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   名物編 【き】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名物編〕大田南畝関係
  【菊】(きく)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「瓶中の菊。寒字を得たり 籬下黄花秀可餐 折来猶帯露華寒 為惜秋香残日夜 瓶中長挿一枝看」南畝集1
漢詩番号0019
③8明和8年
1771/10/
「家弟種うる所の堂前の菊花正に開く。戯れに歌を作る
 小弟幽情何碌々 堂前手種一叢菊 春初茎葉分本根 秋末芬芳盈把掬
 不憐九畹種叢蘭 豈羨千金買牡丹 幽奇已異世人愛 苦心愛菊好誰看
 若非五柳先生賞 儻是三閭大夫餐 竹蘭花径夕陽斜 点々散為一片霞
 雨洗粉脂沾緑葉 露含紅紫雑黄花 斑斕交映莱衣色 鄂韡将奪唐◎華
 共持灑掃庭前帚 将進尊親堂上酒 但今佳色満東籬 称觴何仮南山寿」
南畝集1
漢詩番号0137
③47明和9年
1772/09/
「暮秋、巣鴨郊行。菊を賞す。二首
 散歩野端西 秋陰呎尺迷 水村巣緑鴨 澗樹聴金鶏 野興看相得 騒人好共題
 不知何処菊 壺酒正堪携

 其の二 
 東籬千万種 北郭両三家 不羨丹楓色 還憐紫菊花 参差遮小径 爛漫映余霞
 為愛陶村趣 悠然到日斜」
南畝集2
漢詩番号0247
0048
③85安永2年
1773/09/
「十日の菊 陶家秋色尚依然 十日黄花興自偏 籬菊不知佳節過 枝々故媚一樽前」南畝集2
漢詩番号0298
③102安永3年
1774/09/10
「菊を詠ず 佳色秀三秋 幽香動盈把 金花与玉壷 相映東籬下」南畝集4
漢詩番号0533
③173安永7年
1778/02/
「摘芳庵に菊を賞す
 藜杖遥尋薛茘房 濃花嫐蘂映胡牀 東籬已帯千山雨 後圃纔径九月霜
 楚客落英催賦詠 陶家佳色闘芬芳 乾坤別有黄金界 満目秋光対夕陽」

「摘芳庵に一菊有り。其の色朱殷。山僧之が為に命名せんことを請ふ。予名づけて瑪瑙盤と曰ふ。之に重ねるに詩を以てす
 閑庭一叢菊 新映露華寒 忽見殷紅色 還疑瑪瑙盤」
南畝集4
漢詩番号0736-7
③253安永8年
1779/09/
「十日の菊 昨日登高酔羽觴 寒衣猶襲菊花香 今朝試傍東籬下 已帯閑庭一夜霜
 又    陶家佳節過佳期 欲折残樽対菊脂 酔裏夢飛何処去 猶看蝴蝶遶東籬」
南畝集5
漢詩番号0850-1
③293安永9年
1780/09/10
「十日の菊
 節去余佳色 籬疎冷露華 何須供楚客 猶欲擬陶家 蝶続将残夢 蜂粘未折花
 自今三径下 零落日応斜」
南畝集5
漢詩番号1015
③293天明1年
1781/09/10
「田家、菊を賞す
 九月開場圃 黄花自満枝 一叢金的皪 三径影参差 佳色連茅舎 幽香入薜帷
 心閑盈把処 機息灌園時 撃壌思尭野 餐英誦楚辞 更迎田畯至 随意酔東籬」
南畝集5
漢詩番号1020
③350天明1年
1781/09/
「村園、菊を看る 花開十叢菊 地満千黄金 愛此園中色 参差帯夕陰」南畝集5
漢詩番号1031
③353天明1年
1781/09/
「菊 むかしから花にめでたい人の名はこれ御そくさいゑんめいときく」めでた百首夷歌①78天明3年刊
1783/01/
「翫大菊 大菊をめづる狂歌ははな紙の小菊を折てかくもはづかし」
〈『蜀山百首』①310『清好帖』⑳368〉
をみなへし
万載狂歌集
②4
①11
天明3年刊
1783/01/
「巣鴨菊 つぼの内につくる巣鴨の菊見とてむべ水鳥の酒をこそのめ」巴人集②415天明3年
1783/08/
「巣鴨村に菊を看る 村煙行入白山斜 樹隔鶏声谷裏家 楚客夕餐陶令酒 秋香偏属一叢花」南畝集7
漢詩番号1376
③475天明7年
1787/09/
「野人菊を贈る。色宇を得たり
 野人何処来 貽我一叢色 露裛東籬辺 樽開北海側 陶家日可憐 楚客時堪食
 共賦掇英詩 更知朴酒力」
南畝集8
漢詩番号1695
④70寛政2年
1790/09/
「秋日、巣鴨村に遊んで菊を看る
 城郭行辞小石門 白山停午寂無喧 茅茨忽断金鶏谷 野水潜通緑鴨村
 楚容一餐英未落 陶家三径色猶存 年々看菊知遅速 閑与園丁仔細論」
南畝集9
漢詩番号1765
④99寛政3年
1791/10/
「人の菊花を贈るを謝す 空斎無酒又無花 秋日蕭然独嘆嵯 忽有一枝黄満目 対之可以絶紛華」南畝集9
漢詩番号1882
④135寛政5年
1793/09/
「大和菊 言のはの花香にめでゝ立どまる人の心をたねのやまと菊」をみなへし②6未詳
「九月廿六日、病より起きて園を窺ふ。園に一叢の黄菊有り。喜びて賦す
 幾日不窺階下園 一叢雖痩菊猶存 悠然自有東籬趣 養病看花好負喧」
南畝集14
漢詩番号2539
④340文化1年
1804/09/26
「人の菊を贈るを謝す 乍見菊花開 一叢盆底栽 不知青女至 猶訂白衣来」
〈贈り主は小川文庵。書簡番号70⑲99参照〉
南畝集14
漢詩番号2554
④344文化1年
1804/10/07
「菊を買う 晩入牛門市 買来黄菊根 手栽松下径 粧点古陶村」南畝集16
漢詩番号3102
⑤82文化4年
1807/10/
「巣鴨村に菊を見る 畑物のみな不出来なる秋なれや待にもたらぬ菊の花まで」をみなへし②34文化5年
1808/09/
「菊 尋常移種競新妍 或作楼台又作船 不及陶家籬下物 南山佳色自悠然」南畝集16
漢詩番号3211
⑤113
「秋晩、俶子・鎌孫を携へて巣鴨村に遊び、菊を看て句を聯ぬ
 鴬谷遥尋巣鴨村 覃 雨晴泥路向郊園 俶 露流甘谷清堪酌 英伴霊均落可餐 覃
 節去叢辺余景色 俶 行閑午後変寒温 覃 誰知簫瑟楓林晩 俶 逢著神仙対一樽 覃」
南畝集16
漢詩番号3213
⑤113
「重ねて巣鴨の群芳園に過りて菊を看る。帰路雨に遇ふ
 閑行重訪五家村 三径群芳菊満園 不用揉枝作鸞鶴 機工可但任天孫」
「(其の二) 叢菊留人礫水浜 不知帰路雨来頻 淵明亦学林宗態 漉酒巾為折角巾」
南畝集17
漢詩番号3262・3
⑤132文化6年
1809/09/
「籬菊盛んに開く。友を待つに至らず。青韻を得たり
 未必紫桑待白丁 偶然今夕酒盈缾 恨無青眼同心侶 来賞黄花満地馨」
南畝集17
漢詩番号3264
⑤132文化6年
1809/09/
「夏菊 五斗米の秋をもまたず取こしてさつきのきくをみるもはづかし”」あやめ草②82文化7年
1810/05/
「南軒 独立先生五柳前 更無蜂蝶遶籬辺 残花不識秋冬変 猶抱枯枝守晋年」南畝集17
漢詩番号3429
⑤180文化7年
1810/10/
「菊の花かきたる盃に 酒のめばいつも慈童の心にて七百歳もいきんとぞおもふ」放歌集
千紅万紫
②164
①246
文化8年
1811/10/19
「北里の菊花 新買金英一万根 満街佳色溢倡門 藝家常価為之貴 不似柴桑貧士村」
「其の二 南山不見東籬下 西日将曛北里中 整々斜々門種菊 三々五々袖翻風」
「其の三 五街燈月菊花芬 黄白交枝曳絳裙 中有颯纚長柚子 宛如野鶴在鶏群」
「其の四 湘簾半向曲中開 擬引清香泛酒盃 解事丫鬟揮袂起 剪将華燭掇英来」
「壬申九月十三夜、北里種菊一万茎余 一茎価銀七分、雑費金三百両、芸圃菊価為之貴 浅草大悲閣亦種菊」
南畝集18
漢詩番号3682-
3685
壬申掌記 下
⑤256
⑨578
文化9年
1812/09/13
「狸穴に菊を見る。時に四谷に火警有り
 縛菊新為九尾狐 一叢佳色媚明珠 城門忽有嬉々警 妲己還同褒姒無」
南畝集18
漢詩番号3692
⑤259文化9年
1812/10/
「銀台の藝家に菊を看る 銀台玉露菊花鮮 比屋園丁共競妍 戸々不愁逢水阨 嚢中自有賞茶銭」南畝集18
漢詩番号3693
⑤259文化9年
1812/10/
「巣鴨の菊  月令の月行事は菊に黄菊ありとて、ふた茶碗の菊味を味ひ、五斗米のすて扶持をいやがる五柳先生は、菊をまがきのもとにとりて、白丁の徳利の来るをまつ。又はとけくさい蓮花ずきの濂渓どのは、菊は渋谷の隠居とやら隠逸とやらいはれしが、ちか頃巣鴨の五軒町七軒町も、いつしか五十軒名十軒となりて 駒込染井のはてまでも、百種のつくり物千状のばけもの所せく、東籬も花壇も百姓屋も、御酒さかな即席料理、十王の勧進もくはうがため、十念の徳本さまはくはぬがためも又ありがたし
 感応寺すがもの鐘につきまぜて富の番付菊の番付」
六々集②209文化11年
1814/09/
「くれなゐの夏菊を人のおくりけるに 紅のこぞめの色にさき出し梅かとたどる夏菊の花
 同じ心をたはれうたに 折りからの柘榴にまけぬ花の色を見てくれなゐの夏菊の花」
六々集②239文化12年
1815/06/
「夏菊 盆中五月菊 八月再開花 如何大早計 不待一陶家」南畝集19
漢詩番号4076
⑤368文化12年
1815/08/
「菊 酒をのむ陶淵明がものずきにかなふさかなの御料理菊
    水鳥のすがもの里のたそがれに羽白のきくの色ぞまがはぬ」
六々集
万紫千紅
②258
①290
文化12年
1815/09/
「十日の菊 (詩はなし)」南畝集19
漢詩番号4215
⑤406文化13年
1816/09/10
「巣鴨村に菊を看る 欲追西日問東籬 無那衰翁歩屧遅 五戸村中菊千種 殷勤看去月明時」南畝集19
漢詩番号4222
⑤408文化13年
1816/09/
「菊 我有東籬菊一叢 秋来秋去未為蓬 偶然相見傾壷酒 敢学陶家楚客風」
〈東晋の陶潜と楚の屈原、ともに菊を愛づ〉
南畝集20
漢詩番号4313
⑤436文化14年
1817/09/
「巣鴨村に菊を看る
 此郷看菊幾年々 巣鴨村西負郭辺 新雨未乾芒履底 微陽乍映竹籬前
 分園共競千花艶 入巷何唯五戸煙 地転農家為種樹 太平時節豈徒然」
南畝集20
漢詩番号4315
⑤437文化14年
1817/09/
「雨中菊 三径含霜発 群芳帯露寒 南山下可見 独向雨中看」巴人集拾遺②498文政3年
1820/
「五月の菊
 盈把三秋色 披裘五月情 潯陽要太守 彭沢待先生 促節黄金蘂 探雲紫石英
 人間太早計 辟易陶淵明」
南畝集20
漢詩番号4605
⑤520文政4年
1821/05/
「十月念三、肩舁もて巣鴨村に過り、菊を看る【種樹家を弥三郎と曰ふ】
 五戸園亭礫水隅 年々無不入巣鳧 小春初問西施白 今日看花正為奴」
【西施白、大村に舶来す。弥三郎、一本の真種を購ひ得たり。数十年此に比ひ無し】
南畝集20
漢詩番号3424
⑤525文政4年
1821/10/23
「巣鴨の植木屋弥三郎がもとの西施白といふ菊を 姑蘇台のしかと病も直らねば西施の肌のしら菊もみず
 この菊もろこしよりたゞ一本大村の地にわたりしを、弥三郎が求め置たるにて外になしといふ」
あやめ草②92