
85. 新人公演ドキュメント2
6月の初旬、エンサージョをギタリストとするため、
東京に向かった。振付けの構成をどうするか決める
のが目的だった。自分の考えた振付けのパターンを
いくつかしながら、ギタリストの要求に応えて、
2日かけて形にしていった。去年から自分で振付け
をするようになって、大分慣れてきたし、この時点
では何とかいけそうという安心が私の中にあった。
それも、7月の初旬のエンサージョまでだった。
公演まで1ヶ月をきったこともあり、ギタリストの
態度が急に厳しくなってきた。細かいリズムの指
摘から始まり、即興で振付けを変えていくことを
要求されたのだ。
「そこのジャマ−ダの前に、もっと違うセンティ−
ドの振付けをいれてみて」
あれこれ試してみるものの、振付けのバリエーショ
ンをそんなに持っていない私は、ギタリストが満足
する振りをすぐに出来ず「すみません、次のエン
サージョまでに考えてきます」と逃げてばかりいた。
途中からカンタオーラの人も加わり、サリーダ(出
だし)をどうするか、試行錯誤をくり返したが、
どれも満足のいく振りに上がらなかった。
「このままで、本番大丈夫なの?」
ギタリストの容赦ない言葉にぐさっときた。
「本番まで1ヶ月もないし、毎週エンサージョして
も間に合うかな?まぁ、遠いし、どうするか自分で
決めて。エンサージョ代が払えないんだったら、
後払いでもいいから、納得のいくものにしたいよね。」
毎週東京まで通わないと間に合わないという必然性
に迫られ、交通費のことを考えただけで頭がくらく
らしてきた。こうなったら、無駄遣いを一切やめて、
この新人公演に投資するしか道はないと覚悟を決めた。
東京通いを毎週するのは、金銭的、肉体的、精神的
にとても疲れるものだった。東京に行くためには、
web(インターネット)デザイン関係の仕事を凝
縮してこなさなくてはいけなかったし、その合間に
1日2〜4時間の稽古をし、家の仕事をこなし、水
面下で主催しているスペイン人のクルシージョの
ことで気を使い、このサイトの更新作業をし、想
像以上に苛酷な毎日だった。
そんなある日の朝、目が覚めたら天井がぐるぐる
回っていて、吐き気が襲ってきた。かなりの疲労
がたまっていたんだと思う。そんな日に限ってク
ラスレッスンがあったので、ユンケルを飲んでス
タジオに向かったこともあった。
私は自他とも認める元気印だが、そんな私ですら、
途中倒れないかヒヤヒヤしながら過ごした1ヶ月だった。
2002.08.07.
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