【写真=右=『梁山泊の昼食』2002.12.29撮影】
@ 住 所 = 埼玉県秩父郡小鹿野町大字般若260
A 電 話 = 電話:0494-75-2654
B 温泉施設 = 大浴場(男女別)、家族風呂(貸切り可能)
・・・・・・家族風呂は、麦飯石含有ミネラル泉
C 宿泊料金 = ◆ご宿泊:7,500円〜コース(1泊2食) <7,500円コースの料理内容(例)> 天ぷら、焼き魚、酢の物、和え物、お吸い物、煮物、 エビ焼き、唐揚げ、義人鍋、三点盛合せ、お刺身、 手打ちそば(うどん)、お銚子1本
『梁山泊』の昼食込み休憩の体験談!! 2002年12月29日、前日に電話で予約して、友人 と二人で行ってきました。 利用時間は午前11時 〜 午後2時30分とパンフレッ トにありました。2時までで、十分でしょう! ◆最初に札所を1か所見て、食事・入浴後にもう1か所 立ち寄るとちょうどいい1日観光コースとなります。
「秩父湯めぐり 味めぐり」について 「トクトク湯めぐり」のスタンプ帳を宿で貰って、1名 4000円以上の食事付き入浴を利用すると、6回で、 3000円の利用券がもらえる。1回目の利用から1年 間有効! 加盟旅館は12軒。
「お断り」・・・写真について ※「梁山泊」の写真は、料理の写真を除き、同旅 館のパンフレットからの転載です。
「温泉スタンド」について【写真右】『梁山泊』は「大竜寺源泉」を引き湯している。 この、「大竜寺源泉」の温泉スタンドがあるのだ。 確か、100円で40リットルである。飲用出来るとは 看板に記載は無かった。県道299号線沿いか、もっと、 『梁山泊』に近い所か、記憶にない。花園インターから 『梁山泊』に向かって左側で、けっこう道幅の広い道路 である。
【写真=右=『31番 観音院』2002.12.29撮影】
観音山中腹を境内としている寺で、境内全体で18,000体の石仏が あると言われる。 しかし、見学コースを自然に回るだけでは、石仏には100体も遭 遇しないし、案内も何もないが、何故か?
【写真=右=『観音院の仁王様』2002.12.29撮影】
「観音院」の仁王像は、一本物の石から彫った仁王様としては、 日本一の大きさだという。
【写真=右=『観音院の句碑』その1/2002.12.29撮影】
「観音院」は、芭蕉ゆかりの寺だという。 しかし、句碑にあった芭蕉の句は、あまり良くなかったから、メモ しなかった。 この寺は、現代の人の句碑を参道に建て、何年か掛けて俳句の寺に したいということである。既にかなり沢山の句碑がある。 「かたくりの むらさき浄土 遍路路 宗三郎」
【写真=右=『観音院の句碑』その2/2002.12.29撮影】
「秩父路や ここにも男子 鯉のぼり」(作者名、写真から読み取 れず!)
【写真=右=『観音院の鐘楼』2002.12.29撮影】
なかなか風情のある景色です。
【写真=右=『観音院の滝と池』2002.12.29撮影】
滝(落差六十メートル、聖浄の滝)は、冬のため水がわずかでし たが、池といい、六地蔵といい、絵になります!!
【写真=右=『観音院の石仏巡りコースからの眺め』2002.12.29撮影】
遍路の修験者の登る山
【写真=右=『観音院の石仏』2002.12.29撮影】
石仏コースのコース途中で、10数体の石仏がまとまってあった。 あとは、ちらほら・・・? 18,000体の石仏(18,000の数は、昭 文社刊『秩父・上州路 川越』(1990年)による。)はどこにあ るのかな?? 【注】下記ホームページでは、『胎内くぐりや奥の院の行場、そし て岩壁には数多くの石仏が刻まれている。総数は十万八千体と いわれており、弘法大師が刻んだという。』とあるから、よく 探せばあるのだろう。 (黒田注記=「108,000体」と、昭文社のガイドブック の10倍の数!!)・・・どちらが間違えているか、どちらも 間違えているのか?
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※周辺情報【紫雲山 地蔵寺】について
【写真=右=『紫雲山 地蔵寺』その1/2002.12.29撮影】
「観音院」とは、全く関係ないのだろうが、「観音院」のすぐ手 前に、水子地蔵の寺として有名な『紫雲山 地蔵寺』がある。
【写真=右=『紫雲山 地蔵寺』その2/2002.12.29撮影】
『紫雲山 地蔵寺』に来てビックリするのは、14,000体という、 物凄い数の水子地蔵である。もちろんここに祭られているのは、 この寺にご縁のあった人だけなのだから、この何百倍も、何千倍 もの水子がこの世に生を受けず、現代医学により闇に葬られてい るのであろう!
【写真=右=『法性寺、奥の院への道』2002.12.29撮影】
船の舳先(へさき)に似た「岩船山」を背にする山寺である。 観音堂の下の石門をくぐり、奥の院に行くには、鎖場の急斜面を 30分も登る。結構スリルがあって登山に近いものがある。 冬季は、積雪があるときはもちろん、雪が無くても、岩場が凍結 していて、奥の院へ行くには、かなりの登山経験がないと危険だ! 夏でも、しっかりしたハイキング用の靴と服装を必要とする。
※秩父の札所で最も険しい難所ではなかろうか?
※写真の黒い岩は、足の歩幅に合わせて階段状になっているが、 前夜の雪が融け、トロトロに凍っていた!危険!!
【写真=右=『法性寺、奥の院への急斜面』2002.12.29撮影】
『法性寺』の奥の院のある「岩船山」へは、鎖場の連続で、秩父 の札所参りの霊場で、こんなに険しいところがあるのか、と思わ せられる。 上を見たら、尖った岩が聳え立っていた。 岩船山の頂上にある奥の院には、「大日如来」と「岩船観音」が ある。 岩船山頂上は、船が空中に突き出しているような一枚岩で、この 岩の船首に「岩船観音像」が立ち、船尾にあたる鎖場の上の岩窟 には、「大日如来」が安置されている。 どちらも非常に危険な場所にある。 先に「大日如来」にお参りすることになるが、「大日如来」から 「岩船観音」へ行くのに、コースの説明がないから、危険な岩の 上(船の甲板)を歩いて行きたくなるが、下りになると非常に危 ない。ここは、少し下を見て、狭い小道があるのを確認して、そ の道を通り階段を利用して「岩船観音」にいくと安全だ。 帰路は、ずっと、今来た小道の延長上を戻ると、鎖場に戻れる。
【写真=右=『法性寺、奥の院「大日如来」』2002.12.29撮影】
『法性寺』の奥の院で、最も高所にある「大日如来」像。
「大日如来」=サンスクリット語ではマハーヴァイローチャナ、 すなわち「偉大な光照者」のこと。 何者にも傷つかない知恵と、無限の慈悲の心を兼ね備え、密教の 曼荼羅(まんだら)のド真中に鎮座されているが大日如来である。 空海(弘法大師)の開いた真言宗においては最も重要なブッダ。 空海はいう。『あらゆる宗教における神や悪魔は、すべて大日如 来の顕現であり、大日如来の身体は宇宙そのものである。』と。 又、一方で、『一粒の塵(ちり)の中にも大日如来は存在する。』 という。
【写真=右=『法性寺、奥の院「岩船観音」』2002.12.29撮影】
「岩船観音」は、『法性寺』の奥の院で、船の舳先(へさき)に 似た「岩船山」の舳先の部分に祭られている。
「観音様と観音信仰」=◇観音は観世音の略称で聖観音(しょう かんのん)を指す。起源はシバ神とされる。
◇観音信仰とは、観音の、危難に際して救いの手を差し伸べてくれ るという現世利益的信仰で、日本では740年の藤原広嗣の乱の時、 国ごとに七尺観音像を作り反乱鎮圧を祈ったとされ、九世紀初め の日本霊異記には観音を念じて災いを逃れた話が多数載っている。 観音信仰は現世、来世、二つの世界の御利益を持つといわれ、こ の「ありがたさ」ゆえに、庶民を含む幅広い層信仰されるように なった。 霊験あらたかな観音像を本尊とする寺院への参詣が人気を収め、 各地に観音霊場が作られた。 更に発展して、各霊場を結ぶ修験的な巡礼、三十三ヵ所巡礼が行 なわれるようになった。 当初は修験道的色彩の濃かった遍路巡礼だったが、徐々に一般信 者も参加するようになり江戸時代にはピ−クに達した。 一時廃れた「お遍路参り」も、近年マイカーの普及とともに復活 してきた。 ◇おもな三十三ヵ所霊場・・・北は「青森県−津軽三十三ヵ所観音 霊場札所」〜 南は「熊本県−山鹿三十三ヵ所観音霊場巡礼」まで、 およそ30か所もの観音霊場があるのである。