第18日目(11月4日 月曜日) 細久手宿〜御嶽宿〜伏見宿〜太田宿


★細久手宿標識・細久手公民館 / 細久手宿街道風景

7:30頃大黒屋を出発した。大黒屋の前は駐車場になっており、細久手宿の標識が立っている。その奥には細久手公民館がある。
今日のコースも御嶽宿までは昨日の続きで山道が多い。1604年に中山道が整備されたとき、この細久手宿はまだ成立していなかった。大湫宿から次の御嶽宿まで4里半(約17.7Km)の山道があり、両宿からの懇願もあって1610年に間に新しい宿場が設けられた。これが細久手宿である。この宿場は、その後寛政から安政(1789〜1860)にかけてだけでも3度も全焼しており、本陣、脇本陣など当時の建物は大黒屋以外には残っていない。


★「左 中山道西の坂」道標 / 秋葉坂三尊

家並みはやがて途切れ、道の脇に津島神社の小さな社、「旧中山道くじ場跡」碑などが見えてくる。舗装された道をさらに歩いてゆくと平岩集落になり、「左 中山道西の坂」の道標がある。ここで旧道は左に曲がり、山道に入ってゆく。この辺りの坂は秋葉坂という。少し行くと道の脇に小さな石室が三つあり、このそれぞれの中に石仏が安置されている。旅人達の安全を祈って建てられたもので、「秋葉坂三尊」と呼ばれている。


★坂の途中から津橋集落方面を望む / 民家の裏の見事な紅葉 / かわいいサイロが並んだ風景











道はやがて下り坂となるが、途中に津橋集落を望む開けた場所がある。津橋集落には、畑や大きな家なども散在しており、道も舗装された広い道になる。これを少し行くと旧道は右に曲がり、また登り道となる。途中、民家の裏に見事な紅葉を見ることができた。さらに進むとちょっと開けたところがあり、かわいらしいサイロが並んでるのが印象的だった。


★物見峠・馬の水飲み場跡 / 御殿場跡

さらに少し登ると物見峠となり、かつて馬の水飲み場があった。重い荷物を背負ってきた牛や馬が一息入れたところである。
この少し先に階段があり、これを登ると展望台になっている。これは、かつての御殿場跡でもある。和宮が東下する際に、長旅の疲れを慰めようと景色の良いこの地に休憩所を設けた。ここで京の都の空を振り返り、涙されたと伝えられている。現在その跡は残っていないが、ここからの見晴らしは良い。ただ残念ながら、今日は曇っているので遠くの山などは見えなかった。


★唄清水 / 一呑みの清水

しばらく坂を下ると小さな清水が湧いており、唄清水と書いた標識がある。清水の脇には「馬子唄の響きに浪たつ清水かな」と句を記した碑が建っている。
さらに坂を下ってゆくと、石で周りを囲った中に一呑みの清水が湧いている。和宮は東下の際にこの清水を賞味され、後に京都に行かれた折は多治見に滞在し、わざわざこの清水を取り寄せて点茶されたと伝えられている。


★十本木一里塚 / 謡坂(うとうさか)石畳

さらに行くと十本木一里塚があり、説明板が立っている。この一里塚は明治時代に取り壊されたが、昭和48年に地元有志の手でかつての一里塚近くに復元されたという。すぐ近くには十本木茶屋跡の説明板も立っている。
この少し先から謡坂(うとうさか)の石畳になる。旅人は険しく続く坂道に、自らを元気付けようと歌を歌いながら歩いたことから、いつのまにか謡坂と呼ぶようになった。この辺りはひときわ急な坂道だったので石畳を敷いて足場をよくしたものである。


★聖マリア像  / 寒念仏供養塔

謡坂村には昔から、仏教の墓石である五輪塔が多数あったがその由来がわかっていなかった。ところが、昭和56年道路工事による五輪塔の移転が行われた際に、その下の地中から数点の十字架を彫った自然石が発見され、ここが仏教の墓地を利用したキリシタン遺跡であることが分かった。これを契機に近在の各所からも発見が相次ぎ、この地に多くのキリシタン信者がいて、幕府の過酷な弾圧の中で信仰が続けられていたことが判明した。こうした例は全国的にも珍しく、広く話題になった。現在、これら祖先の慰霊のために聖マリア像が建てられており、謡坂の途中に所在を示す案内板が立っている。道はやがて西洞部落を過ぎ、石室に入った寒念仏供養塔を見る。


★井尻集落の旧道風景 / 和泉式部廟所

道は「牛の鼻欠け坂」という急坂を下り、井尻の集落に入ってゆく。ここに至ってようやくこれまでの坂道の連続から解放される。これから先はずっと平坦な道である。田園風景の中を軽快に歩く。
やがて旧道は国道21号線と合流する。この合流地点に和泉式部の墓がある。「和泉式部廟所」という説明板があり、これによると、和泉式部はここまで来て病になり、鬼岩温泉で湯治したりしていたが、寛仁3年(1019年)にここで没したという。ただし、和泉式部の墓と伝えられるところは他にもあるようである。


★御嶽宿街道風景 / 御嶽宿本陣跡 / 中山道みたけ館(脇本陣跡)












国道21号線を1Kmくらい歩いた後、旧道は左に分かれてゆく。少し歩くと御嶽宿に入り、やがて立派な本陣跡の建物が見えてくる。本陣の隣には脇本陣があったが、現在は中山道みたけ館(郷土館)となっている。残念ながら、この日はちょうど閉館日で中を見学することはできなかった。


★願興寺 / 名鉄、御嵩駅

御嶽宿は美濃平野の東端にあり、西からくるとここから丘陵地にかかるので、はじめから中山道の重要な宿駅と考えられていた。しかし、集落としての御嶽は、より以前から願興寺の門前町として発達していた。
願興寺は、本陣の少し先にある大きなお寺である。可児大寺または蟹薬師とも呼ばれ、伝教大師が彫ったと伝えられる薬師如来が本尊である。道をまっすぐ行くと名鉄の御嵩駅にぶつかる。名鉄広見線の終点である。ここから電車で名古屋方面に出ることができる。この後、旧道は再び国道21号線と合流する。途中、鬼首塚などの遺跡が国道沿いにあるが、あまり寄り道せず国道をひたすら歩く。


★伏見宿本陣跡碑 / 国道沿いの伏見宿風景 / 国道沿いの古い家











やがて国道は名鉄線路の上を越え、伏見宿に入ってゆく。本陣跡の碑が国道の脇に立っている。少し先に格子構えの古い家が数軒あるが、交通の激しい国道沿いであり、何か気の毒な感じがした。そのほかには宿場らしさは全くない。この後も国道歩きが続く。お腹がすいてきたので時計を見たら12時を過ぎている。国道沿いの小さな神社の石の上に座り、用意のパンを食べた。元気を出してさらに国道歩きを続ける。


★太田橋 / 木曽川(日本ライン)風景

旧道はやがて国道と別れ、JR太多線の踏切を渡る。この道をさらに2Kmくらい歩くと、ようやく木曽川にかかる太田橋に到達する。この付近の木曽川は日本ラインと呼ばれている。日本ライン下りの舟がこの辺りから出ているようだ。橋の近くから眺める木曽川の流れは雄大である。川の堤防の上に出て、しばらくこの道を歩く。
太田宿に入る手前で旧道から離れ、JR高山線の美濃太田駅に向かう。駅には14時頃到着した。今日の旅はここまで。14:10発の電車で帰途についた。


歩行距離  約 23Km    歩数  39,000歩



★ 中山道旧道(東海自然歩道)風景 / 鴨ノ巣一里塚

快適な山道が続く。この道は昨日と同じ東海自然歩道でもあり、よく整備されている。このような道をしばらく歩くと、やがて鴨ノ巣一里塚が見えてくる。この一里塚は江戸へ93里、京へ41里の位置にあるという。塚は道の両側にあるが、ここの場合地形上、北側の塚が東に16mずらされているのが特徴である。
この辺りからは鈴鹿、伊吹や北アルプスの山々が一望できるらしいが、残念ながら今日は見えない。