
89. 新人公演ドキュメント6
開演の5時になるとブザーが鳴り、新人公演が始まった。
ギタリストに電話しても、留守番メッセージになって、
通じない。もしかしたら来ないつもり?私はずっと不
安と戦った。そうこうしていると、大阪の生徒さんや、
ホームページ愛読者の方から、お花やお菓子などの
差し入れが届いた。それを見て、私の中に芸人魂が
芽生えた。どんな状況に陥ろうと、楽しみに観に来て
くれるお客様を裏切ってはいけない。そんなことをした
ら芸人として失格だ。ギターが来なければ、ギターの
メロディーを感じさせる踊りをすればいいのだ。
何が起こっても自分の踊りをする、という強い意思が
沸き上がってきた。そこに、弱い自分はいなくなって
いた。 私は皆からもらったメッセージを机の上に並べ
て、精神を統一した。ギタリストが来なければ、
ギターなしで本番に望む覚悟が出来た時、彼から電話が
かかってきた。
「さっきはごめん。僕が悪かった。今から行くから。」
彼に言いたいことはあったが、本番が終わるまで我慢
することにした。 ギタリストが来てから、地下にある
リハーサル室で、一度だけ通し稽古をした。私は今まで
になかった覚悟と度胸がついていたし、全員揃ったとい
う安心感からか、皆の気持ちがひとつになれ、いい感じ
にまとまったと思う。ただその頃はへとへとに疲れてい
て、力が入らなくなってしまった。差し入れのお弁当も
ぜんぜん咽を通らず、ただ自分の本番を待つだけだった。
この待ち時間の長いことといったら!
ありがたかったのは、ギタリストやカンタオーラの人達
が、私の緊張をほぐそうと、いろいろ気を使ってくれた
ことだった。さっきまでのことがまるで嘘のように、い
い雰囲気になれたのだ。
そして8時過ぎ、待ちにまった自分の出番がやってきた。
フラメンコ練習生を始め、多くの舞踊家が観に来られて
いる上、自分の踊りが評価されるんだと思うと、暗闇の
舞台に立った私は、緊張で足が震えた。そんな緊張を押
さえながら、気持ちを集中させて、今まで稽古した全て
を出しきろうと、踊り始めた。途中、照明が明るすぎ!
とか、最後の決めのポーズの照明も変で不満は残った
が、大きなミスもなく無事に終わることが出来た。
踊り終えた時の約1000人の観客から拍手をもらう嬉し
さと充実感は、私の語彙力ではとても表現しきれない。
この快感を味わったら、どんなにつらくても、また挑戦
したくなるのだ。
バックアーティストの人達も、今までのなかで一番良い
出来だったと、満足してくれた。そこで私は、彼らに
打ち上げに行きましょうと誘った。どうしても、楽屋
以外で話したいことがあったからだ。
私は舞台メイクを落とし着替えてから、ロビーに行って
家族と友達に挨拶をし、それからバックアーティストと
一緒にレストランに行った。そこで私はギタリストに
こう言った。
「今日は私に試練を与えてくれてありがとうございま
す。ギターなしでゲネをしたお陰で度胸がつき、いろん
なことを学ぶことが出来ました。わざとゲネをすっぽ
かしてくれて感謝しています。」
そして言い値のギャラを惜しげもなくお支払いした。
頭ごなしに文句を言っても反省をするタイプの人では
ないというのが分かっていたから、彼の良心が一番痛
む方法で責めることにした。今日の彼がしたことは、
もう関係者には知れ渡っているだろうし、同じような
ことをまたすれば、仕事を無くすかもしれない。彼は
問題の多い人だが、私が上達するにはどうしたらいい
かよく考えてくれたし、彼のギターはとてもいいし
踊りやすいので、ダメになって欲しくないのだ。だか
ら、2時間以上かけて彼を責めた。彼はそれを素直に
受けて反省してくれたので、私は懲りずにまた彼に仕
事を頼むつもりだ。
こうして長い1日が終わった。
去年は稽古に集中できなくて、終わった後の充実感が
なかったが、今年は相当努力したので、気持ちの良い
充実感を味わうことが出来た。また、新人公演に向け
た稽古で自分に足りないものを発見し、新たな課題が
生まれた。
これからも、果てしなき道を少しずつ前に進んでいきたい。
2002.08.30.
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