浮世絵師総覧・個別絵師

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☆ こりゅうさい いそだ 磯田 湖竜斎浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ※〔漆山年表〕  :『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」   〔小咄〕    :『江戸小咄辞典』       〔噺本〕  :『噺本体系』   「日文研・艶本」:「艶本資料データベース」   〔白倉〕  :『絵入春画艶本目録』   『黄表紙總覧』棚橋正博著・日本書誌学大系48   『稗史提要』比志島文軒(漣水散人)編  ☆ 明和元年(1764)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇俳諧(明和元年刊)    磯田湖竜斎画『両節唫』一帖 湖竜斎画 玉集庵沾蘭編    ☆ 明和四年(1767)    ◯「艶本年表」〔白倉〕   ◇艶本(明和四年刊)    磯田湖龍斎画『真似鉄炮』墨摺 小本 一冊 壁隣狂人吐淫序 明和四年頃     (白倉注「川柳(五文字)集『豆鉄炮』のパロディ本」)  ☆ 明和五年(1768)    ◯「艶本年表」〔白倉〕   ◇艶本(明和五年刊)    磯田湖龍斎画『俳諧色乃湊』中錦 十二枚組物 沢木堂桃東序 明和五年頃     (白倉注「長らく春信画といわれていた作品だが、明らかに湖龍斎の特色を示している」)  ☆ 明和六年(1769)    ◯「艶本年表」〔白倉〕   ◇艶本(明和六年刊)    磯田湖龍斎画『八重霞床のはな』中錦 十二枚組物 明和六年頃     (白倉注「春信風。集中「雪中相合傘」の男女あり)  ☆ 明和八年(1771)頃    ◯「艶本年表」〔白倉〕   ◇艶本(明和八年刊)    磯田湖龍斎画    『女夫まねへもん』中錦 二十四枚組物 明和八年頃     (白倉注「豆夫婦の覗きが趣向。春信の「艶色真似えもん」にならってのもの、湖龍斎の代表作。完品未出なのが惜しい)  ☆ 安永元年(明和九年・1772)     ◯『洒落本大成』第五巻   ◇洒落本(安永元年刊)    湖竜斎画『猿の人真似』署名「湖龍画」「湖龍斎筆」卜平作    ◯「艶本年表」〔白倉〕   ◇艶本(安永元年刊)    磯田湖竜斎画    『角力大全』中錦 十二枚組物「湖龍」安永元年頃     (白倉注「相撲の決まり手をもじったもので「鶴の羽かへし」「腰くじき」「尻がへし」などの画題がついている)    『玉つはき』墨摺 横小本 三冊「湖龍」口絵 彩色摺 序題「艶色玉椿」明和九年     (白倉注「湖龍斎の最初期の艶本」)     ☆ 安永二年(1773)    ◯「艶本年表」   ◇艶本(安永二年刊)    磯田湖龍斎画〔白倉〕    『風流男女相生吉凶図』色摺 六ッ切 十二巻組物    『風流相生守十二支』 色摺 六ッ切判  十二枚組物    『風流十二季笑』   色摺 六ッ切判  十二巻組物    『花乃うつりか』   墨摺 中本 一冊「湖龍」    『青楼東美人』    間錦 十二枚組物    『逢門比男形』    色摺 六ッ切   十二枚組物 安永二年頃    磯田湖龍斎画〔白倉〕〔日文研・艶本〕    『風流十二季の栄花』 中錦 十二枚組物「正勝」安永二年     (白倉注「湖龍斎として知名度の高い作品だが、いまだ「春信画」としている者がある」)    『色情十二手くだ』  色摺 横小判組物 十二図   安永二年頃    『好色十二姿』    色摺 六ッ切   十二枚組物 安永二年頃     ◯「咄本年表」〔目録DB〕    湖竜斎画『吟咄川』湖竜斎画 竜耳斎間取作     ☆ 安永三年(1774)     ◯『吉原細見年表』(八木敬一、丹羽謙治共編・平成八年(1996)刊)   ◇吉原細見(安永三年刊)    湖竜斎画『細見百夜章』署名「湖龍画」序「午のはつ秋 墨水漁夫識」鱗形屋板(縦小本)    ◯「艶本年表」(「日文研・艶本」は「艶本資料データベース」〔白倉〕は『絵入春画艶本目録』)   ◇艶本(安永三年刊)    磯田湖龍斎画〔日文研・艶本〕〔白倉〕    『風流江戸十二景』色摺 六ッ切 十二枚組物 安永三年頃     (白倉注「集中の一図「風流江戸十二景、両国橋の新人」に「ひのや、かし座敷」と見える。これは淡雪豆腐で知られた      日野屋であろうから、当時料理屋で貸座敷を兼業していたところが多かったことの証になろう」)    『十二曲色合戦』 色摺 六ッ切 十二枚組物 安永三年頃     (白倉注「各図円形の中に川柳が詠み込まれている「たてのないいくさははげしく花の山」など」)    『咲本色春駒』  墨摺 半紙本 一冊    安永三年             序「安永三ッのとし初春」10図の屏風画に「湖龍画」     (白倉注「改題再摺本に『色色妹背山』(天明元年)がある。『十二季の栄花』他の組物と重なる図が多く見られる)    『艶色花の瀧』  墨摺 横小本 一冊    安永三年             序「安永申の鼻の下ハ永き日」    磯田湖龍斎画〔白倉〕    『陰陽恋のいろは』色摺 六ッ切 十二枚組物 安永三年頃〔白倉〕     (白倉注「湖龍斎の小判錦絵のサイズは、美濃紙の六ッ切なので、ほぼ正方形に近い」)    『艶色御伽笑』  色摺 六ッ切 十二枚組物 安永三年頃〔白倉〕    『風流色算法』  中錦     十二枚組物 安永三年頃〔白倉〕    『縁結恋の占』  墨摺 半紙本 三冊    安永三年 〔白倉〕    ☆ 安永四年(1775)     ◯『噺本大系』巻十「所収書目解題」   ◇咄本(安永四年刊)    湖龍斎画『新口花笑顔』署名「湖龍画」「竜耳斎聞取序」山林堂板     ◯「艶本年表」   ◇艶本(安永四年刊)    磯田湖龍斎画    『色錦姿の花年中行事』墨摺 横本 五冊 安永四年〔日文研・艶本〕               一巻序「安永四つの目出たきはつ春」               一巻8図 衝立「湖竜」印 五巻7図 衝立「湖龍」印    『姿の花』墨摺 横本 五冊「湖龍」安永四年〔白倉〕     (白倉注「再摺本に『花の姿』がある。題簽に「年中行事」とあるように、雛祭、汐干狩などの行事を春画に仕立てている」)     ☆ 安永五年(1776)     ◯『噺本大系』巻十・十一巻「所収書目解題」   ◇咄本(安永五年刊)    磯田湖龍斎画『売言葉』 署名「湖龍画」「土龍斎画」 整々畔市和序 整々畔板    〈「土龍斎画」の方は湖龍斎をもじった画名で、素人一時の戯れである〉     ◯「艶本年表」   ◇艶本(安永五年刊)    磯田湖龍斎画    『色道取組十二合』色摺 六ッ切判 十二枚組物「湖龍画」安永五年頃〔白倉〕     (白倉注「題名の下に体位名を入れ、別枠に川柳を入れている。「茶臼 鬼の留守待ちおふせてや初時雨」」)    『笑本菊相撲』  墨摺 三冊 安永五年〔白倉〕     (白倉注「市中の岡場所を題材としたもの。改題再摺本に『笑翔籬分根』」)    「欠題組物(一)」 錦絵 大判組物 十二枚 安永五年頃 11図の衣桁に「湖龍」の印〔日文研・艶本〕    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇往来物(安永五年刊)    磯田湖竜斎画    『古状揃』磯田湖竜斎画・書 西村屋与八板    ☆ 安永六年(1777)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕   ◇絵本(安永六年刊)    磯田湖竜斎画『偏銕挺論』五巻 湖龍斎戯画 柳橋先生 竹川・川村合板     〈「日本古典籍総合目録」の分類は滑稽本〉    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇絵本 絵画(安永六年刊)    磯田湖竜斎画『東錦太夫位』磯田湖竜斎画(注記「絵本の研究による」)     ◯『洒落本大成』第七巻   ◇洒落本(安永六年刊)    湖竜斎画『妓者呼子鳥』署名「湖竜斎画」田螺金魚作    ◯「艶本年表」〔白倉〕   ◇艶本(安永六年刊)    磯田湖龍斎画『色道取組十二番』大錦 十二枚組物 安永六年頃     (白倉注「湖龍斎の代表作。彼には大判錦絵の組物は本集と欠題との二つしかない。湖龍斎の画風を確立した時期のもので、      安永期の画風の標準作たりえている」)     ☆ 安永七年(1778)     ◯『稗史提要』p353   ◇黄表紙    作者の部 春町 桂子 物愚斎於連 四国子 薪葉 林生    画工の部 清経 清長 春町 北尾重政 湖龍斎 蘭徳斎春重 勝川春常 芳川友幸    板元の部 鱗形屋 鶴屋 伊世次 西村 奥村 村田 山本 岩戸 松村 よし屋    時評〝湖龍斎女絵のにしき絵に名あり、稗史を画く事此本にかぎる歟〟    〈「此本」とは新葉作の『松茸売親方』という黄表紙。時評者・漣水散人は湖龍斎の黄表紙をこの一点限りかとするが、     「日本古典籍総合目録」をみると、肝釈坊(烏亭焉馬)作の黄表紙に『三歳繰珠数暫』というのがあり、画工名が湖     竜斎文調となっており、これは湖竜斎なのか文調なのかよく分からない〉     ◯『黄表紙總覧』前編   ◇黄表紙(安永七年刊)    湖龍斎画    『松茸売親方』 署名「湖龍斎」    「薪葉作之」 ・丸小板    『三歳繰数珠暫』署名「湖龍画・文調画」「肝釈坊戯作」・板元不明     〈肝釈坊に「焉馬」の印あり。すなわち烏亭焉馬の戯作。備考、文調の黄表紙は本作のみとする〉     ◯「艶本年表」〔日文研・艶本〕   ◇艶本(安永七年刊)    磯田湖龍斎画『笑翔色物馬鹿本草』墨摺 半紙本 五冊 安永七年           序「柳枝散人」4冊11図 衝立「湖龍」印     ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇黄表紙(安永七年刊)    湖竜斎文調画『三歳繰珠数暫』肝釈坊作    湖竜斎画  『松茸売親方』薪葉作   ◇往来物(安永七年刊)    磯田湖竜斎『万世古状揃大成』一冊 湖竜斎画・書     ☆ 安永八年(1779)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕   ◇絵本(安永八年刊)    湖竜斎画『役者手鑑』一巻 湖龍斎画 花吸菴蔵     (画は市川団十郎と瀬川菊之丞が似顔、外は俳画風。画の上部に役者の自筆俳句を載せる)     ◯『洒落本大成』第八巻   ◇洒落本(安永八年刊)    湖竜斎画 『家暮長命四季物語』署名「潮(ママ)龍斎画」蓬莱山人帰橋作    ☆ 安永年間(1772~1780)    ◯「艶本年表」〔目録DB〕   ◇艶本(安永年間刊)    磯田湖竜斎画    『風流男女相生吉凶図』一帖 磯田湖竜斎画 安永年間刊(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『八重霞床のはな』一帖 磯田湖竜斎画 安永年間刊(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『風流十二季笑』一帖 磯田湖竜斎画 安永頃刊 (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『色物馬鹿本草』五冊 湖竜斎画   安永末年刊(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『好色十二姿』 一帖 磯田湖竜斎画 安永年間刊(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『青楼東美人』 一冊 湖竜斎画   安永頃刊 (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『真似鉄炮』  一冊 湖竜斎画 壁隣狂人吐淫作 安永末巻    『清少納言』  一冊 磯田湖竜斎? 安永頃刊 (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『美夜娯禽』  一冊 磯田湖竜斎画 安永頃  (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『秘伝巻』   三冊 磯田湖竜斎画?安永頃  (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    ☆ 天明元年(安永十年・1781)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕   ◇絵本(天明元年刊)    磯田湖竜斎画『混雑倭艸画』三巻 湖竜斎 雪中庵蓼太序 和泉屋幸次郎他板    ◯「艶本年表」〔目録DB〕   ◇艶本(天明元年刊)    磯田湖竜斎画『艶本千歳種』三冊 磯田湖竜斎画(注記「艶本目録による」)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇俳諧(天明元年刊)    磯田湖竜斎画『両節唫』湖竜斎画 沾蘭編      ☆ 天明三年(1783)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕   ◇絵本(天明三年刊)    磯田湖竜斎画『混雑倭艸画』三巻 湖竜斎 前川六右衛門板(頭注「再摺」)〈初版は天明元年刊〉   ◇俳諧(天明三年刊)    磯田湖竜斎画『両節吟』  一冊 法橋湖龍斎画 旭朗井勝春章図 花藍画 沾蘭編     ◯『狂歌若菜集』〔江戸狂歌・第一巻〕唐衣橘洲編・天明三年(1783)刊   〝湖竜斎といふが俳優の似顔かきけるをみて  あけら菅江詠      おもさしもかくやどうさのとき膠(ニカワ)みなにた/\とほむるうつし絵〟     ◯『稗史提要』p365   ◇草双紙(同年出版黄表紙の時評記事)   〝年代記誤多し。前青本中の吟雪と房信と別人とす。又湖龍斎、青本を画かずと云。戌年の松茸売の画は、    湖龍斎なり〟    〈「年代記」とは式亭三馬作、享和二年(1802)の黄表紙『稗史億説年代記』。それに「昔より青本の画をかゝざる人」     として湖龍斎の名もあがっている。実際には、安永七戌年、新葉作・湖竜斎画『松茸売親方』がある〉     ☆ 天明四年(1784)     ◯『洒落本大成』第十二巻(『彙軌本紀』島田金谷著・天明四年正月刊)   〝当世流行するものは何々ぞ(中略)浮世画は 花藍 春章 清長 湖竜 歌麿〟    〈花藍は北尾重政〉    ☆ 刊年未詳    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇絵本・絵画(刊年不明)    磯田湖竜斎画『風流略源氏』一冊 磯田湖竜斎画    ◯「艶本年表」   ◇艶本(刊年未詳)    磯田湖龍斎画〔日文研・艶本〕    『色錦姿の花年中行事』墨摺 横本 一冊 10図 衝立「湖龍」印    磯田湖龍斎画〔目録DB〕    『今様風俗好女談合柱』三冊 磯田湖竜斎画    『好色いろは文字』  三冊 磯田湖竜斎画                      (注記「縁結恋乃占の改題本、日本艶本目録(未定稿)による」)    『色道取組十二合』  一帖 磯田湖竜斎画 (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『色道取組十二番』  一帖 磯田湖竜斎画 (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『十二曲色合戦』   一帖 磯田湖竜斎画 (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『古今和合集』    三冊 湖竜斎画?  (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『色情十二手』    一冊 湖竜斎画   (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『逢門比男形』    一帖 磯田湖竜斎画 (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『艶色お伽笑』    一冊 磯田湖竜斎画 (注記「艶本目録による」)    『おみなへし』    三冊 湖竜斎画   (注記「艶本目録による」)    『色道三津絵』    三冊 湖竜斎画   (注記「艶本目録による」)    『吾妻の四季』    四冊 磯田湖竜斎画    『恵本金衣鳥』    五冊 磯田湖竜斎画    『艶本姫小松』    三冊 磯田湖竜斎画    『艶情美談』     五冊 磯田湖竜斎画    『籬分根』      三冊?磯田湖竜斎画 (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『密蒲団』      三冊 磯田湖竜斎画?(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)     ☆ 没後資料    ☆ 寛政十二年(1800)     ◯『浮世絵考証』〔南畝〕⑱445(寛政十二年五月以前記)  〝湖竜斎 後に法橋となり浮世絵をかヽず    両国橋広小路薬研堀に住せり。是又文調の類也〟    〈「文調の類」という意味は〝男女風俗、歌舞伎役者画ともにつたなき方なり〟である〉    ◯『古今大和絵浮世絵始系』(笹屋邦教編・寛政十二年五月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)        〝一流 米沢町  湖竜斎〟    ☆ 享和二年(1802)     △『稗史億説年代記』(式亭三馬作・享和二年(1802)刊)〔「日本名著全集」『黄表紙二十五種』所収〕   〝草双紙の画工に限らず、一枚絵の名ある画工、新古共に載する。尤も当時の人は直弟(ヂキデシ)又一流あ    るを出して末流(マタデシ)の分はこゝに省く。但、次第不同なり。但し西川祐信は京都の部故、追て後編    に委しくすべし    倭絵巧(やまとゑしの)名尽(なづくし)     昔絵は奥村鈴木富川や湖龍石川鳥居絵まで 清長に北尾勝川歌川と(ママ)麿に北斎これは当世      湖龍斎  (他の絵師は省略)〟
   『稗史億説年代記』 式亭三馬自画作 (早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)        〝青本 草双紙いよ/\洒落る事を専一とする。当世風体此時より始まる    袋入 袋入本始まる。茶表紙に細き外題。袋入にして青本とは別板なり    画工 柳(ママ)文調、役者似顔の元祖、勝川春章に続いて似顔画を書く    〈「春章に続いて似顔画を書く」とあるから、一筆斎文調の誤記であろう。次項もそうだが、「画工」とあるものの、     このあたりから、三馬は青本の画工というより、当時活躍した浮世絵師を取り上げているように思う〉    同  鈴木春信、湖龍斎、女絵の一枚絵一流なり。柱隠し女絵本はやる〟    〈三馬は別のところで「昔より青本の画をかゝざる人の名」を十三人の浮世絵師をあげているが、春信も湖龍斎もそれ     に入っている。従ってこの「画工」は、この青本当時の絵師として春信や湖龍斎をあげたものと思われる〉      〝青本 草双紙、だん/\と理屈におちる    画工 女絵の姿は清長に始まつて春潮に至り当世に変化する    同  彩色絵の遍数(ヘンカズ)、中古に倍す。江戸絵ます/\尊し    同  柱かくしの女絵は湖龍斎よりはやり出し清長に至つてます/\世に用ゆ    作者 森羅亭万宝、双紙を作す。烏亭焉馬久しく廃れたる落噺を再興す。談洲楼と号す〟      〝昔より青本の画をかゝざる人の名    奥村   鈴木春信  石川豊信  文調    湖龍斎  勝川春章  春好    春潮    春林   春山    春鶴    春常 【勝川門人数多あり】    歌川豊春 【此外にも洩れたる画者多かるべし。追て加之】〟    〈「日本古典籍総合目録」によれば、安永七年、新葉作の黄表紙『松茸売親方』の挿絵を担当している〉    ☆ 文化初年(1804~)    ◯『反故籠』〔続燕石〕②170(万象亭(森島中良)著、文化年中前半)   (「江戸絵」の項)   〝春信歿後、礒田湖竜、清満が門人清長に至て、いよ/\、色ざし、摺やうともに盛になれり〟    ☆ 文化五年(1808)     ◯『浮世絵師之考』(石川雅望編・文化五年(1808)補記)   〔「浮世絵類考論究10」北小路健著『萌春』207号所収〕   〝湖竜斎【両国広小路薬研堀住】    これまた文調の類なり、後には法橋となり浮世絵をかゝず〟    〈大田南畝の『浮世絵考証』と同内容。「文調の類」という意味は〝男女風俗、歌舞伎役者画ともにつたなき方なり〟     である〉    ☆ 文化八年(1811)    ◯『凧雲井物語』(合巻・式亭三馬作・歌川国貞画・文化八年刊)   〝青楼美人鏡  湖龍斎画(花押)     三浦内 長門【みどり/ふかみ】     (模写絵)    此絵ハいまだびんさしを用ゐずつまみたぼの形なり、此のちびんさしいれたる湖龍斎の女絵ハ世人しる    所なれば、こゝには古風の体を出せり〟   〝右の大錦絵の摸ハ古人湖龍斎が筆蹟なり、天明初年の頃までは開板ありしが、其後絶てなし、一家の画    法とハいへども、僅の年数を歴て風俗の変ること想像(おもひやり)たまふべし〟    〈湖龍斎にはニューファションであった鬢挿しの女絵のイメージが強かったようだ〉
   『凧雲井物語』 式亭三馬作(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)    ☆ 文政元年(1818)     ◯『浮世絵類考』(式亭三馬按記・文政元年~四年)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)   〝三馬按、湖竜斎姓ハ磯田、通称庄兵衛、小川町土屋家ノ浪人ナリ。委クハ別記ニ譲ル〟    ☆ 文政八年(1825)      ◯『耽奇漫録』下133(「耽奇会」第十一集・文政八年二月一日)   (「古画美人十五幅」の項)   〝古画美人十五幅【今こゝにその落款のみを模写す】    法橋湖龍斎画(印)〟    〈松羅館・西原梭江の出品〉    ☆ 天保四年(1833)    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③295(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝湖竜斎     俗称磯田庄兵衛、住居両国薬研堀、後法橋となる    浮世絵を能す、東都薬研堀の隠士と画名を誌せり、法橋となりてより板下絵をかゝず、小川町土屋家の    浪人なり     按るに錦絵を細長くつぎ、吉原遊女画などをゑがき、表具し、俗に柱かくしと云れんの如くにしたる     絵多し、此頃専ら流行せしものなるべし〟    ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)     ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年序)   (( )は割註・〈 〉は書入れ・〔 〕は見せ消ち) 〝湖龍斎     俗称 磯田庄兵衛、住居 両国薬研堀に住す〈米沢町角トモ〉     後、法橋となる 宝暦明和の頃なるべし    浮世絵を能す、東都薬研堀の隠士と画名を誌せり、法橋となりてより板下絵をかゝず、小川町土屋家の    浪人なり     湖竜斎が画に、錦絵を細長くつぎ、吉原遊女画などを表具して、俗に柱かくしと云聯の如くにしたる     絵多し。此頃専流行せしものなるべし。    三馬が附録に西村重長門弟、米沢町角とあり。    〔絵本〕〈混雑〉倭草画(湖竜斎画板本三巻あり〈板本なれど〉頗筆力見ゆ)〟    ☆ 嘉永三年(1850)     ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」p中1392(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   〝湖龍斎 後法橋となり、浮世画を不画、下手、明和頃人、両国橋広小路薬研堀に住せり、【米沢町角ト    モアリ】是又文調の類也、佳気園云、青楼名妓の一枚画を多く画けり、必ず其傍に雛妓を添、画風いや    しからず、然れども、一紙中の妓、皆同じ顔に書て、長幼の別なし、又古法眼写の、布袋の摺画あり、    浮世画に非ず、浮世絵類考
   [署名]「法橋湖龍斎」[印章]「正勝之印」(朱字方印)【大神楽ノ画、磯田氏、武江年表】    (補)[印章]「正勝印」(朱字方印)(補)[署名]「湖竜斎」[印章](前項[印章]と同じ)〟    ☆ 安政年間(1854~1859)    ◯「艶本年表」   ◇艶本(安政年間刊)    磯田湖竜斎画『遊色床春駒』三冊 磯田湖竜斎画? 安政頃刊〔目録DB〕            (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    ☆ 文久元年(1861)    ◯『戯作外題鑑』〔燕石〕⑥62(岩本活東子編・文久元年)   (「天明三癸卯年」時評) 〝年代記誤多し。(中略)湖竜斎青本を画かずと云、戌年、松茸売の画は湖竜也〟    〈『稗史提要』に同文あり。「年代記」とは式亭三馬作画の『稗史億説年代記』(享和二年)。〝昔より青本の画をかゝ     ざる人の名〟として湖龍斎の名が挙がっている。『稗史提要』はこれを誤りとし、「戌年」(安永七年)の「松茸売     の画」(『松茸売親方』)を挙げたのである〉    ☆ 成立年未詳     ◯『岡場遊廓考』〔未刊随筆〕①99(石塚豊芥子著・成立年未詳)   (上野「山下」の項、「山下新談」より引く)   〝遊君見世に並び、前ひちひさき屏風を立、紅粉を粧ひ、其美しき事春章湖竜斎が筆にも及がたかるべし〟    〈「国書基本データベース」(国文学研究資料館)は洒落本『山下新談』を、樗々羅山人、安永六年の作とする〉    ☆ 明治元年(慶応四年・1868)     ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪202(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   〝湖竜斎    俗称磯田庄兵衛、小川町土屋家の浪人なり。住居米沢町又薬研堀といふ。浮世絵を好んで、西村重長の    門人となり、東都薬研堀の隠士と画名を誌せり。錦絵を細長くつぎ、吉原遊女絵などを表具して、俗に    柱かくしと云如くにしたる絵多し。此頃専ら流行せしものなるべし。後法橋となる。      混雑倭草画 三冊 板本なれども頗筆力見ゆ〟    〈「国書基本DB」『混雑倭草画』は天明元年刊〉    ☆ 明治十七年(1884)  ◯『扶桑画人伝』巻之四(古筆了仲編 阪昌員・明治十七年八月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝湖龍斎    磯田氏、俗そう庄兵衛、湖龍斎ト号ス、江戸小川町土屋家ノ浪人ナリ。後チ両国広小路ノ傍ラ薬研堀ニ    ニ住ス。浮世絵ヲ画ク然レドモ巧ミナラズ〟  ☆ 明治二十一年(1888)  ◯『古今名家書画景況一覧』番付(大阪 広瀬藤助編 真部武助出版 明治二十一年一月刊)   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   ※( )はグループを代表する絵師。◎は判読できなかった文字   (番付冒頭に「無論時代 不判優劣」とあり)   〝大日本絵師     (西川祐信)勝川春章 菱川師房  西村重長 鈴木春信  勝川春好 竹原春朝 菱川友房 古山師重     宮川春水 勝川薪水 石川豊信  窪俊満    (葛飾北斎 川枝豊信 角田国貞  歌川豊広 五渡亭国政 菱川師永 古山師政 倉橋豊国 北川歌麿     勝川春水 宮川長春 磯田湖龍斎 富川房信    (菱川師宣)〟  ☆ 明治二十二年(1889)  ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年刊)   〝明和 磯田湖龍斎    元東国の浪士也、好んで美人を画き一家を成す、然れども巧みならず〟  ☆ 明治二十三年(1890)  ◯『明治廿三年美術展覧会出品目録』3-5号(松井忠兵衛・志村政則編 明治23年4-6月刊)   (日本美術協会美術展覧会〔3月25日~5月31日 日本美術協会〕   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝湖龍斎 人物図 絹本 一幅(出品者)黒川新三郎〟  ☆ 明治二十五年(1892)  ◯『日本美術画家人名詳伝』p19(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年刊)   〝磯田湖龍斎    江戸小川町土屋家ノ浪人ニシテ後チ両国薬研堀ニ住ス、自ラ浮世絵ヲ学ビテ法橋ニ叙ス、画ハ巧ミナラ    ズト云〟  ☆ 明治二十六年(1893)  ◯『明治廿六年秋季美術展覧会出品目録』上下(志村政則編 明治26年10月刊)   (日本美術協会美術展覧会〔10月1日~10月31日 上野公園桜ヶ岡〕)     (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝湖龍斎 美人図 一幅(出品者)キヨソネ〟     ◯『古代浮世絵買入必携』p1(酒井松之助編・明治二十六年刊)   〝磯田湖龍斎    本名 庄兵衛   号〔空欄〕   師匠の名〔空欄〕   年代 凡百年前より百三十年迄    女絵髪の結ひ方 第五図・第六図・第七図 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)    絵の種類 大判、中判、小判、細絵、長絵、絵本、肉筆    備考   長絵尤も多し、墨摺にて七福神及天神、鍾馗等を画きたるものあれども廉価なる故、買入れ         ざるを良しとす〟     ◯『浮世絵師便覧』(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年刊)   ◇p226   〝磯田氏、名は正勝、又春広、俗称庄兵衛、西村重長門人、後に法橋に叙せらる、錦画多し、◯明和、安永〟
  ◇p205   〝春廣(ハルヒロ) 湖龍斎の名〟    ☆ 明治二十八年(1895)  ◯『時代品展覧会出品目録』第一~六 京都版(大沢敬之編 村上勘兵衛 明治二十八年六~九月)   (国立国会図書館デジタルコレクション)〈「時代品展覧会」3月25日~7月17日 御苑内博覧会館〉   〝「第一」【徳川時代】浮世絵画派(49/310コマ)    一 角兵衛獅子図 湖龍斎筆 上野理一君蔵 大阪市東区  ☆ 明治三十一年(1898)  ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(33/103コマ)   〝磯田湖龍斎【明和元~八年 1764-1771】    通称庄兵衛、名は正勝、また春広、小川町土屋家の浪人にて、後ち法橋に叙せらる、薬研堀に住みて、    西村重長の門弟となり、多く美人画を画き、東都薬研堀隠士と落款せり、此の頃の錦絵は細長くして、    吉原遊女の絵などを表具し、俗にいふ柱隠しの如くしたるもの多しとぞ、板刻の絵本には『混雑倭草画』    ありと云ふ〟  ☆ 明治三十四年(1901)  ◯『日本帝国美術略史稿』(帝国博物館編 農商務省 明治三十四年七月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝第三章 徳川氏幕政時代 第三節 絵画 浮世絵派(168/225コマ)    磯田湖龍斎    江戸薬研堀に住す。浮世絵を好みて西村重長の弟子となる。明和より安永に亘り、鈴木春信に次ぎて版    物画を画き、多く柱かくしと云へる細長き懸物画を出だし、丹及び青色を用ゐて彩色せり。後ち浮世絵    廃し、法橋に叙せられ、肉筆画を専らとなせり〟  ◯『日本絵画名家詳伝』下(竹内楓橋著 春潮書院 大正六年(1917)二月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝磯田湖龍斎    諱は正勝 俗称庄兵衛 江戸小川町土屋家の浪人にして 初め米沢町に住し 後に両国広小路薬研堀に    住す 故に東都薬研堀隠士の別号あり 初め画を西村重長に学び 後ち鈴木春信に学ぶ 明和安永の頃    画く所多し 後に法橋に叙せらる 晩に画風を変じ 筆致稍々頑健に傾き 遂には円山風を帯び 草筆    をのみ得意とするに至れり 画風春信に比し稍粗豪なれども 赤色を大胆に使ひたるは 彼が色彩の特    徴にして 殊に花鳥の描写に於て妙を得たり 天明元年『絵本混雑倭草画』を著はす 又湖龍斎の作品    中最も多きは柱絵にして 幅約四寸長さ二尺三寸余にして 当時最も歓迎せらる〟  ☆ 昭和年間(1926~1987)     ◯『浮世絵師伝』p70(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝湖龍斎    【生】           【歿】    【画系】重長門人?     【作画期】明和~天明    藤原姓、磯田氏、名は正勝、俗称庄兵衛、江戸小川町土屋家の浪人にして、画技を西村重長に学びしと    の説あれども、未だ明かならず、夙に鈴木春信と親交ありて、作画上春信の感化を受けし所尠からざり    しが如し、彼の明和三四年頃の作品中に「春広画」又は「湖龍斎春広画」と落款せるものあり、春広と    いへるは恐らく春信に因みしものならむ、其後は単に湖龍斎或は湖龍を号として用ゐたり、また両国薬    研堀に居住せしを以て「武江薬研掘隠士」と傍書せる例もあり。画く所の錦絵には美人画最も多く、就    中「雛形若菜の初模樣」と題する遊女絵は、連続出版(版元西村永寿堂)して其の数六十図以上に及べ    り(口絵第二十八図参照)。柱絵(掛物に仕立てたる)に美人画を描きし数は湖龍斎随一なり。版本と    しては『東錦太夫位』(安永六年阪)・『画本役者手鑑』(同八年版)・『画本混雑倭草画』(同十年    版)・『北里歌』(天明四五年頃版)等の外に黄表紙三種あり。彼が錦絵に用ゐし丹彩色は、特に注意    せしにや頗る色の冴えたるものあり、また構図上、背景などには狩野派の特徴を帯びたれば、多少其派    の流れを汲みしものと思はる。彼が作画期は明和二三年頃より天明八年頃に及び由れど、安永末頃法橋    に叙せられし以来、版画(錦絵)の作は殆ど廃止して、専ら肉筆画に力を注ぎ、相当傑作と認むべきも    の世に遺存せり。生歿年共に未詳なるが、恐らくは天明八年以後幾ばくもなくして他界せしものゝ如し〟     ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「安永六年 丁酉」(1777)p133   〝正月、湖龍斎の挿画に成れる浮世読本『偏銕挺論』出版〟     ◇「安永八年 己亥」(1779)p135   〝正月、湖龍斎の画に成る『役者手鑑』出版〟     ◇「天明元年(四月十三日改元)辛丑」(1781)p137   〝正月、湖龍斎の『混雑倭艸画』出版〟     ◇「天明三年(癸卯)」(1783)p139   〝正月、湖龍斎・勝川春章・北尾重政の挿画に成る俳書『両節唫』出版〟    △『増訂浮世絵』p113(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝磯田湖龍斎     明和安永の頃に、春信に似た版画を作つた一人である。名を正勝、俗称を庄兵衛と云ひ、家は土屋家の    浪人であつた。雛形若菜初模様といふ揃物の版画の中に、美濃屋内みやこのといふ遊女を画いたものに    「武江薬研堀隠士」と署名があるによつて、その住所の一つが推知される。或は東都薬研堀隠士と落款    したものもある。画系は西村重長の門人と伝へられて居るが、寧ろ春信の感化を著しく蒙つて居る。春    信とは友人の間柄であつた為か顔面の表情などは大体、春信風である。(中略)    安永時代になると、漸く画風が変じて、湖龍斎自身のものとなつて来る。湖龍の版画の優秀なのは、ま    づ明和安永の間である。丁度春信の後をうけて、版画界に一時牛耳を執ることできたのである。(中略)    湖龍斎がやゝ世間から飽かれた頃、肉筆画の方に筆を執ることゝなり、粗笨なるものを作るやうになつ    た。版画の愛好者は、湖龍斎の為めに惜むのであるが、作家自身は、これを以て、反つて得意の境に入    つて居たのであるかも知れない。それは肉筆画に優れた為めに、法橋に叙せられたからである。    さて、湖龍斎が、法橋に叙せられたのは、何年頃であるか判然しないけれど、天明初頃であつたらしく、    天明元年出版の『絵本混雑やまと草画』の奥付に、画工湖龍斎と記してあるのに因れば、法橋となつた、    それより幾らか後のことであらうと思はれる。湖龍斎の盛時に於ける作品は、甚だ優秀なるものがあつ    て、美人画の大家たる鳥居清長にさへ感化を及ぼした位であつたが、安永の末から天明へ掛けては、作    風も衰へて、後進たる清長にその地位を奪はれた。(中略)    晩年になつて画いたものでは、一蝶の図によつた獅子舞に法橋湖龍斎と署名し、或は龍、虎、神仙など、    狩野派で取り扱ふ題材に筆をそめ、また花鳥をも写して居る。(中略)また武者絵を画いたものもあつ    て、宇治川とか、勇者拾集とかいふやうなものもある。然しこれ等のものは、とても美人画に及ばない。    また大した芸術的のものでもない〟        ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔磯田湖竜斎画版本〕    作品数:53点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:湖竜斎・磯田湖竜斎・磯田湖龍斎    分 類:艶本35・絵本3・黄表紙3・咄本3・俳諧3・往来物2・洒落本2・浮世絵1・滑稽本1    成立年:明和1・8年   (2点)        安永1~8・10年(22点)(安永年間合計30点)        天明1年     (1点) (天明年間合計2点)
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