Top      浮世絵文献資料館 人物編Ⅰ
 
   人物編Ⅰ 【や】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人物編Ⅰ〕大田南畝関係
  【宿屋 飯盛(石川雅望)】(やどや の めしもり)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「宿屋めし盛におくる めしもりのかた手に歌もなり平や河内がよひの宿屋ならねど」
〈伯楽連の会日が四日であることから、四月四日とした〉
巴人集②398天明3年
1783/04/04
「旅宿郭公【小伝馬町、宿屋飯盛会】 開帳の本尊かけたかほとゝがすてつぺんかけてはしる風
 寄鰹祝 のしめ色きたる姿の初がつほおのが卯月を正月にして」
巴人集②401天明3年
1783/04/14
「飯盛惜別 旅人の別にこりの思ひつめて涙の玉やにぎりめし盛」巴人集②408天明3年
1783/05/
「めしもり・光の二人たづね来りけるに、せんざいのもろこしのはたに鳴子のおとしければ
 から酒を山田のひたのひたしゐは奥になる子歟たゞしならぬ歟」
〈南畝の妾お賤の寓居逍遙楼に訪ねきて〉
三保の松②508天明6年
1786/09/
「春夜伯楽宴集序
 それあめつちは万物の宿屋なり。光陰はもゝとせの同行なり。しかうしてきちんは闇のごとし。ねがへりをうつ事いくばくぞや。古人燭をとりてはたごにす。まことに故あり。いはんや一樽われにすゝむるに、滝水をもつてし、大会われにかずに、筆硯を以てす。伯楽のむまぶねに遊びて、下里のこまごとをはく。今夜の秀逸はみな暁月坊たり。われらが詠歌はひとり補陀洛にはづ。兼題いまだよめず、探題すでにいづ。樺焼をさいて花に座し、夕がしを呼で月にゑふ。批判あらずんば何ぞ勝負をわかたん。もし狂歌のつがひならずんば、ばちは角力の太鼓にあたらん
 春駒のいさむ心をたねとしてよろづの言のはく楽となる
 飯盛の歌 歌よみは下手こそよけれあめつちの動きいだしてたまるものかは」
四方のあか①172天明8年刊
1788/01/
「早春、将に石川子相を成子村に訪はんとす。会々雪後にして濘甚し。大関に及んで還る。悵然として詠を成す 駅舎錦連送馬蹄 路融余雪没深泥 春来未著登山屐 咫尺無由訪隠棲」南畝集16
漢詩番号2865
⑤11文化3年
1806/01/
「九月廿一日、独り巣鴨村に遊んで菊を看る。翌日、石川雅子相至つて云ふ、昨芦中傲吏と同じく墨水の菊隠居に過ると。悵然として詠を成し、芦中傲吏に簡す。情、辞に見はる
 君尋東渡菊 我見北園花 境異山兼水 喧無馬与車 珍叢分異種 玉露絶紛華 身拙帰田計 必遊種樹家
 声名流海左 奔走老生涯 欲対清樽酒 幽情各自誇」
〈芦中傲吏は近藤正斎(重蔵)〉
南畝集16
漢詩番号2954
⑤37文化3年
1806/09/22
「六樹園早春、将に石川子相を成子村に訪はんとす。会々雪後にして濘甚し。大関に及んで還る。悵然として詠を成す
 駅舎錦連送馬蹄 路融余雪没深泥 春来未著登山屐 咫尺無由訪隠棲」
南畝集16
漢詩番号2865
⑤11
「詠柳狂歌并序 六樹園のあるじ一樹の柳を題としてざれうたのむしろをしく。(中略)
 ところ/\ふし/\ありてなまよみの甲州糸に似たる青柳」
あやめ草②61文化7年
1810/01/