Tiento(ティエント)の振り付けが始まった。私が想

像していたより、かなり難しい。私は身体を使ってちゃ

んと踊れないので、先生と同じ動きをしても何かが違う

。発表会まであと2ヶ月半しかない上、東京にいてレッ

スンを受ける時間は限られてくる。ただ焦りと不安だけ

が私を襲ってきた。その日に習ったことはその日のうち

に消化しないといつまでも先に進まない。その時、クラ

スレッスンも全部受けていたので、夜は自習レッスンが

できなかった。そこでレッスンが終わった夜中に、妹の

家(東京)の前の道路や駐車場で練習した。騒音をださ

ないよう注意して踊っていたものの、近所の人が車泥棒

かなにかと勘違いして覗きにきたり、注意されたりで、

ふぅ、練習するのも一苦労だった。 それから発表会の

1週間前に何とかそれらしく振りは上がった。しかし、

ほっとするのも束の間だった。1週間前のリハーサルで、

私の寿命は1年は縮んだと思う。初めてギターとカンテ

がつくことになっていたリハーサルで、先生がソロを

踊る人全員にこう宣言した。

歌は踊りでよびなさいね。私からカンテの人に

一切説明しません。ソロを踊るんだからそれくらいの

ことは出来ないとね。」

私は目が点になった。(歌を踊りでよぶってどういう

こと%$#*&?!)振りを覚えてそれをただ踊って

いた私にそんなことが出来るはずがない。ティエント

の歌は振りつけ上、なんとか歌ってもらうことが出来

たが、最後のタンゴはひとつも歌をよぶことができな

かった。フィナーレのブレリアも、最初の歌をよぶこ

とことができたものの、はけ歌をよぶことができず、

悲惨な結果に終わった。もう、がっくり、である。

さすがにカンテの人も可愛そうに思ったらしく、美香

先生に歌の指示をだして欲しいと直訴していた。そば

で聞いていて、何とかなりますようにと祈ったけど、

無駄な祈りに終わってしまった。美香先生は「私から

は一切指示はだしません。そのくらいの覚悟でソロは

踊らないと」と、その訴えを受け入れてはくれなかった。

この発表会でソロを踊るのはプロを目指している人達

なので、美香先生はプロの厳しさを教えようとしたん

だと思う。

結局どうしたかというと、カンテの人がトイレで

「どこから歌が始まるの?」と聞いてくれたので、

こっそり打ち合わせをしちゃいました。最終リハーサ

ルの前も、先生の見えない所でカンテの人と、心配し

て見に来てくれたギタリストの人と合わせをしちゃい

ました。たぶん、美香先生にはバレていたと思う。

ごめんなさい。。。

2000.10.04.

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