またピアノに戻った和郎のもとに、
当時セミプロのブルースバンドとして活動していた
「ボーディングハウス」のマネージャー北尾さんから、
こんな誘いがきます。
「君はピアノが上手だって学校中で有名だから、一緒にバンドに参加しないか?」

和郎はエレクトーンの経験があったので、コードネームが分かります。
すぐさまOKをしました。そこから、和郎にとって毎日ハードな日々が続きます。

まず朝は5時に起床し、時給500円でコーヒーショップのモーニングサービスのアルバイトをします。
そして高校に行き、戻ってきてまた夕方7時過ぎまで
そのコーヒーショップでバイト、
その後スーツに着替え、北新地のナイトクラブで、30分ステージを4回こなします。
一晩一万円のギャラが出ました。

いつも帰宅は深夜0時を回っていました。
それは 高校生にとって、かなりつらい日々でした。
しかし、毎日そんな生活を送っていく中で「ボーディングハウス」の活動にも参加していきます。
和郎は次第にブルースバンド界で有名になっていきます。
「16歳のピアニストが活躍しているよ。」


バンドは色々なところから声がかかるようになり、
日曜日や祝日もライヴ活動をするようになります。

そしてある日、ラジオ関西の音楽番組ではじめてアリスの前座を行い、
それが谷村新司さんを見た最初の瞬間でした。

その後、谷村さんと一緒に仕事をすることになるとは、
夢にも思わなかった和郎でした。

さて、高校生の和郎、家計を助けるために、
コーヒーショップとナイトクラブで働く毎日が続きます。

しかし、高級ナイトクラブでピアノを弾く誘いが来るよう
になってから、ピアノ1本で家計を助けることに決めます。

 

 

 



朝早くからのコーヒーショップのバイトを辞めた和郎、
今度は北新地のナイトクラブ「Angelo」で、
高校の授業が終わった後、
ほとんど朝までピアノを引き続ける毎日でした。

しかし、ピアノが弾けるからといって、そのバイトが楽しかったか?
決してそんな楽しいものではありませんでした。

和郎が演奏したのは、ほとんど歌謡曲か演歌。
そう、和郎の仕事は、ナイトクラブに遊びにきたお客さんが酔って歌う
伴奏する仕事だったのです。

毎日毎日「銀座の恋の物語」「夜のぎんぎつね」「王将」
「ルビーの指輪」「いちご白書をもう一度」など、
流行歌の伴奏をし続けた和郎。
精神的にも肉体的にもとても疲れてしまいました。

しかし、和郎はそんな状況を楽しむ明るさも持ち合わせていました。
生伴奏を上手に演奏すると、気持ちよくなったお客さんが、
2、3万円のチップをはずんでくれることが嬉しかったこと、
それから、そこに遊びにきたお客さんの人間模様を観察することも、
後々の和郎にとっての社会勉強になりました。

「夜の街で演奏しているミュージシャンはみんな『先生』」
「スーツ姿の人はみんな『社長』」
そんな呼び方が夜の世界の常識だと知ったのはそのころでした。
そして何よりも、和郎にとって良かったことは、お客さんが歌わない、
つかの間の時間に、「映画音楽」「ジャズのスタンダード」
を弾くことで、
腕を磨くことが出来たと言うことでした。