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☆ 歌川国貞 馬琴記事 天保四年(1833)浮世絵師名一覧
 ◯「天保四年癸巳日記」③324 二月九日(『馬琴日記』第三巻)   〝丁子や平兵衛来ル。予、対面。よミ本稿出来候哉ト問ん為也。俠客伝三集一の巻、本文半分程出来のよ    し申聞、(中略)画工ハ国貞ニ可致旨も、及示談。俠客伝二集、大坂ニてハ正月廿五日ニうり出し候よ    し。江戸ハ製本弐百五十部うり畢。此節(一字ムシ)百部仕入候よし也〟    〈昨年末十二月十七日記事では、故柳川重信のあと、『開巻驚奇俠客伝』の画工として、板元丁子屋は蹄斎北馬の起用     を考えていたようであったが、馬琴の意向もあったのだろう、結局国貞に落ち着いた〉  ◯『馬琴書翰集成』③34 天保四年三月八日  殿村篠斎宛(第三巻・書翰番号-11)   〝(『俠客伝』三集)画工は国貞ニいたし候〟    〈『開巻驚奇俠客伝』の初集(天保三年刊)は渓斎英泉画。二集(天保四年刊)は柳川重信。そして三集(天保五年刊)     は昨年閏十一月死去した重信に代わって歌川国貞が担当することになった。昨年末、板元丁子屋は北馬を推薦したの     であったが、恐らく馬琴が難色を示したのであろう。結局、国貞に落ち着いた。しかし馬琴は読本の国貞をあまり高     く評価していない。とするとネガティブな起用ではあろうが、では国貞に代わる画工が他にいるかと問われれば、北     斎以外にないのであるが、彼を起用できない以上、いるはずもないのである〉  ◯『馬琴書翰集成』③51 天保四年(1833)四月九日 河内屋茂兵衛宛(第三巻・書翰番号-14)   〝(「俠客伝」三集)画工国貞、二月下旬より団扇の画、并ニ役者にしき画、こみ合居候よしニて、今以    さし画ハ一枚も出来不申候。さて/\はり合なく、こまり申候〟    〈当時、国貞は役者似顔絵の第一人者。錦絵の注文が混み合い、読本挿絵に支障が出始めたのである。板元からすると、     錦絵の方が経済的効率は高い。昨年の正月を振り返ってみると、ひと月足らずで役者の死絵が三十数万枚も出る時世     である〉  △『近世物之本江戸作者部類』p204(曲亭馬琴著・天保五年成立)   〝(天保)四年【癸巳】俠客伝第三集五巻を綴る。この稿本三四月の比成就したるに、画工国貞が出像遅    滞の故に甲午の春正月五日発兌す〟  ◯『馬琴書翰集成』③57 天保四年(1833)五月朔日 小津桂窓宛(第三巻・書翰番号-16)   〝『俠客伝』三集五冊、四月八日比迄ニ、不残稿し畢り候。但し、序、惣目録・口画等、壱の口七丁ハあ    とへ残し、いまだ稿し不申候。画工国貞、一向ニさし画出来不申、今に一枚も画キ申候故、張合なく候    間、右七丁ハ、さし画出来の上ト、まづ中入り休ミ致候〟    〈昨年は柳川重信の道楽と春画優先と病没に悩まされ、今年は国貞の役者似顔絵に苦しめられている〉  ◯『馬琴書翰集成』③67 天保四年五月六日 河内屋茂兵衛宛(第三巻・書翰番号-18)   〝『俠客伝』三集ハ、四月上旬、不残書をハり、筆工も五の巻迄、不残出来申候。然ル処、画工国貞より、    今以、さし画壱丁も出来参り不申候故、先ぇより差支ニ可相成哉と、甚心配いたし罷在候得ども、何分    丁平殿旅行ニ付、画工之様子わかりかね候。丁子やぇは、画工へさいそく、無油断いたし候様、折々申    遣し候事ニ御座候〟    〈「丁平」は『開巻驚奇俠客伝』の板元、文溪堂・丁子屋平兵衛。この当時大坂に向かっていた。丁子屋は気むずかし     く時にわがままな戯作者や画工を引き連れて出版まで持ってゆく能力が傑出しているようで、馬琴はその江戸不在を     心配している様子だ〉  ◯『馬琴書翰集成』③68 天保四年五月十一日 河内屋茂兵衛宛(第三巻・書翰番号-19)   〝『俠客伝』三集さし画、本所国貞子方より、今に一枚も出来不参候間、甚心配いたし候。尤、丁子やよ    りも、度々無油断致催促候得ども、いつもおなじ口上ニて出来かね、甚こまり入候よしニ御座候。一体    かの仁、何か気に障り候と、一年も二年も引ずり候事、折々有之候故、此度も、左様之事ニハ無之哉と    存候事ニ御座候。平兵衛殿、在宿ニ候ハヾ、又相談も致し方可有之候得ども、何分ニも旅行中の事ニて、    致し方なく候。もし、丁平殿帰府之比迄も、右さし画出来不申候ハヾ、相談いたしとり戻し、外画工ニ    かゝせ候様ニも可致候。此段、丁平殿着被致ハヾ、御咄し被成可被下候〟    〈国貞「何か気に障り候と、一年も二年も引ずり候事、折々有之候」とある。今を時めく国貞ではあるが、これが通っ     てしまうとは驚きである。今回もそれかと兆す懸念に、さすがの馬琴も処置なしの様子。とはいえ、口絵や挿画なし     には、合巻はいうまでもなく読本でさえジャンルとして成り立たない。常なら丁子屋平兵衛の出番であるが、生憎大     坂行きで不在である〉  ◯「天保四年癸巳日記」③387 五月十六日(『馬琴日記』第三巻)   〝国貞さし画(『開巻驚奇俠客伝』三集)今以未出来ニ付(云々)〟    〈国貞、故柳川重信のあとを引き継いだものの、柳亭種彦の合巻『偐紫田舎源氏』をはじめ担当作品がたてこんでいる     のか、仕上がりが遅れている〉   ◯『馬琴書翰集成』③71 天保四年五月十六日 殿村篠斎宛(第三巻・書翰番号-20)   〝(「俠客伝」三集挿絵)画工国貞、今以さし画一枚も出来不申候。この画工、当時流行抜群故、勢ひ甚    しく、少しも気に入らぬ事候へバ、一年も二年も引ずり、不画事、毎度有之。先年拙編『白女ノ辻占』    などハ三年引ずり、やう/\出来候事も候へば、此度も、何ぞ板元よりきびしくさいそくいたし、気に    障り候哉と存候得ども、丁平旅行中ニて、様子わかりかね候〟    〈国貞が挿絵の筆を執ろうとしないのは、板元の厳しい催促に臍を曲げたからではないかと、馬琴は見ている。三年も     の間待たされたという馬琴の合巻『代夜待白女辻占』は文政十三年(1830)の刊〉  ◯『馬琴書翰集成』③74 天保四年五月十六日 小津桂窓宛(第三巻・書翰番号-21)   〝『俠客伝』三集さし画画工国貞、二月中より今以、一枚も出来不参候。此画工、甚流行故、勢ひ甚しく、    少しも気に入らぬ事あれバ、一年も二年も引ずり候。先年、『白女辻占』の画抔も、三年めニてやう/\    出来候事有之。此度も、板元きびしくさいそくでもせし故に、わざとかゝぬ事かと猜し候のミ。丁平旅    行中故、様子わかりかね候。依之、はり合無之候間、同集ハ、さし画の様子次第ニ可致、見合せ候事ニ    御座候〟  ◯「天保四年癸巳日記」③403 六月 九日(『馬琴日記』第三巻)   〝丁子屋平兵衛来ル。(六日、大坂より帰府の由)俠客伝三輯、国貞画延引の義に付、示談数刻〟  ◯『馬琴書翰集成』③81 天保四年七月十三日 殿村篠斎宛(第三巻・書翰番号-22)   〝『俠客伝』三集の画工国貞、一向ニさし画出来不申候。六月上旬、丁子や平兵衛帰府いたし候処、右已    前、同人実母身故いたし、彼是とり紛れうち過、やう/\六月下旬より、壱の巻さし画弐丁、二の巻さ    し画三丁、共に五丁出来。引つゞき画候よしニ候へども、今以、あとハ壱丁も出来不申候。丁平も無油    断催促いたし候よしニ候へども、よみ本のさし画はほねをれ候故、骨の折れぬにづらのにしき画の方、    便利と見え、手古でも動キ不申候間、板元もいたし方なく、一日/\とうち過申候。かゝる勢ひニ候へ    バ、第四集を急ギつゞり遣し候ても、当暮のうり出しニハなり不申候。来年の暮ならでハ、出板成りが    たしとしりつゝ、只今よりつゞり立候も、尤気がなく候故、四集ハ今に一枚も稿し不申候。三集も、口    絵・惣もくろく等ハ、稿し遣し候へども、序ハいまだかゝず候。さればとて、合巻の作ハ、いよ/\い    なに御座候間、一日/\と廃業ニて、何の評のかの評のと、益にもたゝぬ筆ずさみに日をくらし、或ハ    友人ニ被頼候詩歌やら、額字様のものを書候て、つまらぬ月日を送り候なり。『金瓶梅』三集ハ、五月    下旬、四冊分二十丁つゞり遣し、是も国安死去いたし候ニ付、国貞に画をかゝせ候故、今以出来不申候。    これも廿丁切りニて、当年ハ間ニ合申まじく候〟    〈国貞の遅筆には実母の死という事情もあったようだが、馬琴は「よみ本のさし画はほねをれ候故、骨の折れぬにづら     のにしき画の方、便利と見え、手古でも動キ不申候間、板元もいたし方なく、一日/\とうち過申候」と、役者似顔     絵を優先する国貞の姿勢にも原因があると見ている。ともあれ三集の挿画は遅れに遅れ、馬琴の気持ちもうんざりの     様子。このペースでは四集の出版は年内どころか来年の見通し。それではとても筆を執る気にならない。三月、丁子     屋と取り決めた三~四集十冊続き出版など到底無理だというのである。ところで影響は「俠客伝」と留まらない。     『新編金瓶梅』の挿絵も、昨年七月に死亡した画工国安に代わって国貞が担当することになっていた。これも同様に     遅れている。七月十四日付、小津桂窓宛(書翰番号・第二巻-23)③91にも全く同じ記事あり〉  ◯「天保四年癸巳日記」③436 七月廿四日(『馬琴日記』第三巻)   〝丁子や平兵衛来ル。予、対面。俠客伝四集稿本、催促也。国貞方、同書三集の絵とかく出来かね候間、    四集は重信婿重政に画せ度よし抔、被申之。并に、美少年録画工北渓事抔、予、示談。そのまゝ同人に    画せ候つもり、示談〟    〈国貞の『開巻驚奇俠客伝』三集は依然として不調である。しかし丁子屋は四集連続出版を諦めず、馬琴に原稿を催促     している。そして挿画の方は柳川重清の婿・重政(二代目重信)の起用を考えていた。なお『近世説美少年録』の画     工北渓についてはそのまま継続である〉  ◯「天保四年癸巳日記」③472 九月十八日(『馬琴日記』第三巻)   〝丁子や平兵衛来る。予、対面。国貞画三集口絵残り二丁、昨夜やうやく出来(云々)〟    〈読本『開巻驚奇俠客伝』三集、国貞担当の挿画はすったもんだの末やっと終了した〉   〝芝神明いづミや市兵衛より使札。神明祭ニ付、如例、手製甘酒一重、生姜一把、被遣之。金瓶梅画、国    貞方より当月中出来のやくそくニ付、表紙外題画稿の事頼来ル〟    〈合巻『新編金瓶梅』(泉屋市兵衛板)の画工も国貞であるが、読本『開巻驚奇俠客伝』の挿画ほどの切実さは感じら     れない。ほぼスケジュール通り進行している様子だ。十月十日の日記を見ると「当月中出来のやくそく」は守られな     かったようだが、許容の範囲内なのであろう。やはり国貞は読本が苦手なのであろうか〉  ◯「天保四年癸巳日記」③489 十月十日(『馬琴日記』第三巻)   〝芝神明前いづミや市兵衛来ル。予、対面。合巻物金瓶梅、画廿丁之内、十丁やうやく昨日、国貞より出    来のよしニて、今日、筆工金兵衛方ぇ遣し候よし也〟    〈「やうやく」とあるところをみると、国貞の挿画は「俠客伝」だけでなく『新編金瓶梅』の方にも、曲折があったの     だろう〉    ◯『馬琴書翰集成』③108 天保四年十一月六日 殿村篠斎宛(第三巻・書翰番号-27)   〝『俠客伝』三集のさし画、やう/\九月十八日ニ出来揃ひ、夫より彫刻差急ギ、此節追々ほり出来、い    まだ揃ひ不申候得ども、十一月一日より校合ニとりかかり罷在候。十二月中旬下旬迄ニハ、ぜひ/\出    板可致候〟   〝同書(「俠客伝」)四集ハ、八月中旬より稿本ニ取かゝり、これも引つゞき、来正月中旬迄ニ、ぜひ/\    うり出し度よし、丁子や平兵衛達て願ひ出候間、任其意、赤中より昼夜出精いたし、十月廿九日ニ四集    五冊、不残稿本出来いたし、筆工ハ両人ニて、半冊づゝ引わけ、書せ候故、書画板下と稿本と、半冊ち    がひニて同時ニ出来、手廻し尤神速ニ候処、大坂板元河茂より急状到来、十二月中うり出しニ不成候て、    正月うりニ成候てハ、捌あしく御座候間、大延しにいたし、四集ハ明々年未正月二日うりニ致し度よし、    申来候。是ニて秋中よりの出精、画餅ニ成候故、五集の作ハ断候て、已来かゝぬつもりニ、書状大坂ヘ    出し候〟   〝『金瓶梅』ハ、画工国貞故、夏中より引ずらせ、やう/\十月ニ至り、画写本出来ニ付、十二月下旬な    らでハ出板致まじく候〟    〈国貞の遅筆の他に大坂板元河内屋茂兵衛と江戸板元丁子屋平兵衛との出版方針の相違が、馬琴の創作意欲に悪影響を     与えているのである〉  ◯「天保四年癸巳日記」③472 九月十八日(『馬琴日記』第三巻)   〝丁子や平兵衛来る。予、対面。国貞画三集口絵残り二丁、昨夜やうやく出来(云々)〟    〈読本『開巻驚奇俠客伝』三集、国貞担当の挿画はすったもんだの末やっと終了した〉   〝芝神明いづミや市兵衛より使札。神明祭ニ付、如例、手製甘酒一重、生姜一把、被遣之。金瓶梅画、国    貞方より当月中出来のやくそくニ付、表紙外題画稿の事頼来ル〟    〈合巻『新編金瓶梅』(泉屋市兵衛板)の画工も国貞であるが、読本『開巻驚奇俠客伝』の挿画ほどの切実さは感じら     れない。ほぼスケジュール通り進行している様子だ。十月十日の日記を見ると「当月中出来のやくそく」は守られな     かったようだが、許容の範囲内なのであろう。やはり国貞は読本が苦手なのであろうか〉  ◯「天保四年癸巳日記」③489 十月十日(『馬琴日記』第三巻)   〝芝神明前いづミや市兵衛来ル。予、対面。合巻物金瓶梅、画廿丁之内、十丁やうやく昨日、国貞より出    来のよしニて、今日、筆工金兵衛方ぇ遣し候よし也〟    〈「やうやく」とあるところをみると、国貞の挿画は「俠客伝」だけでなく『新編金瓶梅』の方にも、曲折があたのだ     ろう〉  ◯「天保四年癸巳日記」③493 十月十四日(『馬琴日記』第三巻)   〝芝泉市より使札。過日申遣し候金瓶梅三集外題の画の事、国貞存寄にて、荒物ニ付、おれん・啓十郎二    人並ニいたし候てハいかゞ可有之候哉、予に問候様、被申候よし也。然ども右男女は悪人也。悪人のミ    外題へあらハし候事、勧懲の為、不宜とて、悪ませて画せ候様、返翰ニ申遣ス〟    〈国貞が外題画を「おれん・啓十郎」の二人並びにしてはどうかと提案した。それに対して、悪人を外題にするのは勧     善懲悪の趣旨に悖るとして宜しからずと、馬琴は回答したのである〉  ◯『馬琴書翰集成』③117 天保四年十一月六日 小津桂窓宛(第三巻・書翰番号-28)   〝『金瓶梅』三集合弐冊、当夏中より画工国貞ニて引ずられ、十月上旬、やう/\右の画出来、それより    急ニ筆工へ廻し、五七日已前、やう/\一弐終り、只今ほり立申候。これハ、十二月おしつめならでハ    出板致まじく、御地ぇは正月廻り可申候〟   〝『俠客伝』三集、画工国貞ニて幕支候趣、先便得貴意候処、やう/\九月十八日ニ至り、さし画・口絵    共、不残出来(中略)当冬出板、心もとなく存候処、丁平よほどきびしく画工へさいそくいたし、夫故    九月中旬迄ニ、画ハ不残来候得ども、画工と絶交同様之間がらニ相成り、うすゞみ・つや墨・色ざし、    ふくろ・とびら等の画もやうハ、別画工・今ノ柳川ニ画せ候〟    〈『俠客伝』三集の年内決着を目指す板元丁子屋は、流行絵師国貞と「絶交同様の間がら」になりながらも厳しく催促     して何とか間に合わせる見通しをつけた〉