Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
見世編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔見世編〕大田南畝関係
(遊郭・芝居・商家・料亭等)
【ま】※◯は欠字、◎は表示不能文字
店名(屋号)詞書・詩歌出典巻・頁年月日
ますや
升屋 (洲崎)
 望太欄  (別資料)(升屋祝阿弥・望太欄)
ますや
升楼
「春の雪ふるあした、すくだ川のほとりにすめる亀屋菊屋の何某と吹屋町升楼にてよめる
 世の中の人には雪とすみだ川春風寒く吹屋町がし」
「升楼のいらつめ市といふがこふにまかせてその壁ににかく
 むかし人はかくいちはやきみやびをなんなしけると書きし伊勢物語」
をみなへし②22未詳
まつかわ
松川 (木挽町)
「木挽町松川といへるやどの額に、伊川法眼の画がける梅に福寿草をみて
 春風のふく寿そうそう咲いでゝ梅の立枝の花をまつかわ」
七々集
万紫千紅
②277
①295
文化12年
1815/11/
まつざかや
松坂屋
「松坂屋の別荘は根岸といふ所にあり。はつき六日こゝにはじめて萩を見て
 夕日かげ山の根ぎしの西陣に錦おり出す萩のはつ花」
七々集
万紫千紅
②246
①284
文化12年
1815/08/06
まつばや
松葉屋 (吉原)
「天明五のとし霜月十八日、はじめて松葉楼にあそびて
 香炉峯の雪のはだへをから紙のすだれかゝげてたれかまつばや
 いざゝらばふすまをはるのまつばやの玉だれのうちに冬ごもりせん」
三保の松②506天明5年
1785/11/18
「天明六のとし正月二日、松葉楼にあそびて 一富士にまさる巫山の初夢はあまつ乙女を三保の松葉や」天明6年
1786/01/02
「五月五日 くす玉をかける二階のあやめ草みすからかみの引手おほさよ」
〈吉原の端午の節句、松葉屋か〉
天明6年
1786/04/12
「六月四日の朝 きてかへる錦は三保の松ばやの孔雀しぼりのあまの羽ごろ裳」天明6年
1786/04/12
「松葉(シヤウヨウ)に至る  御祝言
 三日(サンジツ)翠簾席遊を楽しむ 今春諸客群集を作(ナ)す
 独り憐れむ傾国の人繁昌せられて 親仁の顔の腹立するに似ざることを」

「五明楼に雛妓(シンザウ)に贈る
 花扇襟を連ねて夜床に入る 五明客を送る大門の傍
 楽遊の雛妓如し相問はゞ 一片の執心玉章に在り

 五明楼、墨河の西燕都街にあり。木地臘色の惣格子にて棟上の高き家なり。花扇は二代の名家にして能書の名あり。たき川のながれよくかたらひつたふをちの人々、中の町の夕ばへに花か人かとあやめもわかぬかたちのは、外のたぐひもなゝこしといふせりふなり。楽遊「毛毬歌」みなさま子供たちはらくあそびと云々、一片「新内節の曲」に云、義理一ぺんのあだつきはけつく心のもめるたね 下掠」
通詩選諺解①479天明7年刊
1787/01/
まんねんや
万年屋(川崎)
「六合川上の万年亭に送別す
 相携飲餞出都門 臨岸垂楊宿露繁 六合河辺伝旅食 万年亭上命清樽
 離筵計日行人遠 大道嘶風駅馬喧 借問渡頭争渡者 寧知撃楫志猶存」
 〈万年亭は川崎宿〉
南畝集3
漢詩番号0469
③163安永5年
1776/
「宿万年屋【扁亀齢館】 亀齢之館鶴川東 春動魚標酒旆風 百代光陰過客裏 誰知昨宿郭林宗」玉川余波②117文化6年
1809/01/09
まんぱちろう
万八楼
「清明節、秦 其馨 星池、諸君を邀へて万八楼に宴す
 清明時節大江楼 画史詩朋与酒儔 李郭仙舟逃席去 飄々天地一沙鴎」
南畝集19
漢詩番号3999
⑤348文化12年
1815/02/28
「万八楼の宴集。稲毛屋山翁の六十を寿す 九老群仙共拍肩 添籌海屋屋山前 此楼別有嘉名在 何啻霊椿万八千」南畝集19
漢詩番号4055
⑤362文化12年
1815/05/
「書画会は多く百川楼、万八楼にてあれば
 万八の六書六法五七言落れば同じ百川の水
 おそろしや書画の地獄の刀番つるぎの山をふむ草履番」
七々集
万紫千紅
②261
①291
文化12年
1815/10/