Matsukin Papa    の近況日誌


このページは MatsukinPapa (松本 克彦)の
1999年の日誌です。     
   



1999年の日誌です
いま、フランスの
タラソテラピィーに
来ています。
12月25日
12月25日朝、8時15分発の専用機で、気分は南フランスへ
テムルマラン直行バスは、昨日より始まった日比谷の、ミレナリオ会場の
入口近くを、出発2時間半で勝浦のタラソテラピーセンター「テルムマラン・
パシフィーク」へ.。プログラムは、いずれも所用時間は、約4時間で、
30種類のトリートメントがあり、個々の人々に、各トリートメントメニューを、
受けることが、出来ましたが、今回は基本パッケージのトライアル
プログラムを、試みましたが、ほんとうに、はまってしまいました。
次回は、参議院議員会館の、若き女性秘書達と、グループを、組んで
参加しようと思います。タラソテラピーのプログラムを少々紹介しておきます。
各トリートメントの間には、十分なリラクゼーションタイムがあり、
健康の三要素「運動」「休養」「栄養」の適当なローテーションを行ないながら、
時間を楽しみました。普通本場フランスでは、1週間ほど、滞在しながら、
受けるのが、あたりまえとか、せわしい日本人にはちょっと贅沢かも、
一度みなさんも、おこしになっては



銀座第2弾
11月5日
銀座の街は、変わらない。でも、そこを訪れる人々は、どんどん変わっていく、
マツキヨ(マツモトキヨシ)が、銀座で、営業をということで調査に。
その真向いに宮内庁御用達ブーツ3号店が、吉祥寺、原宿そして
銀座どれをとっても若者の街へ、出店、むかしむかしアメリカンファーマシが
出来たときと同じ現象が。
薬業界どうなるんでしょうね。ご協力を

第32回
銀座大まつり
10月24日

 ふと気づいたら、思いがけないものに、出会える街、そんな街銀座の
32回目のまつりのど真ん中に、私はいました。今から、28年前に、
先輩プロパーのH,Aさんに初めて、連れて来られたあのころの
思い出は、まだ、鮮明に残っています。
学習院卒業、ひげの殿下をご学友にもつともなれば、常人では、
考えられないことが、いとも簡単に、身に付いてしまう。ブランドでいえば、
めがねのフレームはローデンストック、レンズ はカールツアイス、
カッターシャツは絹製、靴はバリー、ライターはデュポン等
憶えているだけでも、すごい事と思います。いまでだから
直営店も有るので、少しは楽になったかも、しれませんが、当時から、
これらを、購入となるとやはり、銀座は、かかせないショッピングコース
だったに違いない。
今回、まつりの上、最終前日と言うこともあって、人混みを避け、
銀座八丁神社めぐりで巡礼に、旅立つことと相成った。
普通なら順番通りに回る予定を反対の銀座8丁目からのスタートにした、
(12)八官神社(銀座8・西銀座街)スタートを皮切りに
(11)金春稲荷神社(銀座8・西五番街通り)
(10)成功稲荷神社(銀座7・並木通り)
(9)豊岩稲荷神社(銀座7・すずらん)
(8)かく護稲荷神社   かく:雨の下に鶴の字(銀座6・中央)
(7)あづま稲荷神社(銀座5・三原小路)
(6)宝童稲荷神社(銀座4・)
(5)並銀座出世稲荷神社(銀座4・中央通り)
(4)朝日稲荷神社(銀座3・・・)
(3)龍光不動尊(銀座3・中央)
(2)銀座稲荷神社(銀座2・中央)
(1)幸稲荷神社(銀座1・なみき)でした。
交詢社と中央大通りの交わるところの交詢社よりの交差点のころに、
一人の靴磨きのおじさんがいた。28年前は一人のおばさんで、
数枚の布と指だけで、一生懸命靴を磨かれていたのも、また鮮明に
残っています。銀座の街での、数々の出来ごとが、いまの、私に
すくなからず、関わっていてくれてることを、感謝している、
今日の散さくでした。(銀座編・第一話つづく)

世田谷ゆかりの
作家たち
10月14日
私がはじめて東京に上京し、すまいを構えた地は、現在ものどかな田園風景を残し、雑木林と竹林の点在する、粕谷で、近隣には、小京都を思わせる烏山寺町、明治の自由民権運動家たちが往還した甲州街道などが、いまだに、其の風情を、残している、ただ、街並みは、がらりと、変わっているところもあり、当時を、偲ぶ手掛かりは、残念ながら、見つからなかった。
武蔵野の原風景をとどめる此の地に、徳富蘆花や神戸にゆかりのある賀川豊彦らが晩年まで居を構え、著作活動を続けていたなど、知る由もなかった。
ちょうど、正午にかかるころ、粕谷の世田谷区民会館の、向かいにある、一軒のウナギ屋さんで、うな重を、食することとあいなった。おそるおそる28年前の私の住んでいた、話をすると、なんと、小生が、このうなぎを28年前に、何度か、どうも、食べていた様子、これには、同伴の家内も、目を白黒で、良い処に、ご縁があったなと、感謝頻りであった。食後、砧のプラハ展に、行く予定であったが、店の奥さんの薦めもあって、世田谷文学館の、黒澤明展に行くことにした、巨匠黒澤の世界を、垣間みて、良い仕事には、妥協など、有り得ないことも、判った。いい余韻を残し、一路、銀座へ、此の街は、私が、大人になるおおいなる、きっかけを創ってくれた場所で、このことはまた次回に、・・・・・
心身ともに、充実を迎え、回復の早さに、脅威すら感じる今日この頃です。





激励のメールを多数頂いております。ありがとうございました。
その中の1つをご紹介します。



手術後の経過、順調のようでなによりです。
不死身の肉体を持ったことは、僕のような虚弱体質の者
から見ると何物にも代え難い財産だと思います。
でも、無理はしないようにうまくコントロールして下さい。

現在、博物館や美術館巡り、映画鑑賞、図書館通い、
仏蹟巡りなど在職中はなかなかできなかったことに
没頭しています。
人生の充電期というところでしょうか。それにしても
この不況、いつまで続くのでしょうか。
漢方業界もどこも青息、吐息のようですね。
最近、司馬遼太郎さんの作品を読み返していますが、
氏の「日本人論」は、現代の企業社会を生き抜いて
行く上でも大きな示唆があり、若い世代との
変化や対比でもおもしろいものがありますね。

 駕籠に乗る人担ぐ人
   そのまた草鞋を作る人

世の中いろいろですね。環境が変わると世の中の見方も
変化してきます。
では、またお元気で。  
アポロ帰還
9月11日
8日午前中手術終了後、小生の不注意から首の周りに出血し9日真夜中再手術、それも、局所麻酔ぬった糸を、切るはほどくはで、皮膚が幾度も引っ張られ、うなる思いでした。ところで10日の朝を向かえて、無事帰還。
当分ゆっくりと思っていても、周りがだめですね、残る人生大切に、人の為にお役に立てたいと思います。


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隈病院の方針を紹介します。

[ 当院に来られた患者さんへ ]

当院では患者さんに、より納得出来る医療を提供するために
次のように行うよう心掛け、努力しています。

当院の方針
(1)医師は診断、治療方針についてよく説明するようにしています。
(2)説明されて判らなければ遠慮なく質問して下さい。
(3)当院には内科、外科、精神科の医師が沢山おり、相性のいい
 医師を探すことができます。従って、 一旦当院内の医師の一人
 にかかっても満足出来ない場合は、他の医師に何回変わっても
 少しもかまいません。また一人の医師を主治医としていても他の
 医師にも相談したりすることも可能です。
(4)医師から提案された治療法については拒否出来ます。
 そして、その場合代わりに何が出来るか説明し、拒否されたから
 といって医師が態度を変えることはありません。
(5)必要に応じ他の医療機関に紹介します。
(5)他の病院にかかっておられる方で当院に現在の治療法で
 良いかどうか相談され説明を聞くだけで、治療は近くの病院で
 受けることも全く支障ありません。
(7)当院では甲状腺癌については、診断名、治療法、今後の見通し
 について、はっきりありのまま告げる方針にしています。
 何故なら第一に甲状腺癌は治る病気であり、第二には患者さん
 自身が本当の事を知って治療を受けられるのが大切と考えるからです。
(8)当院ではそのような方針で診療するよう心掛けてはいますが、
 それでも納得出来ないこと、判らないことがあれば、担当の医師に
 もう一度聞くなり又は医療相談室においでください。

以上の方針を心掛けていますが、患者さんの数が多いので
 行き届かない時はお許し下さい。

                      院長

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此の病院で私は1999年9月8日午前10時より第3回目の手術を始めたのです。全身麻酔でなにも覚えていませんが、夕方ごろ、リカバリールームに家族が、見舞ってくれたのは、朧気に覚えています。そして真夜中に一大事が起こってしまいました、どうせ小生の元気のせいでしょう暴れたのかどうか、わかりませんが頚からぶらさがっている容器に血が流れず首の部分に貯まっていて、さあ緊急手術局所麻酔にて、傷口をまた開く作業、糸を切る音、取り去る音、縫い合わせる音悲惨な出来ごとでした、でも、心地よい朝がきて、生かされているんだという感動を、味わうことができました。 
富山です
7月17日
そこにいそうなのに・・・・・・、今富山にて仕事中、日曜日は、神戸にて
パーティーがんばっていると思います。月曜日は、報告と今後の営業支援体制作りの
ため帰っています、がんばりますので、宜しくお願いする。
ところで、ゆっくりと、話したいものですね
それまで、夢を語れるよう気張っていてください。
追伸8月7日岐阜に神奈川営業所6名ほどでエイザイの見學会をするそうです。
東京からも出かけますが神農さんを見にいきませんか、募ってください、大阪でよろしく。
朝顔市
7月7日
朝顔の入谷 根岸の笹乃雪 正岡子規 
朝5時に起床して、江戸名物豆富料理を朝食に笹乃雪へ下足札3番で、
絹こし豆富、あんかけ豆富・湯波等を食しました。
元禄の頃、から現在に至るまで豆腐一筋。
お隣の席の、老夫婦は毎年通い続けて30年、継続は力なりと思いました。
それから、食後の散歩で、朝顔市へ(入谷朝顔の由来の資料は別に有ます。
請求下さい)
朝も早いのに混雑、人混みをかきわけ、入谷の鬼子母神へ入谷名物
きびだんごを買い求めて市をあとにしました。これから出社です。
こんどは、ほおずき市へ、下町情緒も粋なもんです。

残念です
7月6日
あいにく7月7日は東京にて残念ですが、関西生薬研究会には
参加出来ません。
サンプルの件、遅くなって済みません。早く参加出来るよう努力いたします。
ところで話かわって入谷の朝顔市、今年は6・7・8日と、賑わう思います。
今小生、山形へ6時22分上野発のやまびこ・つばさ号にのり、
得意先へと向かっています。
こんなことじゃ、身体にいいわけない。
7時55分福島駅にてやまびこ号を切り離し小生の乗るつばさ111号は
山形へと、こんなメールをうつと結構暇かなと思われますが、いそがしい中の
ちょっとしたオアシスです。 
7月18日は神戸まつりですぜひ神戸にいってください。
いま、霧深い山あいを走っています。静寂も良いしまたサンバのリズム
(神戸)もいい
では、またお逢い出来ることを、楽しみに

出張
6月1日
6月2日〜5日大阪で気張っています。
2日は武田の薬草園で撮影勉強中です。
色々な忙しさにおわれて不味い人生です。
5日より東京にて本格稼働です。
連絡とれたら、いいですね・・・・


三社祭
5月17日
16日6時浅草(台東区)の浅草寺への神輿の宮入りでした。
東京での初めての、のんびりした1日でした、
一年間待ちに待てのおまつりで、永い歴史のあるお祭り、
その雰囲気と人の多さに、あっとうされました。
また下町の、人々の生活の一部を、垣間みた様なきがしました。
ひさご通りにある、匠の館に、和弓の製作を、ライブラリーで、みました。
竹で作る弓の幾重にも重ねた工程のなかで、磨きの一工程の中にも、
粗い磨きで砂、中磨きで竹、仕上げで木賊と三段階もあるという事実、
トクサ(木賊)がこんなところでつかわれているという、事実感激のしっぱなし
でした。
20日から大阪に出張です。お逢いできれば、・・・・・・
松本克彦近く、新住所(東京)の連絡いれます。


休みも無く
5月2日
5月2日朝早くから、起床して尾張一宮へ。エーザイのくすり博物館(川島公園)へ
大阪の神農さん(少名彦神社)ゆかりの人々と見学会です。
急ぐ旅でもなく、大阪8:00出発の新快速で米原へ、乗りかえで尾張一宮へ、
垂井あたりの車窓の風景はお茶とレンゲ畑の織りなすコントラストは非常に
綺麗です。また、各駅停車のよさに快さを感じます。
新幹線や飛行機では、味わえないなにかでしょうね。
いま、垂井で4分の列車通過待ちです。人をいつもぬいてる人生の人等は、
一度味わへばいいかも。
ところで、どうも大阪が気になります?
公私ともに、・・・・・・・・・・
今後ともよろしく    松本克彦






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