再び、自分に向けられたゴットフリーの言葉にラピスの心臓はまた、どきりと音を鳴らす。
なんとなく放っておけなくて、ラガーから、かばっちまったが、
こいつ、鋭すぎるよ。
ヤバいぞ……何か話題を変えなきゃ。
「そ、それはそうと、ゴットフリー、気分はどうだ?お前、食事もろくにとらずに倒れたって聞いてたが…
…」
ジャンが大急ぎでその問いに答える。
「一週間も寝込んでた割には、元気に見えるが、それって……ゴットフリーが黒馬島のクロちゃんか
ら、生きる力をもらったからなんだ。でも、そろそろ、その効力が切れるぞ。今のうちに栄養補給をしと
かないと、また、ぶっ倒れる」
「そりゃ、大変だ。すぐに何か用意させないと!」
あせった様子でタルクが立ち上がる。だが、次の瞬間、彼は腰をぬかさんばかりに驚いた。
「食事なら、すぐにでも出せるわよ」
開かれたドアからスープの香と共に、入ってきた笑顔の女性。
「ミ、ミッシェ!?でも、何で……」
腰まで伸びた白銀の巻き髪。吸い込まれそうに澄んだ青い瞳。ただ、以前のように薄汚れた少女で
はなくて、ミッシェの肌は透き通るように白く輝いていた。そして、タルクを最も驚かせたことは……
黒馬島では、ジャンより年下に見えたミッシェが、成長している。今ではどう、見ても、タルクやゴットフ
リーと同年輩としか思えない。
「ミッシェ、お前、何で大人になってるんだ!?」
青天の霹靂!その言葉しか、タルクの頭には浮かんではこなかった。
一瞬、宿の空気が張り詰めたように密になった。ゴットフリーの灰色の瞳が、訝しげにミッシェに向け
られている。やはりな……と、ジャンに移された意味ありげな視線。それを感じてか、ジャンはおどける
ようにこう言った。
「ま、こういうのもあるって事だよ。でも、僕より大きくなるなんてずるいよな」
「こういう事があってたまるかっ!」
タルクは半ばヤケクソ気味で言い放った。
「ゴットフリーの目が覚めるのをずっと、待っていたの。ジャンが言うとおり、ちゃんと食事をとらないと、
また、寝込んでしまうわよ」
香るような笑みを浮かべて、ミッシェが、ゴットフリーの横の机に食事を運んできた。淡い水色のドレ
スから豊かな胸元が見え隠れしている。
タルクは、なんだか頭がくらくらしてきた。あまりの理不尽さにジャンにこそっと、つぶやいてみる。
「おい、いきなり、あの美貌であのムネか?ありゃ、ルール違反だろ。心の準備がちっともできてねえ
ぞ」
「胸?お前、何でそんなに慌ててるんだ?ゴットフリーなんて、全然平気じゃん」
「あいつは、あーいう手練には慣れてるから……。本当にもてる奴って嫌だな」
二人の会話を聞いていたラピスが、おもしろそうに口をはさむ。
「へえ、初耳だ。タルクって胸が大きいのが好きだったのか?残念!俺も見たかったなあ。大きいム
ネ!」
お前ら、からかうのも大概にしろよ!とタルクが仏頂面で言う。
ムネがどうかしたの?とゴットフリーの給仕を終えたミッシェが、タルクの傍までやってきた。
「そういえば、町でこんなビラをもらったの。建国記念祭の本祭りまであと、二週間でしょ。その前に王
宮で大きなイベントがあるみたいよ」
うわっ、近くに来やがった。と、タルクは目をぱちくりさせる。
ミッシェが、差し出したビラには、こう書かれていた。
"王宮武芸大会"
「ああ、これか。僕らなんて出場しないかって勧誘までされちまった。タルクが"腕ずもう"で大暴れだっ
たからな」
と、ジャン。
「おい、暴れたのはお前だろーが!」
王宮武芸大会か……
ジャンとタルクのじゃれ合いを眺めながら、ゴットフリーはくすりと笑みを浮べた。手にしたスープ用のス
プーンを置くと、ラピスに問いかける。
「お前は特別な許可がないと、宮中には入れないと言っていたな。武芸大会の出場者ならどうなんだ?
例えば、タルクが出るとして……その随行者であれば、許可はおりないのか」
「ゴットフリー、まさか、武芸大会にかこつけて、王宮の地下を探るつもりなんじゃ」
「絶好の機会だとは思わないか?」
一瞬、口をつぐんでから、ラピスは、あはっと笑った。
「おもしろい事を考えるもんだ。王宮武芸大会は十日後だ。ならば、思いきり目だってゆけ。王族たち
は、珍しいもんには目がないぞ。特に……王妃がな。前の王妃が病気で死んで、後妻に入った女なん
だが、これが無類の派手好きって噂だ。うまくゆけば、王族、貴族とお近づきになれるぞ」
「なに、なにっ?目立った方がいいのか?それって僕たちの得意分野じゃん」
ジャンが嬉しそうに、口を挟んできた。これで、思いきり好きな事ができる。
「駄目だ!人間離れした事はやるな。それに、いるだけで十分目立つんだ、俺たちは」
その背と同じ2メートルはあろうかと思われる長剣を背負った巨漢、タルク。輝く銀の髪と透き通るよ
うな白い肌、青い瞳。美貌の乙女に変身したミッシェ……そして、極めつけはゴットフリー、陽光で紅く
染まる髪の持ち主。存在感は、抜群だ。
「何だよ、僕の出番はなしかよ」
ジャンが頬を膨らませる。
「お前が暴れると、王宮をぶっ壊しかねないからな。大人しくしてればいいんだ!なあ、ゴットフリー」
「まあな」
俺も目立つのはご免なんだが……
窓の外にかすかに見えているエターナル城。栄華の象徴のような白亜の尖塔。
それを見据えるゴットフリーの灰色の瞳は、タルクの台詞に気のない返事をしながらも、知略の光に溢
れていた。
「ほら、腰が退けてるっ!そんなへっぴり腰で敵に勝てるかっ!」
ラガーは、目茶目茶に剣を振りまわす若者たちを眺め、短く息を吐く。
城下町から、西に下った海岸の近く。グラン・パープル島に停泊した、サライの住民たちは、そこを野
営地にしていた。
人数的には50人は集まったが、にわか作りの軍隊もどきじゃ、やはり駄目なのか……
サライ村から10名、これは火薬、トラップ等の扱いには問題なし。グラン・パープルからは40名弱。
意気込みはあるんだが、剣はおろか木刀だって握った事のない奴らもいる"
「全然ダメじゃん。ラガー、お先真っ暗だね」
突然、背後から聞えてきたココの声にラガーは、頬の傷を微妙にゆがめる。
「お前は黙ってろ。まったく、邪魔ばかりしやがって」
「へへっ、何の事っ?」
「ゴットフリーを捕らえていた鎖の鍵をあけたのは、ココ、お前だな。奴を助けて、お前に何の得があ
る?それとも、警護隊長のファンクラブでも作ったのか?」
「作るか!そんなもん。でも、建国記念の本祭まであと二週間だよ。あんな戦力でエターナル城を落と
せるの?」
「落とせるさ……」
自分の思いとは反対の言葉。それを無理に吐き出して、ラガーは苦い笑いを浮べた。
作戦面では、俺とサライのメンバーで完璧なシナリオがひけるんだ。だが、王宮の近衛兵に対抗でき
るだけの兵隊がいない。島で腕っぷしのいい奴をラピスに集めさせたが、実戦経験もない、剣の指導
が出来る奴もいない。畜生!ガルフ島では、最強の警護隊が島を守っていたからな。俺たちは戦闘な
んぞした事もねえ。
「ゴットフリーに頼んでみたら?あいつら、戦いに関してはプロじゃん」
「馬鹿をいうな!頼んで、素直に"はい"と言う相手か?例え、そう言ったとしても、いいように利用され
るのは目に見えている」
騙そうとするから騙されるんだ。きっと、ゴットフリーって、ガルフ島で思ってたほど、残忍な奴じゃな
い。
ココが口を開こうとした、その時だった。
「何なら私が力を貸しましょうか?」
背後から響いてきた、さらさらと流れるような美声。だが、この声には有無をいわさぬ力があった。
「BW!(ブルーウォーター)お前、何でここに……?」
風変わりな緑の髪、ほとんど色のない切れ長の瞳。
「警護隊長から聞いたでしょ。私はレインボーへブン欠片、紺碧の海。海の近くで内緒話はしない事で
す。波音は私に、その秘密を余すところなく、伝えてきますからね」
BWは端正な顔立ちを更にひき立てるかのように、鮮やかに微笑んだ。
「ラガー、あなたの優秀な頭の中に、どんな壮大な計画があるのかは想像もできませんが、何を血迷っ
て、この国で騒ぎを起こそうとしているんです?」
「ふん、青二才が偉そうに……、この国の豊かさの下で、苦しんでいる下層階級の住民たちの暮らしを
見たか?こき使われるだけ使われて、利益は金持ちばかりに還元されて。まるで、ガルフ島での俺た
ちと同じだ。こんな道理に合わない仕組みには、俺は我慢がならないんだよっ!」
ラガーは吐き出すように、そう言った後、訝しげにBWの顔を見た。
「……で、お前、どこまで知ってやがる?」
「あなたが、この国で計画しているクーデター。その為にエターナル城の下に掘っているトンネル……
等などですかね」
ちっ、何もかもお見通しってわけか?だが、BW……こいつがレインボーヘブンの欠片?
確かにサライ村の住民は幾度となく、この男に助けられたが、未だに敵か味方か、判断ができねえ。
……だが、仮にもあの警護隊長の参謀だった男だ。それに、俺たちが、このまま闇雲に事を起こして
も失敗するのは目にみえている。
「……わかった。そこまで知られているのなら、戦力面はBW、お前に任せる。ただし、ゴットフリーには
一言も漏らさねえと約束しろ。もし、そんな事をしやがったら、
「そんな事をしたら、どうなるんでしょう?」
BWの余裕たっぷりの笑顔にラガーはぐっと息を飲み込んだ。BWを脅すネタが少しも浮かばない。
「……お前の脳天に電極突っ込んで、海の中で感電させてやる!」
「ふっ、感電ですか、了解しました。なかなか面白い趣向ですね。じゃ、さっそく聞かせてもらいましょう
か?……あなたが思い描いているグランパス王国への"クーデター"のシナリオを」
舌戦では、どうあがいてもBWには勝てそうになかった。ラガーは、無駄な努力はやめたとばかりに
自分の計画について、話し出した。