メキシコ北部大縦断の旅L.A.からメキシコシティへ
                  
(1998/9/12〜1998/9/27)16Days

4.星の海を見た・・・フェリーでラパス出港(Pichilingue-Topolobanpo/1998/9/15)

 今朝9時過ぎにさっそく今夜出港のチケットを買いに再びSematurに向かった。今日は火曜日なのでフェリーらしい。うちらはベット付きのTurista Claseを買いたかったのだが、SALÓN(いすのみ)しか今日の便はないとのこと。仕方なくSALÓNを購入した。1人123ペソだった。今夜の22:00にTopolobanpo港を出港だ。

海岸沿いのBARで舌鼓を打つ  帰り道のスーパーで簡単な食べ物を買い、部屋に戻った。12時がチェックアウト時間だったので、夕方まで荷物を預かってもらうことにした。ふらふらと街中を散歩した後、海辺で腰を下ろし、2人でぼんやり海を眺めていた。なぜか忘れたかった仕事や会社の話で盛り上がってしまった。ほとんど愚痴ばっかりだったけど・・・そんでもきれいなこの広い海を眺めていると、すべてちっぽけなものに思えてしまう。不思議なものだ。すこし暑さに参ってしまい、腹も減ってきたので近くのカフェテリアで遅い昼飯にすることにした。なんて言うメニューだか、忘れてしまったが、ここでとれたに違いないシーフードにサルサを乗せ、ドリトスと一緒につまむ。簡単な料理だがさっぱりとしてとてもおいしかった。またぜひ食べてみたい。

バスの車窓から  午後5時に荷物をとりに行き、Pichilinge港行きのバス(N$10)に乗り込んだ。対向車があるなしにかかわらず、ガンガン飛ばすそのバスはとっても爽快で、1番後ろの席に陣取り壊れて中途半端に空いている窓から外を眺めていた。車窓には相変わらずのきれいな海とサボテンの原っぱが飽きることなく続いていた。

 Pichilinge港に着くと江川は疲れたのか待合室のベンチに寝転がってしまった。わたしはベンチに荷物をワイヤーでくくって鍵をかけ、外でこれから乗るフェリーを眺めなていた。すると同じ船の乗船時間を待っているらしい1人のメキシコ人が話し掛けてきた。年は26。アメリカに働きにいくらしい。いろいろ話をしていたが最後には女の話になった。「メキシコの女は好きか?」「きれいだね。」「日本の女はどう?」「きもの着てるんでしょ」 なぜかメキシコ人と話し始めると最後に女の話に行きつく。その日は偶然彼の誕生日とのことだったので、バックのポケットに入っていた5円やら10円やら日本の硬貨を数枚あげたら喜んでくれた。

Pichilingue港で そのフェリーは沢山の荷物を載せ、時間どおりに出発した。とりあえず自分たちの席を確保すると、夕方からなにも食べていなかったので食堂を探し回った。皿に肉とマカロニと豆の盛り合わせになっているものを注文し、Bolillo(メキシコのパン)と一緒にあっという間に平らげた。船室に戻るとテレビでシティのソカロの中継を流していた。広いソカロに人があふれんばかりに集まっている。そうか、きょうはFiesta、独立記念日だったのだ。大統領と大観衆が、「¡Viva,México!」「¡Viva!」と何度も叫んでいた。去年グアナファトでみんなでGritoした(叫んだ)のを思い出した。2人でうらやましがっていたが、看板から見上げたたくさんの星の美しさはそれを忘れさせるほどすばらしいものであった。まるで星の海が頭上にあるみたい。看板に寝転がって空を見上げた。とても日本、特に東京ではお目にかかれない景色であろう。とても感動した。きっと忘れないと思う。相棒はなにやら船の先端でタイタニックをしたかったらしくしばらくの間がっかりしていた。客船ではなくフェリーだったためデッキの先端には行けなかったのだ。だけどもしできたとしてその写真はいったい誰が取るんだろう?後ろからでいいの?

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