Matsukin Papa    の近況日誌


このページは MatsukinPapa (松本 克彦)の近況報告です。        


2000年前半の日記です
9月25日
高石清和先生より
写真を頂きました。

高石清和先生より (2000年8月18日)

オ―ストリアとドイツの国境の町でバスの
休憩時間に町の薬局をのぞきました。
大量の薬が整然と保管された整理棚の
室から、必要な薬を索引して取り出す
機能的なシステムにびっくりしました。

しきりに写真を写したら女主人が「お前は
薬剤師か?]とたづねました。相手のドイツ
語とこちらのカタコトの英語では話が進み
ません。

女主人にあなたの写真をとりたいといったら、
ちょっと待てと奥から薬剤師の若い女性を
何人もつれてきて皆を写せといいます。

またびっくりで店の奥に製剤室があることが
分かり、その製剤室が見たいが、もう見学
する時間がありませんでした。
その時のスナップ写真です。






オーストリア と ドイツ の国境の町の薬局


  

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3月末の永井さん感謝会では松本君が
たいヘん活躍してくれました。その時の
松本君のスナップ写真を一枚お届けします。

永井 吉澄 先生 に感謝する会(平成12年3月)


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続麺街道の旅
8月27日



(クリックで写真拡大)
麺街道の懸賞(特賞)にあたって、ベガスへ行ってから
7ケ月がたち、久しぶりに、家内と麺街道の旅に出た。
任田・石田さんの住む久喜の駅を通過小山で、憧れの
両毛線に乗り変えるわけだが、6番線までの長いこと、
でも若い人達は、走って行ってしまったようだが、私達も
遅ればせながら走った。両毛線の案内番が9時8分から
58分にパラパラとめくれて変わってしまったけれど、階段
を駆け降りていった。20m位先に電車があったが、もう
ドアが閉まっていた。

「待てくださーい」都会へ来て大声で叫んだのは久しぶり
だった。その甲斐あってドアが開き「みんな待てますので、
急いでください。」のかけ声が車掌さんからかかった。
久しぶりの瞬発力1分前の電車に乗れることの嬉しさは
格別でした。

両毛線佐野駅で下車、小京都風の町並みを歩くことに
なった。街角で吹奏楽団が練習をしていたがめづらしい
ものをみた。佐野ラーメンを食べる予定だったが、
11時開店の店が多くてまだどこも始めていない。

途中、梅沢燃料店が炭の効用をうたっていた。すごい
勉強家が、いるもんだ。日輪山観音寺をまいって物産館に
入る。佐野厄除け大師茶なるものを発見、お茶の高砂園
製造の八味どくだみ茶もあった。みんなすごいの、一言である。

佐野駅へ向かった。11時9分の列車で桐生方面に行くこと
になった。駅で待つあいだ青いステンドグラスと風鈴が、
印象的だった。佐野はラーメンも有名だが人形も有名の
ようだ。今度ゆっくりと鑑賞しよう。

佐野駅をあとにして桐生へ向かった。桐生か前橋か新前橋か
麺処ならではのまよい、とうとう新前橋になった。

途中岩宿駅手前に大きな建物があり、駅では多くの男達が
降りたので何かと思ったら桐生ボートだった。それから沿線は、
両側にビニールハウスが建ち並んでいた。このへんのタンボは
まだまだ緑一色であったが久喜辺りでは黄金色だった。

線路の敷石の悪さか、えらく車両が揺れる。町並みもつまって
きたなーと思うと、そこは伊勢崎だった。どの駅にもJR東日本の
続めん街道の登り旗が立っている。

いせざきのオートレース場がありまた前橋けいりんがと賭け事に
熱がはいる地域でもあるみたいだ。もうすぐ前橋になる。時間は
お昼を過ぎそろそろ麺タイムだ。

線路は高架になりバラスと枕木のかげんがいいのか、振動が
ゆるやかになった。新前橋駅に到着。さっそく、五目ラーメンを
食べに行くことに相成った。でも暑い。

駅を降りて歩き始めたのはいいが、何処までいっても店がない。
もう暑さで死にそうだと思っていたら春華があった。ラーメン通
から言わせれば、めんではないかもしれないけれど、そこの
五目ラーメンは格別だ。五目あんかけも美味しかった。

そしてもう一つ餅形の餃子はほんとに家庭風で美味しかった。
女主人も東京からだというとこれまた、喜んでくれた。時間は
1時を過ぎ前橋に戻り富士見温泉に駅を降りてバスを捜して
いるうちにまたもやバスは発車。大声で、止まってもらう。
バスに乗って40分赤城山の麓の富士見温泉に到着する。
時間的には、ベストの状態である。ここで昼まかいた汗を、
しっかり落として帰ろう。

関西漢法研究会
からの残暑見舞い
が届きました。

平成12年8月
残暑お見舞い申し上げます
        平成12年8月
        関西漢法研究会事務局一同

【連絡】8月の定例研究会はお休みです。次回は
9月30日の第5土曜日です。間違いなきよう
お願いします。第11期第2回の7月例会の講義で
「夏バテ」について森山,板垣両講師から撃退方法
の話がありました。基本をもう−度整理して相談に
来る患者さんにアドバイスして下さい。

次回9月の例会のテーマは「婦人病」についてです。
婦人病について質問等があれば,事前に御連絡
下されば当日(9/30)症例検討できるように準備
いたします。

<紫外線のお話>−白内障−
白内障における眼のレンズの白濁化は、紫外線
などによる光酸化によつてタンパク質が変性して
起こることが、ひとつの原因として考えられて
います。

米国では,ピタミンCやEを補給することによって
白内障の進行を抑えたという報告が出ていますが、
それらの研究は、小規模な研究であるため、現圧、
米国の医師約2万人が自ら被験者となり、ピタミンC、
E、βカロテン補給と眼科疾患との関係を解明する
試験が行われているようです。


     関西漢法研究会事務局

53歳の誕生日
8月14日


S.Sさん



歌手 S.O.さん
(クリックで写真拡大)
53歳の誕生日も、多くのメールで祝っていただき、
ハッピィーな松均父です。

14日というのは、盆の中日みたいな日で、毎年だれも
祝ってくれない。ただS.Sさんは特別で、彼女との付き
合いは十数年になる。今年も祝電がきていた。

ところで今年は、墓参りの為、神戸に帰りたかったが、
東京への帰りの足の確保が困難だったため、あきらめた。
実は和歌山で、いろいろ来年以降の計画もあったのだが、
之もお流れになっていた。和歌山のN先生には、急な取り
止めでまた、迷惑をおかけしてしまった。

14日は家内と昼から池之端の東天紅で食事をした。
食後の散策で、不忍の池を歩いていると、満開のハスの
花を背景に録画取りをしていた。S.Oさんで、25日放送分
とのこと、曲は新曲のようで、エールを送くろうというフレーズ
があり、一生懸命に働いている私にとって感動の場面で
あった。

我にかえりサインを求めたが、彼はサインしないとのこと、
ADさんに、誕生日であることをつげ、再挑戦するとOKとのこと。
あまりこういうことは、年をとってからしていないので、むかし
おっかけをしていた懐かしい日々が、思い出された。
老いても時々少年になることは良いことかも。
変わり行く、曽根崎新地
(その2)
堂島には、GやMHの行きつけ店があったが、ここ数年は、
行ける雰囲気でもないし、行くと景気がまだ良いのかなと、
思われる。でも、忘れられてはいままでの投資がもったいない。
だから散策も、ありえなかった。

が、久しぶりに、街を歩いてみて、わかったことは、官庁接待は
なくなったが、まだまだ利用はされている。金曜日などは、まだまだ
何処吹く風というようなにぎやかなところがあった。ところで、街の
建物も、目新しいビルがいくつか建設されていて、それに新しい
テナントが、しっかりと入店している事であった。

元気のある人達は、何処かにいるんだ。IT革命の寵児達が、
違った形で、利用しているみたいだ。20代から30代ぐらいの
若者が、利用するには、レストラン(イタリアンレストラン)・
オープンカフェー・ショットバーなど、昔の新地では、考えられない
光景が多々ある。割烹も、店を開けておくこと自体難しい。

価格体系も、バブル崩壊以前から比べると、相当リーズナブルに
なっている。Kと言う店は、いまだに、東京のみなさんにも、紹介
している。そこそこ、おかみや店長は、知らないより、知ってるほうが、
良い。顧客管理の重要なポイントでもある。時代がいかに変わろう
とも、顧客が、望むところをしっかりつかめば、商いの、繁盛する事は、
過去の歴史からも学び取れる。

クラブ「Y」ラウウジ「O]などは、ママの、人脈のすごさにも一種の
感動を覚える。20数年前銀座で、殆ど毎日飲んでいたことを思うと、
若い時代に、経験する事の、大切さは身を持って学ぶべきだと思う。
新薬メーカーのプロパー時代のお話でした。



変わり行く、曽根崎新地  仕事仕事の明け暮れで、幾久しく訪れていなかった、
新地界隈の探索に出かけた。昔、弘法大師・薬師如来・
地蔵菩薩を祭っていた、堂島薬師堂が、合鴨専門店
呑兵衛薬師堂店になっていたのには仰天した。

そのむかし、ライバル会社のT社長に、つれていって
もらった店のビルの前にあった、建物である。ほのよい
焼き鳥の匂いも漂っていてやはりそこは、飲食店になっていた。

新地の中には大きな新聞社の跡地があって、あれから、
数年経っていた。当然そこには大きなビルが、その片隅に
新堂島薬師堂が移転していた。来る5月23日午前十一時
法相宗大本山奈良薬師寺僧侶による、不動護摩供養が、
おこなわれると言う。是非、ご参列頂きたいと思います。

奈良薬師寺のT官長には、学生時代みんなでお世話に
なったものだから、こんな時にお返しのつもりで、みなさんへ
のご案内だけでもと、思いました。

そこから、50mもいかない堂島1丁目5−40に、1935年
から開いているサンボアというバーが、いまだに、威風堂々
として、未だ店を開いていた。多くの店が,栄枯盛衰のなか
消えていく中で、65年もやっていくには、並みの努力では
ない事が、ひしひしと伝わってくる。

その隣のビルは、関西での、漢方の大家の故M先生の
未亡人が、住んでいらっしゃるとのことであるが、いまは
定かでない。そのビルの1階は杢冶(もくじ)と言う割烹の店
が営業をされている。なまえも良い名前であるが、
今だ入ったことがない。
(その1)

働きすぎの・・・・
5月10日
 ゴールデンウィークは、いつもしないことを、しようと思い、
まず、家の裏の保久良山へ早朝登りました。朝6時30分ごろ
登り始めると、朝のラジオ体操を終えた老人の群れが約100
名近く、怒とうをなして、おりてきました。まさに、老人パワーの
さく裂だ。

此の山には、灘の一つ火といってむかしから、沖合いの船に
位置を知らせていたみたいで、戦後もずうっと明かりがともされて
いたみたいだ。昔は、電気がなかったので、油を運んでいたみたいで、
標高は200米に満たないが、海上からは良く見えたようである。

保久良山には、梅林があり、多くの小さな実が枝じゅうになっていた。
近くでは、ホーホケキョとうぐいすの大合唱があり、家から30分で、
自然の懐に入れる環境はまさに極楽浄土にいるような気がした。
むかしはここらあたりは摂津の国で、東灘区になるまえは、十近い
区があったように思う、今回春祭りで29基のだんじりが大集合し、
いちだいイベントに、なっていた。氏子ではないが、それなりに、
おもしろい。

先日、江戸の清澄公園に行って、3万坪の大きさを味わっては、
みたものの、昔、全国から集めた珍しい石の中に、「摂津御影石」
の大作が、何点かあって、非常に、優越感を味わえた。
今後、日本人の無くした物を探して、旅に出掛けようと、思います。

GWは、いつも私にとって、グロキィー・ウィークになってしまう。
このへんを改善しないと。




灘の一つ火
  
ラスベガス報告4
2月29日
 12日はクリントン大統領に妨害されキャンセルになったグランド・
キャニオンの再トライアルで朝一番のフライト予約オーケーで、
これまたラッキィーの一言につきます。

飛行場の待合い場所は80人近い人々でうけつけはあふれていました。
でも慣れた従業員の方々の機転ですみやかに、グループ組み編成され
4機ぐらいはすぐにスタンバイの状態になりました。我々の小型機は
パイロットと副操縦士は両方とも女性で、日本の仕事の振り分けは
まだまだ遅れているなーと思いました。

ラスベガス郊外の飛行場から飛び立った飛行機は市内上空を旋回後、
グランド・キャニオンへ向かいました。砂漠の真ん中に人工の街そして、
その当時では世界最大規模のフウバーダムを下にみながら一路、
グランドキャニオンの飛行場に、そこには軍用機2機(前日の
クリントン大統領の警備用のヘリコプターを収納するため待機していた)が、
帰る頃には軍用機の一機はいなくなっていた。

コロラド川が氷河時代からおよそ3〜10億年の長い歳月をかけて、
浸食して作り上げた自然の大渓谷を目の前にして、そこに生活を
営んでいた、アメリカインデアン達はどうなったんだろうと、その当時に
思いを馳せました。

ビュフェスタイルでの昼食を取った後で雪に覆われた道を、散策しました。
松ぼっくりの傘が大きくそこからはじけた実が、多く散らばっていて、
きれいな物を拾い集め、その数個を食べました。
そういえば、先先代の内田庄治氏は、酒のアテに松の実を韓国で買って
こられて、よく食べていられたことを、思い出しました。
韓国の物は、食べた経験がありましたが、アメリカの松の実は初めて
でしたが、大きくて美味しかったです。

1時間ぐらいの後、ラスベガスにむけて帰ることとなりました。
太陽の光の射し加減で、渓谷の色合いもいろんな色があり、年代ごとに
よって、層が出来てるようにも見えました。
自然の美術館の見学会でした。
ラスベガス報告3
2月29日
カジノについて説明しようと、思ったがここは外国、民族主義の私にとって、
対人関係がもっとも、問題でつまり人の関与のない、スロットマシーン
オンリーに、なってしまった。
機械は、5セント、25セント、1ドルとコーナーが決まっていて最初は
5セントから始めたがすぐ物足りなくなり、25セントへ10ドル(1本40枚
包んだ筒状)を数本持ち歩きその筒をつぶしながら、ゲームを楽しんでいた、
後でわかったことだが、10ドル紙幣を機会に入れたほうが、段取りは
良かったようだ。
最初は数枚を賭ける方式だったが、最大の賭け枚数を処理するように
なって、当たる確立が上がって行ったような気がする。
そして最初のジャックポットになった。
 25セント*1400枚それからパティー・パティーでまた800枚,ビンゴで
600枚と順調に滑り出しはしたけれど、なくなるのも早かった。
でも500ドルぐらいは浮かせたつもりで、気分は上々でした。
そしてスロットマシーンのはしごが始まったのです。

マンダレイ・ベイそして隣のルクソール、トロピカーナでタクシーを
つかまえミラージュへフラミンゴ・ヒルトンベラッシオとあまりの早回りに
足は棒のようになっていました。でも10ドルコインを7枚ほど手に入れる
ことが出来ました。
記念メダルは、各ホテルの数百台(もしくはホテルによっては千数百台)の
マシーンからそのホテル専用の記念コインを出す機械を探す。
それが大変で、最終的にモンテカルロ・ルクソール・ベラッジオの
3ホテルのカジノからの収穫でした。そんなことにうつつを抜かし、カードや
ダイスは一切しませんでした。次回の時に残しておこう。・・・

ホテルのカジノばかりでなく無料のまた有料のアトラクションもあって、
時間をうまく利用しての見学もまた旅行の醍醐味でした。トレージャー・
アイランドのバッカニア・ベイ海賊と英国海軍の戦いで、艦船が水中へ
沈んでいくあたりの技術は良くできていて、水兵や艦長が水面下に
消えていくあたり無料とはいえ、観客からの拍手は鳴り止まなかった。
そのとなりのミラージュホテルはボルケーノ火器を使った巨大な
火山の爆発シーンなどは之また無料アメリカ・アメリカであった。
そしてきわめつけはベラッシオのウォーターショーで300m近い
噴水の列からとびでる水がライトを浴び様々な音楽にあわせて
踊りだす、その美しさはうっとりとするほどロマンチィクでした。

無料のショーはこれくらいにして、宿泊しているモンテカルロホテル
の今や世界一のマジシャンと称されるランス・バートンの華麗なる
ショウを、家内のプレゼントにリザーブしました。
会場はその華麗さとスピードの速さに魅了され、なんども
アンビリーバボのため息がどよめいていました。
その興奮さめやらぬうちに12日を迎えることになりました。
でもさっきの歩き疲れ等もあってぐっすりの熟睡でした。


ラスベガス報告2
2月17日
ラスベガスという街は、24時間活気があり、どのホテルも
フロアの1階はカジノで占められていて、たえずあちこちで
コインの出る音が聞こえ、それは昔と違いカジュアルな感じに
変化した夢の国の様でした。
どのホテルも豪華でそれぞれに特徴もありホテル巡りだけでも、
あっという間に時間が過ぎてしまいました。
24時間眠らない街カジノということで、ネオンの数も多くそれは
不夜城と言うのにふさわしい光景でした。
なかでもリオ・ホテルだけ国道の向こう側にぽつんとあり、色彩も
紫がかった赤と紺青色のコントラストはなぜか今度行って
みたいなーと思わせるホテルの、中に入りました、ひょっとして、
ガイドさんの、リオのバフェーは、おいしいと言ううわさが根源かな。

街はずれの、ストラストフィアタワーからの、夜景もすばらしものでした。
家内は、高いところはあまりいやだと言ってたのに、昇ってみた、
その景色のすばらしさに呆然としていました。ラスベガスを象徴する
展望タワーは地上280M,その屋上にビッグ・ショットとジェット・
コースターを造ってしまう、アメリカ人の陽気さが、この好景気を
支えているんだなーと、思いました。
私はビッグ・ショットにのりさらに49M上から落下(上昇時は
時速70Kmで打ち上げ)、スリルは最高でした。
家内はハイ・ローラー(ジェット・コースター)に、277Mの空中を
時速48Km、最大斜度32度で回るため、外側に乗ると、空中に
放り出されるようなスリルがあるため、こわがりの家内は内側で
スリル半減。

1月10日は家内の誕生日そして結婚記念日いい思い出が出来ました。
30周年記念日にもまた訪れたいなー。

明けて11日はクリントン大統領に妨害されグランドキャニオンのフライト
予約がキャンセルに、でもガイドさんの機転で12日に変更してもらう。

ラスベガスはカジノのとホテルだけではなくアウトレットのお店も
充実しているので、買い物も楽しく、とうてい旅行では買ってこないよう
なモノまでも、その安さに負けて買ってしまい、大きな袋を5,6個両手
に抱え、大荷物になってしまいました。
高級百貨店ニーマンマーカスでの買い物は大人になったらという、
憧れの店でした。
私たちの行ったところはファッション・アウトレットでラスベガス中心部から
車で約40分で、幸い我々の泊まっているホテル(モンテカルロ)のとなり、
ニューヨーク・ニューヨークの北玄関から予約で往復10ドル(シャトルバス)、
40分のバス旅行は見渡す限り一面砂漠というのもおつなものです。
ラスベガス報告1
1月18日
ラスベガス・グランドキャニオンととてつもない旅行でした。
機内に約10時間往復20時間と、このあいだのヨーロッパよりは
短い時間だけれど大変でした、ホテルはモンテカルロと思ったより、
ゴージャスでした。着いた日から、さっそくデラックスナイトツアーに
出かけ、イタリアンレストランの、ピエロで、たらふくご馳走を平らげ
ました。また、オーダーのレッドワインも、思ったより多い、グラスワイン
なのに、ボトルかなと思う量でした。食後の運動で、ストラスフィアータワー
へ登ることに。それは大変な高さで、さらにそのうえでジェトコースター
に乗るという、いちだいイベントでした。

初日の話はそれくらいにして、これから毎日カジノのお話しになります。
まずは25セント40枚分を(つまり10弗紙幣一枚を)交換。
そして、スロットマシーンにむかい、まずは一枚から。でも戻ってくるのも
少ない、ゆえに一度に8枚づつ、こうするとすぐなくなり10弗もあっというま。
こうしてお金はなくなっていくんだなと、のとき1400枚がでてきて
おおあわて・・
つづく、どんどんかいていますので、楽しみにお待ちください。



   

  

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大阪にて。
1月16日
 

 写真をクリックしてください
ラスベガスへ
行ってきます。
1月10日
1972年1月10日私達は美国にて結婚式を挙げました、縁あって
今日から14日まで、二度目のハネムーンに行ってきます。
あいにくの雨ですが、ベガスは、好天に恵まれるでしょう、また、
そう祈りたいものです。
業界は、食薬区分で、おおゆれに揺れるとおもいます。
また、アメリカの外圧は、思ったよりきついものがあります、
これは国と国の戦いです、でも百聞は一見にしかずと言います、
28年前商店界・商業界のみなさんで業界視察を行ないました。
シーアーズローバックの全盛の頃、セブンイレブンやウールマートがこれから
という時代です、今、日本ではセブンイレブンが流通のキーワードに
成つつあります。いま美国ではダイエタリーサプリメントが流行しています。
其の現状を見てきます、2000ドル位の購入予算で、ウオールグリーンで
購入するつもりです。いかなる旅になるやら帰ってからのお楽しみ・・・・



 


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