2.

 「だ、誰だっ?!」
 ゴットフリーは珍しく声を荒らげた。
「僕か?僕はジャン。ジャン・アスラン」
 少年の瞳が、黄金に輝く。
「そして、僕は、サライ村の住民を迎えにきた」
「何?!」
「でも、安心しろっ、お前は違うからっ!」
 少年は右腕を前方にぐんと伸ばす!と……閉じていた拳をぱっと開いた。
すると、ゴットフリーが握ったタルクの長剣が、バネのように宙を舞った。

 こ、こいつ、何をした?!
 ゴットフリーは、ぎらりと少年を睨めつけると、腰の剣に手をやった。豪奢な鞘におさめられた
彼自身の黒剣。

 どこかで見た顔、どこかで聞いた声……?

黒剣は、鈍い黄金の火花をあげて鞘から引き抜かれた。
 危険を察知し、それを瞬時に抹殺する!その能力においてもゴットフリーは尋常ではかっ
た。
 空を切り裂くようにゴットフリーはジャンの方へ踏み込んだ。
 「おっと、やるのかっ!!」
 「何?!お前!切られたいのか?!」
 まったく逃げる気などなく、反対に自分の方へ向かってくるジャンにゴットフリーは、一瞬、虚
をつかれた。だが、ひるみはしなかった。
「ならば、切り刻んでやる。この黒剣で!!」
 ゴットフリーの黒剣が宙を切り裂く!
 
 あの子、二枚おろしだ……
 そっと、指の間から戦況を見つめたココは、あっと自分の眼を疑った。ジャンは黒剣を軽くか
わし、ゴットフリーが剣をつかんでいる右腕をしっかと握りしめていたのだ。
「こ、こいつ、何て力だ……」
「もう一度、振ってみろ!その黒剣を!」
 ジャンは、腕を離すと、ひらりと横へ飛びのく。
 
何で俺の黒剣をかわせるんだ?
 ただ困惑して、ゴットフリーは力任せに黒剣を振りぬいてみる。だが少年は、そこにはいな
い。その剣は、彼がいたはずの場所にあった岩を無残に砕いたのみだった。
「こっちだ!」
 ジャンはその後方にまわりながら、にやと笑った。

 「信じられん……あのゴットフリーが赤子のようにあしらわれてる」
 ラガーとココは、狐につつまれたようにお互いの顔を見やった。
「ココ、俺は今のうちに失礼する。お前もさっさと逃げろ」
「えっ、ち、ちょっと待って、ラガー!」 
 もともとは、自分が原因の戦いに見知らぬ少年が参戦しているのだ。このまま逃げるわけに
はゆかない。だが、ココが目前の戦いに気をとられている間に……
「消えちゃった……」
 ラガーの姿はもうどこにもなかった。

 
 こいつは、違う……俺が今まで戦った誰とも違っている……
ゴットフリーは、ジャンをぎらりと睨みつけた。怒りと嫉妬で唇をゆがませる。
黒剣を構え直すとゴットフリーは、その切っ先をジャンの胸にぴたりと合わせた。間髪いれず、
突く!
 ……が、ジャンは腕を伸ばし、手のひらを黒剣を制止させるかのように開いた。そして、あろ
うことか無造作にその刃を握り締めたのだ。

 馬鹿な!素手でこの黒剣をつかまえるなんて!
 止められた黒剣は、“ぴくり”とも動きはしない。それどころか鋭い刃にもかかわらず、ジャン
の手は傷つくどころか血の一滴さえも流れてはいなかった。

 ガルフ島警護隊の面々はただ、固唾を飲んで二人の戦いを眺めるばかりだ。
ゴットフリーは、思いもよらぬこの瞬間になぜか心が踊った。自分に対する絶対の自信が崩れ
た時、今まで気付かず求めていた憧憬の思いがふつふつと湧き上がってきたのかもしれな
い。無意識のうちに、その冷たい灰色の瞳は、少年の一挙一動をむしろ快く受け入れていた。

 「だが、俺はお前を倒す!」
 鋭い眼差しでジャンを睨めつける。そして、二人の灰色の瞳ととび色の瞳が火花を散らした
時……辺りの空気が急速に変わった。

 この流れは何だ?なんという禍禍しい風の色……

 この時、初めてジャンは戸惑いの色を見せた。
 ゴットフリーの足元からどす黒い風が無数の帯のように沸きたっているのが見えた。だが、そ
のよどんだ空気の中でも、その姿だけは、研ぎ澄まされた宝石のように輝いているのだ。

 この男は……
 ジャンは対峙している黒い隊長をきりと睨みつけた。目深にかぶった帽子の下に垣間見える
灰色の瞳。震えさえ感じさせるその眼光。
「面白い!倒してみろ!」
 二人の戦いを固唾を飲んで見つめていたココと警護隊はあっと、声をあげた。
 ジャンの足元から小規模な竜巻のような風が巻き起こったのだ。そして、その髪が雷に打た
れたように総毛立ったかと思うと……
「ああっ、あれを見ろ!」
 そこに居合わせた全員が我が目を疑った。
 ゴットフリーの黒剣がジャンが握った切っ先から、電流の流れのように白銀に色を変えだした
のだ。
「黒剣が白銀に!!そ、そんな馬鹿な!」
 根元までみるみる白銀に変わってゆく自分の愛剣をゴットフリーは、唖然として眺めた。

 その時だった。
「止めてよ!なんで私まで!助けて!」
後ろで控えていた警護隊の男が、剣を携えココを後ろから羽交い締めにして捕らえていた。
「お、おいっ、お前!お、おとなしく捕まれ!さもないと、こいつの命はないぞ!」
「下衆野郎が!その手を離せ、その子は関係ないだろ!」
 ジャンは、ためらいもなく、ゴットフリーに背を向ける。
「ひっ、こっちへ来るな!」
「あっ!」
「お前っ、何するんだっ!」
 小さく声をあげて、ココがうずくまるように体を丸めた。肩のあたりが血で真っ赤に染まってい
る。不用意にあげられた男の剣が誤ってココを傷つけたのだ。

 ちっ!馬鹿なことを……
 ゴットフリーの激しい一瞥を受け、警護隊の男はうろたえてココを手放した。
男は完全に混乱していた。なぜなら、彼らは隊長を守る必要など一度だってなかったのだ。そ
う、この時までは……。
 
 「おいっ、大丈夫か?!」
「痛い、痛いよ……」
 慌てて駆け寄ったジャンの腕の中で、ココが流した赤い血が、ジャンの服までも真っ赤に染
めあげてゆく。
「お前ら!許せない!」
 ジャンの瞳が黄金に光った。その場にいた警護隊たちは、その光に足がすくんで動けない。
 「痛い、痛いよ……」
 ココはなおも、うなされたようにつぶやき続ける。ジャンの胸の蒼い石が輝きだしたのは、そ
の時だった。
「封印がはずれる……?!」
 驚いたようにココの顔を見つめると、ジャンは、そっとその体を地面に横たえ、立ちあがっ
た。石の蒼い光が、ジャンとココを燃え上がるように覆っている。

 ジャンは両の拳を硬くにぎりしめ、仁王立ちで叫んだ!
 「うおおおおおおぉ!!!」
 その瞬間、ジャンの足元の地面が大音響をあげせり上がってきた。まるで、空に引き上げら
れるかのように土砂が立ち上る。それは、瓦礫の雨を撒き散らしながら、彼、一人がやっと乗
れるほどの細長い山を築いてゆく。

「これはいったい?!地面があんなにも高く!」
 ゴットフリーは、空から降り注ぐ瓦礫の雨を手でさえぎりながら、眼の前で生まれ行く土の造
形物を仰ぎ見た。警護隊の誰かが叫んだ。
「山だ!山ができる!!」

 遠くから海鳴りの音がやけに、大きく響いてくる。

 その場にいたものは、誰も彼もが自分たちの目を疑いながら、宙を見つめていた。サライ村
の居住区の屋根をかるく越えた高さの山の上で、ジャンが、放心したように彼らを見下ろしてい
るではないか。
 
「そ、そんな馬鹿なことがあるか。あってたまるか!」
 だが、異変はその足元にも起こっていた。
 ジャンが作った山から降り注いできた大量の瓦礫が、急に地面を横に移動し始めたのだ。
「な、何だ……!!」
 瓦礫……そう見えた黒い集団。だが、警護隊たちの足元をすくうように駈けてくる、その群れ
は……
「こ、これは鼠か!何でこんなに沢山!」
 まるで、流れの速い黒い川のように、おびただしい数の野鼠が地面から溢れ出してくる。それ
らは、敵と見方の区別もなく、手当たり次第にぶつかる者に這い登りだした。
「うわっ、止めろ!」
「こいつら、一体、何処から現われた?!」
 辺りは警護隊たちの叫び声と野鼠の奇声で騒然となった。

 その時、ジャンの足元で、山の一角が崩れだしたのだ。それも、ゴットフリーの真上の大岩
が!
「隊長、危ない!!」
 警護隊の面々が大声で叫んだ。だが、大量の鼠に遮られ身動きすらもままならない。そし
て、大岩はゴットフリーめがけて落ちてきた。
「隊長っー!!」

大地をゆるがすような大音響。
辺りにもうもうと舞い上がる砂煙。

最悪の事態……。

 ところが、次の瞬間、

 あたりは、静寂に包まれた。
 そして、この場に居合わせた者は、一瞬、夢の中にいるように我を忘れた。なぜだろう?ほ
んの数秒前に起った忌まわしい出来事。それが、まるで嘘であったかのように穏やかに

 波の音が聞こえる……
声であって声でない不思議な音色が、聞こえるのだ。小波のような、または美しい金管の音の
ような、
 歌が聞こえる……
 心なしか、空気までが海の色に染まったように蒼く思えた。
どこまでも、広がっていく清涼な空間、一片の濁りもない世界……
 そして、再び静寂が訪れた時、

 あのおびただしい数の野鼠は、本当に潮が引くように姿を消していた。

 「一体、何がどうなったんだ?さっぱり、わからない」
 我にかえった警護隊たちは、はっと崩れ落ちた目前の岩を見た。
 山からゴットフリーめがけて、落ちた大岩は地面に深くめり込み、幾つもの地割れを起こして
いる。
「隊長……」
 誰もがゴットフリーは大岩に押しつぶされ、死んだものと疑わなかった。
 だが……

 「ずいぶん騒がしいですね……ゴットフリーは無事ですよ」

 「BW!!」
 ひょろりと背の高い男が立っていた。切れ長の目で薄く笑う。それに風変わりな緑の髪がさら
りとかかり、端正な顔立ちを更にひきたてている。気を失ったゴットフリーはそのBWの背にあ
った。
 「やれやれ、無駄な事に労力を使うのは嫌なんですがね……」
 苦々しげにそういうと、BWは山の上のジャンに目をやった。
「随分ハジけてましたが、あの子も疲れたみたいですね」
 ジャンは唐突にできあがった山の上で、力つきたように倒れていた。
 BWは背にしたゴットフリーに目をやると、少し体をかがめ、足元に落ちていた黒い帽子をひ
ろいあげた。陽光が背負われたゴットフリーの髪を紅く染めていた。そう、この男の髪は陽光に
さらされると黒から紅に色を変える。

 なぜ、この紅を隠そうとするんですかね?みんな、知っている事じゃありませんか。どんなに
悪あがきをしても、運命は変えれない……

 BWは、軽く笑いながら、手にした帽子をゴットフリーの頭にのせる。そして、落ち着かない様
子で二人を見ていたタルクに向かって言った。
「君は、さっさとこの人を連れて行きなさい!」
「でも、あの娘が…」
「後の始末は私に任せて行くんだ!」
 BWは、ほの青白くもの静かな表情とはうらはらに、強い口調で命令した。タルクはその迫力
に押され、そそくさとBWからゴットフリーを受け取った。
「ちっ、偉そうに……みんな、ゴッドパレスへ帰るぞ!!」
 そして、警護隊たちは逃げるようにその場を去っていった。BWは小馬鹿にしたような笑みを
浮かべながら、その様子を見送っていた。

 「さてと……」
 BWは今だ倒れているココの傍に片膝を折って座ると、その頭にそっと手をおいた。
「大丈夫ですか、ココ?生きてますよね」
 BWの声に目覚めたかのように、ココがうつぶせたまま、少し顔をあげる。
「あれ……、さっきは死んだと思ったのに、傷がこんなに浅い……それに、なんでBWがここに
いるの?」
「……まあ、色々とね。それよりも、自然の力の恩恵を受けたようですね。少し傷は痛むでしょ
うが、生あることはなによりです」
 ココはBWの言葉など、ほどんど無視して、眼前にできた小山をぽかんと眺めていた。
「なに、これ?信じらんない……」
 そして、その頂上を指差して言った。
「BW、あの上の子、下ろせる?」
 一瞬、顔をしかめると、BWはため息をついた。
「それは、数十倍も骨がおれる仕事です。警護隊長を大岩から助けるのと比べてみても……」









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