Top      浮世絵文献資料館 名物編
 
   名物編 【は】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名物編〕大田南畝関係
  【花・桜】(はな・さくら)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
花見 飛鳥山 上野 甘露門(浄栄寺) 東叡山 伝通院 吉原
「花を惜む
 淑気氤氳白日遅 飛花底事任風吹 誰知春色将残処 猶在芳菲欲尽枝
 妃子紅顔空解語 杜娘金縷枉裁詞 請看万物帰根去 不但人間歳月移」
南畝集5
漢詩番号0928
③319安永10年
1781/03/
「花 わきて猶思ふ心の花だしや春をまつりの老にこそたて
 咲なばとわがおもほへし犬桜とを山鳥の尾をふりてみん
 待遠の心いられやいり豆にはな咲ほどの日数おもへば
 よしの川そのしら波やふせがんとかけし木末の花ねむりかも
 咲花の帰る根付の琥珀にもなりて木かげの塵をすはばや」
 〈「咲花の~」は『万載狂歌集』に入る〉
をみなへし
万載狂歌集
②8
①7
天明3年刊
1783/01
「桜 花をめでしことばもよゝの桜木にいのちながきぞめでたかりける」めでた百首夷歌①73天明3年刊
1783/01/
「花【酒上不埒、日暮里大会】 しら雲と見る人丸で無理ならず花はよしのゝ山のてつぺん 」
〈『狂歌知足振』酒上不埒序「過し弥生の十九日、日ぐらしの里狂歌大会の節布袋堂の前にてひらき候まゝ」とあり〉
巴人集②397天明3年
1783/03/19
「山花盛 風のいるすきまもみえぬ山ざくら桜が山歟山がさくら歟」
〈『巴人集』甲子(文化1年②437)『一簾春雨』(文化9年⑩504所収〉
「花発多風雨 世中は疝気に頭痛雨に風花見の幕をはるぞすくなき」
狂歌才蔵集①41天明7年刊
1787/01/
「花下酔歌 一半春光日月過 看花対酒且高歌 酔来携去東山妓 天下蒼生奈我何」南畝集7
漢詩番号1441
③497天明8年
1788/03/
「担頭の桜花 百花叢裏一移根 海国山桜種自繁 満檻移春何処去 恍疑玉女洗頭盆」〈担頭は天秤棒〉南畝集14
漢詩番号2426
④308文化1年
1804/02/
「花を掃く 山桜落尽子為珠 庭草香残蝶護鬚 今夕不除糝径雪 明朝恐没踏泥塗」南畝集16
漢詩番号3053
⑤67文化4年
1807/03/
「背花行
 欲探桜花向墨田 狂風巻塵不上船 半道聊酌当壚酒 当壚美女太可憐
 豈図悪客在間壁 勾留彼美搊三絃 興敗坐客払衣去 更上酒楼吸百川
 百川美酒傾千石 堕珥在後簪在前 妖桃穠李非不艶 何似桜花独自研
 雨々風々春亦尽 人間万事背花眠」
南畝集16
漢詩番号3053・4
⑤67
「庭のさくら盛なるに
 きのふまでわが家桜ありとしもしらで野山の花になれにき
 立てみつゐてみつ庭のなかばとりなかば桜の花の木のもと」

「さくらのちりけるに 花みんと思ふ心のなかなかにちりはててこそ長閑なりけれ」
をみなへし②22文化
「庭の桜に枝に挑灯をかけしに風ふきて挑灯をうごかしけるに
 火ざくらにてうちん桜焼すてしまづ何事もなでんなりけり」
をみなへし②23文化
「庭のさくらさかりなるに わがやどの花さくら戸をおし明て吉野初瀬も軒端にぞみる」をみなへし②32文化5年
1808/03/
「庭のさくらのかれけるをみて ちるをだにをしみし去年の桜花かれなんものと思ひしりきや
 軒ちかき一木のさくらかれにけり遠き野山の花をみしまに」
をみなへし②43文化6年
1808/08/
「花 蚕きせ米をくはせて花までもみよと造化のいかい御造作」
「上野に笠ぬぎざくらといふあり。慈眼大師の植えさせ給ふといへり。むかし黒人の社中人の歌に、中堂のこなたにたてる一本は慈眼大師のおんさくら花、といへるを思ひいでゝ
 此花は慈眼大師の御さくらなみ笠ぬぎて拝あらせ給へ
 上野第一の古木にしてよしのゝ種なり。かこみは一丈にあまれる大木なり」
「日光山よりうつせし桜ありときヽて 根こじたる桜ひともとふたら山ふたをしつつも風やいとはん」
あやめ草
千紅万紫
②66
①232
文化7年
1810/03/
「駒籠太神宮に一桜樹有り。孤根地に蟠まり、繁枝空を蔽ふ。敷芳の候、都下比無し
 太神宮傍小芙蓉 一樹高花白雪重 二十年来々独見 更無人解入蒙茸」
南畝集17
漢詩番号3491
⑤198文化8年
1808/閏02/
「東叡山に雨中に花を看る
 北望台山雨似糸 淡紅濃白雑松枝 品花細看単重辨 占候先知早晩時
 雲繞桜峰開錦繍 霞標玉殿作瑠璃 吉祥高閣黄金榜 長建東方世界基」
南畝集17
漢詩番号3493
⑤198文化8年
1808/閏02/
「墨水に花を看る 蘭舟並著墨河陽 蹝履媻姍上野塘 西畔桜花東畔柳 一叢紅粉雑鴉黄」南畝集17
漢詩番号3494
⑤198文化8年
1808/閏02/28
「春雨中、桜花を遠望す 光風欲転宿陰軽 清水門西雨未晴 一樹桜花宜遠望 真成不負遠桜名」
【近世、清の石鈞、梅花の遠望するを愛し、遠梅居士と号す。予も亦顰みに倣つて遠桜山人と号す】
南畝集17
漢詩番号3497
⑤199文化8年
1808/03/
「上野の花をみて 鳥がなくあづまのひゑの山桜さくやゆたかに永き春の日」放歌集②179文化9年
1812/02/21
「無量山に花を看る 新緑纔舒風外葉 残紅不上雨前枝 清晨無量山中入 正是天花乱墜時」
「(二月)廿八日、伝通院の枝垂桜・彼岸桜、盛成」(『壬申掌記』⑨525)
南畝集18
漢詩番号3607
⑤234文化9年
1812/02/28
「すみ田かわの花さかりなれば
 仙人もかかるおくにやすみ田川みなかみ清き花のしら雲
 すみだ川つゝみの桜さく比はしら波たゝぬ日ぞなき」
放歌集
一簾春雨
②181
①504
文化9年
1812/03/04
「墨水に花を看て雨に値ふ
 春陰靄々墨河湄 芳樹花交弱柳枝 頭上暗雲飛一片 休催老父苦吟詩」
「(四日)向ふのつゝみに上れば、桜花今をさかり也。【帰路、雨に遇ひ(云々)】」
南畝集18
漢詩番号3612
壬申掌記
⑤236
⑨526
(五百羅漢寺) 南北に植し桜の花合五百の羅漢三千の妓女」
「上野花 鳥が鳴吾妻のひえの山ざくら咲や寛に永きはるの日」
「隅田川桜 隅田川つゝみの桜咲ころは花のしらなみ立ぬ日ぞなき」
一簾春雨⑤504文化9年
1812/03/
「此比よし原に桜を植るを、五百羅漢寺開帳の庭にも植しときゝて
 南北に植し桜の花ざかり五百の羅かん三千の妓女」
放歌集②183
「弥生九日、庭のさくらさかりなるに月さへ出ければ
 春の夜の月と花とをわがやどの一木の蔭にこめてこそみれ
 わがやどの一木の桜さきにけりみはやしぬべき友垣もがな」
放歌集
一簾春雨
②183
⑩504
文化9年
1812/03/09
「半ば開くの花 全開不及半開花 日月如流鬢易華 但願群芳長不歇 年々挿向美人家」
南畝集18
漢詩番号3875
⑤309文化11年
1814/02/
「上野の桜をみて 剃立の月代ひえの山ざくら花のさくべき面影もなし」七々集②295文化13年
1816/01/
「やよひ五日上野の花をみて 山桜去年もけふこそみにきつれ又のやよひのいつかわすれん
 しら雲の上野の花はみよしのゝちもとの中のひともとゝきく」
七々集②303文化13年
1816/03/05
「伝通院の糸桜やゝさかりなり 三月六日 百八の玉珠をつらぬく糸桜七分のかねに花やさくらん」七々集②303文化13年
1816/03/06
「盆花 屈曲桜花枝 盆栽一撮士 似開齲歯唇 更学折腰歩」南畝集20
漢詩番号4345
⑤445文化15年
1818/03/
「(上野花見の日)清林堂といへる筆屋、花のもとに酒さかなもて来しかば
 山の花きよき林の下ふしはさゝえを筆の命毛にせん」
「帰路即事 彼岸桜開上野宮 乍逢筆屋酒盈筒 籃輿四百五十字 多少波銭振舞中」
紅梅集②329文化15年
1818/03/
「花のうたの中に
 優婆そくが大みね入のあしだの歯はな緒に花やふみわけてゆく
 さくらさく朧月夜の三の口あけはなしなる恋もするかな」
紅梅集②330文化15年
1818/03/
「三月尽ちかき夜 さく花のちれる木末に夕風のそよぐも春の名残ならまし」紅梅集②333文化15年
1818/03/
「弥生十八日上野の花をみて 七十のとしの上野の花を見てかへりは駕篭にのりをこえたり
 けふの花あすは雪とやふり袖も半元服の青葉なるらん」
紅梅集②362文政2年
1819/03/18
「病をつとめて法林堂とともに上野の花をみる
 白雲の上野の花のさかりにはしばし心もはるゝうれしさ」
「扇に書たる詩に二句あり、今日の事に似たるもおかしくて
 入洞題松遍 天台の霞の洞に入ぬればからうた書ん松原のまつ
 看花選石眠 ねごゝろのよろしきところえらびつゝ石の上にも三春の花」
あやめ草②99文政5年
1822/02/15
「きさらぎ廿一日、青山堂・孫畯とともに伝通院に花
 此春の命ひとつのあるゆへに無量の山の花をしもみれ」
「白山の花をみてよめる。本社のかたに筆桜ありしがみえず
 旗桜あれば備後の三郎がもてる矢立の筆さくらならし」
あやめ草②99文政5年
1822/02/21
 有花満枝 有酒満壺 花神如在 酒徳不孤巴人集②448不明
「夜桜 夜の桜見て戻りしを女房にいゝわけくさき袖のうつり香」巴人集拾遺②481未詳