5.
さらに闇へ
「おい、やめろよ。砂をかけるな!」
「あの男が埋めろと命令したんだ。文句があるなら奴に言え!」
サームは半ばやけくそで、ジャンを再び埋め始めた。彼の後方でゴットフリーが見つめてい
る。逆らえなかった。その灰色の瞳に負の催眠術をかけられたように、サームは恐れ慄いてい た。
「もうっ、やめろってばっ!!」
ジャンはかけられた砂を弾くように、右の手をぱっと広げた。その瞬間、サームの体は1メー
トル程もふっとばされ、ごろごろとゴットフリーの手前を転がっていった。
「ゴットフリー、お前っ、いい加減にしろよっ!」
埋められていた穴から軽々と飛び出し、ジャンはゴットフリーの襟釘を無造作に握りしめる。
こ……こいつは、あの男が怖くないのか。それに、今、俺を、飛ばした力は何だ?サームは、
おどおどとジャンを見あげた。
ゴットフリーはそ知らぬ顔でジャンの手を払いのける。
「快適なんじゃなかったのか」
「ずっと、土の中にいちゃあ、レインボーへブンを探せないだろっ!」
その時、無言で二人の様子を見詰めていたザールがあっと声をあげた。
「レインボーへブン!」
目を見開き、体はぶるぶると震えていた。そして、口もとを薄く開くと恍惚の表情で、ジャンに
目を向ける。
「お前ら、レインボーヘブンを探してるのか?」
「ああ」
「あ、あの島は伝説の島だぞ。ただの夢物語の!」
「それが、どうした?お前には関係ないだろ」
そっけないジャンの答えに、ザールはたじろぎ言葉につまった。だが、相変わらず目だけは、
ちらちらと彼の方を垣間見ている。
勘にさわる奴……ゴットフリーはザールの不審な態度に眉をひそめた。
「ジャンを埋めたのはお前だな。何のつもりかは知らないが、事と次第によっては、お前もそう
してやろうか……」
どきりとした様子でザールはゴットフリーに視線を移す。
「ただし、俺は生きたまま埋めるなんて無粋な真似はしないがな」
瞬間、ザールの右の頬から鮮血が飛び散った。ザールは凍りついていた。剣の血を振り払
いながら、口元では笑っているゴットフリーの灰色の瞳の奥には、激しい怒りがうずまいてい た。そして、それは否応無しに、ザールの心臓を握りつぶそうとするのだ。
「あ……ち、違う……わしじゃ……ない」
頬を押さえながらうずくまるザールの姿をジャンは、戸惑いながら眺めている。その視線を遮
るように、ミッシェが空を指差した。
「闇が消えてゆく。夜が明けるよ」
ミッシェが指差した空の向こうが、白く輝いていた。花園にいた面々は今までの騒ぎを忘れた
かのように、空を見上げた。夜明けよりも強過ぎる日差しが、嘘の夜を消し去ってゆく。
「ようやく、当たり前の昼がもどったのか」
吐きすてるように言うゴットフリーの姿を見るなり、ザールは再び、ぶるぶると震えだした。
陽光が彼の黒の髪を紅に染め上げていた。
ああ、この髪の色……深い闇の中で炎が燃え広がるような激しさの。
「黒から紅に変わる髪!どこかで見たと思ったら、お、お前、ゴットフリー隊長だな。ガルフ島警
護隊の!」
ゴットフリーは帽子を黒馬亭に置いてきた事を後悔した。彼の髪につきまとう、こういう輩の奇
異な眼差しにはいい加減うんざりだった。
「その台詞は、もう聞き飽きた」
「わしは、島主リリア……フェルトに会った事がある」
「それも聞いたな」
白けた表情のゴットフリー。だが、彼を見つめるザールの目は好奇に満ちあふれていた。頬
につけられた傷の痛みなど、すっかり忘れてしまっている。
あの髪の色。わしの手元のどんな宝より、深淵とした美しさ……。
欲しい……そうだ。ガルフ島であの警護隊長を見てから、わしはずっと、あの髪が欲しかっ
た。
ザールの興味は、完全にジャンからゴットフリーへと移行していた。
また、兄者の悪い癖が始まった。兄者は、珍品には目がないんだ。だが、こいつらに手を出
すのはまずい。まずすぎる。次はあの剣を本当に心臓に突き立てれるぞ。
先程から沈黙していたサームは愛想笑いを浮かべながら、ジャンに近づいていった。そして、
彼の体の砂をぽんぽんと払いのけながら言う。
「お、お前、もう兄弟喧嘩は終わったんだろ。ほら、砂だらけじゃないか。うちに戻ってシャワー
でもあびな。ちょうど、姪たちも戻ってきてる頃だし、食事もまだなんだろ?」
「誰が兄弟だって?」
サームは、その視線を避けるように俯いて、ゴットフリーの方を指差した。
「馬っ鹿じゃないの?僕があんな冷血漢で自惚れ屋で、融通がきかない奴と兄弟だって?!」
「え……、じゃ、お前あいつの部下なのか?にしては、態度がでかいし」
「うわっ、もっとひどい事を言いやがる。部下になんか死んでもなるものか」
ジャンの暴言にたまりかねたのか、ゴットフリーが二人の前に歩みよって言った。
「ジャン、お前が死んでいるところを一度、見てみたいものだな。煮ても焼いても食えないという
のは、お前の為にあるような言葉だ」
陽光に照らされた紅い花園は今は、何事もなかったかのように秋風にゆれている。只、きつ
い花の香の中にいるせいか、その中にいる誰もが妙に苛立った気分にさせられていた。
「黒馬亭に戻るぞ。その男の言うように体を洗った方がいい。姿だけでも人間らしくしておくんだ
な」
ゴットフリーは歩を止めることなく、元来た道をもどりだした。その後をジャンとミッシェが追い
かける。さらにその後をサームはかなりとまどいながらついていった。だが、ゴットフリーに完全 に無視を決め込まれたザールの心中はおだやかではなかった。
ザールは突然、すっとんきょうな大声で叫ぶ。
「ゴ、ゴットフリー警護隊長、お前って捨て子なんだってな!」
何とも言えない気まずい空気が花園に流れ出した。
「お前、何が言いたい?」
振り返ったゴットフリーの視線を避けながら、ザールは言葉を続けた。
「わ、わしは持っているんだぞ。ガルフ島の当主リリア・フェルトから預かったお前の父の遺品
を!お、お前は見たくないのか?お前の本当の親の物だぞ」
「何?!」
「金細工のロケットだ。中にお前の父の写真が入っている。お前によく似ていると島主リリアも
言っていたぞ」
父……そんな者の存在を考えた事もなかった。だが、何故リリアがこいつにその遺品を渡し
たんだ?
ゴットフリーはそのまま、言葉を失ったように押し黙ってしまった。その様子を見つめて、ザー
ルは小ずるい笑いをもらす。
「どうだ?見たいだろう?条件しだいなら、譲ってやってもいいんだぞ」
一方、ゴットフリーと同じく、ジャンもザールの言葉に衝撃を受けていた。
サライ村で別れた少女ココ。ココが見せてくれた銀のロケットには、ゴットフリーによく似た写
真が入っていた……。捨て子だったココが持っていた、たった一枚の父の写真。まさか、あの ロケットが二つあるなんて。だが、金と銀、それぞれを兄妹に手渡していたとしたら……それ は、十分にありうる事だ。
ジャンとミッシェだけが気付いていた。ロケットの中の人物は、ココの父であり、同時に、ゴット
フリーの父である事を。ココとゴットフリーは兄妹だ。レインボーへブンの守護神アイアリスに残 された一房の選ばれし者……。
「あ、後から屋敷へこないか?遺品は蔵の奥にしまいこんであるんでな、お前たちが食事をし
ている間に出しておくよ。お、お前が勘違いしてつけた頬の傷は……、もう血も止まったから な、ゆ、ゆるしてやるよ……な……、夜になったらもう一度訪ねて来い。島主リリアから聞いた 話も色々とあるんだよ」
猫なで声でささやくザールに、ジャンはひどい嫌悪感を覚えていた。
「ゴットフリー、行くんじゃない。あいつは怪し過ぎる」
感情を押し殺しているのか、ジャンには無表情なゴットフリーの心は計りきれなかった。それ
でも、ザールを無視して再び歩き出したゴットフリーの後姿を見ていると、かすかにちりちりした 痛みのような感覚が伝わってくる。
ゴットフリーの心が揺れている……だめだ、彼をあの男の元に行かせては。
その時、ミッシェがジャンの袖を強く引っぱった。
「笑っているよ、紅の花園が……」
紅い花々が風に揺れる度、かさかさと花の囁きが聞こえてくる。ジャンはその声に耳をすま
せて思わず眉をしかめた。
……もっと、もっと暗い場所へ……
……もっと、さらに闇の中へ……
……滅びの王、誘えり……
「天喜、どうしてみんなして、仲良くレストランなんだよ」
「だって、お客さんなんて久しぶりなんだもの。それに店は壁が崩れちゃって、直すにも時間が
かかるし」
「お前……まさか、その壁、俺たちに直させる気じゃないだろうな」
「あら、やってくれるの?大助かりだわ。ニ・三日なら、みんなが泊まれるくらいの部屋はあるか
ら。黒馬亭ってね本当は宿屋なのよ。客なんて滅多に来ないから萬屋なんかやってるけど」
やはり、そんな事だと思った。俺たちゃ(いや、俺か)体のいい雑用兼ボディーカードってとこ
ろかい。
それでも、天喜に微笑まれると、何故かしら断ることができない。
タルクは、仏頂面でメニューに目を通す。隣に座っているゴットフリーは、いつにも増して機嫌
が悪そうだ。サームはどこに消えたのか、レストランには姿がない。食事なんてどうでも良かっ た。一刻も早くこの黒馬島を出てしまいたかったのに……。結局、天喜に押し切られる形で居 残る事になってしまった。
ジャンとミッシェとは無事合流できた。しかし、土まみれのジャン(この理由はよくわからない
のだが)が黒馬亭でシャワーをあびている間に天喜はそそくさとレストランに予約を入れてしま ったのだ。
黒馬亭から徒歩で15分ほどの場所にある島の繁華街にタルクたちはいた。ここは規模は小
さいが殺風景な黒馬島の中では、唯一賑やかと呼べる場所だった。タルクたちがいるレストラ ンは野外にテーブルがあり、景色が見渡せる形式になっていた。遠くには西の山が見えてい る。
「……で、そっちの男の子が、ジャン。女の子がミッシェね。ジャンは私と同い歳くらいかな」
天喜は、先程、タルクから紹介された同じテーブルのジャンとミッシェに、興味津々のようだっ
た。伐折羅は天喜の後ろに隠れるように二人の様子を垣間見ている。
「……で、お前が天喜。その後ろが双子の弟の伐折羅か」
ジャンは、くったくのない笑顔で笑う。年齢に関しては彼自体も把握できていないので、一応、
天喜の意見に賛成しておいた。
「あなたたち、どこから来たの?黒馬島に外からの客なんて滅多にこないのに」
「船を出したのは、ガルフ島のサライ村。ここに来た理由は、多分、僕の友人が僕を呼んでくれ
たから」
「友人?いったい誰?島の住民なら私、だいたい知ってるわよ」
顔を覗き込んでくる好奇心いっぱいの天喜の目は、琥珀のように綺麗だった。"サライ村のコ
コもこんな目をしていたっけ"ジャンは思わず笑顔を作る。天喜はその様子を見てほくそえん だ。
ふん、ちょろい、ちょろい。男の子なんて、私がちょっと笑ってやったらこれだもん。でも、この
子はお金も持ってそうにないし、力がある分まだ、タルクの方がましかもね。
「それより、お前、花の香りがする」
突然、話題を変えられて天喜は少しあわてて言う。
「あ、そ、それは、私が花屋をやってるから」
「花?何の」
「色々よ。切花を花束にして売っているの。今の時期はコスモスがお奨めよ」
「切花!そんな物売ってるのか」
「そんな物って言い方はないでしょ。私の店の花はとても人気があるんだから」
「切花は大嫌いだ。命を切り取られたようなものだろう?大地に咲かせておけば、来年もまた
咲くっていうのに」
大嫌い……こんな言葉、言われたのは生まれて初めてだわ!
表面上、取り繕っては見たもののジャンの言葉は天喜のプライドをひどく傷つけたようだっ
た。
たとえ、直接、私の事を指したのでなくても、絶対に許せない。
天喜は横に座っている伐折羅に小さく囁く。
「こいつもあのゴットフリーと同じで最低男……」
伐折羅は一瞬、理由のわからぬ様子を見せたが、少し離れたテーブルの黒づくめの男に目
をやると言った。
「……あ、ゴットフリーってあの人の事?タルクさんと同じテーブルに座っている」
「そう、気持ち悪いでしょ。レストランに着てまで黒い帽子かぶってさ」
その時だった。ジャンの横で黙ってパンにかじりついていたミッシェが突然、声をあげた。
「ゴットフリーは気持ち悪くないよ。気持ち悪いのはあの男……あの男の持っている紅い花園」
「あんたたち、喧嘩でも売る気なの。いちいち、私の言う事に文句つけて!」
今までちやほや、されすぎていたせいか、天喜は自分の感情を抑える事ができない。
「あれっ?珍しいな。ミッシェが喧嘩か。やれやれ!おもしろいぞ」
「ふざけないで!あんたにシャワーなんて貸してやるんじゃなかったわ!」
ジャンの無責任な応援に、天喜は余計に腹を立てる。
「何よっ!汚い子。言っちゃあ悪いと思って黙ってたけど、ミッシェ、あんたもシャワー、浴びた
方が良かったんじゃないの?女の子のくせに洋服だってボロボロじゃない!」
伐折羅はただ、おろおろと三人の様子を見ているだけだった。
「おい、お前らいい加減にしろ」
目の前にニメートルもありそうな、長剣をぬっと見せ付けられて天喜はやっと我をとりもどし
た。何だ。もう終りかと、ジャンは残念そうに舌打ちする。
「だって、タルク、こいつらがひどい事を言ったのよ……」
天喜にすがるように見つめられて、タルクは一瞬たじろいだ。
「だって、タルク、この娘がゴットフリーの事を気持ち悪いって……」
ミッシェにしては珍しく言葉が多い。吸い込まれそうな青い瞳でタルクを見つめる。一体、どう
すりゃいいんだ?しかし、隊長の事を気持ち悪いなんて……それは許せんな。
「とにかく、喧嘩はやめろ。飯がまずくなる。お前らに挟まれた伐折羅の困った顔を見てみろ、
可哀相じゃないか」
タルクに言われて、伐折羅は少し頬を紅くする。
「あの……僕、タルクさんたちのテーブルに行っていい?」
「え……?俺は別にかまわないが……お前、余計に困るんじゃないのか」
「ううん、いいんだ。あの人もまだ、紹介してもらってないし」
「あの人って、ゴットフリー隊長の事か?」
その時、天喜が信じられないと声をあげた。
「伐折羅!絶対、だめ!あんな奴の所へ行きたいなんて、どうかしてる」
「僕、あの人と話がしたいんだ……」
止める天喜の手を振り解いて、伐折羅はゴットフリーがいるテーブルへ歩き出した。
「伐折羅の馬鹿っ!」
半泣きの天喜を尻目にジャンが笑う。
「伐折羅の気持ちが僕には解る……いい奴だとは天地が裂けても言えないが、知らず知らず
のうちに人の心を引きこんでしまう……そんなところがゴットフリーにはあるから」
タルクは、かなり遠慮しながら天喜に言った。
「俺もその意見に賛成だ……だから、俺も隊長に付いてきたんだ」
食事にはほとんど口をつけず、すするように飲んでみたワインは、やけに甘くてすぐに嫌にな
ってしまった。何気なく遠くに目をやると、今、見たくもない虹の道標がぼんやりと目前に浮かび 上がってくる。
苛つく奴……あの古物商、夜に訪ねてこいなどと……何を企んでやがる……あの場所で殺し
てしまえばよかったか。
けれども、心の奥底の"行きたい"気持ちを押さえられない。ゴットフリーは、そんな自分自身
に苛立っていた。すると、不意にタルクの声がした。
「隊長、ちょっといいですか」
「……何だ?あっちの騒動はもう収まったのか」
「ああ、まあ、なんとか。それより、この子をまだ紹介していなかったんで……あの、伐折羅で
す。天喜の双子の弟の」
ゴットフリーは、タルクの横に隠れるように立っている少年に目を向けた。漆黒の髪と瞳。だ
が、顔立ちは天喜とそっくりだ。
伐折羅は、無言でゴットフリーを見つめている。
タルクは、臆病な伐折羅が泣き出すのではないかと気が気でなかった。今日は普段より数倍
も機嫌が悪い。そんな隊長の灰色の瞳に伐折羅が耐えれるはずがない。
「伐折羅……面白い名前をもっているな。それは、七億の夜叉をひきつれた、夜叉王の名だ」
「え……そうなんですか?」
不意をつかれたように伐折羅はきょとんとしている。伐折羅の漆黒の瞳は、夜の湖底のよう
に静寂としていた。だが、悲しいほどに澄み渡る瞳はゴットフリーから目線を離そうとはしない。 ゴットフリーは、幾分か声を和らげて言った。
「何だ?俺の顔に何かついているか」
「あなたの瞳が……」
「俺の瞳?」
タルクは、この時、伐折羅は100%泣き出すものだと信じきっていた。隊長がどんな反応を
見せようと、早めに伐折羅を奪取して天喜の元に連れて行こう。だが……
「あなたの瞳がとても綺麗だと思って」
タルクのみか、伐折羅のこの答えはゴットフリーにとっても意外だった。千差万別、色々な表
現をされてきたが、綺麗な瞳と言われたのは生まれてこの方、一度もありはしなかった。
「俺の瞳が綺麗?くくっ、虫唾の走る事を言う」
「でも、でも……本当にそう思うから」
「伐折羅、変わった奴だな……ここに座るか?」
ゴットフリーに隣の席を勧められて、伐折羅はうれしそうに微笑む。
「はい、喜んで」
あいつ、えらくすんなりと、ゴットフリーの隣に座ったな。
じきに泣きべそかいて戻ってくるかと思っていたが、伐折羅は予想外にうまくやっている。ジャ
ンは少し拍子がはずれたような気がした。ジャンの隣にはむっつりと黙りこくってしまった天喜 と、何事もなかったかのようにスープをすするミッシェがいた。
「なあ、天喜、いいかげんに機嫌を直せ。僕も少し言い過ぎたよ」
「……」
「ここで出会えたのも何かの縁だ。仲直りしよう」
「別にいいけど……」
「けど、何だ?」
「ジャン、あんたって、えらく年よりじみた事を言うのね」
そう言った瞬間、天喜はころころと高い笑い声をあげた。そうしていると、普通に可愛い女の
子なのだ。何故、無理をして大人びる必要があるのだろう。人間に関してはかなり、学んだつも りだったが、天喜の気持ちはジャンには到底理解できそうになかった。
「ジャン、仲直りついでに、伐折羅をこっちに連れてきてよ。あの男の隣にいるより、こっちの方
がいいに決まってるでしょ」
ゴットフリーたちのテーブルに目をやって、そうかな?とジャンはふと思う。なんだか伐折羅は
楽しげだ。そういえば、ガルフ島を出てから、ゴットフリーとゆっくり話なんかした事がなかった。
ゴットフリー、伐折羅と何を話してる?
ジャンはそれが気になって仕方なかった。
「わかった。行ってくる」
ジャンが席を立ちあがった、ちょうどその時、
「待って、あの黒い塊は何?!」
天喜が叫びながら指差した、西の空の一角から黒い塊が近づいてくる。
「蝙蝠……」
ミッシェがぽつりと言った。遠目がきくジャンにもそれらは、はっきりと見えた。
「しかし、並みの数じゃないぞ。ミッシェ、天喜、早く逃げろ!凄まじい数の蝙蝠がこちらへ向か
って飛んでくる!」
ジャンたちの他の客には、それらは最初、黒雲にしか見えなかった。だが、バサバサと繰返
される羽音とともに辺りは騒然となった。
「蝙蝠!?何でこんな場所に」
「西の山を見てみろ!こちらに向かってやってくる黒い塊は……全部蝙蝠だ!」
逃げろ、逃げろとあちこちから悲鳴があがった。その声が聞こえたからではないだろうが、蝙
蝠の集団はいきなり速度を速めた。黒い雹が降り注ぐように蝙蝠たちは爪と牙を突きたてなが ら急降下を始める。
「ミッシェ、天喜、テーブルの下に入ってろ!」
ジャンは、二人を隠すとゴットフリーたちのいるテーブルに目をやった。だが、おびただしい数
の蝙蝠が邪魔をしてさっぱり様子がわからない。
「おいおい、珍獣ワンダーランドの次の出し物は蝙蝠かよ」
一つ大きくため息をつくと、タルクは背中の長剣を手に取った。
「珍獣ワンダーランド?この島の事か。残念だったな、あれはだたの蝙蝠だ」
ゴットフリーはにやりと笑うと、腰の剣を引き抜く。
「ただ、数が破壊的に多いだけだ!」
その瞬間、黒い塊が一気に押し寄せて来た。その中の一匹はまっすぐに伐折羅めがけて飛ん
できた。体が硬直して動かない!目を閉じたくても閉じれない。目前で蝙蝠の鋭い爪がにぶく 光った時、
"目をつぶされる!"
伐折羅は、本能的にそう思った。
「伐折羅っ、何を突っ立ってる!?」
飛び散る鮮血が見えた。だが、それは伐折羅のものではない。この甘美な感覚……一瞬、
心が宙を舞う。
「伐折羅っ!」
頬を叩かれて、伐折羅ははっと我に返った。ゴットフリーが目の前にいた。腕の裂傷から血
がしたたっている。
「あ、僕をかばって蝙蝠に傷つけられたんだね」
「そんな事より、早くテーブルの下に入れっ!」
伐折羅をその下に押し込むと、ゴットフリーはテーブルに飛び乗った。邪魔だとばかりに食べ
残しの料理を蹴散らす。その瞬間、爆風が起こった。タルクの長剣の一振りが辺りの蝙蝠を吹 き飛ばしたのだ。
後続の蝙蝠たちが再び急降下を始めた時、伐折羅はテーブルの下から顔を少しだけ覗か
せ、身震いした。恐怖のせいではなく激しい憧憬の思いで。
「まるで鬼神だ……あの人は」
たった一太刀で、ゴットフリーの足元には夥しい数の蝙蝠の屍骸が作り上げられていた。タ
ルクが巻き起こす爆風も並ではなかったが、殺傷力に関してはゴットフリーの剣にかなうもので はない。剣が見えぬほどに、さばきが早い。多分、斬られた相手はそれがわからぬままに命を おとしているのではないだろうか。
「あ、蝙蝠の目玉……」
伐折羅の手元に、ゴットフリーに切断された蝙蝠の頭が転がっていた。血に汚れるのもかま
わず、伐折羅はそれを握り締めた。
「隊長、追い払おうにもまた、西の山から黒い集団がやってくる。これでは、切がない!」
長剣の血を振り切りながら、タルクはテーブル上のゴットフリーを見上げた。
「確かにな。それに……蝙蝠料理は食べてもうまくなさそうだ」
苦い笑いを浮かべると、ゴットフリーはテーブルに積みあがった蝙蝠の屍骸に目をやった。そ
の時だった。
「ねえ、今度は頭をつぶさないで」
テーブルの下から伐折羅の声が聞こえた。
「伐折羅、出てくるな!」
強い口調で言った後、ゴットフリーは、解せない顔で伐折羅の手元を見た。
「……お前、手に怪我でもしたか」
伐折羅の手は血で真っ赤に染まっていた。
「いや……そうではないな。その手の皿は一体何だ?」
伐折羅が後生大事そうに手に持っていた一枚の皿。それに盛られていたのは、ゴットフリーと
タルクに斬られた蝙蝠たちの頭だった。無残に切り取られた蝙蝠たちのなれの果て。皿にたま った血の間からガラス玉のような目がいくつも、こちらを覗いている。
「お願い。蝙蝠の目玉は、売るとお金になるんだ。だから、次のがきたらうまく頭だけ落として」
あまりにも異様な光景にタルクは、思わず眉をしかめる。
「蝙蝠の頭だけを落とせというのか?」
「ゴットフリー、うまくやって、あなたなら出来るでしょ」
伐折羅は、透き通るような笑顔を見せた。
ゴットフリーは、はは……と笑いながら剣を身構える。おもしろかった。どの軌道で蝙蝠たち
を斬ってやろうか……
「承知した。だが、伐折羅……そこまで言うなら俺が落とした頭は一つ残らず集めろよ!」
伐折羅の持った小さな皿では、集めきれない程多く殺してやろう。それも上手に首だけをは
ねて。
レストランが蝙蝠たちの処刑場と化してゆく。しかも、ゴットフリーの手によって。
残酷な戯れだ……ゴットフリー隊長らしくもない……
タルクは長剣を握り締めたまま、その場に立ち尽くしていた。
「だめだ、こう視界が悪いと埒があかない!」
群がってくる蝙蝠の群れを飛び越えて、ジャンは、テーブルから、壁、看板に飛び移り、レスト
ランの屋根へ上った。
だが、すぐに目に入った惨劇に声を荒げる。
「ゴットフリーっ!お前、何をやっているっ!」
見上げたゴットフリーの眼差しは、ジャンでさえ、身震いするほど荒涼と凍り付いていた。
「邪魔をするな。今、狩りの真っ最中だ」
「馬鹿な!こんなに小さな命を狩って何が楽しい!?」
ジャンは、唇をかみしめると、目を細め西の山を凝視した。障害物がなければ、ジャンの目
は千里も先を見とおせる。
「蝙蝠たちは西の山の洞穴から、あふれ出している。きっと、真昼の夜のせいで混乱している
んだ。こいつらに敵意はない!だから、無駄な殺生はやめろ!」
ゴットフリーはジャンの言葉に耳を貸そうとはしない。
「死にたくなければ、さっさと逃げてゆけばいい。こいつらは、その選択肢を選ばずにやってくる
んだ。向かってくる的を射落とす……それの一体、何処が悪い?」
そうこうしているうちにも、ゴットフリーの足元には蝙蝠の屍骸がつみあがってゆく。そして、彼
が乗っているテーブルの下では、伐折羅が惨殺されたそれらの頭を喜喜として皿に盛っている のだ。
「止めろと言っているだろう!」
開いたジャンの手が一瞬、蒼く輝いた。すると、ゴットフリーの剣めがけて近くにあった石が飛
礫のように飛んできた。だが、彼は事も無げにそれらをたたき落す。
「小賢しい真似をするな!そんなに不満なら、サライ村でやったように俺の上に大石でも落せ
ばいいだろう?女神アイアリスのうっとうしい呪縛に縛られた、お前にそれができるのか?俺が 死ねばレインボーヘブンの虹の道標は消える。むしろ、その方が俺は楽なんだ!」
皮肉な笑いを浮かべ、ゴットフリーは空の獲物に剣を突きつける。
「いい加減に目をさまさないか!」
ジャンのとび色の瞳が黄金に輝き、小麦色の髪が褐色に燃えた。すると、地面の一角がゴッ
トフリーが乗っているテーブルの下でむくむくと盛り上がりだした。バランスを失ったテーブルは 大きく傾きだす。
「だめだ!ジャン、テーブルの下には伐折羅がいる!」
タルクが叫んだ。ジャンの場所からは伐折羅の姿は完全に死角になっていた。
「伐折羅っ、来いっ!」
テーブルから飛び降りたゴットフリーが、間一髪で伐折羅を引き寄せた。それでなければ、伐
折羅は重いテーブルの下敷きになるところだったのだ。
「ジャン!伐折羅を殺す気か?無駄な殺生は止めろ言った、そのお前が!」
レストランの屋根の上で、ジャンは激しく動揺した。ゴットフリーの腕にしがみつき、ただ、震え
ている伐折羅の姿は痛々しかった。
伐折羅の事など少しも考えてはいなかった……
しょんぼりと首をうなだれ、屋根の上に立ったまま、ジャンは身動きすらしない。
一旦逃げた蝙蝠たちが、また舞い戻ってきた。微動だにしないジャンが心配になって、タルク
はレストランの屋根の下に様子を見にいった。
「……ジャン、大丈夫か?」
すると、ジャンはようやく顔をあげ、ゴットフリーに向かって言った。
「僕が行って、出て来れないように西の洞穴を閉じて来る。だから、戯れに蝙蝠たちを殺すの
は止めてくれ」
「……西の山まで?かなりの距離だぞ」
「いいんだ。だから……僕の体を拾っといて」
「……!!」
ふらりと傾いたジャンの体が、屋根の上から落ちてくる。ゴットフリーが叫んだ。
「タルクっ!ジャンを受けとめろ!!」
屋根から落ちてくるジャンを受けとめろって?タルクは、ジャンの落下地点に突進する。
そして、どさりという音とともに、ジャンを確保した。
「え……??」
一瞬、きょとんと目を見開くタルク。ゴットフリーがあせった様子で駆けて来る。
「タルク、ジャンは?!」
「……」
「おいっ、何をぼうっと突っ立ってる?!」
ゴットフリーに一喝されて、タルクはやっと現世にもどってきた。
「タルク!どうしたの!?」
何時の間にか蝙蝠たちの姿は、一匹残らず消え去っていた。おびただしく散らばった蝙蝠の
残骸に怯えながら、テーブルの下からやっと出られた天喜は、タルク抱えられたジャンを見て 驚きを隠せない。顔は蝋のように白かった。手はぶらんと垂れ下がり、全く生気を感じさせな い。
「ジャンはどうなっちゃったの?さっきまであんなに元気だったのに……」
「この島に入る前から、具合が悪かったんだが……でも……」
「でも、じゃないでしょ。ジャンを早く黒馬亭に運んで!」
ジャンの体が軽すぎたのだ。タルクとっては、子猫を抱く程度しか重さを感じない。
こいつは本当に何者なんだ?普通の人間ではない事は承知していたが、一山作ってしまう程
のバケモノじみた力、隊長の黒剣を白銀に変えた力……そして、異様なこの軽さ。俺はこいつ の素性を全く知らない。隊長もミッシェもその事については何も語ろうとはしないんだ。
天喜の後ろにミッシェが立っていた。ゴットフリーは解せない様子でミッシェに言う。
「おい、ジャンはどこへ行った?」
「……西の山へ」
「ならば、タルクが抱えているのは何だ?」
「あれは、抜殻。ジャンの心は今はいないの。でも、ちゃんと休ませてあげて。あの体が弱り過
ぎると、ジャンが戻れなくなる」
「戻れなくなる?あいつの心が体にか?」
ミッシェは、こくんとうなずいた。
「ジャンがひどく弱っていなければ、心と体を離すなんて絶対にやってはいけなかった……で
も、黒馬島が近づいてきたから……」
「そういえば、あいつは黒馬島に友達がいると言っていたな」
「そう……、ジャンに力をくれる大切な友達」
ゴットフリーは、事の成り行きが少しつかめたような気がした。ジャンの心が体から離れた…
…だから、黒馬亭で闇が現われた時、あいつの声が聞こえたのか。タルクに抱きかかえられ たジャンに目をやると、ゴットフリーは船にいた時、ミッシェにあえて聞くのを避けた質問を口に した。
「何故、船でジャンは熱を出した?あそこまで体調を崩した理由は何だ?」
「……」
「……ガルフ島に力を与えたから……海の藻屑になるはずの島を助けてしまったから……か」
「ジャンは自分の生きる力まで、ガルフ島に与えてしまった」
太陽が西へ傾き出した。今度は本当の夜がやってくるのだ。
小さく吐息をもらすと、ゴットフリーはタルクの元に歩いていった。天喜にせかされながら、タ
ルクはジャンを背負い、黒馬亭に向かうところだった。
「隊長、ひとまず、ジャンを黒馬亭に運びます」
タルクの脇に隠れながら、天喜が小さく声を出す。
「この島にはお医者さんはいないの。でも、私、看病くらいはできるから」
ゴットフリーに向けられた灰色の瞳に天喜はびくりと体をこわばらせる。だが、
「そうか……面倒かけるが、よろしく頼む」
一瞬、耳を疑いながら、天喜はぱっと頬を紅く染めた。
「は、はいっ。まかせて下さい!」
自然に言葉が口から踊り出た。心臓がばくばくと高鳴った。
「隊長はどうします?」
「少し用がある。黒馬亭で待っていろ」
どちらへ?とタルクに問われる前にゴットフリーは、足早にレストランを出て行ってしまった。
「私、お願いされちゃったわ。ちょっと嬉しい気分」
踊るような仕草で天喜はタルクの腕をちょんとつついた。
「そりゃそうだ。隊長にお願いされると俺でも張切る」
少しは隊長の良さをわかってくれたかと、タルクはうんうんと頷いた。だが、大破したレストラ
ンに目をやって、はっと伐折羅の事を思い出した。ゴットフリーに助けられて、震えていた伐折 羅の姿がない。
「天喜、伐折羅は何処だ?」
「伐折羅……?さっきまで、そこに立っていたのよ。先に黒馬亭に帰ったのかな」
天喜は少し解せない風だったが、動揺はしていない様子だった。良かった、天喜は多分、あ
れを見ていない……。タルクは、ほっと胸をなでおろした。
天喜には、絶対に見せたくない。
蝙蝠の血にまみれても、笑っている伐折羅。あの透き通った笑顔は……
あまりにも残酷すぎる……。
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