8.
 紅の花園……そのからくりに気づいた瞬間、ゴットフリーの中で何かが微妙にずれ出した。
封印されていた心の別の部分が、滲み出すように彼を支配しはじめた。

 海の鬼灯……火の玉山に火を吹かせ、BWを使ってガルフ島を海に沈めた紅い灯。だが、
それを作り出したのは誰だ?あの日食の日、火の玉山に集結した邪気たちは、どこから来
た?考えるまでもない。あいつらは、すべて人間の心が生み出してきたのだ。己の恨みをはら
すため、他のすべてを消し去ろうとする……破壊の衝動。

世間の小さな恐怖など、取るに足りないではないか。この世は邪心にまみれている、それらを
満足させるには、大きな癒しが必要なのだ、この世のすべてを破滅させるだけの殺戮、破壊、
そして死……。

 そう、この世を救う唯一の術は……破壊する事だ。何もかも消してしまえ!そうすれば、万民
は苦しみから開放される。

白妖馬を見据え、ゴットフリーは、残酷な笑いをもらした。その灰色の瞳からは、胸をすくような
眼光は消えうせていた。
「お前たちは俺が癒してやるよ。己の血を浴びて地獄の厩舎へゆくがいい!」
予感があった。何かが闇を蹴って駆けてくる。それはまぎれもなく、自分自身に属する物だ。
 ゴットフリーは右の手を前方に差し出した。すると、手の中がにわかに明るく輝き出した。光
の粒は、黒鋼色に色を変えながら一本の剣に姿をかえてゆく。

 −闇馬刀−
 黒い刀身は鏡のように輝き、切れ味は疑う余地もない。

求めれば、この剣は俺の所へやってくる。
 無意識のうちに悟った理をゴットフリーは、当然のように受け入れた。

 闇馬刀の光に触発されたか、二足の白妖馬は、堰をきったように襲いかかってきた。ゴットフ
リーは大きく後ろに剣を引いた。
「うおおおおぉっ!!」
絶叫しながら、右の馬の首めがけて、剣を振り下ろす。

 血の花が咲いた。白い馬の首がゆっくりと宙を舞ってゆく。
 血の涙を流しながら……己の非業を嘆きながら。

そして、首をなくした白妖馬の胴体からは、おびただしい血の雨が吹き上がっていた。

白妖馬の血をあびながら、ゴットフリーはその場に立ち尽くしていた。ザールに騙されてこの部
屋に入った時より、数十倍も強い花の香が血の雨から流れ出てくる。吸ってはならない。だ
が、否応無しにその臭気は体の中に入り込んでくる。
この花の香は人の心を狂わせる……。
ゴットフリーに意識といえるものは、ほとんど残っていなかった。どくどく、どくどくと響いてくる心
臓の鼓動だけが、頭の中で鳴り響いていた。
ここは闇の世界か、何も見えない、考える事もできない……ゴットフリーの心は、闇に閉ざされ
ようとしていた。その時、手に持った闇馬刀が薄い光を放ちだした。
光が見える……
ゴットフリーは闇の中に一筋の光を見た。だが、その光は次第に細くなり遠くの方へ消えてゆこ
うとしていた。遠くで片割れを失った白妖馬の悲痛な嘶きが響いている。
床に崩れ落ちながら、ゴットフリーは小さくつぶやいた。
「ジャン……お前、どこにいる……?」


8.海の鬼灯

萬屋黒馬亭の2階。
「タ、タルク、タルクっ!」
息せき切って走りこんできた、天喜をタルクはいぶかしげに見た。
「何だ?血相変えて。今度はドラゴンでも出たか?」
「ち、違う。ミ、ミッシェが……」
「空でも飛んだか?」
 俺は、あいつやジャンが空を飛んでても、別に驚かないぞ。
「そうじゃなくって!ミッシェって、ミッシェってまるで別人じゃない!」
 はあ?とまるで合点がいかない様子のタルクに天喜はいらだった。天喜が風呂場で見たミッ
シェは、銀の髪を輝かせた妖精のような少女だった。
「だ・か・ら……」
 天喜が次の言葉を口にしようとした時、
「伐折羅が帰ってきたよ」
 戸口の方から声がした。振り返って天喜は、愕然とする。黄ばんだような白い髪、薄汚れた
服。そこには、前から見慣れたミッシェが立っていたのだ。
「ミッシェ、本当のミッシェ?」
「天喜、どうしたんだ?お前、変だぞ」
 不可思議顔のタルクに、天喜は納得がいかない。タルクは、そんな事はおかまいなしにミッシ
ェに話しかける。
「伐折羅はどこへ行ってたんだ?」
「近くの池で服を洗ってたって。レストランの騒ぎで血がついたから」
 伐折羅が洗濯……。天喜は首をかしげたが、よくよく考えてみれば、伐折羅は一年の半分は
学校の寄宿舎で過しているのだ。洗濯をしていたとしても不思議はない……でも、何で池なん
かで……?
「……で、伐折羅はどこ?」
「お風呂。気持ち悪いから綺麗にしたいって」
 タルクは、軽く眉をしかめた。
 気持ち悪い……か……そりゃそうだろう。あれだけの蝙蝠の死骸を見たんだ。しかし、あの
血だらけの頭を皿に盛った当の本人にしては、何か白々しい言い分だな。それに、もう夜だ
ろ。暗がりの中で洗濯してたっていうのもえらく嘘臭い。

 タルクは、壁にかかった時計に目をやった。午後十時。隊長とレストランで別れて優に2時間
は経っている。「少し用がある」と言った割には時間がかかりすぎているじゃないか。
 窓の外は、とっぷりと闇に覆われていた。月も星も姿を消しているのか、この時間にしては深
すぎる闇。
「隊長を探してくる」 
 闇がはびこりだすと、絶対良くない事が起こるんだ。
 タルクは居ても立ってもいられなくなって、がたんと椅子から立ちあがった。壁に立てかけた
あった長剣を背負い上げる。その時、
「ジャン……?」
 ジャンがむくりとベッドから起き上がったのだ。座ったまま、夢遊病者のように宙を見つめて
いる。タルクは驚いてジャンの元へ駆け寄った。
「おい、ジャン、しっかりしろっ!」
 強く肩を揺さぶられて、ジャンは、はっとタルクを見た。
「タルクッ!ゴットフリーを行かすなっ!!」
 ベッドを飛び降りて、そのまま駆けて行こうとするジャンの腕をタルクが掴む。
「待て、お前っ、どこへ行く気だ?!それに、隊長の居場所を知っているのか」
 ゴットフリーの声が……聞こえた。紅い…紅い花の中で……
「ザールの花園だ!急げタルクっ、ゴットフリーを闇に獲られるぞ!」
 ジャンが叫んだと同時に、するどい金属音が部屋に鳴り響いた。ベッド側の窓ガラスが弾け
飛んだのだ。
「な、なに、何っ?」
 驚いた天喜の顔に、冷たい夜風がびゅうと吹きつけてきた。壊れた窓の外からは、蹄の音
と、かすかな馬の声が響いてくる。

 何をやってるの!力がもどったあなたは、もう体から出れない。だから、ここの馬を使って早く
行って!

−夜風− 
 この声はレインボーヘブンの欠片。
「霧花か?馬って、黒馬亭に飼われている馬のことか」

 ジャン、夜風に向かって、話しているの……?
そうとしか思えなかった。なぜなら、黒馬亭の2階の部屋に吹きつけている風には天喜でさえも
意思を感じた。怒っている……、窓ガラスを叩き割るほどに、この風は怒っている。

 窓の下につれてきたわ。だから早く!

 「解った。タルクっ、お前も来てくれ!」
 ジャンは、タルクの太い腕をぐいと掴むと窓際へ引っ張っていった。先程割れてガラスのない
窓を大きく開け放つ。窓の下には霧花のいうとおり、一頭の馬が彼等を待ち構えていた。
「タルク、飛び降りるぞ!」
「何だって!ここは2階だぞ」
「だって、僕は馬の扱い方をしらない。だから、お前が乗せてくれ」
「そうじゃなくて、お前と違って、俺がここから飛び降りれるわけがないだろ!」
 タルクは身長2mを軽く越える大男だ。おまけに背には馬鹿でかい長剣まで背負っている。
「大丈夫だから、さっさと、飛び降りろっ!」
 ジャンは、有無をいわさずタルクを外へ突き飛ばした。見かけは子供でもジャンの力は岩を
も砕く。
「ミッシェ、後から来てくれっ!」
 そう言い残すと、窓辺に駆け寄った天喜の頭を軽々と飛び越えて、ジャンもタルクに続いた。

「タルクが空を飛んじゃった……」
 あの大男のタルクが、ふわりと空を舞い下の馬に飛び乗ったのだ。ジャンは、いとも簡単に
その後ろに着地した。
 ミッシェが空でも飛んだかって……
「タルク、あんただって、そうじゃない」
 天喜はあまりの光景に目を白黒させて、二人が乗った馬が駆けて行く様を見送っていた。
 

 闇の中を駆け抜けてゆく。タルクとジャンを乗せた馬が。
「おい、この馬、本当に黒馬亭の馬か?サラブレッド並のスピードじゃないか!」
「気にすんな!風に乗っているだけだから」
「それに、窓から落ちた俺を支えた奴がいる」
「以外と力持ちだろ」
「それって誰なんだ!!」
 いらだつ心をぶつけるように、タルクは馬の胴体に蹴りを入れる。知らない事が多すぎる。俺
はゴットフリー隊長の一の従臣だぞ。
「ジャン、隊長を見つけたら洗いざらい話してもらうからな」
 乱暴なタルクの馬術に、ジャンは苦い笑いをもらす。
 
 ザールの屋敷が目前に迫ってきた。一瞬、目を瞬かせてジャンが叫んだ。
「花園が燃えている!」
「何だって!」
「いけないっ、あそこにはゴットフリーがいる」
 紅い花園から、無数の火の粉が沸きあがっていた。それらが描く炎の渦が一つ、二つと烙印
を押すように夜空に広がってゆく。
 花園への扉は堅く錠で閉ざされていた。
「タルクっ、つき破れっ!!」
「とっくに、そうするつもりだよ!!」
 タルクは、長剣を背から引き抜くと馬の背から、それを扉に振り下ろした。そして、扉をトタン
の壁ごと切り裂くと、突っ込むように花園に馬を走らせた。

 「そろそろ、くたばった頃かな。いくら、化け物じみた奴だってあの白妖馬は、本当の化け物
だ。敵いっこないだろう」
 ザールは舌なめずりをしながら、ゴットフリーを閉じ込めた部屋へ向かった。あの髪が手に入
るんだ。それを考えると嬉しくて踊り出したい気分になった。
「白妖馬が眠る朝まで部屋に入れないのが、残念だ……。さすがの俺もあの馬を相手にする
気はないからな」
 とりあえず、のぞき穴からでもゴットフリーの様子を見ておこう。じきに西の盗賊たちもやって
くる。お楽しみは、麻薬花の運び出しが全て終わってからだ。

 白妖馬のいる部屋は、もともとはザールが飼育していた馬の厩舎だった。黒馬島は、古くは
馬の飼育と花の栽培を生業にしてきた島だった。痩せた土地には作物を育てる事はできなか
ったが、飼料となる牧草や観賞用の花は作る事ができた。ザールも麻薬花に手を出す前は古
物商の他に真面目に放牧等の手伝いもしていたらしい。

 ザールは部屋の扉に備えつけられた、のぞき穴に瞳をくっつけて中の様子をうかがった。
 おかしいな。何も見えない……
 その瞬間!
 バリバリッバリッ!!
 白い部屋の扉が、真っ二つに裂けたのだ。ザールは寸での所で剣を受けなかったが、大破
した扉から出て来た男の姿に腰を抜かして慄いた。
 全身血まみれの男が、ザールの横を通り過ぎてゆく。足取りは鉛の枷をつけられたようにひ
どく重い。右手には、にぶく光った黒剣を握り締め、左手に何やら白っぽい塊を携えている。
「お、お前、ゴットフリーか……?」
 まっすぐ前を向いたまま、瞳だけをぎろりと動かしザールを睨めつける。顔面にしたたる血の
間から向けられた灰色の瞳は、地獄の闇を映すように陰鬱な光を放っていた。
 ゴットフリー……いや、こいつはまるで……
 ザールは、怯えきって、その場から逃れようと後ずさりを始めた。その時だった。
 ゴットフリーが、にやと引きつった笑いをもらした。
 そして、
 どさり……と、
 左手にもった塊をザールに向けて投げ捨てたのだ。
「うわわああっ!!」
 無残に切り取られた白妖馬の首が足元に転がっていた。血の涙を湛えた赤い瞳がザールに
恨みの視線を送っている。
 ザールの悲鳴に呼応するかのように、白い部屋から別の白妖馬が飛び出してきた。ゴットフ
リーは、白妖馬の鬣をつかみとるとその背に飛び乗った。
「魔王だ!わしは魔王を呼び起こしちまった」
 ははは……
 ザールの言葉に満足げな笑い声をあげながら、ゴットフリーは白妖馬の胴体を強く蹴った。
馬は、館の壁を蹴破り、地獄の叫びをあげながら紅の花園へ飛び出していった。
「うああ……」
 ゴットフリーの乗った白妖馬を唖然と見つめていたザールは、白い部屋から飛び出してきた、
もう1匹の白妖馬の姿に頭を抱え込んだ。
 あ、頭がない……
 どうしようもない恐怖にザールは囚われていた。とんでもない事をしちまった、この黒馬島は
破滅するぞ。ゴットフリー……あいつは、あいつは……
 魔王だ……。








miche's Lybrinth