6.
ジャンたちが、フレアおばさんの店にいたちょうどその頃、館を出たゴットフリーは、馬を飛ば
し、再びサライ村にやって来ていた。だが、サライ村の蓮池を目の前に、呆然と立ち尽くした。
「なんだ?この光の乱舞は?!」
サライ村の蓮池から立ち上る光の粉をゴットフリーは幾度となく目にしていた。ジャンには見
え、ココには見えなかった光……そして、そのおだやかな黄金の色を見ていると、なぜか懐か しさがこみあげてきた。島主リリアの凶行に疲れた事もあったが、ゴットフリーは、ジャンに敗れ た事がまだ信じられなかった。その悔しさを癒したい気持ちもあった。
だが、この場所を頻繁に訪れるのには別の理由がある。
首都ゴットパレスには、ゴットフリーいや……島主リリアに取り入って私服を肥やそうとする連
中が大勢いた。密閉された狭い世界でのくだらない勢力争い。だが、リリアが凶行に走りだす と、彼らは手のひらを裏返したかのように身をひいた。中にはクーデターまがいに、リリアやゴ ットフリーの命をねらう者もいた。そんな連中を有無をいわさず斬り捨てると、今度は一転して 忠実な家来になるという。それが馬鹿馬鹿しくてたまらなかった。
まだ、警護隊の連中は活気があっていいのだが……。
そんな思いにかられた時、この男は決まってこの場所にやってきた。
“あなたはガルフ島を出たいのではないですか?”
BWが行った言葉を思い出し、苦い笑いを浮かべる。そして、突然消えてしまった、あの娘の
事……。
「光が荒れ狂っている……こんな光景は初めて見た」
その時だった。ゴットフリーは頬にちくりと、にぶい痛みを感じたのだ。頬からは一筋の血が
流れていた。そして、次の瞬間、
蓮池の黄金の光はその血のような紅の光に突然飲みこまれた!
「これは、この紅い灯は……」
無数の紅い光の帯が襲いかかってくる!
「海の鬼灯!!」
小さく吠えると、ゴットフリーは腰の剣を抜いてそれを一気に切断した。光は幾重にも分散し、
どっどっと、いくつかの鈍い手応えが剣に伝わる。そして、光と同色の血の玉がぼたりぼたりと 地面に落ちた。
やはり、鈍いな……この剣では
ジャンとの戦いで、ゴットフリーは愛剣を失っていた。だが、それを悔やむ間もなく蓮池の向こ
うから紅い光の帯の第二波がやってきた。先程より数段、数をましている。
本当にこれは海の鬼灯か?ならば、何故、海を離れた?日食にはまだ日があるというのに
……
日食の日、火の玉山には邪気が集まる。海の鬼灯は邪気だ。確かにあの紅い灯は見た者
の心を不安にさせる。だが、日食の一時を越してしまえば、恐れる事は何もない。彼はそう理 解していた。だが……この紅い灯は……
海の鬼灯ではないのか!?
ゴットフリーは、剣を盾に身を守ったが、紅い灯の帯が通り過ぎた後、激痛に口元を歪めた。
まるでかまいたちの嵐の中にいるように、手足にはいつくもの裂傷ができ、そこからは血が吹 き出していた。
やがて、それらは、頭の上で円を描き出した。ヒューヒューと悲鳴のような音をたて、光りの帯
は次第にその輪を広げてゆく。そして、その中から一筋ずつ順番を待つように、獲物めがけて 降り注いできた。
こいつら、俺を切り刻むのを楽しんでやがる!!
次の瞬間、ゴットフリーは、苦痛に叫び声をあげた。
紅い灯は、一度、切り刻んだ傷口をなめるように、やってくるのだ。そして、さらに深く深く切り
刻もうと……
これでは、きりがない……すぐに光の第三波がやってくる!!
ふと、足元を見つめ、思わず自分の目を疑う。
これは、鼠!?
無残に切り刻まれ地面に落ちた鼠の死骸。
そういえば、あの小僧と戦った時にも鼠が……
自分を襲う光の帯はおびただしい数の鼠なのだろうか?しかし、それを確かめる間もなく、第
三波が目前にやってきた。ゴットフリーは、剣を身構えた。
このままでは、体中を切り刻まれるぞ!
苦笑して襲いくる光の波を見つめる。
すると……蓮池の向こうであの美しい黄金の光がゴットフリーを呼ぶように、乱舞しているの
だ。
こちらへ来い……そういっているのか。
自分の感覚を疑う間はない!ゴットフリーは、黄金の光の方へ駆け出した。
「私、行かなきゃ!」
フレアおばさんの店で食事の後片付けをしていた霧花は、窓の外を見て急に手を止めた。
ラガーはゴットパレスへ戻り、店に姿はない。ミッシェは疲れたようで、店の隅の椅子で眠りこ
んでいた。
「霧花、どうしたんだい?」
驚くフレアおばさんの横を無言で通り過ぎ、霧花は、出口の扉を開けた。
「あっ!」
ジャンは、その瞬間、思わず目をそむけた。外が眩しすぎたのだ。しかも、おぞましく赤く。
霧花は、その光の中へ駆け出していった。
「ジャン……どうしたの?」
ジャンの様子のおかしいことに気付いたココは、心配そうにジャンの顔を覗きこんだ。なぜな
ら、ココやフレアおばさんには、外はただの暗闇にしか見えていなかったから。
「霧花、あの子は?!」
ジャンはココを振りきって店の外に飛び出した。だが、霧花の姿はどこにもなかった。
夜に溶けてしまった……
呆然として、ジャンは赤い闇を見つめていた。
ゴットフリーは、ただ走っていた。自分が好んだ黄金の光を追って。不思議と紅い光の帯は、
何か見えない壁に遮られているかのようにゴットフリーを捕まえられない。
後ろを振り向くと、紅い灯はそれでも長い帯となり、すがりつくように追ってくる。
ゴットフリーの切り刻まれた体のあちこちから、血がしたたりおちている。
まずいな。目がかすんできやがった……前が……見えない……
足を止め、ふらりと倒れそうになった。だが、その時、彼が追っていた黄金の光がふっと全て
消えてしまったのだ。
漆黒の闇……
だが、闇の中でただ一つだけ輝く光が見えるのだ。それは、ゴットフリーの弱った視界に、太
陽光のように明るく飛びこんできた。
ありがたい。家の灯が見える!
相当な傷を負ってこれ以上駈け続けるのはさすがにきつかった。だが、海岸沿いの一番端
にぽつんと建っている家を見つけ、生気がもどってきた。
ゴットフリーは、家の灯に向かって再び駆け出した。
ガルフ島、北東の半島。
“BW、BW……何処!?”
闇の中の声に呼ばれ、緑の髪の男はうずくまりながら夜空を見上げた。右の手からは血がこ
ぼれ出している。
「……今日は、私の誕生日ですか?あなたが一日にニ度も私に会いにきてくれるなんて……」
“BW、その手は?”
問われてBWは、引きつった笑いをもらす。
「何、指を食いちぎられただけですよ……あの紅い灯に……あれはもう私の手にはおえません
……それより、どうかしましたか?」
“すぐに行って!あの灯はゴットフリーにまで刃を向けた”
「何ですって!!何処です、彼は?」
“私がフレアおばさんの店に逃がしました。でも、急いで!彼はひどい傷を負っている”
BWは焦った様子で立ちあがった。
“BW、あなたの傷は?”
「指は直に再生します。私の事は気にしないで!」
その時、半島の中腹からおびただしい数の紅い灯が花火のように飛び出してきた。
次の瞬間、半島の半分がずるりと海に滑り落ちた。BWは、突然、起こった凄まじい揺れに
地面しがみつくようにうずくまった。
大轟音と共に半島が崩れ落ちたのだ。
「この暴走はもう止められない。私はゴットフリーの元へ行く!」
BWはそう叫ぶと、崩れ落ちた半島の間をすり抜ける様に、海へ飛びこんだ。
「ねえねえ、ミッシェは何歳?今までどこにいたの?お兄さんのジャンを追ってきたの?」
フレアおばさんの店では、ココが目を覚ましたミッシェを質問攻めにしていた。しかし、ミッシェ
は無表情に知らない、わからないを連発するだけだった。
「この子、つまんない。ジャンの弟って超無口」
ココは不満げにジャンを見やる。軽く笑って二人の様子を眺めていたが、ジャンの心からは
先程の赤い光と霧花の事が離れなかった。
何かが起こっている。とても不吉な何かが……
フレアおばさんは、霧花が残していった仕事を不満げにかたしていた。
すると、突然、店のドアが大きく開かれた。
「お、お前はっ!」
店にいた全員が我が目を疑った。開け放たれたドアに転がりこんできた男。それは、全身を
血に染め、息をきらしたゴットフリーだったのだ!
「ドアを閉めろ!!早く!」
ゴットフリーは、店に入るや否や大声で叫んだ。後方から紅い光が追ってくる。ココはゴットフ
リーの姿の惨さに震えて足が動かない。
咄嗟にドアに飛びついたジャン。だが、ドアを閉めたその瞬間、一筋の紅い光の帯が店の中
に入りこんだ。
おぞましい血の紅光!
それは、まっすぐココに向けて進んでいった。
「あれを止めろ!切り刻まれるぞ!」
叫ぶゴットフリー。
「こっちへ来い!ココ!」
ジャンは、ココをかばって光の前へ立ちはだかった。しかし……光の帯にをいとも簡単に突き
飛ばされ、いやというほど強く床にたたきつけられた。
どうしてだ?力がでない……
額に汗が流れた。今だかつて一度もなかった経験にジャンは狼狽した。そうしているうちに
も、光の帯はココを襲う。
「その剣をよこせっ!」
ミッシェの横にあった自分の愛剣を見つけ、ゴットフリーは、もぎ取るようにそれを手にとっ
た。
すると……店の空気が一転した。
圧倒的な力、抗う術のない力が……
広がってゆく。
ジャンまでが一瞬、体をこわばらせた。人を怯えさせる力……だが、この力の下にいれば災
いから逃れられる……そんな絶対の信頼感。
そして、その剣をふるうまでもなく、紅い光の帯は……消滅した。空気の重みに押しつぶされ
たように。
「これは、俺の黒剣だな」
勝ち誇ったように己の剣を見つめると、ゴットフリーは、床に倒れているジャンに向かって笑
みを浮かべた。あの白銀に変わってしまった剣……
だが、ゴットフリーがこの時、手にしていた剣は……再び黒く輝いていたのだ。
ジャンはふっと溜め息を吐くと、疲れたしぐさで立ち上がった。ジャンとゴットフリーは暫し目と
目をあわせ、にらみ合う。
まずいよ、この雰囲気……
今にも始まりそうな戦いの予感に、ココの心臓は高鳴った。だが……
「手当、手当!」
救急箱をかついだフレアおばさんが、絶妙のタイミングで入ってきた。
虚をつかれたようにジャンから視線をはずし、フレアおばさんを見据える鋭く冷え切った灰色
の瞳。
残酷無比なガルフ島警護隊の隊長、島主リリアの一人息子。 フレアおばさんとて、ゴットフリ
ーを知らぬわけではない。
怖い……この瞳は、とても怖い……。
背筋にひやりとしたものを感じながらも、目の前にいる全身血まみれの若者を捨ておく事…
…それは、フレアおばさんにはできなかった。
「……警護隊長、ここに座って」
「別にいい。さわるな」
ゴットフリーは、そっけなく答える。
「だめ!とにかく止血だけでもしとかなきゃ」
フレアおばさんは、ゴットフリーの腕をぐいとひいた。
「よせっ、傷よりお前の力の方がよほど痛い!」
思わず顔をしかめ、ゴットフリーは憮然として言い放つ。フレアおばさんはその様子を見て少
し表情を和らげた。
ゴットフリー警護隊長……思ったより子供っぽい……
再び、ゴットフリーに手を伸ばしたその時だった。
「そんな奴、放っとけばいいんだ!」
ココが吐きすてるように言った。白い頬が紅潮している。
「そいつが、ゴメスさんを殺して、家まで焼いたんだ!ゴメスさんの他にも何人も何人も殺した
……このサライ村の人たちを!」
ゴットフリーはしばらく沈黙して、くすりと笑った。
「お前、BWが養ってる娘だな?いつも宿営地で騒ぎを起こす」
「養われてなんかないよ!BWからは一銭だってもらってない!」
「偉そうにいえる立場か? BWが嘆いていたぞ。盗み、食い逃げ…… 金を受け取らずに、ゴッ
トパレスで、悪さばかりしていると……」
ふとココの胸元の銀のロケットに目をやり、ゆっくりとした仕草でロケットに手を伸ばす。
「ほう、高価そうな物をしているじゃないか?これもゴットパレスで盗んだきたのか?」
「これに触るな!それに私のした事なんて、島主リリアに比べたら……あいつの命令でお前
は、みんなを処刑してるんだろう?あの狂った婆あのいいなりになって!」
そう言い放った瞬間、ココの体は宙に浮いていた。その弾みでココの首の鎖から、銀のロケ
ットがひきちぎられ、床に飛ばされる。
凍りつくような怒気が店中にあふれていた。そして、ゴットフリーの血まみれの腕がココの胸
倉をつかみあげていた。
「それ以上、島主を愚弄してみろ……そのいらぬ口、脳天から引き裂いてやる……」
ゴットフリーの声は怒りで震えていた。凍りついた灰色の瞳がココを睨めつける。だが……
「何度だって言ってやる、あの婆あは人殺しだ!」
ココはゴットフリーを恐れる素振りも見せない。
「お前は……」
ココを床に降ろすと、ゴットフリーは黒剣を手にとった。
いけない!奴は本気だ
ジャンが、ココを助けようと身を乗り出した時、
ドオドドドドドドドンンンンン!!!
地の底から響くような轟音が轟き、店は大揺れに揺れた。壁が軋み、棚からは酒ビンや食器
がガラガラと落ちてきた。誰も立ってはいられないほどの揺れ。フレアおばさんは、救急箱をか かえたまま机の下にうつぶせ、ジャンはゴットフリーとココと共に床に倒れた。
そして……揺れが少し収まった時、
「ゴットフリー、居ますかっ!?」
緑の髪の男――BWが店の扉を開いた。
「ゴットフリー、早く来て!ガルフ島の北東の半島が水没しました!半島の住居は全滅……そ
して、ゴットパレスまでも、亀裂が迫っています!」
「何だって!!半島が水没?!」
顔面蒼白になり立ちあがるゴットフリー。血だらけのゴットフリーの姿に一瞬、驚いたようだっ
たが、BWは言葉を続けた。
「急いで!外に馬を待たせてあります」
そして、柱にしがみついているミッシェの方をちらりと見ると、急いで外へ出ていった。
ゴットフリーは、わかったとその後を追う。だが、ドアに向かいざま、振りかえってジャンに自
分の剣を差し出した。
「ジャンとかいったな。これはお前に預けておく」
「何だって?」
自分の愛剣をなんで敵の俺に預けるんだ?不信がるジャンの心を読んだようにゴットフリー
はおし殺した笑いをした。
「明日、それを持ってゴットパレスの俺の屋敷に来い。お前に話がある」
自分の黒剣をジャンに手渡すと、ゴットフリーはその意図をつかめぬままのジャンを無視し、
店の外へ出ていった。
「いったい、何が起きているの?このガルフ島で?」
「わからない……僕でさえも図りがたい何か、とても不吉な何か……」
ジャンは不安げなココの前にしゃがむと、にこと笑ってその頭に手をやった。そして、フレアお
ばさんとミッシェを見据え、きっぱりと言った。
「大丈夫だよ。何があっても、サライ村は僕が守る」
その時、ミッシェがジャンの横に駆け寄ってきた。ジャンは、そっとその手にゴットフリーの黒
剣を握らせる。
「ところで、あれがBWか?あいつ、びしょぬれだったな……それに何でゴットフリーがここにい
るのを知ってたんだ?」
「わからない。けど、いつもゴットフリーのいる所には必ず、あいつがいるんだ」
とにかく得体の知れない男だから。と、ココは答えた。
ミッシェは無言のまま、二人の会話を聞いていた。その手にゴットフリーの黒剣を握りながら
……だが、その手の剣はすでに黒剣ではなかった。ゴットフリーの黒剣は、また、白銀色に色 を変えていたのだ。
呆然とその様を見据えるココはわずかに震えていた。ジャンは、床に落ちた銀のロケットを拾
い上げると、そっとそれをココの手に握らせた。
「はい、ココの大事な物なんだろ」
ジャンはにこりと笑った。こくんと頷くと、ココは中身を確認するかのようにロケットの蓋を開け
た。ロケットの中では海賊風の面構えの男が笑っている。
ココの父の写真……だが、誰かに似ている……
ジャンは、ココの様子を眺めながら首をかしげた。だが、次の瞬間、はっと目を見開く。
あいつだ!……あの男だ。
ゴットフリー……ガルフ島警護隊隊長
ココのロケットの写真は、ゴットフリーに似ている……。
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