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福田善之さんのお話を聞く会報告

10月6日(月)名演事務所1時30分・6時30分

福田善之さんプロフィール

 1931年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。
 新聞記者、演出助手を経て、劇団青芸を結成。併行して戯曲を発表。
『長い墓標の列』『遠くまで行くんだ』『真田風雲録』『オッペケペ』『袴垂れはどこだ』などの秀作を発表し、60年代演劇の旗手として注目される。
 その後は新劇にとどまらず、商業演劇、ミュージカル(『ピーターパン』)などの劇作・演出家として幅広く活躍。ほかに映画シナリオやテレビ・ラジオドラマの執筆も多数。
 1994年には『壁の中の妖精』ほかで、第28回紀伊國屋演劇賞・個人賞を、『私の下町−母の写真』で第46回読売文学賞を受賞する。1999年には『壁の中の妖精』の演出で読売演劇賞優秀演出家賞を受賞。2000年には『壁の中の妖精』の戯曲で斉田喬戯曲賞を受賞。
 日本の演劇界に確かな足跡を刻み続けている代表的な演劇人の一人である。現在、日本演出者協会理事長。

 衝撃的な史実の記録をもとに昨。演出をされた福田善之さんをお招きしての学習会に木山事務所の木山潔さんが同行され、『壁の中の妖精』に対する熱意が伺われました。
 芝居のあらすじを話される中で、書き下ろしの経緯とスペイン戦争の概要にもふれ熱い語り口にひき込まれます。
 「第二次世界大戦の前哨戦とも言われたスペイン戦争にまつわる実話に沿いながら、想像の翼を拡げた芝居を書いた。娘のマリアさんが生存されていることが分かり、2001年7月に春風さんたちろ現地を訪れ、お話しを聞くことができた。
 想像しながら創り上げた自分の芝居との芝居の世界と実際の現在が異なるのは当然であるが、私はフリアーナの中に母をマリアに姉を見ていた。」
 と福田さんの家族に対する思い入れの深さを今回もふれていたのが印象的でした。
 木山さんからは、
「十年前にみんなで夢中で作った芝居ですが、その時の人達が今それぞれの分野で大変活躍している素晴らしい出演者とスタッフが、再演を重ねて練り上げた芝居になりました。」
と自信に満ちた言葉を聞きました。11月例会運営サークルの人も、「良いお話が聞けて、11月が楽しみ」との声もありました。
 平和へのメッセージと「生きているってこんなに素晴らしい」ことを実感できることでしょう。

 
 お話しのメモより(文責 「名演ウェブ」管理人)

 この『壁の中の妖精』はスペイン戦争で実際に起こった話をもとにした話だが、この作品は製作した木山潔さんと、企画をたてた福原圭一さんと私との3人で創った芝居といってもいい。スペイン戦争はちょうど私が生まれて間もない頃のことである。
 スペイン戦争は、中世からの教会勢力と地主の力が強かったスペインで、その古い世界に対抗して1931年に「共和国」が誕生するところから始まる。1936年に人民戦線が総選挙で勝利した後に、フランコのクーデターが起こり、ドイツ、イタリアなどの枢軸国がフランコを支援し、一方では共和国側は当時、新しくできたソ連の支援を受けることになり、一種の代理戦争になる。もっとも共和国側を支援するのは、左翼だけでなく、各国の知識人(ヘミングウェイもそうだった)らも巻き込んでいくものになる。そして全世界から「共和国を守れ」という声があがり義勇軍が組織されていく。
 

 このスペイン戦争でジャック白井という日本人が、日本人としてただ一人共和国側として義勇軍としてアメリカから参加した。
 『壁の中の妖精』の企画者である福原圭一さんがこの「ジャック白井」、を題材に芝居を企画した。(『れすとらん自由亭』)福原さんは、第2次大戦でお父さんを亡くしている。なぜお父さんが戦争によって命を奪われたのか、それを追求していくうちに、「スペイン戦争」にのめりこんでいった。 

 『れすとらん自由亭』を創っていくなかで、様々な資料を読んだが、その中の一つに「壁に隠れて」という資料があった。『壁の中の妖精』のもとになった本である、これは面白いという軽い気持ちで読んでいたのだが、『れすとらん自由亭』の公演の終了後、『壁の中の妖精』に取り組むことになった。

『壁の中の妖精』は、最初から「一人芝居でミュージカル」と決めていた。それはこの「壁に隠れて」の中で描かれていた事実が、あまりにも過酷であり想像を絶することだった、だから何か飛躍できないと、こんな大変な話はできない。だからミュージカルで一人芝居というものにしていった。ミュージカルというものは、面と向かったら言えないことも歌をとおして表現できるものだから、

 この物語の父親は、スペイン共和制の時に村長さんをしていた。村長といっても、共和派の中ではいろいろな派閥があって、しょちゅう村長は替わっていた。本職は村の床屋さん、人望があった人のようだ、彼に助けられた人も多かったという。
 

 しかし、フランコが政権を握り、共和国政権が倒れ共和派は捕らえられる。彼は捕まってもせいぜい2,3年で出られるのではと思い、出頭しようとするが、出頭した人は皆処刑されたことを聞いて、食器棚と壁の間の所に隠れることにした。最初は1日や2日のつもりでいたのだが、なかなか出られる状況ではなかった。
 実際に2001年にスペインに行き、その家に行ったが、その隠れるスペースが本当に狭いことに驚いた。また田舎だというので家と家の間が離れているかと思ったが、スペインでは田舎でも家と家が密集して建っている、お隣の様子がすぐわかるくらいに。逆にそういうところだから隠れられたのかもしれない。
 隠れはじめた頃に、村長の時に命を助けてあげた人が真っ先に家を捜索に来た。これは当然といえるかもしれないが、それは彼にとって大きなショックだったという。
 さて、父親が働ける状況ではないので、母親はマラガという港町まで歩いていってで卵売りの行商をやっている。子供は一人取り残される、それを父親はだまって見ている。父親は隠れていて出ていけないところで子供を見守っている「妖精」のような存在ではないか。また夜になると出て働く「妖精」というイメージにも重なる、ということでこのタイトルのもとになった。
 1945年に世界大戦が終わると、これで普通は片が付くのだが、枢軸国側は負けたものの、スペインではフランコがそのまま政権にいたので、隠れ続けなければならないことになった、普通は戦争が終わったらハッピーエンドになるのだが。結果的に彼は30年後に「恩赦」が出るまで壁の中に隠れ続けた。

 スペイン戦争はある意味では価値観の戦いでもあった。スペインをずっと支配してきた旧教とソ連という新しい国の代理戦争ともいえるが、一方ではスペインにはアナキズムの伝統がある。アナキズムというと日本だと無政府主義というイメージで語られるが、実際は心の態度でしかいいようがないもの。つまり、いっさいの権力をなしでやっていこう。話し合いでやっていこう、ということである。でもアナキズムでは戦争は出来ない。『れすとらん自由亭』は、そのあたりの共和国軍のこだわりを描いた。共和国軍は本当に何もなく貧しかった。
 そのようなスペインの過去は、今の若いスペイン人にはほとんど伝わっていない。この作品の舞台となったところも、今はすごい観光地である
コスタ・デル・ソルからすぐ近くで昔のスペインの農村が残っているということで観光地になっている。スペインはいま観光立国で、第3次産業の占める割合が多く、様変わりしてしまった。

 この芝居で、スペインのこの作品のお父さんたちの夢「親分のいない国。親分というものをつくらない国」とそして現実を描きたかった。
お芝居というものはきざなようだが「夢と現実のあわいにこぎ出す船」だと思っている。
 現実から離れた夢の部分と、現実世界に真っ向から取り組んでいくこと、この作品にはこの2つの要素がミュージカルという手法でうまくかみ合って演じられている。


木山潔さんのお話

木山事務所は創立24年目で、今まで120本の芝居を創っているが、その中でも特にいい作品。

 壁の中の妖精の劇作の方法は世界にないものだと思う。演劇の持っているあらゆる手法が全部詰まっていて、それがトータルな形でつまっている
丁寧に構築されていて堅苦しくなく、ユーモアラスでかつシリアスで人間のあらゆる生きていく上の要素が入っている。音楽・振付もいいし、出演の春風ひとみも高いレベル。いわば「奇跡」ともいえる作品。

 

 とはいえ、最初は苦労した、本当にできるのか、という思いがずっとあった。台詞が多いし、それをどのように表現していいのかを春風は本当に悩んだ。最初の頃は全力投球だったが、今は前に比べ余裕が出てきた分、演技にも幅が出てきている。まさかこれだけ続くとは思わなかった。
 絶対にいい作品で新しい人を誘うには最適の作品。一見、観てない人にとっては「どんな芝居?難しいかな」と思うけど、面白くてためになる作品。スペイン戦争を背景にした、家族の愛情を描いた永遠の不朽の名作でぜひ日本だけでなく、世界の演劇人にもやってもらいたい。と思っている。



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2003/11/14更新