14.

 「おい、ジャン、生きているのか?」
 ジャンは、ゴットフリーの声で目をさました。薄ぼんやりと大地が見える。ジャンは不思議な感
覚で倒れたまま顔を上げた。
「かろうじて、少しの土地は残ったようだ。ガルフ島の住民は……誰も姿が見えないが……」
 ジャンが見渡したガルフ島は、一面の平原だった。火の玉山は見る影もない。家も商店も立
並んでいた木立までも、海に流されてしまったらしい。
「力をまったく感じない……これでは、ただの人間と同じだ……」
 ジャンは、自分の手足をしげしげと眺めた。
自分はガルフ島に消えたはずだ。それなのに何故まだ、ジャンのままなんだ?
そんなジャンをゴットフリーは、いぶかしげに見ていた。それに気づくと、ジャンは笑みを浮かべ
た。
「お前、よく無事だったな。」
「何かが俺を支えてくれたような気がする。よく思い出せないんだが……」
 と、ゴットフリーは考えこむように言う。
 霧花だな。
 軽く笑うと、ジャンは立ちあがろうと体を起こした。だが、力が入らない。
「無理に起きるな。大丈夫だ、レインボーヘブンへの道標はまだ、消えてはいない」
 ゴットフリーは、ジャンの横に立つと東の空を指差した。火の玉山で見た虹の道標はまだ、そ
こに輝いていた。
 レインボーヘブン……僕は力を使い果たしてしまった……そこに行って、何ができるというん
だ?大地をとりもどせない島に意味があるのか?

 ジャンは、ようやく体を起こすと座ったまま、虹の道標を見つめた。
 その時だった。東の空が夜明けのように輝き出したのは!そして、虹の道標を背にした天空
に白い影が浮かび上がった。
「お、おまえは!」
 ジャンは徐々に形を成して行くその影を見て、目を見張った。
「ア、アイアリス!」
 白い百合が天空全体に花開いたように、女神アイアリスは空に現れた。風になびく白銀の髪
は陽に輝き、七色の虹がその衣から透けて見え隠れしている。白い女神。アイアリスの青い瞳
だけが、唯一色をなしていた。
「なんだって、あれがアイアリス?レインボーヘブンの女神!」
 ゴットフリーは、信じられない面持ちで空を仰ぐ、すると、空から香るような美しい声が響いて
きた。

 “レインボーヘブンの礎よ、何故、封印を解いたのです?道標は示されたというのに”
 ジャンは、眩しげに空を仰ぐときっぱりと言った。
「レインボーヘブンの過ちを正す為に!」
 アイアリスは一瞬、黙り込んだ。
「何故、あなたは見殺しにした?住民以外の人々を?そして、何故、その記憶を僕ら、欠片の
中に残したんだ?」
 先ほどからジャンとアイアリスのやり取りを聞いていたゴットフリーがジャンを制止して言っ
た。
「よく事情がつかめんが、お前があの伝説のアイアリスというのなら、一つ聞きたい事がある」
 アイアリスは薄く笑みを浮かべると天空からゴットフリーを、見下ろした。
「何故、レインボーヘブンを消した?至福の島を守る為だと!島が消えた為に住民は散り散り
になり、生活を失った。あのサライの住民がレインボーヘブンの末裔というのなら、五百年たっ
た今でも、奴らは、流浪と民となって海をさまよっている。それが、女神と崇められたお前が選
んだ道だったのか?!」
 急に風が冷たくなった。アイアリスの青の瞳が悲しげに揺れた。
“ひどく不遜な事を言う……だが、確かに私は躊躇しました。レインボーヘブンを消した時、残し
た人々が海に沈む様を見て……そして、ほんの一瞬、欠片達を消す時を遅らせてしまったの
です。そのせいです、欠片達が彼らの事を覚えているのは”
「ふざけるな!お前が女神だとしても、物の命を好き勝手に奪う権利はない」
“だが、レインボーヘブンは病んでいました。私には責任があったのです。至福の地を守り続け
るという……”

 アイアリスの声は急に気弱になり始めた。
 ジャンは言った。
「女神アイアリス。あなたはおそらく、気付いていたに違いない。レインボーヘブンを消したの
は、間違いだったと……そして、願っていたのだ。レインボーヘブンが真の至福の島として生ま
れ変わる事を」
 アイアリスはジャンとゴットフリーを交互に見比べ、かすかに笑った。

“そこまで解っているのなら、私は話さなければならないでしょう……確かに五百年前、私は大
きな過ちを犯しました……あの至福の島、レインボーヘブンが侵略者達に汚される事が私に
は我慢ならなかったのです。レインボーヘブンの住民達はすぐれた技術を持っていました。だ
が、住民達は平和に慣れ過ぎ、彼らに抵抗する術を持たなかった”
 ゴットフリーが咎めるように言う。
「アイアリス、結局、お前は逃げたんだ。お前も女神というならば、困難を乗り越える術を住民
に教えるべきではなかったのか?」
 ゴットフリーの髪が紅く輝いた。普段は黒いゴットフリーの髪は陽光に照らされると紅に変わ
る。
“ゴットフリー、その紅い髪。それを見るにつけ私はつらくなる。お前は私が沈めた略奪者達も
同じ髪をしていた。お前は彼らの末裔……”
「なんだと?今、何と言った?」
 ゴットフリーとぎょっとしたように、空を見あげた。
“彼らの恐怖の叫びに耐えきれず、私はその大半を鼠に変えました。それならば、声も聞こえ
ず、また、人間でいるよりも身軽で生き長らえる確率も高かろうと……”
「それは……海の鬼灯!……何て事を!その鼠達は紅い邪気となって、今だ、この世をさまよ
っているぞ」

 あの紅い灯は大地を恨んでいる。見捨てられた自分たちを嘆いている。それゆえ、出会う全
ての物を破滅に導こうとする……。

 ジャンは思わず声を荒げた。
「今、解った。なぜ、僕が海を鬼灯に手を出せないか……それは、憐れみだ、奴等の悲愴な最
後の姿が僕の心に刻みつけられていたからだ」
 アイアリスは消え入りそうな声でなおも言葉を続けた。
“しかし、私は略奪者達を憎む反面、彼らの活力、団結力を羨ましく思っていたのです。もし、レ
インボーヘブンにあの力があったなら、どのような敵にも負ける事はないだろうと……だから、
残した。彼らの中から一房だけの人間を……その子孫を。やがて、蘇るレインボーヘブンを総
べる者として”

 ジャンは、傍にいるゴットフリーを無言で見遣った。
 僕がこいつに惹かれるのは、そういう訳か、それだから、霧花はゴットフリーに剣を渡したん
だ。その時、ゴットフリーの紅い髪が風になびいた。ジャンはその横顔を見すえ、はっと目を見
開く。
 紅い髪……ココの髪も燃えるような紅。そして、ゴットフリーに似ているロケットの写真……
 アイアリスは言った。
 “ゴットフリー、お前は私が選んだレインボーヘブンの王。だが、本性は海に沈んだ略奪者た
ちの長。それゆえ、あの剣はお前が持つと、悪の象徴である黒剣に変わるのです。黒剣は邪
気をその力で萎えさせる。だが、光ある領域では無力。お前がレインボーヘブンの王であるに
は、善と悪の二つの力が必要です」
「善と悪の力……?」
 ゴットフリーは、鋭い眼差しでアイアリスを睨めつけた。
“レインボーヘブンは至福の島。だが、それを守るには、時に闇の力が必要なのです。闇を従
え、闇に飲み込まれない力。だが、ゴットフリー、お前は一歩間違えれば闇の王となる。レイン
ボーヘブンを恐怖の島に変える王……。お前が望むのは幸福の島なのだろう?善の力はお
前を現世に留めてくれる。だから、お前は、お前の横にいる礎を連れ、彼の地に向かわねばな
りません”
「俺の本性は悪で、その礎は善だというのか?そして、ここにいるジャンがレインボーヘブンの
礎なのか?」
 ゴットフリーは苦笑すると、ジャンを指差した。ジャンは、きりとゴットフリーを見据えて言った。
「僕はレインボーヘブンの大地だ。アイアリスに隠された欠片の一つ。BWも霧花……いや、お
前にあの剣を渡した水蓮も、レインボーヘブンの欠片だったんだ」
 ゴットフリーは、しばらく声がだせなかった。だが……いきなり、絶叫した。
「ふざけるなっ!人の運命をもて遊びやがって!それが女神のする事かっ!」

 急に吹いてきた風はゴットフリーの言葉を遮るように吹きすさんだ。天空に広がったアイアリ
スの像が薄く陽炎いだした。
“虹の道標は、あなた達をもう導き始めている。あの虹はゴットフリー、お前が生きている限り
輝き続ける。お前が死ねば虹も消える。だから、生き急ぎなさい。あなたは生ある限りレインボ
ーヘブンを探す運命なのです“
 そして、アイアリスの姿は空の中へ吸い込まれるように薄くなった。
 ジャンは叫ぶように言った。
「消える前に教えてくれ。あなたは、ゴットフリーを王に選んだ。それなのに何故、伝説はレイン
ボーヘブンはその住民だけのものと伝えているんだ?」

 だが、すでにアイアリスの姿は空にはなく、その答えはかえってはこなかった。
ジャンとゴットフリーはしばらく言葉もなく、その場に立ち尽くした。
「強引なやり口に唖然とするぜ、あの女、相当なやり手だな。きっとあいつは伝説に残したくな
かったんだ。女神アイアリスの失敗を」
 ゴットフリーは吐き捨てるように言った。
 ジャンは、そのあまりの言いように思わず吹き出してしまった。
 女神アイアリスもこの男の前では普通の女か……だが、リリアの館にあった『アイアリス』あ
の本は真実を語っていた。女神アイアリスは己の良心の証として、唯一冊だけ真の伝説を残し
たんだ。

 ジャンは、ゴットフリーをまっすぐに見て言う。
「ゴットフリー、一つ聞いてもいいか?」
 妙にかしこまった口調のジャンにゴットフリーは怪訝そうな顔をした。
「お前は確か、幼い時に島主リリアに拾われたと言ってたな。その時、お前は一人だったの
か?」
「頭でもうったか?……この非常時に何を言い出す気だ?」
「全然、正気だ。大切な事なんだ。答えてくれ」
「馬鹿馬鹿しい!戯言を言うな」
  ゴットフリーは憮然としてそっぽを向いてしまった。ジャンは、その横顔を見すえ、口を噤む。
  紅い髪……ココと同じ……ココの父は海賊……ロケットの写真とゴットフリー、そして、その本
性は、悪……略奪者たちの長。どこかでつながっている……ココとゴットフリーは。

 その時、海岸の方から複数の人影が見えてきた。中の一人がゴットフリーを見つけ、大急ぎ
でこちらへやってくる。
「あれは……タルク!無事だったのか?」
 ゴットフリーは、タルクの姿を見て破顔した。タルクの後ろにも見知った警護隊の顔がある。
「隊長、よくご無事で……」
 ゴットフリーの元へ駈けよってきた、タルクは目に涙をいっぱいにためてゴットフリーに握手を
求めた。
「お前、よく生きていてくれたな!」
 ゴットフリーは強くその手を握りしめる。だが、次の瞬間、顔を曇らせ言葉を続けた。
「島主……リリアは……?」
 タルクは無言で首を横にふった。ゴットフリーは、そうか……と声にならない声でつぶやいた。
タルクは言った。
「隊長、住民も沢山生き残っています。早くみんなの前にいって、指揮をとって下さい。まだ、作
り直せますよ。この島は!」
 だが、ゴットフリーはタルクの肩を軽くたたくとこう言った。
「ガルフ島はお前に任す。俺はジャンとレインボーヘブンを探しにゆく。お前はお前のやり方で
この島を作ってゆけ」
「レインボーヘブン?伝説の至福の島に何故、隊長が?」
 ゴットフリーは、黙って東を指差した。七色の虹が空に弧を描いている。
「あれが呼んでいるんだ。レインボーヘブンを見つけたら、お前とみんなを呼んでやる。だか
ら、さっさと船を用意しろ!」
 タルクは狐に包まれたような顔をしている。そんなタルクにジャンは大声で言った。
「早くしろ!時間は限られてるんだ!」
 タルクは苦手なジャンに怒鳴られて、大慌てで仲間の方へ駈けて行った。

21
 「レインボーヘブン……なぜ、誰もがその地を求めるのだろう」
 ゴットフリーは、背後から声をかけてきたジャンの方を振りかえりもせず、黙って虹の道標を
見つめている。

 居場所が……そこにしかなかったから

 何気なく頭にに浮かんだその言葉にジャンは目を細める。ジャンは、破顔すると快活な声で
ゴットフリーの名を呼んだ。
「何だ?いきなり?」
 ゴットフリーは迷惑そうに、ジャンの方を振りかえる。
「知っているか?僕はレインボーヘブンの大地なんだ」
「どういう仕組みかわからんが、そうらしいな」
「気付いていたか?お前やみんなが憧れてやまないレインボーヘブンはこの僕だって事!」
 一瞬、言葉を切り、ゴットフリーはあからさまに嫌な顔をした。
「なる程、そう聞くと行く気が失せるな」
 ジャンは声をあげて笑った。
「心配するなよ。僕はレインボーヘブンの礎にすぎない。完全ではないんだよ」
 小馬鹿にしたような一瞥を送ると、ゴットフリーは知らぬ顔でタルクが走っていった方向へ歩
きだした。ジャンはその後姿を、見つめて思う。
 ゴットフリー、お前は自分の居場所を探しているのか?それがレインボーヘブンなのか?なら
ば、僕はなぜ、ここにいるのだろう……僕は何を探せばいいのだろう?

 “レインボーヘブンへの真の道標を見つけなさい。そして、一心にその道を進めばいい。あな
たはきっと、その過程で足りない箇所をおぎなってゆく”

 霧花が言った言葉、そして、何故、女神アリアリスが僕を人間の姿にしたか……今は、その
意味が少しわかるような気がする。
 人間になる前、僕はただ漠然と存在しているだけの自然だった。もちろん、自分の豊かさ、そ
の地に住む人や動物たちの満たされた心……それは知っていた。しかし、僕の中で暮らしてい
る一人一人の事なんて考えた事もなかった。
 だが、今は痛いほど伝わってくる……ココ、ゴットフリー、サライ村の人々……霧花、そしてB
W……それぞれの心の奥が。
 レインボーヘブン、万民が憧れる至福の島。それはきっと、人々の心の拠所なんだ。
 僕は、他の六つの欠片と共に、そんな人々の心を受け入れてあげたい……そして、至福と呼
ばれる島をゴットフリーに託したい。彼は女神アイアリスが選んだレインボーヘブンの王……
人々が間違った方向へ進まないための真の指導者なのだから。

 ジャンは、にこりと笑顔を見せるとゴットフリーの後を追うように歩きだした。
その時だった。
 白っぽい人影がぴょこんとジャンの横に飛び出してきた。
「ミッシェ!どこへ行ってた?」
 それは、BWとともに海に消えたミッシェだった。ジャンはミッシェの姿を見てくすりと笑う。
「ミッシェ、お前、少し大きくなったか?」
 そして、付けたすように言った。
「悪かったな。弟なんていって、ミッシェ、お前って女の子だったのか……」
 肩まで伸びた薄銀の髪、そして、こぼれおちそうな青い瞳……どこかで会った事があるような
……不思議な少女。
 ミッシェはジャンの手をそっと握った。ジャンの手がかすかに蒼くなる。ジャンは、はっと顔を
上げるとミッシェを見遣った。ジャンは破顔した。
 力が沸いてくる。まだ、僕の力は尽きてはいない。

 風は東から吹いていた。七色の虹は東に向かって光を伸ばす。ゴットフリー、ジャン、ミッシェ
を乗せた船は東をめざしガルフ島を出航した。心地の良い潮風をあびながら、ジャンは虹の果
てに思いを馳せる。

 「ミッシェ、ココは無事だろうか?僕らはいつか会えるのだろうか。そして、BWと霧花……他
の三つの欠片たちは何処へ行ってしまったのだろう……?
 ミッシェはにこりと微笑んだ。
「ココは大丈夫。レインボーヘブンへの虹の道標……あの子にもそれが見えるはずだから」
「それは、どういう事だ?」
「ココは王の半身、アイアリスが残した一房の選ばれし者」
 やはり、そうかとジャンはうなずく。
「だから、ココは蒼い石の封印をとく力をもっていたんだな」
そして……とジャンは、小さく息を吐く。
「兄妹か……、ゴットフリーとココは……」
 ミッシェは黙って、こくりと頷いた。

 その時、船の下からゴットフリーの怒鳴り声が聞こえてきた。
「お前、何でついてきた!?ガルフ島を任すと言ったのに!」
 ゴットフリーは、船にこっそり忍び込んでいたタルクを見つけたのだ。
「何で隊長を見たこともない海に、おまけにあんな得体の知れない奴と一緒に行かせられます
か?ガルフ島は他の隊員に任せました。私は、死ぬまで隊長についてゆきますよ」
「あきれた奴だ……」
 ゴットフリーは、ふっとため息をつくと破顔した。

 甲板にあがってきたゴットフリーと、恐縮したようにその後をついてくるタルクの姿を見てジャ
ンは、笑みをうかべた。
 船首は、虹の道標に向かって、まっすぐに穂先を向けている。

 僕らの願いはあの虹よりも果てしないのかもしれない。胸に秘めた思いは、どんな場所にも
癒せないのかもしれない。だが、僕らは作り出してゆく。亡くしたくない未来。僕らが見つめてい
る虹の道標はその位置をさし示しているのだから。

 ジャンは、ゴットフリーとタルク、そして、ミッシェの方を振りかえると大声で叫んだ。
「行こう!あの虹の向こうまで!」
 風は幾重にも連なって、ジャン達を乗せた船を後押しした。そして、海は大波を抑えながら船
の海路を造りはじめた。

 幸福の島、レインボーヘブンへ!



             第一部 「アイアリス」〜虹と闇の伝説〜   完

             第ニ部 「黒馬島奇談」に続きます









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