メキシコ北部大縦断の旅L.A.からメキシコシティへ
                  
(1998/9/12〜1998/9/27)16Days

7.タイムスリップしたCreelの1日(Creel-Chijuajua/1998/9/18)

Margaritaの前で 朝8時、日本より持ってきていた目覚ましに起こされた。この目覚まし、小さいくせに元気がいい。腹の調子がなぜかいまいちで朝食を抜くことにした。食事がでるときに食べれないなんてなんとタイミングが悪いことか。メキシコに来ると不思議と必ず腹の具合が悪くなる。今回もまたきたか、という感じだ。

 江川が朝食を食べたあと、さきにチェックアウトを済ませた。きょうはタラウマラ人というメキシコの先住民族の住まいを見るツアーに参加する予定だ。我々が泊まったペンションの前の小さな広場で1時間ほど他の参加者を募ったあと、車は出発した。まず始めにディビサデロに向かった。きのうも見たがこの銅峡谷の景色はほんとにすばらしく、飽きることがない。その近くにタラウマラ人が岩の絶壁の隙間に住んでいた。自分たちでとうもろこしを栽培し、岩から染みでている涌き水を飲んでいる。まさに自給自足の生活だ。とても興味深かった。しかしよくよく考えたら、こんな見学に来るなんてタラウマラ人にとって見れば大変失礼な話だ。

 一緒に車に乗っていたツアー客の中であるチワワ人の親子がいた。GABYという7歳の女の子とお父さんとお母さん、そしておばあちゃんの全部で4人。チワワから2,3日の家族旅行に来ているらしい。気さくな親子で、すぐに仲良くなりいろいろ他愛もないおしゃべりをしたり、写真を撮ったりした。GABYという7歳の女の子はとても愛嬌がありかわいらしかった。メキシコ人は家族の仲がとてもよい。特に年配の人よりは子供のほうがとてもかわいがられるように思う。タラウマラ人の住居を見に行くとき急な岩場の坂道が続いたのだが、おばあちゃんを平気で置き去りにしたりする。なんか変な感じがする。たまたまそういう場面を見ることが多いからそう思うのかな。

チワワ人の親子 そのツアーは4時ごろクリールに戻ってきた。GABYたちに別れを告げ、Margaritaに預けてあった荷物をとりに帰り、次の目的地、チワワに向かうため急いで駅に向かった。ディビサデロでは我々が乗ろうとしていたPrimera Claseの車両だけの登山鉄道がすでに到着していた。クリールに帰ろうとしていたわたしたちの車とその列車はほぼ同時にそこを出発したのに、わたしたちの車のほうが1時間も早くクリールに着いてしまった。ヨーロッパのお古車両とはいえ遅すぎる。メキシコの鉄道はほんとにあまり発展してないんだなと実感した。

クリールの駅の近くで。。 駅で少し待たされ、夕方5時過ぎに追いついた列車にやっと乗ることができた。チワワまで188ペソ。以外に高かったのが気になった。その列車にはきょうのツアーで一緒だったチワワ人の親子も乗っていた。帰るところらしい。GABYやその両親と楽しく雑談しながら列車はチワワに向かった。GABYがいっぱいおかしをくれたので、そのお礼に成田空港で買った日本の絵葉書をあげたらとても喜んでくれた。わたしもうれしくなって調子にのり、結局持っていた絵葉書を全部あげてしまった。この後、仲良くなった人に記念になにかあげたくても、これであげるものがなにもなくなってしまい後で後悔することになるのだがこのときのわたしは知る由もない・・・

 そのチワワ人のお父さんはとてもいい人で、我々がこれから行くチワワでまだ泊まるホテルを決めていないと話をしたら、APOLO(N$210(D)というホテルを勧めてくれた。しかもチワワ駅からそのホテルまでマイカーで送ってくれるとのこと。初めは恐縮してしまったが、結局ありがたくその好意を受けることにした。

 チワワ駅には夜の10時近くに到着した。一旦みんなでそのチワワ人の家までタクシーで行き、そこからホテルまで車で送ってくれた。車といっても後ろの荷台だったのだが・・・ でも夜の風がとても気持ち良かった。その車にメキシコシティから来た学生の旅行者が2人一緒に乗っていて、ホテルに着くまでの間メキシコの女の子と日本の女の子、どっちがきれいなのかという話で盛り上がってしまった。メキシコ人と話しているとなぜか最後にはこの話にたどり着く。GABYのお父さんはは部屋まで送ってくれた。心から彼にお礼を言った。日本で今日初めて会った人にここまでしてあげることが果たしてできるだろうか?こんなすばらしい人に出会うことができたというだけでこの旅をしてよかったと思う。日本に帰ったら写真を送ってあげよう。また彼らに会えるといいな。

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