☆ 天明五年(1785)
◯『狂言鶯蛙集』〔江戸狂歌・第二巻〕朱楽漢江編・天明五年刊
〝九月尽 長月の夜も長文の封じめを明れば通ふ神無月なり 尻焼猿人〟
〝寄皷恋 音に立てなをも皷のうつゝなや三つ地の文の長地短地 尻焼猿人〟
◯『三十六人狂歌撰』〔江戸狂歌・第三巻〕四方赤良編・丹丘画・天明五年(1785)刊
〝尻焼猿人 長月の夜も長文のふうじめをあくればかよふ神無月なり〟
◯『俳優風』〔江戸狂歌・第三巻〕唐衣橘洲、朱楽菅江、四方赤良編・天明五年(1785)八月成稿
〝巻軸 三浦屋あけ巻 尻焼猿人狂 スキヤ
月の夜もよし原ばかりやみにせんこのあけ巻に棒をあてなは〟
〈「スキヤ」数寄屋連所属の意味〉
☆ 天明六年(1786)
◯『新玉狂歌集』〔江戸狂歌・第三巻〕四方赤良編・天明六年(1786)刊
〝春の興われも哥人のはし鷹にならばゝならべなら尾ならしば〟
☆ 天明七年(1787)
◯『狂歌才蔵集』〔江戸狂歌・第三巻〕四方赤良編・天明七年(1787)刊
〝寄鍔恋 ぬしさんにはゝきもとまで恋のふち人の目貫をかね家のつば 尻焼猿人〟
◯『狂歌千里同風』〔江戸狂歌・第三巻〕四方山人序・天明七年(1787)刊
〝としのはじめによみ侍りける 尻焼猿人
楊弓をはるは来にけり結紋場霞の幕もあらたまりぬる〟
☆ 寛政七年(1795)
◯『四方の巴流』〔江戸狂歌・第四巻〕鹿津部真顔編・寛政七年(1795)刊
〝俊成の古今は定家にゆづられ、四方先生の箱伝授は鹿津部の文庫に納る、すみ蔓長く伝り関取のあとた
へず、今や日のした開山の狂歌堂にあふがん事、林にしげき木葉のごとき狂歌師もはる雨のふる葛籠の
底にうちはたき恵比寿うた一首きこへ奉るになん 尻焼猿人
斯うといへばいな負背鳥呼子鳥そのあぢはひも百千とり/\〟
〈四方先生とは四方山人(赤良、後の蜀山人)。この年、四方赤良は古今伝授よろしく、狂歌堂鹿津部真顔に秘伝をさ
づけて判者を譲った。尻焼猿人はそれを言祝いだのである〉
☆ 享和二年(1802)
◯『狂歌東来集』四編〔江戸狂歌・第五巻〕吾友軒米人編・享和二年(1802)刊
〝つゝめども袖よりもるゝ梅がゝを唯は通さぬうくひすの関〟
☆ 文化十三年(1816)
◯『芦荻集』〔江戸狂歌・第十巻〕紀真顔著・文化十三年(1816)刊
(紀真顔詠)
〝抱一大とこのかき給へる一枝の梅のゑに
かうばしき筆のかをりは散らさじと袖もて抱く一枝の梅〟