9.

 ココはジャン、ミッシェと共に通された、リリアの館の大広間でほぉっとため息をもらした。
「すごい豪華。それにあんなに天井が高い……」
 正門にいた警護隊は、ゴットフリーからの事前の連絡が行き届いていたとみえ、意外な程す
んなりと、三人を館の中に案内してくれた。
 大広間の中央には、ゆうに三十人は座れそうな大テーブルが置いてあった。そして、テーブ
ルの一番奥にある豪奢な造りの椅子の両肩には飛翔する鷹の装飾が施されていた。鷹はガ
ルフ島のシンボルであり、椅子の後ろに一面に貼られた赤いビロード地のカーテンにも、金糸
で鷹の刺繍がなされていた。
 ココ、ジャン、ミッシェは、その豪奢な椅子と正反対側の椅子を案内人に勧められ、ゴットフリ
ーが部屋に現れるのを待っていた。
「僕達、早く来すぎたようだね。ゴットフリーも時間くらい指定しろよな……」 
と、ジャン。
「あの派手な椅子が、ゴットフリーの椅子なんだわ。だって、一番偉そうな椅子だもん」
「しかし、こんなに小さな島の一島主の館にしては、豪華すぎる館だな」
「昔はね、ここの島も今みたいに水びたしではなくてお金持ちだったから。山を掘れば金や銀
が出たし、海からは魚や貝がいっぱい獲れたんだよ。だから、ガルフの人間は、働らかなくて
も楽な暮らしができたんだ……今は、もう金も掘り尽くしちゃって、何もないのにね」
「なるほど……この館は、島の昔の資産を切り崩して保たれてるってわけか」
 ジャンは納得したように、頷いた。
「よく似た話があるものだ、金や銀……。だが、レインボーヘブンのそれとは、桁がちがう……」
 隣で独り言のようにつぶやく、ジャンをココはいぶかしげに眺めた。
 ジャンがレインボーヘブンの大地?そんな事信じられる理由ないじゃない。あんなに大きいも
のがどうやったら、ジャンに化けられるのよ

 「ココ……」
 ジャンはココの気持ちを汲み取ったのか、優しく笑った。
「ココ、話を聞きたくはないか。かつて至福の島と呼ばれた場所、レインボーヘブンの」
 ココは、その時ジャンの瞳に黄金の光が走るのを見た。だが、それはココが目で追おうとす
ると、ほんの一瞬で消えてしまった。
「レインボーヘブンより、ジャンの話が聞きたい。ジャンは何処から来たの?それに、ジャンが
レインボーヘブンの大地だというなら、何故、今は人間の姿なの?」
「それは……」
 ジャンは、少し言葉をつまらせたが、思い直したように自分の生い立ちを語り出した。

 「旅に出る前、僕はね眠っていたんだ。それも、気が遠くなるほど長い時間を。そして、目覚
めたのは、やたらと草や木のはえた洞窟のような場所だった」
「眠っていたの?そんな場所で、たった一人で?」
「うん。自分の他には誰もいなかった。名前も歳も自分が何者かさえわからない。ただ、その薄
暗い場所に一筋差し込んでくる陽の光をたよりに僕は、外へ出てみたんだ。そしたら……」
「そしたら?」
「まぶしくて……とてもまぶしくて……今も忘れることができないよ、陽の光が一斉に僕にふり
注いできた時のあの感じ!」
 ミッシェがかすかに微笑んだ。
「体中に力がみなぎってくるっていうのかな。足元から、どくんどくんと心臓の鼓動のような音が
響いてきて……その時、僕は思い出したんだ。どこまでも続く緑の草原、豊かに色づく木々の
梢、そして、あの蓮の香……レインボーヘブン、僕はその自然を一身に担っていた」
「そんな事だけで自分がレインボーヘブンの大地だと思ったの?……信じられないわ」
 ジャンは笑う。
「だって、ココは自分が……人であることを疑った事があるのかい?そう、花は花……、水は
水であるように……万物は、生まれながらに自分の属する場所を知っている。それは、僕にと
っても同じだよ。僕は大地だ。至福の島、レインボーヘブンの」
 そんな難しい事をいわれても……
 納得ゆかないとココは、頬をふくらませた。
「でもね……」
と、ジャンは少し顔を曇らせる。
「何故、僕は、そんな場所にいたんだろう?僕の記憶は切れ切れで、思い出せない事が多過
ぎる。そして、何よりも僕をうろたえさせたのは……」
「うろたえさせた……ジャンを?」
「そう、何で、僕の姿が人間……なんだ?って事だよ」
 一瞬、ジャンは口をつぐみ、その答を探るようにココと目と目をかわす。

 「この体に慣れるのは、本当に大変だった。自分で手を動かしたり、歩いたり、そんなのって
初めてじゃないか」
 ココは半信半疑だが、知らず知らずのうちにジャンの話に夢中になっていた。
「それにね、歩こうとしても、ふらふらする……」
「永く眠っていたから?」
 首を振って、ジャンはくすりと笑った。
「お腹がすいてたんだよ。何か食べろったって、周りはごつごつした岩や雑草ばかりで食えそう
な物は何もなかった。僕の眠っていた島はあまり自然は豊かじゃなかった。果物でもなってい
ないかと探してはみたが、それも無駄だった」
 興味深々でジャンの顔を覗きこむココ。

 「仕方なく風が運んでくる賑やかな人々の声をたよりに、僕は町へ向った。そして、小さな商
店街を見つけたんだ。目の前の店には美味しそうな食べ物が山積みだったが、本当にその時
はどうしたらいいのかわからなかったんだよ。お腹がすくっていう感覚でさえも、僕にとっては初
めての経験だった」
「私だったら、林檎の一つもかっぱらって食っちゃうのに!」
 ココは思わず身を乗り出して言った。
「で、それから?」
 ジャンは笑う。
「あんまりお腹がすきすぎて、その場に僕は倒れてしまいました……」
「……やっぱりね。そんな事だろうと思った!」
「でも、それが僕があの老人、ジャン・アスランと出会うきっかけだったんだ」
「ジャン・アスラン!?ジャンと同じ名前?」 
「そう、同じ名前……でも、それは偶然なんかじゃない。僕はその老人の名前を自分の名にし
たのだから」

 寂れた商店町。その片隅でうずくまっている少年、それが僕だった。
頭がふらふらしてきて、目の前が真白だった。でも、その時、僕の肩をたたく人がいた。
「お前、腹がへってるんじゃろう?何か食わせてやるから、わしの店に来な」
 それが、アスラン老人だった。その老人は、商店街で古書店を開いていた。僕は彼に招かれ
るまま、かび臭い匂いのするその店に入っていったんだ。
 暖かい紅茶にサンドイッチ!店のテーブルにはまるで僕が来るのを知っていたかのように食
事の用意ができていた。
「お前は多分……」
 アスラン老人は、ただ微笑んで、サンドイッチにかじりつく僕を見つめていた。そして、食事が
終わるのを待ち構えていたかのように、僕の手をとった。
 その時、僕の手の中が蒼く輝き出した。老人は僕の手に小さな石を乗せたんだ。それは、手
の中が熱くなるほどの強い光を放っていた。
「やっと、出会えた……お前は大地、至福の島、レインボーヘブンの!」
 
この老人は僕の事を知っているのか?そして、待っていたって……この僕を?

 「お前、何者だ?何故、僕を知っているんだ?」
 皺の中に沈んでしまいそうな小さな瞳をうるませ老人は言った。
「わしは待っていたんじゃ。わしの家系に引き継がれた“アイアリスの命”を守るために……レ
インボーヘブンの大地と六つの欠片に……その“伝説”を伝えよ……わしの親父もそのまた親
父も、その命をひたすらに守ってきた」
「レインボーヘブンの大地と六つの欠片?“伝説”?」
「そう、女神アイアリスに守られた至福の島レインボーヘブン……」
 そして、アスラン老人は僕に話し始めた。何代もの時を経て、老人へと伝えられたレインボー
ヘブンの伝説を。


 至福の島、レインボーヘブン。その島は遥か昔、突然海に消えた……レインボーヘブンの守
護神アイアリスはその地を大地と六つの欠片に分け、力を封印したんじゃ。欠片たちは、散り
散りに別れ何処へか飛び去った……。
 だが、アイアリスは約束を残した。遥か未来、必ずレインボーヘブンを住民たちに返す約束
を。
 わしの家系はその住民の末裔だ。わしの先祖は島が消える前、女神アイアリスの天啓を受
けた。

 “欠片たちが長い眠りから目覚めた時、彼らはお前とお前の子孫の元を訪れるだろう。彼ら
に伝えよ。”レインボーヘブンの伝説“を。とりわけ、大地には守りの石を与えよ。大地はレイン
ボーヘブンの礎。大地が目覚めた時、欠片たちは彼の元へ集うであろう。レインボーヘブンは
また蘇る。隠された欠片たちが力をとりもどし、その血を受け継いだ住民たちが、再びその地
を訪れた時にまた、蘇る!”

 アスラン老人は、そこまで話すと僕の手の中の蒼く輝く石を見て言った。
「お前はレインボーヘブンの大地じゃ。女神アイアリスは大地の力を封印した上にさらに封印を
重ねた。大地の力は余りにも大きすぎ突然の目覚めは自然の理さえも壊しかねない。この石
は封印がとかれた時、大地の記憶と共に姿をかえる、その力を時には封じ、または開放しなが
ら。この石が蒼く輝いた。それは、お前がレインボーヘブンの大地である証拠……他の欠片で
は石は輝かない」
 「他の欠片……?僕の他にも欠片と呼ばれる者がここへ来たのか?」
 老人は、頷いた。
「彼らはどこにいる?!」
「行方はわからない。多分、探しているのじゃろう。レインボーヘブンの他の欠片と住民たちを」
「何故、ここに留めておいてくれなかった?!」
 僕の言葉に老人は遠い目をして笑った。
 「仕方なかろう?彼らに会ったのはわしの先祖だ。わしは、ただ伝え聞いただけ。何百年も前
の話として」

 レインボーヘブンが消えてから、膨大な時が過ぎていたのだ。僕は、それほど長い時間を眠
っていた。老人は言った。
「お前は、レインボーヘブンの六つの欠片とその住民を探さねばなるまい……なに、記憶が戻
るにつれ、それらは自然にお前の元に集まるだろう。だが、レインボーヘブンへの真の道標…
…それを探す術はわしにもわからない」
「真の道標?レインボーヘブンへの?」
「それは、記されている。口承ではなく、文字でしたためられたこの世で一冊だけの書、レイン
ボーヘブンの伝説“アイアリス”に。だが、その著者も行方も知るものは誰もいない……」

 話を終えると、ジャンは、深くため息をついた。
「わかったろ?だから、アスラン老人に出会ったこの時から僕はずっと流離うように旅を続けて
いるんだ。レインボーヘブンへの真の道標を探すために」

 ジャンとココは、しばし口をつぐんだ。ミッシェは二人の隣で退屈したのか、こくりこくりと寝息
をたてだした。
「老人の名前はジャン・アスラン。彼の父も祖父もあの古書店の主人はみんなその名を受け継
いでいた。だが、“ジャン・アスラン”の名を継ぐものは彼の後にはいなかった。彼は生涯一人
者だったからね。だから、僕は、この名前を自分の名にしたんだ。だってそうしておけば、どこ
かで他の欠片たちに出会った時、彼らは僕に気づくだろう?
 僕は、いつか必ずレインボーヘブンの真の道標を見つけ出す。そして、欠片たちと住民をあ
の幸福の島へ連れて行く!そうすれば、僕はレインボーヘブンの大地にもどれるんだ」

「そうか……だから、ジャンはサライ村の住民たちを見つけてあんなに喜んでたんだ……でも、
あの蒼い石がそんなに大事な物だったなんて……」
「あ、じゃあ、最初にジャンがゴットフリーと戦った時、蒼い石が輝いたって事は……?」
 ジャンは、意味ありげな笑みを浮かべてココを見つめる。
「そう。でもね、ココ……ココが警護隊に傷つけられたあの時、ココの“痛い”という言葉で、石
の封印は初めてとかれたんだ」
「それは、いったい、どういう意味?」
「僕にもよく、わからない……わかっているのは、石が僕が力を引き出し、石が輝く時に僕の力
は大きくなる……その始まりはあの時っだった……という事だけなんだ」
 沈黙するココ。ジャンは話を続けた。
「黒馬島……それが、僕が目覚めた島の名前だ。しばらくは、僕はそこを拠点に旅を続けてい
た。だが、旅の途中でアスラン老人が亡くなったと聞き、僕は急いで島に帰ろうとしたんだ。で
もね……どんなに探しても黒馬島には行きつくことは出来なかった……」
 ジャンは小さく息を吐く。
「消えてしまったんだ、レインボーヘブンと同じように……老人は僕が知っていた、たった一人
のレインボーヘブンの住民だったのに」
 ジャンの瞳の色が少し翳った……と、ココは思った。
「レインボーヘブンの場所を知りたいんだ。僕はなんとしても。だが、誰がそれを記した書“アイ
アリス”の在処を知っている?アイアリスに隠された他の欠片たちはどこにいる?僕にはわか
らないんだよ、どこで何をすべきかが……」

 こんな苦しそうなジャンを見るのは初めて……、ココは自分まで、悲しい気持ちになってき
た。しかし、それにはジャンとは違う理由があった。
 ジャンは前に私はレインボーヘブンの住民じゃないって言ってた。
 ココはそれが悲しかったのだ。
「ジャン……私は連れていってくれないの?レインボーヘブンに……」
 ココが突然、そんな事をいいだしたので、ジャンは驚きとまどった。
「ココ……」
 ジャンがアスラン老人から聞いたレインボーヘブンの伝説には、こうあった。

 レインボーヘブンはその血を受け継いだ住民のみに与えられる……。

「ココ……レインボーヘブンはその住民だけのものなんだ。ココは連れて行けない……」
 先程まで悪たれ口をきいていたココが、急にしゅんと首をうなだれてしまった。ジャンはココに
何と声をかければいいのか、その答えは見つかりそうにはなかった。
「ジャン……」
 目に涙をいっぱいにためてココがつぶやく。
「せっかく、ジャンと友達になれたのに……そして、ミッシェとも……」
 その時、眠っていたミッシェがはたと目を見開きつぶやいた。
「トモダチ……」
 ミッシェの背中のあたりが蒼く輝いている。
 封印がまた解かれる!
 ジャンは思わず顔をしかめた。ジャンの右腕までが、ぼうっと蒼く輝きだしたのだ。今、リリア
の館で封印がはずれるのはまずい。ジャンはまだ、封印がはずれた後の大きな力を制御する
事ができない。そして、悪い事に……
 その時、大広間の扉が突然開かれた。現れたのは、長剣使いタルクを伴にした全身黒ずく
めの警護隊隊長、ゴットフリー。
「ココ、早くミッシェをつれてこの部屋から出ろ!力が溢れ出す前に!」
 ジャンは有無をいわさず、ココとミッシェを後ろにあった扉の向こうへ押し出した。










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