7.
ゴッドパレス、それはガルフ島の経済、政治、文化の中心地。
早朝、その中央を縦断している大通りの露店には、魚、鶏、果物、野菜……ありとあらゆる
食材が所狭しと並べられ、店主と客の競の声が響き渡っていた。サライ村とはまるで違う活 気。静けさとはほとんど無縁な町、それが首都、ゴットパレスだった。
ジャン、ココ、ミッシェの三人はそのゴットパレスの大通りを歩いていた。ジャンは背に白い布
にくるんだゴットフリーの剣をかかえている。白い布の下からは、剣の柄が半分ほど飛び出して いた。しげしげと眺めながらココが言う。
「この剣、売り飛ばしたら高く売れるわよ。だって、柄の模様の細工だけでもすごいもん」
剣の柄には繊細な三連の蓮の花が彫りこまれてあった。
「きれいな細工……でも、ちょっとゴットフリーぽくないな……ギョロ目むいたドラゴンとか、とぐ
ろを巻いてる大蛇とか……あいつって、そういうイメージじゃん」
ジャンはただ、笑ってミッシェと一緒にココの前を歩いて行く。
「ねえ、ジャンったら、本気?本当に行くの?」
「行くよ。ゴットフリー直々のお招きだからね」
空は澄み切った青空で、風はやわらかに潮の香りを運んでいた。昨日の忌まわしい出来事
がなければ、まるで遠足に出かけるような三人。だが、行く先は、ガルフ島の住民に『禁忌の 城』と忌み嫌われている暴虐無人な島主リリア・フェルトの館なのだ。
「しかし、ここの住民は元気だな。昨日の水没で島の北東側の三分の一が消えたと聞いた。そ
れなのに落胆の欠片も感じさせない」
露店の天井からぶら下げられ皮をむかれた獣の姿に、ジャンは苦笑いをする。
「馬鹿なだけよ。ガルフ島は、サライ村の住民以外はみんな島の事なんて考えもしない。自分
だけがよけりゃいいの!でも、心の中ではいつもびくびくと怯えてるんだわ」
軽蔑したようにいうと、ココは通り過ぎざま、露店の林檎を一つ、二つとポケットにつめこんで
ゆく。そして、悪びれる様子もなくそれをミッシェに差し出した。
「はい、あげる」
何のためらいもなく受け取ると、ミッシェは林檎にがりりとかじりついた。ココは満足げにその
様子を見ている。
「お前らなーー盗んだ物をそんなに美味しく食うなよ」
苦笑するジャン。だが、
ココとミッシェは以外と気が合うかもしれない
と、ジャンはほくそえんだ。
「それにしても随分厳重な警備だな」
露店のあちらこちらに剣を携えた警護隊の姿があった。その中には、ジャンが昨日ゴットフリ
ーと戦った際にいた連中もいた。
「だって、前ぶれもなく島が崩れ落ちたんだもの。……それに、ゴットフリーがあんな風に血ま
みれにされちゃあね」
「あのゴットフリーを追ってきた光は……」
ジャンの問いに、ココは顔を曇らせた。
「あれは、見た事がある光。あの濁った紅い色は……」
「海の鬼灯?」
ココは、ジャンと目線を合わすと無言で頷いた。
「でも、近くで見たのは初めて。それに、あんな風に人を襲うなんて考えもしなかった」
やがて、ジャン、ココ、ミッシェの三人は大通りの外れまでやって来た。露店は急に数を減ら
し、見られるのは馬具等を扱う古びた店の何軒かだけだった。
急に風が冷たくなった気がした。ああ、風の色が変わったなと、ジャンは口の中でつぶやい
た。
ココは何気なく、店頭にいた商人に目をやった。そのとたん、ジャンの手を引っ張って言う。
「ジャン、走ろうか?この辺りは私の庭みたいなもの。島主の屋敷まで行けるいい抜け道を知
ってるんだ」
「別にこのまま歩いていってもどうって事ないさ」
「私は、どうって事あるのよ!」
その時、馬具店の主人がココの方を見て叫んだ。
「お前はサライ村のココ!待て!このあいだ、盗んだ店の上がりを返せっ!!」
ココは有無をいわさず、ジャンとミッシェの手をひっぱると走りだす。そして、通りの最後の露
店の角で
「こっち!」
と、いきなり方向を変えた。
露店の裏には入り組んだ居住地が広がり、それらは島主リリアの『禁忌の館』まで複雑な路
地の線を描きながら続いている。ココはその中をコマネズミのように走ってゆく。
「なるほど、そう言う理由か……」
笑いながらジャンはココを追った。ジャンでさえ油断していると、ココを見失いそうだった。
「あれ?ミッシェは?ついてきてる?」
ミッシェの姿が見えない。不安げにココは後ろを振り返ったが、ジャンは平然と前を指差し
た。
「先を走ってる」
ミッシェはココを追い越し、一ブロック先の路地からココとジャンを手招きしていた。ココはきょ
とんと目を見開く。
「道、知らないでしょ。あの子!なんで前にいるのよ?!」
「どうやら、ココに同調(シンクロ)してしまったようだよ。ミッシェにはココの気持ちがわかるん
だ」
ミッシェとココを見比べるように交互に見つめ、ジャンはくすりと笑った。
ミッシェが、たどり着いた先は煉瓦造りの古びた倉庫だった。そして、その倉庫のすぐ後ろに
島主リリアの館がそびえ建っていた。中世の城のような豪奢な造りの白亜の館と、いまにも崩 れそうな煉瓦の倉庫はおそろしく対照的だった。倉庫の前には、男達が数人いて、何やら作業 中のようだった。
ミッシェの後を追ってココとジャンが倉庫の近くまでやってくると、男達の中の一人が三人に
気付いた。
「おい!?いったい何事だ?」
驚いたように大股に歩みよってきた男。それは、昨日会ったばかりのラガーだった。
「島主の館にゆくの。ここを通っていいでしょ。大通りはちょっとヤバいんだ」
「何?!何でまた、リリアの館なんかに!」
「ゴットフリーに招かれて……」
ラガーは心底驚いた様子だった。
「お前ら……いったい何をした?こ、殺されるぞ。もしかしたら、ゴットフリーと戦ったあの件で
か?」
すると、ココの横にいたジャンが二人の会話に割って入ってきた。
「心配いらないよ。あいつは僕に話があるんだ。だから、すぐには殺しやしない」
「しかし……」
その時、ココが倉庫の裏手に向かって指をさした。
「ジャン、ミッシェが呼んでる!」
ミッシェは、倉庫の裏手の雑木林の中で何かを見つけたように地面を見つめていた。藪の後
ろにはリリアの館の壁が高くそびえている。
「ミッシェ、どうしたんだ?」
ミッシェの近くまで来て、ジャンははっと硬い表情をした。その場にかがみ込み、手を地面に
あてがう。
この場所には、力がない……地の繋がりがとけかかって……
急に顔を上げると、ラガーに向かって大声で叫ぶ。
「この下を掘ったな!?」
「な、何を言う!な、何でそんな事が……」
明らかにラガーは動揺していた。そして、必死でそれを隠そうと自らの感情を制していた。
「隠している場合か!誰か下にいるなら早く逃がすんだ!」
「何!」
「崩れるぞ、お前たちが作っているトンネルは!」
ラガーは一瞬、どうしていいのかわらかない表情をした。だが、この時のジャンの言葉は絶対
の響きをもっていた。ラガーは大急ぎで倉庫の中に駈け込み、ジャンとココもその後に続いた。
「中の奴らを早く出せ!トンネルが崩れるぞ!」
倉庫の中で作業していた男たちが一斉に顔をあげる。男たちは倉庫の奥からこっそり掘って
いるトンネルからの土砂を運びだしている途中だった。
こんな場所でトンネルを掘っていたなんて……
この倉庫は、作業場とサライ村の男たちの宿を兼ねていた。……が、何度も倉庫で寝泊まりし
た事のあるココでさえ、その事実には気付いていなかった。なぜなら、トンネルの入口は普段、 ココも使った覚えのある真鍮のベッドで巧妙に隠されていたのだ。
「トンネルが崩れるだって!?」
「早く、みんなを出すんだ!」
ラガーが大声で叫んだ、その時、トンネルの入り口から砂煙があがった。
「いかん!崩れる!」
ラガーと倉庫にいた男たちは悲痛な叫びをあげた。トンネル内では仲間が数名、作業を続け
ている。その時、がらがらという鈍い音が倉庫の床下から沸きあがってきた。
「だめだ、間に合わない!」
だが、ジャンはその時、ためらいもなしにトンネルの中へ飛びこんでいった。
「お前っ!危ない!」
ラガーの言葉は崩れ出したトンネルの音でかき消された。
ジャンの上に崩れた瓦礫が雨のように降ってくる。だが、ジャンは、動じない様子で両の腕を
前に伸ばした。手を開き空気をつかみとるように拳をぎゅっとにぎりしめる。
ジャンは目を閉じ、そして、叫んだ。
「女神アイアリスの名のもとに、大地の源よ、蘇れ!」
地が揺れた。ジャンの言葉に呼応するように。そして、崩れ、おびただしく降り積もった瓦礫
が急速にビデオテープをまき戻すように帰ってゆく。
元の位置へ……元の位置へ……
トンネルの先が見えてきた時、ジャンはにこと笑みを浮かべた。
トンネルは何ごともなかったかのように、掘られたままの形態を保っていた。奥への視界を遮
る物は何もない。
放心したように、宙を見つめる。やがて、視界に砂にまみれた男たちの姿が入ってきた。ど
の男も何が起こったのか理解しかねて、きょとんとした目をしていた。
「やあ、無事で何より」
ジャンはほっと、安堵の息を吐いた。
その頃、トンネルの上の倉庫では、ラガーたちがミッシェの姿に目を見張っていた。輝いてい
たのだ、白銀に!
ココはその光に身覚えがあった。あの時は蒼の光だった。でも、眩しくて目を開けていられない
ほどの光……それは、ジャンがゴットフリーと戦った時、地面が隆起し山ができた……その 時、ジャンの全身を被っていた、あの光と同じだった。
「な、なんだ!この子供は?」
ミッシェの白銀の光は、みるみるうちに強くなる。目をあけて見ていると体の中まで白に染ま
りそうな……なにかこの世を超越した神秘な光。だが、倉庫の中は光があふれ、ココたちはお 互いの姿すら確認できない。
「眩し過ぎる、それに熱い!」
光の塊と化したミッシェは、今や体中から熱風を吹き出していた。
「ミッシェ、止めて!体が溶けてしまう!」
ココはあまりの熱気に両手で顔をかかえ、その場に座り込んでしまった。
「ラガーたちは何処にいるの?そして、ジャンは?」
その時だった。
「抑えろ、ミッシェ!みんなを殺す気か!」
それは、地の底から轟くような荘厳な声だった。ココはその声にも肝を冷やした。だが、声に
ヒーターのスィッチを切られたように、倉庫の熱気は一瞬にして消えうせた。
無表情でミッシェは立っていた。前方から息をきらして、現れたジャンを見つめながら。
「お前たちっ、無事だったのか!」
ラガーが叫んだ。
「トンネルが急に崩れ出したんだ、でも、白銀の光が見えて……そうしたら、瓦礫が持ちあが
って……この子が立ってた。わけがわからん」
トンネル内で作業をしていた男の一人は、まだ、狐に化かされたような顔をしている。男は頭
から足元まで砂まみれだった。
「良かった。誰も怪我はしていねぇか?」
ラガーがほっとした様子で、トンネルから出てきた仲間を見遣った。だが、
「おい、お前、大丈夫か?」
ラガーはジャンの姿を見て、眉をひそめた。ジャンは、はあはあと苦しそうに呼吸もままなら
ない様子だった。そして、一人では立つことも出来ないらしく、両脇をトンネル内にいた男たち にささえられていた。
ジャンは苦しそうに、ミッシェを呼んだ。無表情でジャンの元に駆け寄ってくる。
「お前、飛ばし過ぎ。僕はまだ、あんな大きな力にはついてゆけないよ……」
そして、ジャンは心配そうにジャンを見つめているココを見つけると、にこと笑った。
「ジャン、大丈夫?」
「ちょっと、疲れただけ。すぐに元気になるから心配しないで」
「ジャン、ゴットフリーに会いに行ける?」
「全然、大丈夫」
こいつは……こいつらはいったい、何者なんだ?だが、少なくとも敵ではない……ラガーはジ
ャンの様子を遠巻きに見ていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「リリアの舘に行くなら、この倉庫の裏を通っていきな。ココが案内してくれる」
「ありがとう」
ジャンは破顔した。
倉庫の裏口を出る時、ラガーはジャンに手をさしだした。
「幸運を祈ってる。また、お前には手伝って貰うことがあるかもしれない」
ジャンは意味心な笑いをして、ラガーが差し出した手をぎゅっと握りかえした。
「だが、気をつけろ。島主リリアは……完全に正気を失ってる。ゴットフリーは、リリアには 絶対
逆らわねえ。リリアが殺せといえば、お前らだって、即、殺されるぞ」
「島主が正気を失ってる?確か前にもそう言ってたな」
ジャンは、いぶかしげにラガーを見やった。
「海の鬼灯が現れてから、リリアは狂っちまったって噂だぜ。確かにあれが来てから、ガルフ島
は水に沈みだしたんだからな」
「……そうか、そういえば、リリアの命令でゴットフリーはサライ村の住民を処刑していると…
…」
ジャンは傍らにいるココにそっと目をやった。ココは口惜しそうに口を歪める。
「そうよ。島主リリアにとって、サライの住民は海の鬼灯を鎮めるための……生贄みたいなもの
なのよ」
長い沈黙があった。それを破ったのはラガーだった。
「ジャン、リリアの館に行くにしても、ゴットフリーには絶対手を出すな。かつて俺は奴に刃を向
けた。殺してやりたかった……だがな、手を出すどころじゃなかった。一撃で、終わりさ。この頬 の傷はその時、ゴットフリーにつけれらたものだ」
ラガーは自分の頬の傷に手をやった。
「しかしな、その時ゴットフリーは俺を殺さなかった。何故だと思う?俺に利用価値があったから
さ。罪を許す代償に俺は生涯リリアの為に働く羽目になっちまった。ゴットフリーは剣の腕だけ じゃなく、えらく頭の切れる奴だ。あいつは一瞬にして、自分に一番有利な取引を探り当てる… …お前の強さは知っている……だが、油断はするな」
「まあ、一応は聞いておくけど……ついやっちまうかもなあ……」
と、ジャンは笑った。
三人が去った後、サライ村の男たちは、不思議そうな面持ちでお互いを見やった。
「いったい、何だったんだ?何物なんだ、あいつらは?」
ラガーは、周囲の仲間たちの顔を一通り見渡すと、苦笑いをしてつぶやいた。
「奴らは、バケモノか?……いや、それにしては人懐っこすぎるな……」
しばらく、雑木林を歩いて行くと、壁の向こうには、リリアの館の正門が見えてきた。
ミッシェは相変わらず、マイペースでココとジャンの先を歩いてゆく。
正門の奥にそびえ立つリリアの館は、四方を隔壁に囲まれ、窓という窓全部が繊細な模様の
窓枠で覆われていた。それは、遠目で見ると鉄格子のようにも思われて、美しい反面、牢獄の ような雰囲気さえ醸し出していた。そして、館の壁はまるで昨日造られたかのように完璧に白 く、ジャンは妙な違和感を感じざるをえなかった。
壁を毎日、みがいてでもいるのか。なぜ、この館はここまで汚れがない?
建物とは、年月と共に朽ちゆくもの、そして、歴史を語るもの……だが、この館からは、何も
感じはしない。完全な沈黙……この館は無機質すぎる。
ジャンは、しばらくの間、考え込むように館を眺めていた。すると、
「ジャン?」
ココがジャンの顔を覗き込んできた。もう、慣れてしまった……だが、ジャンが黙りこんでしま
うと、ココはどうしても不安になる。
「あ、ごめん。さあ、行こう」
ジャンとココはミッシェを追って、正門に向かって歩き出した。門の内側と外側の双方には警
護隊が一人ずつ配備されていた。
ごくんと唾を飲み込むと意を決したようにココが言う。
「ジャン、この館に入る前に……どうしても聞きたい事があるの」
「何?急に?」
「あのね……ジャンとミッシェって……人間?」
あまりにココの質問が唐突すぎて、ジャンはその場で思い切り吹き出してしまった。
「もちろん、人間だよ。決まってるだろ……」
「嘘つき!なんで、人間が剣の刃を握れるのよ。山を造るのよ!あんな風に蒼く燃えるのよ」
「嘘って……」
やれやれと首をすくめる。言い訳するのも面倒くさくなってきた。
「あー、!そうそう、僕たちは人間じゃないよ。ご名答!」
え……人間じゃないの?本当に?
ジャンがごまかしても、なんとか秘密を聞き出してやろうと思っていたのに…………。ココは
おずおずと言った。
「やっぱり……バケモノなの?」
ジャンは笑い転げたいのをぐっと我慢した。
「少なくともバケモノの類ではないと思うよ。いうなれば、僕は自然のもの……山や大地、そうい
ったものなんだ」
ジャンはふと、前方で立ち止まって二人を見つめているミッシェに目をやる。くるんと向きを変
えるとその場に座り込んでしまった。
「そして、僕は遠い昔に僕の懐の中で幸せに暮らしていた住民たちを探しにきた……」
「それって?まさか……」
ココは信じられない気持ちで、自分の目の前の快活そうな少年の姿をもう一度、見直した。
「レインボーへブン」
ジャンはこくんと頷いた。
「そう。嘘も偽りもなく、僕はレインボーヘブンの大地そのものなんだよ」
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