Matsukin Papa    の近況日誌


このページは MatsukinPapa (松本 克彦)の近況報告です。        

2001年2月から 2001年3月までの日誌です
3月17日
上野恩賜公園
3月17日鶴見区で、貨物の電源車の部分が脱線で通行止めに、
東京駅では横浜・伊豆方面のホームが閉鎖になっていた。

空模様はかんばしくなく朝から雨、でも雨は昼前にはアガリ、
昼から第19回健康博覧会へ見学に。最終日でも混でいた。

中国・韓国・ブラジルと直接売り込みの店もあった、当然、
日本における代理店探しも兼ねているようだ。流通は確実に
変化している。

ボーダーレス時代に!先が見えない時代と言われるが、国家間の
思惑があり過ぎていまだに、先が読めない。
 
ところが上野公園には130年も前に、公園を残すように働きかけた
オランダ軍医がいた。
あの石黒忠直軍医総監を、一喝した人物だ。

ボードウィン博士。
現在の大阪大学・東京大学での医学創設期の教師をした人物である。
その碑が、公園のなかに、ひっそりと建てられている。

今ではその周りを青いシートのテントが張ってある。
失業者がこれほど多くなることを、予測してたのであろうか?

来週くらいには、桜の花見でドンちゃんするグループと、ひっそり時の
過ぎ行くのを待っているグループで、問題が起きなきゃ良いが。
写真は花道と公園中央の噴水と博士の胸像と青いシートのテントハウス
を添付します。





3月17日
トーフ ラーメン
復活


丸ちゃん食堂が数日前から開店していた、うわさでは放火されたとか、火事の記事は
伝言板にてお読みください。
とうふラーメンが復活したという事で、みんな安心。ラーメン屋さんが5軒競って、
盛業中、お互いが特徴あって、
それぞれに頑張ってもらいたい。また、社員の夜食でお世話になるかも?
3月17日
神戸祭り
(サンバ)で逢いましょう


ブラジルの女性(プロダンサー)とピエダーテ地方の話から、産物の話まで、色々話
す機会があった、ところで
神戸祭りのサンバチィーム(コパカバーナ?だったかな)にもでるし、24時間TVに
も出場とか、コスチューム(手縫いのレース風)をみたら、腰が抜けそうなくらい大
胆・・・・・、当日を楽しみに。KiriさんじゃなくってKikiさんガンバ
2月27日 浪花のM.・Aさんより

喜多先生の訃報に学生時代の講義の様子を思い出し、時の流れを感じています。
私の世代も決して若いとは言えない世代になってきました。いつも最前線で気も体も
若いつもりでいますが、そろそろ定年後のことを考えだしている同年輩のことの話を
聞くと、責任ある世代として何をなすべきかをいまさらながら考えてしまいます。
人の不幸を自分のこととして考えられないトップをもつ国民は・・・・

喜多先生のご冥福をお祈りいたします。ご連絡ありがとう。
2月25日
岡本梅林
もうすぐ、そこに春が、歩奈ちゃんおんもへ、出よう。

 



岡本公園  
かって、灘随一と呼ばれた「岡本梅林」。その面影を伝える岡本公園は、
閑静な住宅街に囲まれた、隠れた梅の名所。130本と少なめながら、豊後系、
野梅系など、合わせて約27種あり、春の声を聞くと同時に、枝振りも良く咲き
そろう保久良梅林。

 眼下に大阪湾を望む保久良山の、山頂に鎮座する保久良神社。梅林は
境内の西斜面に広がり、約250本の梅の花が3月上旬にかけて一斉に咲き誇る。
鳥居横の大灯籠は、日本初の灯台「灘の一つ火」。こんにちも航海の安全を
祈って、火がともされる。夕暮れ、灯籠の明かりに浮かび上がる梅も、また趣がある。



 保久良梅林を取り巻くように、雑木林が広がっている。春になれば、花粉症と、多
くの患者さんの悩みの種である杉や檜の林を思い出す。
単一的な林や森になると次の世代へ自分達の子孫を残すべく、花粉を飛散させる、
昔は営林省あたりで、間引き伐採により、健やかに成長できたが、いまのままでは
お互いが自分達の生命を脅かしている。当然、花粉(子孫)飛散率は高まるばかり、
単一の中に雑物が入ると思いがけない効果が出てくる。



 保久良山を散策する時、雑木林のすばらしさが、ひしひしと伝わってくる。自然の
創った林は森は力強いし、また人間にも優しい。

「自然に帰れ」数百年たったいまでもつうづる言葉です。いま、イギリスが狂牛病と
口蹄疫で国が滅ぼうとしています、自然の逆襲かもしれません。
2月11日 カルフールが幕張に日本第一号店を出店してから大進撃。
今度は関西大阪光明池にさあ迎え撃つは、ダイエー、ジャスコを含む7店舗の日本軍。
フランスのセンスは、エレガントに感じるが、なんせ価格戦争大阪のとぎすまされた
おばさんパワーにどう対処するかで、将来が決まる。

以前中内さんが、スーパーの王様になって日本を引っ張ってきたがそれも、神戸の地震以来
王座をおわれ、今回は会社の地位までおわれてしまった。

さあ、日仏戦争はいかなる結末を迎えることやら今から其の調査へ、光明池に・・・・・
2月11日



多くの英霊のうえに我らの今日があることを、感謝しなければ。

(靖國神社社務所  平成十三年二月 社頭掲示)

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昭和十九年出陣に當リテ
                       陸軍大尉  山田 宏命

       昭和ニ十年二月二十五日フィリピン群島にて戦死
                       福岡県遠賀郡出身 二十三歳

弟妹ニ輿フルノ書

天下ニハ色々ノ物ガアル 然シ最モ尊イノハ天皇陛下デ在シマス 次ハ父母デアル 
幾千万円トスルダイヤモ或ハ如何ナル立派ナル家モ父母ノ愛ノ前ニハ取ルニ足ラナイ
ノデアル 人卜言フモノハ空気ノ有り難サヲ知ラザル如ク父母ノ恩ガアマリ大キイ
カラ真ニ有り難イトワカル事ガ少イノデアル 

サウシテ父母ガナクナラレテカラ初メテ自分ノ孝行ノ致ラザリシヲ歎クノデアル
試験ナドノ忙シイ時ニハ御両親カラ物事ヲ言ヒツケラレルトマタ怒ル 
コレナドハ最モイケナイ事デ父母ニ孝ナル人ハ大抵成績モヨイモノデアル 
其レ心ニ誠ガアルカラデアル 又サウシテ成績ガ少シ悪イカラト言テモ兄サンハ
決シテドウモ思ハナイ兄ハ本日吉井ヲ去ツテ再ビ大君ノ在シマス東京ニ帰ル
今少シ家ニアリテ孝養ヲ盡シタクアルケレドモソレハ出来ナイ 
ドウカ兄弟ハ仲良クシテ孝行シテ戴キタイ ソレガ兄ニ報ユル最上ノモノデアリ
又大ニシテハ 大君ニ忠タル所以デアル 
汝等ニシテ一度父母ニ我儘ヲ言フナラ一日父母ノ命ヲ縮メルモノナリ
                                 
                                          兄ヨリ
   八月二十三日

 俊子・邦雄殿 
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