5.

「あんたがジャン?よく来てくれたわね」
 フレアおばさんは、ジャンが想像していたとおり、いかにも田舎風な愛想のいい笑顔で二人を
迎えてくれた。
 「いらっしゃい」
 厨房から、ジャンとココを見つけて、一人の女性がでてきた。艶やかなストレートの黒髪を腰
まで伸ばしている。背が高く一見すると、大人のように思えるが、その少し憂いを帯びた漆黒の
瞳には、少女のあどけなさが残っていた。
「霧花(きりか)!ジャンを連れてきたよ。ジャンはね、すごく強いんだよ」
  ココの言葉に柔らかに微笑んで、霧花はジャンに軽く会釈する。ジャンも会釈を返そうとした
が、
「早く食事の用意を。この子達、お腹が空いていまにも倒れそうな顔をしてるわ」
 と、フレアおばさんが二人の間に割って入ってきた。すると霧花は笑って、そうそうに厨房へ
もどってしまった。
 「待ってよ、霧花!」
 ココは、大急ぎで霧花の後を追った。追いかけざま、不満げにフレアおばさんに一瞥を送る。
ココはジャンに霧花を紹介したくてたまらなかったのだ。
「ジャン、ここに座って。我が店で一番の特等席!」
 フレアおばさんが勧めてくれた席は、厨房に一番近い壁際の席だった。

 「食事にすぐありつけて、厨房の霧花がよく見える席。霧花は夜だけのお手伝い……」
 窓際のもう一つの席に、客らしい男が座っていた。男がくゆらせている煙草の煙がその頬の
傷をなであげる。
「あんな美人を夜だけしか見れないなんてな」
 男は、自分の隣の席を引くと、ジャンにそれをすすめた。
「俺はサライ村のリーダー、ラガーだ」
「お前は……あの時の……」
「お前は俺たちを助けてくれたな。礼をいっとくぜ」
「いや、ココにはあんなケガをさせてしまって……悪かった」
 一寸、言葉を切ってから、ラガーは上目使いにジャンを見る。
「……まあ、気にすんな。傷は浅かったんだろ」
「それでも、ココを守ってやれなかった」
「………だが、お前、あのゴットフリーと一戦交えて、よく、気絶しただけで済んだな」
 ラガーは隣に座ったジャンの耳元で声をころしながら、ささやく。
「ゴットフリーは、島主リリアの息子でガルフ島の権力を全部つかんでる奴だ。へたに手を出す
と……お前、殺されるぞ」
「へえ、どうりで偉そうにしてた筈だ」
「おい、そんなに呑気でいいのかよ」
 ラガーは飽きれ返った様子で、ジャンを見やる。
「あいつ、普通じゃなかっただろ?たいていの野郎は、ゴットフリーの前に出ただけですくみあ
がっちまって、手なんか出せたもんじゃない」
「そうか?」
 平然と隣でフレアおばさんの出してくれたコーヒーをすするジャン。
 何をいっても動じる奴じゃないな……こいつは。
 あきらめ顔で、ラガーは煙草を灰皿に押しつけた。

 「……で、見たところ十五、六ってところか。お前みたいな子供が、こんな島へ何しに来たん
だ?」
「十五、六か……えっと、十六でいいや」
「何だ?いい加減な奴だな」

「ジャンは、レインボーヘブンの住民を探しにきたんだって!」
 二人の会話を聞いていたココが、大急ぎでやってきて早口に言う。この質問にはどうしても自
分が答えたいらしい。
 そばで、話を聞いていたフレアおばさんは一瞬、呆気にとられたように口をぽかんと開け、そ
して、爆笑した。
「レインボーヘブン!あの五百年も前に消えた幻の島の住民を探してるって!」
「笑わないでよ!ジャンはもう、見つけたんだから。ここに、このサライ村の中に!」

 そこに、霧花が食事を運んでやってきた。
 そそくさとテーブルに配膳をすませると、ジャンたちとは反対の壁際の席へ腰をかける。ココ
はさっそく、シチューに舌鼓をうちだしたが、ジャンは、上目つかいにちらりと無表情な霧花の
顔を見やった。
「本当だよ。僕は見つけた。そして、ラガー、フレアおばさん……あなたたちもヘインボーへブン
の血脈だ」
 店は一瞬、狐に化かされたように、静寂に包まれた。だが、ジャンは、そんな事はおかまいな
しに話し続ける。
「レインボーヘブンの伝説を知っているか?」
「レインボーヘブンは、幸せの島よ。この世の幸せを全部集めた……でも、五百年も前に突
然、海に消えてしまった。どこにあったのか、何故消えてしまったのか、それは誰も知らない」
「ココはすごいな。ほぼ、正解。でも、レインボーヘブンは消えてしまったわけではない。あの島
は、分けられ、封印されたんだ……そして、住民たちは避難所を求めるように、別の島へと移
住した」
 フレアおばさんは、いぶかしげに言った。
「でも、私にゃ関係ないよ。レインボーヘブンなんて、ただの御伽話さ。だいたい私は五百年も
生きてないし」
「確かにね!」
 ココはぷっと吹き出すと、笑いながらジャンを見る。ジャンも先程までの硬い表情を少しやわ
らげる。五百年、生きてるフレアおばさん!それもいいけど…… ジャンはくっくっと、肩をゆら
して笑った。
「違うんだ。僕が意味するレインボーヘブンの住民は……」
 「このサライ村の先祖たち。それがレインボーヘブンの住民だったと、言いたいのでしょ?」

  その時、霧花が、突然、口を開いた。低く凛と澄んだ声だった。
「でも、そんな証拠がどこにあるのかしら」
  ジャンはシチューをすすりながら、霧花をおもしろそうに見つめる。
「だが、サライの知恵はあまりにも似ている。レインボーへブンのそれと」
「まるで、五百年前のレインボーヘブンを知っているよう!」
 普段もの静かな霧花が、あまりにも声をあらげたので、ココは少し心配になった。
 ココは、霧花の方へ駆け寄るとその手をそっと握った。すると、霧花ははっとそれに気付い
て、黙り込んでしまった。
「霧花も一緒にご飯、食べようよ。こんな隅っこに座ってないで、ジャンの近くにおいでよ」
 ココは、霧花の手をひいた。だが、霧花は困ったような顔でその手を振りほどく。
 店は一瞬、気まずい雰囲気に包まれた。

 「まあまあ、霧花は人見知りするタイプなんだよ。俺なんざ、今だに避けられてるんだから」
 沈黙を破ったのはラガーだった。
「別に避けてるわけじゃ……」
「なら、たまには俺にもつきあえよ。あんな青白い野郎なんか相手にしないで」
「何の事?」
 憮然とした表情の霧花の方へ歩み寄り、ラガーは軽く笑う。
「悪ィ、冗談だよ。ほら、お前に頼まれてた店の街灯ちゃんと修理しといたぜ。だから、ちょっと
見てくれよ」
 そして、ジャンの方へ少し肩をすくめてみせると、気のなさそうな霧花の手をひいて店の外へ
出ていった。
 
 「驚いた。あんなにピリピリした霧花ってはじめて」
 フレアおばさんが言う。
「ラガーに霧花か……」
 ジャンは少しうつむき加減にココに尋ねる。
「なあ、ココ、ここの住民はガルフ島で、うまくいってないのか?」
 問われて、ココは少し困ったような顔をした。

  その時、外から聞こえてくる海鳴りの音が微妙に大きく聞こえだした。
 店のドアを誰かが叩く音がする。
「お客さん?今日は誰も来ないと思っていたのに……」
 誰にしても、今の嫌な空気を変えてくれるのはありがたい。
 フレアおばさんは喜んで店のドアに歩み寄った。そして、ドアを開けた。
「あら、まあ……」
 海の潮の香りが風と共に店の中に吹き込んできた。そして、その後ろに一人の子供が立って
いた。
 フレアおばさんは、その子とニ、三、言葉を交わすと興奮した様子で、ジャンに言った。
 「ジャン!家族の方がみえたわよ!」

 ココはきょとんとした様子でジャンを見た。ジャンはちょっと、首をすくめたが、知らぬ様子で
パンにかじりついた。
 その子は、ココよりは少し年下に見えた。肩までのびた髪は銀髪のようだったが、砂にまみ
れて嫌な黄色に見えた。顔も服も汚れていた。ただ、その瞳は海のような青。そして、何よりも
目をひいたのは、その子は、腕にしっかりと抱えていたのだ。ジャンとゴットフリーが戦った時、
黒から白銀に替わってしまったゴットフリーの剣を!

 その子は、つかつかとジャンの横に歩み寄ってきた。ジャンは相変わらず、そ知らぬふりをし
ていたが、ココが質問攻めをしかけてくるのは時間の問題だった。
「ジャン、その子、誰?ジャンの妹?それとも弟かな?」
 ジャンは、ちらりと横を見ると、その子に小声でささやいた。
「お前、男?それとも女?」
 肩まである髪にあどけない表情、だが、その青い目はきつく冷たい……確かにその子供は、
少年ーー少女、どちらともいえる風貌をしていた。
「ワカラナイ……」
「名前は?」
「ミッシェ」
「じゃ、男にしとけ」
 ジャンは苦笑して、ミッシェの肩をぽんとたたいた。そして、言った。
「僕の弟のミッシェだ。よろしくな」









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