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名演７月例会　劇団青年座公演　

　「赤シャツ」って何？読んで字の如く赤いシャツ？いえいえこれはかの夏目漱石の「坊っちゃん」の登場人物、赤シャツのお話。「坊っちゃん」と言えばあまりに有名で、生涯の愛読書という人もあれば、逆に素通りしてしまった人もいるかもしれない。これは、そのどちらにもまたどちらでもない人にも、面白く楽しめ、しかも最後に深い余韻を残す必見の舞台。

　時は明治38年。日露戦争末期。四国の城下町の中学校に、東京からやって来る新任の教師、坊っちゃん。…が、肝心の坊っちゃんは、実際には姿を見せない。“親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしている”真直ぐな気性そのものの、元気良い声のみの登場。主役はその中学校の教頭、赤シャツ。“親譲りの八方美人で子どもの時から苦労ばかりしている”と御本人がのたまう如く、あっちにヘイコラ、こっちにヨイショと、実に要領のいい嫌味なインテリ洒落男。
　「坊っちゃん」では“男だか女だか分からないような気味の悪い声を出す”と評され“ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師”とさんざんにけなされる何とも損な役回りの男。しかし、本当にこの赤シャツは、そんな卑怯者か？物事には表と裏がある。人間は多面体。光の当て方次第で、いかようにも見えるもの。痛快青春活劇「坊っちゃん」も、少し角度を変えて見れば、別の世界が浮かび上がって来るのではあるまいか。かくして、マキノノゾミ氏は、稀代の奸物、赤シャツの弁護を買って出た。
　この弁護人の手腕は凄い。実際の言動を追って行くうちに、弁護の仕様のない優柔不断で狡猾な男、赤シャツが、何故か妙に可愛く哀しく見えて来る。次第に同情と共感が生まれ、終幕では愛情と畏敬の念すら抱かされてしまう。そもそも「坊っちゃん」は、誤解と思い込みだらけの物語。英語教師のうらなりと、令嬢マドンナの破談から端を発した人間関係のもつれは、何が真実でどれが本音か、土台、単細胞で部外者の坊っちゃんには計り知れぬものがあるはず。東京という都会からやって来た坊っちゃんの、地方を見る目に漂う優越感。文字や芸術を愛し、西洋文明に憧れる田舎のインテリ紳士、赤シャツ。彼は、正義感あふれる一直線の江戸っ子、坊っちゃんの裏焼きであり、その思いは近代人の複雑な自我をはらんで、まさに漱石その人の影を宿す。身の丈に合わない舶来物を身に着けたばかりに生まれた田舎者の自我に相剋。そして、それこそ、明治の末から百年後の現在の我々にまでつながっている日本人の心の系譜なのである。単純や真率を笑い、要領がよく、損得勘定ばかりを考える人間が闊歩する今のこの世。その芽生えが、この赤シャツの時代だった。
　しかし、そういう人間が、純粋を代表するうらなりに親愛の情を示し、正義を代表する坊っちゃんや山嵐に尊敬の念を抱くところに、深さがあり、美しさがある。いかに心貧しく情けない国になり果てても、決して理想や正義に対する憧れや信頼を失ってはいないはず…という思いが通奏低音の如く流れている。この志の高い温かさこそ、マキノ弁護士の真骨頂。
　ここで、忘れてはならないのが、もう一人の弁護人。演出家の宮田慶子氏。「男らしくなりたいなぁ。」と呟く女々しい赤シャツを、可愛く微笑ましい人物として見せてくれるのが、女性の宮田氏というのも笑えるところ。様々な人物をテンポよくスピーディーにさばいて、存在感のあるキャラクターに味付けする腕は、弁護人と言うより料理人。その腕前の確かさは、これまでの例会『ＭＯＴＨＥＲ』、『セイムタイム・ネクストイヤー』で既に味あわせてもらっている。
　二年前の東京初演の千秋楽。ロビーで言葉を交わした宮田氏は、実に気さくなお人柄。「哀しくて泣けるけれども、明日は明るく元気を出して生きようよとの思いが伝われば。」と語る宮田氏の味付けの冴えを、青年座の面々は息の合ったアンサンブルで見事に表現。傷ついて泣く赤シャツを、優しく包み込むような小鈴とウシの存在は、まさしく宮田氏の言う元気の源かもしれない。
　漱石をかじっていれば、あちこちにばらまかれた文学ネタに知的好奇心をくすぐられること受け合い。また、ソーセキなんぞ知らずとも、舞台上で起こる顛末を素直に見ているだけで笑えて、泣けて、最後に何かが心にしみ入って来る。
　幕が降りて、劇場を後にした時、町の雑踏でふと足を止めれば、通り過ぎる人々それぞれが、皆、今、自分と同じ時代を共に生きていることに気づく。『赤シャツ』は、まさに、そんな芝居である。

「名演」７月号　７月運営担当サークル　辻本さんの文章を転載しました。

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