2001年
1月20日
その2
|
深い雲の合間から、ダイヤモンドを散りばめたような大阪の夜景が、しっかりと見えた。
富田林どうも近辺に近畿大学の医学部が見えるはずなのに、探している間も無く
近鉄布施駅の真上を通過、今里ロータリーが放射状にきれい、そうこうしているうちに、
通天閣が見えた。
先日J.N先生とづぼら屋で、ふぐを食った事を思い出した。通天閣の下は緑色で、
上の帽子は赤が点滅していたようだ。
帝国ホテルが川辺リに映えている、間もなく天神橋8丁目交差点淀川を横切り新大阪駅の
西側を通過、間もなく阪急の庄内駅上空を通過。着陸体制を整えて、伊丹大阪空港だ。
今日も無事に降りる事が出来た。
すぐ家に帰る旨を伝えて、モノレールに阪急蛍池駅で乗り換え電車が来る前に、大阪新地の
MHのママに電話をかける。「是非来るべきだ。」とのご助言。電車に飛び乗り行き先変更、
梅田でタクシーを捕まえ、全日空ホテルへ
そこには、K.N先生H.Y先生K.M先生N.M先生T.N先生T.N先生K.T先生が待って下さっていた。
感激、我が初孫誕生パーティーに名を借りた飲み会となった。大いに結構。
久しぶりの大トークバトルであった。
|
2001年
1月20日
生まれて初めて、除雪で1時間
|
今日は、全社幹部会議で5時終了の会議が早く終わったので、初孫を抱きしめよう
と、一大決心神戸に向かうことに相成った。そのまま、雨が降りそうだったが、急い
で駅へ、山手線が浜松町へ着く頃には、雨は降っていた。
外気が冷たいので雪にならねば良いがと思っていた。5時24分羽田到着ANAカウンター
へ、回数券を買ってJASへ5時40分発滑り込みをねらったが、雪のため設備機器そろはない旨、
欠航受付ではJAL18時へ、変更してくれた。
喜んでそれに飛び乗っていれば良かったものを、ANAのピカチューピンバッチを集め
る為に、ANA18:20に変更したのが、土壷にはまってしまった。
飛行機に乗りこんだのは良いがそれから、1時間、除雪の為、飛び上がる事も出来ず、
しとしと降る雪を観ながら19時30分まで、生まれて始めてだ。
今、天候が悪そうな和歌山上空あたりで、もう少しで、大阪空港に降りる。どうも雨らしい。
今日は家族では[帰ってくるな]とういう、意見が大半であったが、初孫(娘)に会いたい
一心であった。
「あゆな(歩奈)ちゃん」待っててね。むち打ちのじいちゃんが今すぐ行くから。
|
2001年
1月18日
風化させたくない神戸淡路大震災
|
長い一日でした。
あれから6年。昨日はいろいろ考えて眠れませんでした。
今も、未だ自分の家に、もどれず他県で気張っておられる人もいます。
まだ、終わっていません、神戸淡路大震災の復興は!
風化させたくありません。
私も一人東京で気張っています。
死者6432人 当日、会社に報告した時、たしか「死者数千人になる」と言って、
みんなを驚かしましたが、判断はあっていました。
病院船の提案などその後も、色々提案していますが、100年先を読める政治家が、
いなくなりました。
M君もバカな事を、30年前原宿の谷口先生を通じて、大いなる日本の将来を
語っていた君なのに、秘書もバカ。KSDなんかにひっかかっちゃって。
人間大きくなったと思って、勘違いするんですね。蜂蜜を吸いすぎた先生方注意 |
2001年
1月17日
生かされている事を、感謝します。
|
風化されないように、写真を掲載しました。



|
2001年
1月11日
初孫誕生
|
平成13年1月11日15時2分女の子誕生。1月10日だったら家内と結婚記念日
と孫の三段重ねだったのに。
私は、11日18時過ぎむち打ちにて安静に?ガク・・・
|
2001年
1月11日
今の平和は多くの人々のお陰で存在している
|
今から百数十年前、神戸に上陸した外国人を神戸の人達は、「異人見物」と称して
外国人が宿泊している宿などに見物に行ったりしていたようです。 幕府や明治政府
は、トラブルを起こしてはいけないのでこれを禁止しますが、神戸の人達は外国人に
対して大変興味深く、むしろ外国人は危害を加えないと言う事を肌で感じていたので
しょう。
でも、開港まもなく神戸事件が起こりました。
1868年明治新政府の命令を受けて、備前藩の武士が西宮警備に向う為に神戸を通過中、
外国人が備前藩士の前を横切ろうとしたのを、「無礼者!!!」と言わんばかりに切りつけ、
それがきっかけとなって備前藩士が外国人に向って発砲したのが、事件の発端でした。
死者は出なかったものの、大事件に発展し、外国側は神戸の居留地を軍事占領したと
言います。これに驚いた明治政府は謝罪すると共に、外国側の要求に応じて責任者の
処罰を決定し、備前藩士・滝善三郎が、責任者として、兵庫の永福寺境内で外国人が
見守る中切腹させられました。
これが外国人が日本人の「ハラキリ」を見た最初だと言われているそうです。
大丸百貨店の北東に三宮神社があり、その境内には神戸事件発祥地の碑と、その時に
使用したのと同じ大砲が置かれています。
明治元年一月十七日一人の男に全ての責任を、擦り付けて神戸事件を解決しました。
百年たった現在でも、同じようなことが、繰り返されています。
|
2001年
1月10日
孫はまごまご。 |
ルート66は最高の気分。昨日NHKのテレビ番組で、ルート66を忘れてはいけない、
20世紀を生きてきた人々の、母なる道として、紹介されていた。
今から29年前の1月7日・8日私達は、このルート66をグレイハウンドバスにゆられて
走っていたのを、思い出します。物質にあふれる世界は必ずその終焉を迎えます。
高速道路でお役ごめんとなった66号線を多くのオールドアメリカンが、守っていこうと
努力しています。
漢方の本来の姿煎じ薬はエキス剤の出現によって、汎用されなくなったようですが、
それぞれの人によって、クスリは変わるし、日々改善と共に、様態も変わってくると思います。
煎じは、時代に合わないのではなく、啓蒙の手間を、出し惜しみしているのかもしれません。
「良薬は口に苦し」このような言葉も、説明をしながら、治っていく事の、大切さを、説く努力を
しなくては!
ところで、今日は結婚記念日(1月10日)なのに、単身で活動中、寂しいな!
でも「孫が出来た」という連絡が未だにこないのは、どうなっているのかな?
予定日は2001年1月9日と、聞いていたのだが。 |
2001年
1月4日
朝一番 |

写真をクリックしてください
朝一番、息子のマンションを6時に起床して、モノレールの駅まで向かった。
付近は高台にあるのか、寒くて吹き荒ぶ風は今年の景気を予想しているかの
様である。駅構内に飛び込んだ。キップを買う為に、70円残っているスルット
関西カードを挿入後新品の2000円のカードを続いて挿入し精算にかかった途端
に故障になった。こんなに早く出掛けて、トラブルにあうとは、ツイテいない。
駅員と話し合っていると、時間が無くなり、キップ無しで、モノレールに乗り越んだ。
と同時に発車またまた、飛び乗り人生、をやってしまった。
ゆったりと今年こそはと思ったのも、三日坊主で終りの様だ。大阪空港までは、
しっかりと時間前に来たけれど、空港の手荷物検査場は、並みの混雑ではなかった。
乗りなれていない人たちで手間取っている。此の分では、到底乗り越めないなーと
思案中に、ハンディーマイクで、「東京行き」の優先(入り口)を案内し始めた。
但し航空券の提示を求めてきた、そこで座席の指定を受けていない事が判明し
発券の旨を告げられる。
もう少しで、キャンセル組に入れられてしまうところだった。間一髪で座席は取れた。
49Hが14Hと出口に非常に近くなったことである。15分遅れで飛び立った。
途中気流が悪く、そのことが後の、幸運につながるとは…・・
羽田に着くと、ビッグバードが何故か懐かしい、6階から屋上の展望台へ登る。
そこは寒風吹き荒ぶ、コンクリートテラスである。今日は、強風が塵を飛ばし、
富士山(平成13年1月4日撮影は羽田空港屋上デッキより)がくっきり見えている。
空から観る富士山(ANA16便より平成13年1月4日撮影)も絶景であったが、
デッキからの景色も凄い、飛行機の乗り心地の悪かった分、地上での富士山が
しっかりと見えた。
ところで反対側の海の向こう側にはディズニーランドの火山と周辺のホテル群が
並んでいた。1時間がアッという間に過ぎ、鴬谷へ帰ることにする。昼からの来客に
むけての準備もある。
今、モノレールに揺られながら打ち込んでいますが、さて今年はどんな年になるやら、
株式市場は米国では大暴落から始まり、どうなることやらと思った途端に金利の引き下げ
により、どうにかこうにか、土俵ぎはで留まったとか、でもこの先、安心は出来そうもない。
日本丸はどうなることやら・・しっかりと目を見開いてのお楽しみに……・・
|
2000年12月30日
あと2日 |
明日の(大晦日)を前に帰神準備で大忙しの状態であるが、帰るにあたって
初代社長の霊前に報告をと、山手線に乗るために鴬谷駅で車両に乗ったのは
良かったが、酔っ払いが席からずりおちて、横たわっていたいい気なもんだ
と思っていたら、御徒町駅で偽善者が大きな声で、「人が倒れている。
駅員はどこだ」と騒ぎ立てた為、駅員が来るまでの停車となった。
駅員が、息咳きってかけつけ、「大丈夫ですか?」と声を掛けている。
気が付いたのか起きあっがったのは、良かったが、車両の外へ連れ出されて
揉めている。
何故連れ出されたのか、熟睡中の彼にとっては、ふってわいた災難、行く処がある
ので、電車に乗せろといきまいてる。駅員を呼んだ偽善者は、英雄ずらして向いの
京浜東北線に、いってしまった。数分して車両は発車したが、遠くで救急車の
ピーポーの音が。東京って人が多いのでこんなことが日常茶飯事考えなくっちゃ
何事もなかったかのように、秋葉原駅で乗り換え、水道橋駅へそして改札を出ると
駅前の通路はダフ屋で一杯だった。ボリショイサーカスの券でもあさっているのか?
私は交差点をすこし、お茶の水駅よりにもどり、少し中央線からはなれるように路地を
入ると、そこには初代社長(内田庄治さん)の眠る墓がある予定だった。
去年、来た時は、本堂が修理中で墓へいく道が大変だったことを覚えている。
今年は、お墓が無くなっていた。その場所には、2番内田と書いてあるガムテープが
貼っているだけだった。
本郷荘園の構想で5階立てのビルにしあがるとの事であった。その為の一時移動だっ
たのだ。
「今回、永代供養付きのお墓を購入されませんか」との案内人の話であった。
社長に報告にきて購入はないだろうと思い、理由を言って2階の納骨堂前の斎壇へ、
行った。
そしてお線香をあげているところへ7、8人の家族の一団がこられた。
興安寺住職渡辺氏がお骨を納骨堂へ運んで行かれた。年末のご不幸は大変である。
早々に、興安寺をあとにして東京ドームへ市場調査とあいなった。
ドーム横のアメニティーショップでは、2000年巨人軍のシリーズ優勝関連グッズが
売れていた。
そしてもうひとつは、アニメキャラクターの関連グッズであった。
それとカードがあんなに流行しているとは、特に清原関連がよく売れいるようの思う
のは関西人のえこひいきであろうか。どうもあるところにはあるみたいである。
後楽園ドームホテルは、若い女性客でチェックイン・カウターは長蛇の列であった。
またまた、あるところにはあるし、特化した、消費があることを確信した。そう言え
ば、海外へ60万人が旅行に出かけるとのこと、2000年問題で足留をくった人たち
の、数もはいいているんだろうと思った。でも我が家は、毎年海外をの目標は
3年目にして崩れ去った。その理由は後日結果としてでますので・・・・・・・
|
プレゼント |
1 
1月29・30日の二日間で、4200kmを、東奔西走、朝4時起きで、
福岡札幌・盛岡と3つの拠点を足早に回ることと相成った。
ここで解かった事は、やはり、東京中心に全ては、はこんでいる
という事であった。福岡から札幌へは直行はあるけれど、11時
過ぎにしか到着しないが、いったん東京へ帰ると9時前には
札幌に到着するという事実と、運賃が基幹路線の為、割引も
相当あったという事実である。
日本列島不景気風が吹き荒れているが、特に、九州・北海道は
不景気が深刻だ。でも街は活気がみなぎっていて、若い人々は
特に購買力もあるようだ。地下街やショッピングセンター等の店舗は、
都市部の若者の店とほとんど変わりなかった。
マスメディアの影響で、顔黒も札幌の通学・通勤途中の列車の
なかで見つけたが、雪の白さに反して、其の黒さは異常な位、
目立っていた。
札幌の街は一面の雪で、久しぶりの積雪であった。十数年前、
雪国の新潟で勤務した時のことを、思い起こさせた。ところで、
それから4日後かぜを引いてしまって、今大変です、
インフルエンザだと思います。
節々も痛く、特にのどに来て声も出しにくいです。特に、甲状腺が
無い小生にとって、風邪は万病のもとです。恐くて恐くて、臓器が
無いという事、ほんとにつらいものですよ。
さて、今回、今世紀最後の2000年記念セレモニーとして、手持ち
のカードや、イベントグッズをプレゼントする計画をしています。
奮って応募して下さい。オンラインでホームページを開いてもらい、
伝言板に、5桁の数字を書き込んでもらいます。
それらを平成13年1月1日元旦に、抽選します。ご期待下さい。
|
11月12日
阿波徳島 |
阿波の国、名物阿波おどりは、踊りて男女の踊り方と、それらを支える鳴り物
「鳴り物」とは囃し方(はやしかた)が演奏する楽器のことで、リズムを刻む
鉦(かね)や大太鼓、音色を奏でる三味線などで構成されている。
鉦:踊りに初めて使われた楽器であろうといわれている。当て鉦とも呼ばれ、
撞木(しゅもく:鹿の角を切ったものを先につけたもの)で打ち鳴らし、踊りの
リズムをリードする、かん高い音が鳴る。鹿の角は、伯州散を構成する
ひとつの薬草原料でもある。
大太鼓:ドンドーンと腹の底に響きわたるダイナッミックな音は阿波踊りの躍動感
をさらに盛り上げてくれる。
締太鼓(しめだいこ):甲高い、心浮き立つような音がでる、使用前に調べ紐を
締めておくと良い音が出る。使用後は皮が痛まないように必ず調べ紐をゆるめておく。
鼓(つづみ):張り扇で叩く大鼓と手で叩く小鼓がある。お囃しに潤いを与えて
くれる楽器である。
笛:鳴り物のうち、唯一旋律的なメロディー楽器である。その音色は単調な音程の
中で、心澄ます響きをもっている。
三味線:阿波踊りとは切り離せない楽器である。歯切れの良い撥(ばち)さばきが、
心地よい音色をかき鳴らす。
以上鳴り物のハーモニィーが踊り手を躍動させる原動力となる。ところで女おどりの
基本である衣装編み笠(鳥追い笠):「笠会は踊り子の命」とよばれるくらい、其の
目深くかぶった姿からは妖艶な色香がただよう。そして浴衣の、特に蹴出し(けだし)
から時々見え隠れする脛(すね)や、黒塗りの利休下駄の紅白の鼻緒のねじりあった
絡み具合が、自分が男であることを感じさせるには十分すぎた。
時期はずれの、イベントでの泡沫の舞いではあったが、心癒すに十分なひとときで
あった。見え隠れする足元、そして白い木綿の手甲に隠す事の、美しさをこの歳に
なって感じるとは、いやはやなんともいえない心持である。
写真をクリックしてください
|
今徳島にいます。
11月12日 |
阿波の国、ひびきが良いですね。昔使っていた、国の呼び方には、
由緒があって情緒もあった。癒しではないが、こころの奥底まで、響く
名もある。阿波の十郎兵衛は、浄瑠璃では代表作の主人公でもある。
その徳島の駅前にいま立っている。でも雰囲気が、思ったより進化
しすぎている。10分おきに出発するバスを見ていると、明石海峡大橋の
開通により、交通網がガラッと変化してしまっている。
便利さが勝って何かを失っているみたいだ。大阪(梅田)行などは、2台
満席の状態で出発して行った、と思うまもなく、舞子(神戸)行きと三宮行
きが、バス停にとまっていた。頻繁に出せる運行表も、すごいけれど
それをささえる利用客の多さには感激だった。
街は、朝も早いのに活気付いていて、店の多さもすごいけれど、朝早くか
ら開いているのには感心させられた。
これから、徳島文理大で、日本漢方交流会学術総会徳島大会が開催されます。
市民公開講座も開催され昨日お会いしたT大学薬学のM先生が薬草について
講演されます。多くのひとびとに啓蒙活動をされている先生の姿を、みて真の
くすしの姿を、見たような気がします。
台湾の頼先生ありがとうございました、これも人のご縁だな―としみじみ思いました。 |
作者 登場 |
マツキンパパのイラストを描いた Kiri さん 登場です。
写真をクリックして下さい。 |