11.
 決戦

 黒馬島の焼けた空。町の中心を下にした時、炎馬は熱風の中で嘶いた。その雷のような声
に共鳴し、空中にちらばった紅の灯は、なお激しく火の粉を町にふりそそぐ。
 歩を止め、追ってくるゴットフリーの黒馬を威嚇するように見下ろす炎馬。だが、黒馬はひる
む様子もなく、堂々と恨みの炎を燃え滾らせた炎馬の瞳に対峙した。
「残念だったな。俺はお前たちの恨み事を聞いてやる気は更々ないんだ。俺を王と呼びたいな
ら、その腐った根性をたたき直してから出直してこい!」
 その言葉に逆上したかのように、炎馬が嘶いた。その刹那、周りの海の鬼灯たちが黒馬め
がけて攻撃をしかけてきた。
 ゴットフリーの脳裏に以前、ガルフ島で海の鬼灯と戦った記憶が蘇る。かまいたちの刃のよう
に、あの紅の灯は人を切り刻むのだ。だが、不思議と紅の灯は彼に近づく事ができない。何か
がゴットフリーの周りに壁を作り出していた。

 私の風が炎馬と海の鬼灯を捕らえている。だから、あなたはあれを消し去って!

 耳元に響くの風の声。
「誰だ?!お前の声は前にも聞いた事がある」
 
 私は夜の風。

 レインボーヘブンの欠片の一つか。と頷き、ゴットフリーは黒馬の背から天の道に降り立っ
た。
「夜の風……か。だが、他にも名前があるのだろう?」
 ゴットフリーの横で黒馬の姿が薄れだした。それと入れ替わるかのように、彼が手前に差し
出した右手の中が眩く輝きだす。
 闇馬刀。その刀身が完全に形をなした時、黒馬の姿はかき消すように見えなくなった。

 霧花。私はあなたの僕。全霊をかけてあなたに仕える覚悟はできている。

 手にした闇馬刀を、一太刀振るうと、ゴットフリーはにやりと笑った。瞬間、刃の軌道にあった
海の鬼灯がばらばらと落下する。
「僕になどなって欲しくもないが、炎馬だけは逃がすなよ!」

 ゴットフリーは、目前に真一文字に闇馬刀を構えた。黒い刀身の向こうには闇の世界が広が
っている。
 灰色の瞳には闇馬刀の中の一本の道が映し出されていた。
 この道をあの黒馬は駆けてくるのだ。闇の世界と現世を結ぶ、暗黒の道を。
 
 海の鬼灯……お前たちが、この世に心留まるつもりならば、俺がこの剣で暗黒の扉を開くま
でだ!
「シャドークロス!闇の扉!!」
 ゴットフリーは、叫び、闇馬刀で空に大きく十字をきった。その瞬間、爆音のような激しい唸り
が、空の切り口から吹き出してきた。
「闇には闇の場所がある。帰れ!お前たちが癒されるただ一つの棲家へ!」
 唸りは海の鬼灯を吸い取ると、有無を言わせぬ力で、開かれた闇の扉へ引きずりこむ。だ
が、紅の炎は激しく燃えあがりながら、更に数を増してゆく。
 抗おうとする力と、制しようとする力。黒馬島の上空は爆風の渦を巻きながら、怒涛の嵐を生
み出していった。

 ゴットフリー、駄目。この嵐に私の風が耐えきれない!

 霧花が叫んだ。
「海の鬼灯は、俺にまかせろ。お前は炎馬だけを留めておけ!」

 そんな事はできない。あなたの周りに集まった紅の灯が見えないの?風の壁を退けてしまっ
たら、あれは一斉に襲いかかってくる。

 もう、空には空と呼べる色は少しも残ってはいなかった。びっしりと敷き詰められた紅の渦。
闇馬刀につけられた空の裂け目に吸取られても、尚、その数は減る様子を見せようとはしな
い。
 だが、風の壁が崩されるのはもう、時間の問題だった。力が尽きた時、霧花は悲鳴のような
叫びをあげた。

 紅の渦が葬列をなし、ゴットフリーの方向へ降下してくる。
 これ以上、闇の扉を広げれば、黒馬島自体をも吸取ってしまうかもしれないが……。
 闇馬刀の威力はゴットフリーでさえも、予想がつかない。
 まがりなりにも黒馬島の神剣と呼ばれた剣だ。無差別に出会った者を闇に引きずり込むとは
思えない。
「闇馬刀、俺はお前の力を信じる!」
 黒剣の刀身が、ゴットフリーの叫びに呼応するかのようにぎらりと輝いた。海の鬼灯が放つ邪
気が熱風となって押し寄せてくる。ゴットフリーは、中段の構えから大きく闇馬刀を頭上に振り
かぶった。もう、後戻りはできない。
 だが、不意に闇馬刀の上から黒い影がおちてきたのだ。一瞬、そちらの方向へ気をそらし、
ゴットフリーは軽く眉をしかめた。
「伐折羅」
 巨大な黒い鳥に乗った夜叉王。その背後は漆黒の闇に包まれている。
 七億の夜叉……闇の戦士を引き連れて。
「こんな無粋な邪気を神剣で相手する値打ちなんてないよ。黒剣の闇馬刀……そんな物があっ
たなんて驚いたな。僕が知っている闇馬刀は白銀色で、天窓に奉られているやつだけだから
ね……こいつらは僕にまかせて。二度と這い上がれない奈落の底までつきおとしてやる」
 伐折羅は、澄み切った湖底の瞳で、そう言った。すでに闇の戦士たちは海の鬼灯を取り込み
始めていた。空一面を覆いつくしていた紅が、地平に近い部分から徐々に闇に飲みこまれて
ゆく。
 霧花の風の壁から開放された炎馬は、闇の戦士に対抗するように、激しく嘶いた。すると、炎
の体から新たな海の鬼灯が生まれだされた。
「炎馬を逃がすな!あれをしとめない事には、この戦いは終わらない」
 ゴットフリーは伐折羅の黒い鳥に目をやると、強い口調で言った。
「来い!俺を乗せてあの馬のところへ連れて行け」
「待って!この鳥は僕しか乗せない」
 だが、伐折羅の言葉が終わらぬうちに、黒い鳥はゴットフリーの元へ降りていった。当然のよ
うに黒い鳥に飛び乗るゴットフリーの姿に伐折羅は驚きを隠せない。
 天喜にすらなつかなかったこの鳥が、こんなにも簡単に……
「伐折羅、お前は降りるか?それとも、俺についてくるのか」
 伐折羅は、ゴットフリーの背につかまると、迷いのない声で言った。
「ゴットフリー、そんな質問こそ不粋だよ。僕はあなたとならば、地獄の底でも厭わない」
 ゴットフリーと伐折羅を乗せた黒い鳥。駆けてゆく炎馬を、黒い鳥が追いかける。漆黒と紅の
まだら模様の中を、二つの風が駆け抜けていった。



 海岸で、天喜は唖然と空を見上げた。
 燃える空を闇が飲み込もうとしている。断末魔の叫びのように吹き上げられる海の鬼灯の炎
が、町を焦がしてゆく。
「何とか火を止めないと、町どころか、黒馬島全部が燃え尽きてしまうわ」
 天喜をささえている胸から、すがりつくような視線を送られて、BWはしばし言葉を失った。だ
が、やがて、意を決したようにこう言った。
「この火を消せばいいのですか」
「……でも、どうやって?こんなに広がった火の手をどうやって止めるというの」
「黒馬島のまわりの波を高くあげれば、あるいは消せるかもしれません」
「波を?そんな事ができるのは神様しかいないわ」
 天喜の言葉にBWは思わず笑みをこぼした。
「神様ほど酷な真似はしませんよ。私はレインボーへブンとガルフ島で2度も沢山の命を飲み
込んでしまった。最初は女神アイアリスの意のままに、二度目は海の鬼灯に踊らされて。だか
ら、黒馬島では、そんな失敗は決してしない」
 抱き寄せた天喜の体をそっと離すと、BWは空を見上げた。
「霧花、夜の風、そこにいるのでしょう」
 返事はなかった。
「……海の鬼灯との戦いで、疲れ果ててしまいましたか。でも、もう少し力を貸してください」

 力……?私に何をしろというの?

「黒馬島のまわりの波。それを風で町に運ぶだけです」  

 ……

「運んだ後の事は、あなたに任せていいですか?わたしだと、また、黒馬島を海の底に沈めか
ねませんから」

 わかったわ。海の水を、町に降らせばいいのね。

 風がびゅうと、通り過ぎていった。天喜は、その瞬間、あっと声をあげた。
「これは、あの時……黒馬亭で窓ガラスをたたき割った、あの風だわ」
 天喜の言葉にBWは意外な顔をする。
「窓ガラスを割ったって?あの霧花が」
「そうよ、ジャンと話をしていて、すごく怒っていたの」
BWはくすと笑いをもらした。
「それは、ゴットフリーがらみでしょう。多少、理性を失った行動に出ても仕方ない。彼女はゴッ
トフリーの命令ならば、この世の果てでも飛んでゆきますよ」
「ゴットフリー!あなたは、ゴットフリーを知っているの?」
 だが、無言でBWは、波際へ歩き出した。
「待って。私にもう少し話を聞かせて!」
BWの後姿を追いかけようとした天喜は、はっと表情を変えた。
 波音?ううん……歌が聞こえる……美しく、優しい小波のような声。これは、この緑の髪の人
が歌っているの?
 やがて、BWの体から蒼い光がほとぼり出した。柔らかなその光に触れた時、天喜は心の不
安が幾分か軽くなったような気がした。
「天喜、会えて良かった。ここで力を使ったら、私の姿はまた見えなくなってしまう。ですから、こ
こでとりあえずお別れを言っておきますよ」
 その瞬間、海岸の波が高く舞いあがった。BWはその中に躊躇もしないで、歩いてゆく。
「待って!私を置いてゆかないで!」
 大津波のように盛りあがった海面に驚き、天喜は足がすくんで一歩も動けなかった。だが、B
Wの力に制御された波は、決して海岸の天喜の方へ進もうとはしなかった。
「お願い、せめて名前を聞かせて!」
 その姿はすでに見えなくなっていた。だが、天喜の耳に響いてきた波の音は、ささやくように、
こう言った。

 BW、私はレインボーへブンの紺碧の海。また、会いましょう。天喜……蒼天の輝きをもつ空
の落し子


 
「燃えている家からの延焼は何とかくいとめたが……」
 顔を煤で真っ黒に染めて、タルクは空を仰ぎ見た。タルクとジャンに先導されて、燃える家々
を壊し続けた盗賊たちは、疲れ果てて、死んだように地面につっぷしている。
「大変だ!ジャン、炎馬が移動し始めた。また、炎を吹き上げて、今度は黒馬亭の方向を焼き
尽くすぞ」
「何だって!!」
 風の壁の呪縛がとけてしまったのか?そういえば、さっきまで強く感じていた霧花の気配がど
こにもない。
 霧花……まさか、海の鬼灯に……
「大変だ!そ、空が燃え出したぞ。何なんだ?あの黒と紅の巨大な渦は?!」
 爆発音とともに、空から火の粉が降ってきた。たまりかねて盗賊たちは蜘蛛の子をちらすよう
に逃げてゆく。
「ジャン、黒馬亭に行くぞ!天喜を探すんだ!」
 血相かえて、走り出すタルクの後をジャンが追う。
 その行く手にも火の手が広がり出した。燃えながら家の柱や屋根が落ちてくる。その残骸を
手で払いのけながら、パニックに陥った人々の間を掻い潜ぐって進むのは、ジャンでさえ困難
を極めた。
 ちょうど、屋根が焼け落ちた商店の横にさしかかった時だった。
「……助けて、助けてくれ……」
 聞き覚えのあるしゃがれた声。
「タルク、待って!誰かが生埋めになってるぞ……この声、サームか!?」
 倒れてきた柱の下から、煤だらけの手がジャンに助けを求めている。
「サーム?まさか、天喜も一緒か!?」
 ぎょっと、目を見開いてタルクが駆け寄ってくる。こともなげに片手で柱をもちあげると、ジャン
は下に埋まっていたサームを、外へ引きずりだした。
「サーム、天喜はどこだっ?!」
「し、知らない……それより、み、水をくれ」
 派手に柱の下敷きになっていた割には、怪我といった怪我はしていないようだった。だが、町
の別の場所からは新たな炎が舞い上がっていた。
「ここにいては、危ない!とにかく、逃げるんだ。タルク、サームと町の人々を海岸へつれてゆく
ぞ!」
「海岸へ?」
「もう、町の事はあきらめろ。とにかく、命の方が大切だ。だが……」
 燃え上がる炎の中で、人々は狂ったように叫び声をあげている。逃げ場を失い、半ば放心状
態で立ちすくむ者、泣きながら手を引かれる子供。こんなパニックの中で、みんなを海岸へ誘
導することができるのだろうか。
「黒馬がこの島に仇をなしたんだ……だから、あの神剣を天窓から出すなとわしは言っただろ
う……」
 うつろに空を見上げるサームの言葉にタルクは、思わず声を荒げて言った。
「まだ、わからんのか!黒馬島を焼け尽くそうとしているのは、黒馬ではなく、あの紅の灯がと
いう事が!」
 そんなお前たちの、間違った迷信が海の鬼灯につけこまれたんだ。
「黒馬はこの島を守ろうとしてくれてるんだぞ。島民から信じてもらえない御神体なんて、可哀
想すぎるじゃないか!!」
 その時だった。ジャンがはっと空を見上げた。
 風?いや、もっと湿気を含んだ大きな流れがやってくる。
「雨だ!タルクっ、雨が降ってるくぞ!!」
 叫んだとたん、大粒の雨が上空から落ちてきた。横殴りに降りしきり、燃える町を冷やしてゆ
く。それらは見る見るうちに、炎を打ち消し、上空に巣食っている海の鬼灯を地表に叩きつけ
た。
「有難い!これで町の火が消える」
 タルクは雄叫びのような声をあげ、万遍の笑みを浮かべた。けれども、ずぶぬれになった顔
を手でぬぐった時、何ともいえない奇妙な表情で眉をつりあげた。
「この雨……塩辛いぞ……」
「塩辛い?海の水……そうか、BW……きっと、奴の仕業だ」
「BW?あの青二才か?何であいつの名前がでるんだ?」
 胡散臭そうに尋ねてくるタルクの顔を見て、ジャンは笑みをもらした。
 そうだった。タルクはBWがレインボーへブンの欠片である事を知らないんだ。
「いや、何でもないよ」
「お前っ、まだ、俺に何か隠してるなっ!」
 そうこうしているうちに、雨足は徐々に静かになってきた。町に広がっていた炎のほとんど
は、海の鬼灯とともに、姿がみえなくなっていた。町の人々は、ようやく平常心をとりとどしたも
のの、焼け落ちた町の残骸はあまりにも悲惨で、ただ呆然と立ちすくんでいる。
「まだ、火種になる炎が残っているかもしれない。怪我人も大勢いるだろう。タルク、大変だろう
が、町の人々を先導して後の処理をやらせてくれ」
 何だか、ゴットフリー隊長が言いそうな台詞だなと、タルクは笑った。
「まかせてくれ。ガルフ島でこういう状況は経験済みだ。こっちは、町の中心が焼けただけだ
ろ。それに比べりゃ、まだましだ」
「そうか、なら、僕は行くから」
「……行くって……何処に?」
 聞きながら、タルクにはその答えはわかっていた。
「伐折羅にまかせてはおくわけにはゆかない」
 頼んだぞと、タルクが言う前にジャンは、もう走り出していた。紅の空が見る見るうちに闇に覆
い隠されてゆく。だが、空の一角だけは不気味なほどの紅の光を放っている。
 あそこに炎馬……海の鬼灯の本体がいる。
 ジャンはその光の下をめざして、駆けて行った。

 ジャン、待って!私も一緒に……
 
 風の中から響いてくる声。ジャンは、立ち止まりもせず言った。
「霧花か?あの雨は、お前とBWが降らせたんだな。でも、もう無理はするな。力を使い果たし
てしまうぞ」

 あなたをゴットフリーの所へ連れてゆくわ。あなたは、空を飛べないでしょ。

 だが、ジャンは首を横にふった。
「この体から抜け出れば、僕はどこまでも飛んでゆける」

 とんでもない事を言わないで!力のもどったあなたは、今の体から離れる事はできない。も
し、できたとしても、その体はもう使い物にならなくなるわ!

「……ほんの短い間なら、大丈夫な気がするんだ。女神アイアリス、あの人の思惑に乗るつも
りはないが、その恩恵を受ける権利が僕にはある」
 あなたはレインボーヘブンの守護神だ。ゴットフリーを守る為なら、僕に力を貸してくれるな。
 ジャンは、紅い灯の方向を確認すると、立ち止まって目を閉じた。そして、心の中で叫び声を
あげた。
"アイアリス!僕をもう一度、この体から自由にしてくれ!僕はゴットフリーの元へ行かなきゃな
らない!"
 すると、突然、ジャンの体が白銀に輝き出したのだ。
 霧花は、天空に飛びたっていった一筋の光を不安げに見送った。それから、地面に倒れてい
るジャンの体にそっと手を伸ばした。
 艶やかな長い黒髪、夜色の瞳。
ジャンからこぼれ落ちたアイアリスの力が、その姿を闇に浮かび上がらせたのだろうか。

 アイアリス……私にはわからない。あなたがもっと早く、手をくだしていれば、あの紅の灯はこ
れほどまでに大きくはならなかった。あなたはジャンに力を貸しながら、同時に海の鬼灯を育て
ている……これは、私の思い過しなのですか。

美しい顔を心配げに曇らせて、霧花はジャンの体を膝に抱きかかえた。


 黒馬島の空は、もう、ほとんどが闇に覆われていた。その中を異様に明るく燃える紅の炎が
駆けて行く。
 西の山へ。それは、黒馬島にとっての鬼門の地。悪と暴力がはびこる盗賊たちの住処なの
だ。だが、彼らが、黒馬島の靄がはれる唯一の場所にいるという事が、外海から来る侵略者
たちの入島を悉く失敗に終わらせていた。
 "西の盗賊は、島の人々には決して手をつけてはならない"
 島以外でどんな殺戮をしていても、その掟が守られる限り、彼らは島の守り手だったのだ。だ
から、島民たちは特に抵抗することもなく、彼らと共存の道を選んでいた。いったい、何時から
そんな慣習が続いてきたのだろう?今の黒馬島に、その歴史を知る者がいるとは思えなかっ
た。

 「海の鬼灯……炎の馬!西の山より先はもう黒馬島の圏外だ。有難いな。黒馬島をあきらめ
て外海へ行ってくれるのか」
 炎馬を追いかけて飛ぶ黒い鳥の背で、ゴットフリーは皮肉たっぷりに言った。
 炎馬は歩を止めると、自分の斜め下まで追いついてきた黒い鳥を、怒りの篭った眼差しで睨
めつける。
「さて、ここらでそろそろ決着をつけようじゃないか。お前の分身たちは先に闇に落ちてしまった
ようだしな」
 ゴットフリーの後で伐折羅が涼しげに笑う。今や黒馬島の上空の光は、炎馬の炎だけになっ
ていた。炎馬とゴットフリーたちの廻りには、彼ら以外に色というものは、何もなかった。ただの
闇。奈落の底につながるような暗黒の世界が広がっているだけなのだ。
「あの紅の灯は、もう二度とこちらには戻ってこれないよ。黒馬島を狙う奴は、闇の戦士がすべ
て奈落の底に連れて行く」
 伐折羅の言葉に、ゴットフリーは一瞬、快感を覚えた。だが、その時、彼が手にした闇馬刀が
薄く輝き出したのだ。
 黒い刀身には暗黒の闇が広がっている。
 闇馬刀を真一文字にかまえて、ゴットフリーははっと灰色の瞳を見開いた。
 違う……闇馬刀の闇と伐折羅の闇は、まるで違っている。

 伐折羅の闇は、底のない落とし穴のようなものだ。入った者は永遠に闇の中を落ちてゆく。
だが、闇馬刀の闇には黒馬が通ってきた道がある。たった一本の闇と現世をつなぐ道。

 俺にそれを知らせて、一体、どうしろと言うんだ?!

 頭に浮かんだ思念を振り払うかのように、ゴットフリーは闇馬刀を炎馬に向ける。
「行けっ!このまま、炎馬の心臓を貫くぞ」
 黒い鳥が急上昇を始めた。闇馬刀は炎馬の中心を確実にとらえている。伐折羅はゴットフリ
ーの背にしがみつきながら、胸がすくような歓喜に心を躍らせていた。

 体の中心、ちょうど心臓部分を闇馬刀で貫かれた時、炎馬は凄まじい叫び声をあげた。その
瞬間、炎馬の体は粉々に弾け飛んだ。
 断末魔の悲鳴と共に、正視できないほど強い紅の光が、辺り一面に炸裂する。
 一瞬、視力を奪われたゴットフリーは、おぼろげに視界が開けてきた時、愕然と自分の周り
を見渡した。

 ガルフ島警護隊……そして、ガルフ島の……
 火の玉山の噴火と大津波に飲み込まれ死んでいった、ゴットフリーの部下たち、そして島の
人々。ゴットフリーと伐折羅を乗せた黒い鳥をぐるりととりまくように、彼らは空に浮かんでい
る。
「お前たち……何でここに……」
 解っている。これはフェイクだ。彼らの体をとりまく紅い灯……これは、海の鬼灯が見せてい
る幻にすぎない……。
 そう思いながらも、ゴットフリーは正面を向く事ができなかった。守れなかった命の一つ一つ
を思い起こす度に、胸が引き裂かれる思いがする。
「ゴットフリー、どうしたの?」
 剣を握る手に少しも力が入っていない。黒い鳥の首筋に顔を隠し、自分から視界をさえぎっ
ている。先程までとがらりと変わったゴットフリーの態度に、伐折羅は首をかしげた。
「うっとうしい、紅い灯。ゴットフリー、僕にまかせてくれていいよ。こいつら全部、闇の戦士の餌
食にしてやる」
 伐折羅の目には、まわりをとりまいているのは、今までと変わらない紅い灯にすぎなかった。
「闇の戦士!このうっとうしい紅い灯を、全部、奈落へ連れて行け!やりたきゃ、この場で引き
裂いて、食ってしまってもかまわない」
 伐折羅の声に呼応するように、黒い鳥の下の闇が、激しい勢いで湧き上がってきた。

 次々と闇にさらわれて行く紅い灯は、消える間際に悲痛な叫び声をあげた。それは、嫌がお
うなしに、ゴットフリーの元に響いてくる。
 これはペテンだ。惑わされてはならない!
 それでも、聞きなれた声を耳にした時、ゴットフリーは思わず、そちらへ目を向けてしまった。

"ゴットフリー隊長、僕の顔を忘れてしまったのですか?"

 唇を噛み締めて、何かをこらえるように、ゴットフリーは体を震わせた。
 「ミカゲか……。リリアが狂ってしまった後も、唯一仕えてくれた使用人の……」

"そうです。海の水を嫌というほど飲んで……苦しさと死への不安を抱えたまま、私の命はガル
フ島の海へ消えてしまった"
 
「だから、……お前は海の鬼灯に……なったのか」

"わからない。でも、僕の魂は、行く場所を探して、まだこの世をさまよっている"

 ただの紅い灯……伐折羅にはそうとしか思えない。だが、ゴットフリーの思いは一心に紅い
灯に向けられている。
 僕を通り越して……無視して。
 伐折羅は気分が悪くなった。
「うっとうしい紅い灯!ゴットフリーを惑わすなっ、お前らには闇の世界がお似合いだよっ!!」
 伐折羅が叫んだ途端、闇が大きく膨れ出した。

 "嫌だ!闇の中に落ちるのは嫌だ!助けて、ゴットフリー……"

 ゴットフリーの目の前でミカゲの姿はみるみるうちに、闇に吸い込まれていった。そして、ミカ
ゲと同じように海の鬼灯に化身したガルフ島の住民たちも、泣き叫び、ゴットフリーに助けを請
いながら闇へ消えてゆく。
「消えろ、消えろっ。そして、闇の中で好きなだけ泣き叫ぶがいい!そこは永遠にお前たちの
住処なのだから」
 伐折羅の胸をすくような笑い声が、ゴットフリーの心を更に苦しくさせる。
 永遠に帰っては来れない闇……救いのない暗黒の……
 もう、空にはたった一欠片の紅い灯だけが残るのみになっていた。
「そろそろ、終焉だね。こいつを消し去れば、僕らの勝利だ」
 勝ち誇った表情で、伐折羅はゴットフリーに目をやった。しかし……彼は愕然と宙を見つめて
いるのだ。
 最後の海の鬼灯。それは、最も見たくない姿をゴットフリーの前に作り出していた。

 "助けて、ゴットフリー。私の息子……行きたくない。私は、いつまでもこの世に留まっていた
い……"
 
 リリア……ガルフ島の島主、そして俺を拾って育ててくれた恩義ある人……。俺は、俺は…
…この人を永遠に闇に葬りさる事はできない。それだけはできない!
 うめくような声をあげると、ゴットフリーは手にした闇馬刀を高々と頭上に振上げた。
「ゴットフリー、何をするのっ!!」
 焦って止めようとする伐折羅を振り切って、斜めに闇を切裂いた。その瞬間、伐折羅の闇は
飲み込んだ食物を嘔吐するように、紅い灯を吐き出したのだ。

 再び黒馬島の空は紅く染まり出した。逆転の展開を喜ぶように前より一層、色濃く燃えあが
る。それと逆にゴットフリーに斬られ、力を失った闇の戦士たちは、次々に姿を消してゆくの
だ。
 闇馬刀……何て力を持っているんだ。たった一太刀で僕の闇を切裂くなんて……
 伐折羅は、ただ驚いて、黒光りする闇馬刀を見つめるばかりだった。
「ゴットフリー、あなたも所詮、外海の人間か!黒馬島がどうなっても、かまわないと言うんだ
ね」
「伐折羅……俺は……」
「ひどいよ。黒馬島は、父さんが……そして、僕が命をかけて守ってきた大切な島なのに」
 伐折羅が流した大粒の涙。夜叉王の内に隠れている元の伐折羅が流しているのか、そこに
は一片の邪心も感じられない。
 黒馬島を見捨てるわけにはゆかない。ならば、海の鬼灯に化身したガルフ島の人々を永遠
に闇に閉じ込めるのか?そうしなければ、彼らの魂はこの世を永遠にさまよい歩くぞ。海の鬼
灯として、周りの物を取り込みながら、破滅に導きながら……
 ゴットフリーは、首をうなだれ、唇を強く噛み締めた。つうっと口元から流れた血が、闇馬刀の
表面に苦悶の筋を描き出す。
 どうすればいい?俺には、もうなす術がない……。
 伐折羅の不審感、ゴットフリーの苦しみ。それらは、海の鬼灯にとって最上級のご馳走だっ
た。闇から開放された海の鬼灯は、我が意を得たりと、また集結をし始めた。
 炎馬……、また、俺を闇に誘うか……。いっそのこと、海の鬼灯に変化した人々の魂を引き
つれて、闇の王になってしまえと。
 空が紅く燃えていた。巨大な炎馬がその中で大きく嘶いた。それは、黒馬島を征した勝者が
あげる勝鬨の声なのか。結末はまだ見えてはこなかった。










miche's Lybrinth