第7日目(7月27日 金曜日) 横川〜坂本宿〜軽井沢宿〜沓掛宿



★坂本宿入口標識 / 街道沿いの古い家(かぎや)

旧道はやがて国道18号線に合流し、坂本宿に入ってゆく。この通りは広い国道18号線だが、バイパスがあるせいか交通量はあまり多くない。古い旅籠屋(かぎや)なども残っており、宿場の雰囲気も幾分か感じられる。


★碓氷峠登り口 / 国道からの登り口(バス停中山道口

宿のはずれから旧道は国道とわかれ、碓氷峠の登りにかかる。この登り口が少し分かりにくいが「安政遠足」「侍マラソン」の標識があるのでこちらに進む。
ここで、「安政遠足(とおあし)」について。
安中藩主の板倉勝明は、安政2年(1855年)に安中城門から碓氷峠頂上の熊野神社まで約28Kmを藩士達に徒歩競争させた。このときの着時間、順位、氏名が記録に残されている。これを記念して昭和50年に「安政遠足侍マラソン大会」が開催され、今年で28回を数えるという。(毎年5月の第2日曜日開催)
そんなわけで、碓氷峠には「安政遠足」の標識が要所要所に立てられており、コースもよく整備されている。また、遺跡の説明板も数多くあり親切である。
道は再び国道を横断し、本格的な峠道になる。ここにはバス停「中山道口」がある。


★刎石坂 / 「のぞき」からみる坂本宿方面

峠道には古い中山道の遺跡がたくさん残されている。そのひとつに刎石坂の石造物群がある。道の脇に大日尊、馬頭観世音、南無阿弥陀仏の碑などがたっている。
しばらく歩くと、見晴らしのよい「のぞき」に着く。ここからは坂本宿方面が一望のもとに見渡せる。もうずいぶんと登ってきた。


★林の中の旧道 / 堀切

杉林の中の気持ちのよい旧道を歩く。途中に弘法の井戸というのがあり、ここには「熊出没注意」と大きな張り紙があった。さらに歩くと「堀切」という道の両側が切れ落ちている細い道がある。これは秀吉の小田原攻めのときに、防戦のために松井田城主が作らせたものだという。


★座頭ころがしの坂 / 山中茶屋跡

そのうち道は「座頭ころがし」という急な坂道にさしかかる。このあとしばらく行くと、峠道としては広い平坦地、山中茶屋跡に出る。
山中茶屋は峠の真中にある茶屋で、寛文2年(1662年)には13軒の立場茶屋ができた。その後次第に大きくなり、明治のころには小学校もあったが、現在は屋敷跡、墓の石塔、畑跡などが残っているだけである。このような説明版が立っていなければ、そんなことは全く気づかずに通り過ぎてしまう場所である。


★熊野神社(熊野皇大神社)入口 / 同 社殿

熊野神社は碓氷峠の頂上にある。この神社はわが国唯一の旧国境上に位置する神社といわれている。長い階段を登った上にある社殿は、上信国境のまさに線上にある本宮と、右側(群馬側)の新宮、左側(長野側)の那智宮と三つもあり、現在でも群馬、長野両県の神主が年度ごとに交代で例祭を主宰しているという。なお、神社の前には大きな茶店(食堂)が何軒かある。「安政遠足」はここがゴールであり、ここまでがんばったランナーはここでしばし憩うことができる。私もここで昼食とした。ここの名物「力餅」もなかなかおいしかった。


★中山道峠沢道標 / 軽井沢への遊歩道

熊野神社の前の道は広い舗装道路になっており、軽井沢まで続いている。これは明治天皇が北国巡幸の折に作られた巡幸道路である。古い中山道は神社の少し先で分かれ、細い峠道として残っている。この道をしばらく行くと中山道峠沢の道標が立っている。
この後、道は分かりにくくなるが、やがて軽井沢に通じる遊歩道に合流する。軽井沢に近くなるとちらほらと別荘が見えるようになる。


★ショウ・ハウス(復元)とショウの胸像 / 芭蕉句碑

二手橋を渡ると右手奥に英国人宣教師A..C.ショウの別荘(復元)と彼の胸像が立っている。彼は軽井沢の自然を愛し、明治21年にはじめて避暑用の別荘を作った。これが軽井沢における別荘の第1号となった。
近くには芭蕉の句碑「馬をさえながむる雪のあした哉」がある。
このあと道は林を出て、町の雑踏の中に進んでゆく。


★つるや旅館 / 軽井沢旧道風景

旧道沿いにに「つるや旅館」がある。建物は新しいが昔の古い看板が掲げられており、風情も感じられる。これから先の旧道はいわゆる「旧軽井沢」の町並みで、夏休み中でもあり、若い人たちでごった返していた。ここは人込みを縫うようにして足早に通りぬけた。


★軽井沢からの中山道 / 軽井沢歴史民俗資料館

軽井沢のロータリーを中軽井沢方面に向かって歩く。これが旧中山道である。車の流れもあまり多くなく、林も続いているので歩きやすい。しばらく行くと軽井沢歴史民俗資料館がある。ここには東山道、中山道の歴史をはじめ、軽井沢宿の歴史、民俗などが展示されており、見ごたえがある。また、隣接して市村記念館というのがある。これは元首相近衛文麿公の元別荘で、内部が公開されている。ここから沓掛宿までは近い。沓掛宿は戦後の大火で全宿焼失し、往時の面影を全くとどめていない。鉄道の駅名も昭和31年に「沓掛」から「中軽井沢」に変わってしまった。
今日の旅はここまで。中軽井沢駅から、しなの鉄道に乗り帰途に着く。


歩行距離 約18Km    歩数 33,200歩


 

★横川の旧道風景 / 碓井関所の門(東門

今日はJR横川駅からのスタートである。現在、JR信越線はここが終点。鉄道文化史上有名なこの駅も今はひっそりとしている。近くに「鉄道文化村」という施設があり、子供たちに人気があるようだ。
さて、旧中山道は駅のすぐ前を通っており、ここから歩き始める。旧道らしい町並みを少し行くと、碓井関所の跡がある。現在は門(東門)だけが残っている。