9.

燃え上がる炎の間をすり抜けながら、タルクとジャンを乗せた馬は紅の花園を走っていった。
「ゴットフリーは何処だ!?」
 むせ返るような花の香りが、広がってくる。何故、花園は燃えている?この火は一体誰がつ
けたんだ?
 ジャンは、目を凝らして花園の中央にそそりたつ火柱を見つめた。
 違う!この火は自ら燃えているんだ。紅い花園?違うぞ。僕は知っている……。この濁った
不吉な紅の色は……

−海の鬼灯−

 女神アイアリスに見捨てられ、この世をさまよう怨念の塊。恨み、憎しみ、怒りの力を吸取り
ながら、通り過ぎるすべての物を破滅に導く邪悪の根源。

「俺はこの紅を見たことがあるぞ……これは、まさか……」
 唖然と燃え立つ炎を見つめるタルクに悪夢の記憶が蘇ってきた。忘れられるはずもない。ガ
ルフ島が崩壊した時、溶岩と津波の間に見た紅の灯を。そして、助けきれず飲み込まれていっ
た住民たちの哀れな姿を。
「海の鬼灯!何故こんな場所に?!」 
「黒馬島に巣食っていたんだ。紅の花園に姿を変えて……ゴットフリーを取り戻すために」
「……海の鬼灯が隊長を?」
 タルクはふに落ちない顔でジャンを見たが、驚きはしなかった。黒馬島にゴットフリーを嵌め
る罠がある事にはとうに気づいていたのだ。
「海の鬼灯は、伝説の島、レインボーヘブンを襲った略奪者たちのなれの果てだ。ゴットフリー
はその長の末裔……彼らにとっての王……なんだ」
「隊長が、略奪者の長の末裔?それも伝説の至福の島の」
「詳しい話は後だ。だが、レインボーへブンの守護神アイアリスもゴットフリーをレインボーヘブ
ンの王に選んだ。やがて、蘇る至福の島を統べる者として。平和に慣れすぎて戦う術を知らな
いレインボーヘブンには、略奪者たちの強い力が必要だったんだ」
 だから、隊長はレインボーへブンを探しているのか。そんなとんでもない運命を背負わされて
いたなんて……なのに俺は……タルクは少しばかり拗ねた気分になってきた。ゴットフリーに
仕えたい一心で着いて来た。だが、レインボーへブン……伝説を相手に今の自分にできる事
などあるのだろうか?
 火柱の勢いが弱まった時、ジャンの目が見慣れた黒づくめの男を捕らえた。
「ゴットフリーだ!!見つけたぞ」
 馬の背から飛び降り、駆けてゆこうとするジャンをタルクが呼びとめる。
「ジャン、一つだけ聞かせてくれ!」
「話は後だ!」
 再び、火柱が高くあがり、ゴットフリーの姿をかき消した。ジャンは炎を避けもせず、まっすぐ
にその中に飛びこんでゆく。タルクはありったけの声で叫んだ。
「お前は何処からやって来た?お前は一体何なんだ!!答えろ、ジャン」
 燃え立つ炎に遮られ、もう、ジャンの姿は見えなかった。だが、タルクは確かに聞いた。足元
から響いてくるジャンの声を。

−僕は、レインボーヘブンの大地だ。守護神アイアリスによって分けられた七つの欠片の一
つ。僕らは探している、ゴットフリーと住民たちの居場所、真の至福の島が蘇るその場所を!


 紅の花園が燃えている。海の鬼灯に侵食されていなかった花の箇所は、徐々に燃え尽きて
黒い灰に変わり出した。その花の香も次第に乾いた空気に閉じ込められ、今はこげた悪臭とし
か感じられない。ただ、花園の中央だけは絶え間ない業火が、立ち上り、熱風を撒き散らしな
がら紅の地獄絵を描き出していた。
 ジャンは、その業火の真っ只中にいた。炎といっても、自然の一部である彼には、小さな火傷
を負う程度にしか感じられない。だが、ジャンは苦しくてたまらなかった。目の前にいるゴットフ
リー……白妖馬の背にまたがり、全身を血に染めたゴットフリーの瞳からは、もう以前の深遠
さは消えうせていた。斜めにジャンを見下ろす灰色の瞳は、ぞっとするほど残酷でこの世の全
てを儚んでいた。
「ゴットフリー、こっちへ来い!!」
 ジャンは、ゴットフリーを引き寄せるように彼の方へ手を伸ばす。だが、ゴットフリーは知らぬ
顔で白妖馬の歩を進めた。白妖馬がごうっと一声、嘶いた。すると、
 ゴットフリーの目の前に炎が集結し始めたのだ。


 「わしの花園が……大切な花園が燃え尽きてしまう……」
 なすすべもなくジャンの後を見送っていたタルクは、後から聞こえてきた声に眉をしかめた。
「お前がザールだな。リリア様に会った古物商の。お前、ゴットフリー隊長に何をした?!」
 怒りのこもったタルクの声に、ザールの体の震えは止まらない。
「わ、わしが悪かった……ほ、本当に心の底からそう思っている……だが、もう遅いかもしれな
い。一度、開けてしまったパンドラの箱はもう閉じれない……」
「何だと……?」
「わ、わしは魔王を呼び起こしちまった……」
「魔王って、隊長の事を言っているのか!」
 ザールの顔色はみるみる蒼ざめていった。
 うああああっ!!
 叫びながら、がくんと膝をつき頭を抱える。
 背後からのひどい悪寒に、振り返ったタルクの心臓が、一瞬、凍りついた。
 首のない馬……
 ワンダーランドもここまでゆくと、可愛げがないぞ!
 驚いている暇などなかった。首がなくても、あきらかにその馬はタルクに向けてむき出しの敵
意で襲いかかってくる。ゴットフリーに首を斯き切られても、死ねない白妖馬は、ただ、殺戮す
ることのみに癒しを感じているのだ。
 
 
 花園に巣食った海の鬼灯たちは燃え上がり、空を舞いながら、形を作り始めた。ゴットフリー
の元へ駆け寄ろうとするジャン。だが、海の鬼灯がその行く手を阻まれ近づく事さえできない。
「畜生!何でこいつらに手が出せないんだ?」
 ガルフ島でも、ジャンは海の鬼灯と戦うことができなかった。レインボーへブンが海に沈んだ
時、ジャンは聞いてしまったのだ。女神アイアリスに見捨てられ、この世を恨みながら死んでい
った略奪者たちの声を。海の鬼灯は、略奪者たちの怨念の塊だ。ジャンが持った哀れみの心
が今もジャンを呪縛する。
 目の前で紅い灯が完全に一つの形になった時、ゴットフリーは低い笑い声をあげた。
 炎の馬……海の鬼灯の濁った紅をまとった邪心の馬。
 白妖馬の背を降りると、炎馬に引き付けれらるように、その方向へ歩き出す。右手の中で、
闇馬刀が鈍く光っている。ゴットフリーは、ジャンに背を向けたまま、ゆっくりと剣をもちあげると
にやりと引きつった笑いをもらした。
「だめだっ!ゴットフリー!!」
 その瞬間、空が紅く染まった。
 断末魔の叫び声が、焼け焦げた花園に響き渡った。
「お前は……戯れに命を奪う奴じゃなかった……のに」
 無残に両断された白妖馬の体。どうしようもない怒りが込み上げてきて、ジャンは、泣き入り
そうな声で叫んだ。
 それは、人の言葉でない言葉、大地をゆるがす咆哮。
  ゴットフリーを返せ!海の鬼灯……僕はお前たちを許さない!
 ジャンの体が蒼く燃えた。眩し過ぎる光が焼け焦げたザールの花園をみるみるうちに蒼の色
に染めてゆく。


  首のない白妖馬、後戻りのできない負の運命に落ちこんだ哀れな怪物。
 殺してくれ、殺してくれと、嘶きながらも、その心は殺戮を望んでいるのだ。
 
 長剣を真っ直ぐ白妖馬に向け、間合いを数える。タルクの額に汗がにじんだ。
 首のない馬って、どこを斬れば始末できるんだ?
 その時、突然、辺りが蒼に染まった。
 この蒼の光……ジャンか!?
 長剣がぼうっと輝き出した、タルクはそれを見て苦い笑いを浮かべた。何時の間にか、タルク
の剣はジャンの力を得る術を覚えたらしい。
 あいつの力は借りたくはないんだがな…
「だが、今はとりあえず、有難いかっ!」
 タルクの長剣がうなりをあげた。からめとった空気が蒼の光と交じり合う。そして、振り下ろし
た切先は巨大な光の刃となって、首のない馬を切断した。
 血は一滴も流れなかった。ゴットフリーに斬られた時、それは流れきってしまったらしい。
 胴体から真っ二つに裂かれた白妖馬の体を、蒼の光が包みこんでいた。見る見るうちに、そ
の体は光の中に溶け込んでゆく。やがて、白妖馬の形は消えてなくなり蒼の光の粒となった。
そして、それはゆっくりと浄化されながら空に上り出した。
 タルクは輝く光の粒を目で追いながら、しみじみと言った。
「首もなく、血も流れない……。お前の生きている証は死ぬ事でしか示せなかったな」
 ……ジャンに感謝しな。あいつの力でお前は救われたんだ……
 
 
 ジャンが蒼く燃えていた。その足元からは、うなるような地響きが聞こえてくる。
「お前ら、いつまで隠れている。いい加減に姿を現せ!」
 叫んだ瞬間、ザールの花園に無数の亀裂が走った。
 両の手を堅く握り締め、ジャンは仁王立ちになって空を仰ぐ。
「黒馬島の大地よ。お前に巣食った膿を僕が搾り出してやる!!」
 うおおおおおおっ!!
 ジャンの叫びが、大地を震わす。すると、地面の亀裂から沸き立つように土砂が溢れ出し
た。ぷちぷちと音をたてながら、ザールが栽培した花の根っこが引き裂かれてゆく。
 小麦色の髪は総毛立ち、とび色の瞳が黄金に輝いている。ジャンが両の手を地面につける
と、蒼の光は一層強く地中の土塊を外に引きずり出し始めた。

 「花園が沸き立っている……、土くれが沸騰してるみたいに」
 ジャンと海の鬼灯の間で、何かが起こっているんだ?ジャンはいいとしても、心配なのはゴッ
トフリー隊長だ。魔王……まさか、ザールの奴。
「ザール、お前、隊長にあの白妖馬を仕向けたのかっ!まさか、隊長まであんな風に変えちま
ったんじゃないだろうな!」
「……は、白妖馬の事は、わ、悪かった。だ、だが、その後の事は、わしにだってわからないん
だ」
 タルクは、ザールを睨めつける。
「あの馬は、お前が育てたのか?」
「違うっ!あれは、普通の栗毛の馬だった。紅の花園だ。あの花の香を嗅ぐうちにあの馬は、
白妖馬に変化したんだ」
「どちらにしても同じ事だろっ、紅の花を育てたのは、お前なんだっ!!」
 赤鬼の形相のタルクに、ザールはおどおどと手を差し出した。
「一体、何の真似だ?」
「こ、これは、あいつ……ゴットフリーの親の遺品だ。わしが島主リリアから、預かっていた。
こ、これをやる。だから、許してくれ!」
 親の遺品?隊長の本当の親の……そんな話……初めて聞いた。タルクは、ザールに差し出
された金のロケットを手にとり、その蓋を開けた。
「中身はどうした?何も入っていないじゃないか」
「……写真が……あの男とよく似た写真が入っていたんだが……島主は多分、あいつの父だ
と」
「捨てたのか?何で!」
「……すまん、実は他で売るのにいらないと思って……」
「馬鹿野郎っ!!」
 瞬間、ザールの体は吹っ飛んでいた。タルクが本気で殴りつければ、ザールを殺しかねな
い。力を抑える事ができたのが、タルク自身にも不思議なほどだった。
「だから、隊長はお前なんかの所へ行ったのか!」
 畜生!いつも自分の生い立ちを憂いていた。ああ見えても、あの人は繊細なんだぞ。
 タルクはザールが差し出した金のロケットを握り締めると、沸き立つ土砂の中へ駆け出した。
蒼の光が最も眩く輝く場所……。
 そこにジャンと……ゴットフリーがいる。 


 土砂の中から追い立てられた紅の灯が、一つ二つと飛び出してくる。夜空につけられた紅の
斑点は、炎馬の周りを囲みながらゴットフリーを闇に誘う。
「ゴットフリー、その馬に乗るんじゃないっ!」
 だが、ゴットフリーは、ジャンの方をふりかえりもせず、炎馬の元へ近づいてゆく。闇の王を背
にする瞬間を待ちわびるかのように、炎馬の炎は更に強さを増してゆく。
乗ってしまったら、お前は……もう、僕らの所へは戻ってこない。
ジャンが、その足を止めようと身を乗り出した時、
 ぐわわああんんっ!!
 風が声をあげた。
 そして、炎馬が突然、飛散した。
「タルクッ!!」
 ジャンは思わず笑みをこぼした。
 はあはあと息を荒げた大男が、ゴットフリーの前に仁王立ちになっていた。手には2メートル
もあろうかと思えるほどの長剣を携えている。
「隊長!目を覚ましてくれ!!あんたの器量は、魔王になるためのもんじゃない」
 ぎろりと向けられた灰色の瞳に、タルクは一瞬、体をこおばらせたが、今まで、感じた畏れの
心は微塵たりともわきあがってこなかった。
 いつもの隊長に睨まれたなら、俺は一歩たりとも動けないが……
長剣の柄をタルクはぎゅっと握り締めた。
 ゴットフリーが闇馬刀を身構えた刹那。
「タルクっ、避けるんだっ!!」
 ジャンが声をあげるより早く、刃はタルクに飛んできた。
 キィンンンンッ!!
 タルクの長剣が、闇馬刀を間一髪で受け止める。力だけなら、タルクはるかにゴットフリーを
越えている。だが、剣の早さ、確実に相手の急所を見極めてくる剣技には、勝てる自信は全く
なかった。
 何て早さだ!それに隊長が持っている黒剣……あれには見覚えがあるぞ……まさかっ、黒
馬亭で見た"闇馬刀"か!?
 一瞬の雑念が、タルクの視界からゴットフリーを消し去った。反射的によけた左肩から鮮血
が飛び散った。痛みを感じる間もなく、次の一撃が飛んでくる。なんとか、かわしたものの額か
らは汗が玉となって湧き出してきた。
 勝てないぞ……こりゃ。だが、負けたら俺たちは隊長を失ってしまう。一体、どうする?
「タルクっ、上だっ!!」
 ジャンの声にタルクは長剣を頭上にかざす。通常ならば、長剣と闇馬刃がぶつかり合って火
花が飛び散る場面なのだ。だが……
 キンンッ!
と、短く鳴った金属音に、タルクは愕然と手元に目をやった。
その切先を半分以上も失った剣は、もはや長剣と呼べるものではなかった。
何て破壊力だ。俺の長剣をへし折るなんて……
 闇馬刃の向こう側でゴットフリーの灰色の瞳が鈍い光を放っている。横一文字に構えた剣が
通るであろう軌道には、タルクの首がある事は間違いなかった。
 畜生!ここまでか……。
 タルクは唇を噛みしめて、仕えたい一心で追いかけてきた自分の上官に目をやった。
にやりと笑みを浮かべて、闇馬刃を振り上げる。殺戮と破壊の喜びだけが、今のゴットフリーを
支配していた。その瞳にタルクはもはや獲物の一つとしか映ってはいない。
どうせ、殺されるなら、元の隊長にやられたかったな。それならば、悔いも残らないだろうに…
…。
 闇馬刃を構えるゴットフリーの後で、タルクに蹴散らされた海の鬼灯がまた集結をし始めた。
殺せ……殺せ……殺して早く闇に来い……。
 背後で滅びの歌を歌いながら、紅の灯はさらに巨大な炎馬を形どってゆく。

「止めるんだ、ゴットフリー!タルクを殺すなっ!!」
そんな事をしてしまったら、お前は一生、闇の中から這い上がれないぞ!!

ジャンの瞳が黄金に光った。地面がうなりをあげる。その瞬間、ゴットフリーとタルクの間に稲
妻のような亀裂が走った。
突然、深く刻まれた大地の裂け目から、吹き上がった蒼の光。
虚をつかれ、ゴットフリーは剣を構えたまま、空を仰ぎ見た。
これも、ジャンがやったのか……何て凄まじい力を持っているんだ。
タルクは短く吐息をもらすと、ジャンの方へ目をやった。だが、ジャンは唖然とした表情で蒼の
光を見つめているのだ。
 
 この蒼の光は僕の力じゃない……霧花……BW?いや、違うぞ。もう一人……誰かいる。レ
インボーへブンの欠片の一つが、ここにいる!!

 吹きあがった蒼の光は、闇を払いのけながら、ザールの花園の上に広がってゆく。
そして、夜空の隙間から突然、陽の光が差してきた。
 ……闇の向こうに青空が見える。
 ジャンは心の震えをとめる事ができなかった。
 
 この抜けるような蒼天。僕は知っている……この空は……レインボーヘブンの青い空!
 
 やがて、陽光は燃え尽きたザールの花園を明るく照らしだした。
 陽の光がゴットフリーの黒い髪を紅に染めてゆく。その灰色の瞳は、ただ、一心に空を見つ
めていた。
「あの空、あの空だ!お前ら見るんじゃない。あれは、わしだけの物なんだ!」
 突然、ジャンの背後で声がした。
「……ザール!お前、何か知っているな?!」
 がくがくと震えながらも、ザールはジャンを押しのけて青空の元へ歩み寄ろうとしている。だ
が、その首根っこを、間一髪でゴットフリーから逃れてきたタルクが鷲掴みにとらえた。
「性懲りも無く、まだ、隠し事をしているのか?いい加減に全部話したらどうだっ!!」
 ジャンとタルクに睨めつけられて、ザールははっと我をとりもどした。その時、彼は初めて、髪
を紅に染めたゴットフリーとその背後にいる巨大な炎馬に気がついたのだ。
 魔王とその乗馬……炎の馬
 だが、時間が止まったかのように、ゴットフリーはただ、空を見つめている。
 うあああっ!!と叫び声をあげながら、ザールはジャンの足元にひふれした。
「話すから……話すからわしを助けてくれ。埋めたんだ……あの女を。そして、わしは見たん
だ。虹の向こうの至福の島を!」
 虹の向こう……この男、レインボーヘブンの道標の事を言っているのか?
 ジャンは驚きを隠せない。
「埋めたって、お前が僕を埋めたみたいにか?!」
「……わしがあの女を花園で見つけた時にはもう、息がなかった。多分、紅の花の香りで中毒
になってたんだ。だから、遺体を隠そうと埋めた。土をかけてしばらくすると、今みたいに蒼の
光が現われて……そして、わしは見たんだ。青空の中に現われた虹の向こうに、あの伝説の
島、レインボーヘブンを!」
「レインボーヘブンが空に!そんな馬鹿な!」
 その時だった。タルクが空を指し声をあげた。
「虹だ!青空の中を虹が駆けてゆく!」
 それは見えたと思った瞬間に消えてしまった。だが、タルクは確かに見たのだ。空の巨大な
スクリーンの中に一瞬、垣間見えた緑の島を!
 あれは、レインボーヘブンの虚像だ……
 ジャンは、ほっとした反面、落胆もした複雑な思いで空を見上げた。それにしても……
「ザール!お前が埋めた女って誰だ?それにお前は僕までここに埋めた。それは何の為だっ
たんだ?!」
「同じだったんだ。異様に軽かったから……お前もあの女……天喜と伐折羅の母親と同じくら
いに軽かったから。また、見れると思ったんだ。あの至福の島を」
 行方不明だという天喜と伐折羅の母親!紅の花の中毒で死んだって?まさか……まさか、
その人が、レインボーヘブンの欠片?!
 
 青空に架かる虹は、端の方から徐々に薄れだした。それと共に空は再び闇に閉ざされて行
く。
「あ…あ……」
 ゴットフリーは、力が抜けたようにがくんと地面に膝をついた。そして、握っていた闇馬刃から
手を離すと、消えてゆく虹の方向に腕を伸ばした。
「隊長!」
 明らかに先程のゴットフリーとは、様子が違う。タルクは地面にできた亀裂を大股に飛び越え
ると、彼の元に駆け寄った。
「隊長、しっかりしてくれっ!」
 両の肩を揺さぶってみても、灰色の瞳の視点はただ、空虚に虹の行方を追っている。その背
後では炎馬が息を潜めて、事の成り行きを見守っている。
 恨みと後悔の産物……ゴットフリーの肩越しに燃える馬の不気味さにタルクは背筋にひやり
と冷たいものを感じた。
 だがな、お前たちに隊長は渡さない!
 タルクは、すうっと息を一つ吸い込むとぎゅっと右の拳を握り締めた。振上げようとして、すぐ
辞める。かすかに笑い、そして、次は左の拳を握り締める。
 いけねえ。ザールを殴った方の手を使っちまうところだった。
 そして、タルクはあらん限りの声で叫んだ。
「いい加減に目を覚ませ!!お前はレインボーヘブンの王になるんだろっ!ゴットフリー!!」
 ジャンは呆気にとられて、その様子を見ていた。ゴットフリーの体が弾き飛んでいた。ごろご
ろと転がり、止まった後はぴくりとも動かない。
 「タルクッ!!お前、ゴットフリーを殺す気か!?」
 焦って、ジャンは倒れている彼の元に走りよる。タルクの奴、あの馬鹿力でゴットフリーを殴り
やがった……
「手ェなんか抜いても、こいつは目を覚まさないだろっ!頑固もんで完全主義のこの男は!」
「でもな――!」
 ジャンは、次の言葉を口に出そうとした時だった。
「……誰が頑固もんだって……」
 聞きなれた低めの声が聞こえてきたのだ。
「目をさませ。ゴットフリー……タルク、お前がそう言ったのか」
 タルクとジャンが目をやった視線の先、
「ゴットフリー!!」
 二人は同時にその名を呼んだ。ゴットフリーは小さく、つぶやくように言った。
「長い悪夢を見ていたようだ……」
「俺たちにとっちゃ、悪夢どころの騒ぎじゃなかった。お前、魔王になりかけてたんだぞ」
「お前だって?タルク、俺がお前か……」
 ゴットフリーはタルクに殴られた頬を押さえながら、小気味良さそうに笑う。
 はっと、気付いてタルクは急に恐縮したように顔を強張らせた。
「いや……、お前でなく……隊長だった。いかん、思わず……」
「あんなに力一杯、殴っておいて、今更何言ってる。もう、取りつくっても無駄、無駄」
 ジャンは破顔した。だが、すぐ真顔になるとゴットフリーの血に染まった姿をじっと見つめてこ
う言った。
「ごめん。僕がいたのに、お前をそんな姿にしてしまった。見なくていい、悪い夢を見せてしまっ
た……」
 ジャンはゴットフリーの両の手をとると、その手に上に自分の頭をのせるかのように俯いた。
「でも、悪夢は所詮、夢なんだ……お前のいるべき場所は、夢の中じゃない」
 女神アイアリスは言った。ゴットフリーの本性は悪だと。だが、それならば、何故、僕らは彼に
魅かれるんだ?何故、彼を失う事をこんなにも怖れるんだ?

 ジャンの体が蒼く光を放ち出した。それは、これまでと違った柔らかな光だった。蒼の光がジ
ャンの手を通してゴットフリーまでも蒼く染めてゆく。

 血の色が……消えてゆく。隊長を紅に染めていたおぞましい闇の衣が浄化される。
 タルクは、目頭が熱くなって、思わず大きな手で顔を隠した。

 だが、事態はそれで収束したわけではなかった。
「炎の馬が行ってしまうよ」
 抑揚のないわりによく通る声。
「ミッシェ!来てくれたのか」
 ミッシェは、ジャンの言葉を無視して空を指さした。ゴットフリーの背後にいた炎馬は、彼を諦
めたのか、空に駆け上がるとそのまま、町の方へ飛び去ろうとしていた。
「早く追いかけて。そうしないと、町が大変な事になる……」









miche's Lybrinth