Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ きよます とりい 鳥居 清倍(鳥居家二代)浮世絵師名一覧
〔宝永3年(1706) ~ 宝暦13年(1763)11月2日・58歳〕
 ※〔漆山年表〕  :『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」   「芝居番付画像データベース」東京大学文学部所蔵資料デジタル画像・歌舞伎関係資料   「ARC番付ポータルデータベース」立命館大学アート・リサーチセンター・芝居番付閲覧システム   『稗史提要藁本』比志島文軒(漣水散人)編  ☆ 正徳五年(1715)    ◯「ARC番付ポータルデータベース」(正徳五年刊)   ◇辻番付    鳥居清倍画 正月 市村座(興行名不記載)署名「鳥居清倍〔清倍〕印」版元不明    ◯「芝居番付画像データベース」   ◇辻番付(正徳五年刊)    鳥居清倍画 正月 中村座 辻番付「坂東一幸曽我」署名「鳥居清倍〔清倍〕印」版元不明     (枠外に「元禄六酉年」とあるが、〔芝居番付画像データベース〕は正徳五年とする)    〈宝永三年(1706)生まれとすると清倍は数えで十歳ということになるが。あるいはこれは初代の清倍か〉  ☆ 享保七年(1722)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(享保七年刊)    鳥居清倍画『俳度曲集』半紙本二巻 鳥居清倍一図 英一蝶二図 英一蛙一図    ◯「歳旦帳・絵俳書・多色摺絵俳書」(雲英末雄論文・ぺりかん社『江戸文学』25・2002年刊)   (享保七(1722)年、江戸座の絵俳書『俳度曲』に鳥居清倍の句、英一蝶・音雪などと入集の由)    ☆ 享保九年 甲辰(1724)    ◯「絵暦年表」(本HP・Top)(享保九年刊)   (「略絵暦考」『此花』第十三号)   「鳥居清倍筆」墨摺絵 大黒天 さかいや板  ☆ 享保年間(1716~1735)    ◯「日本古典籍総合目録」(享保年間刊)   ◇絵本番付    鳥居清倍画『市村座狂言絵本』一冊 鳥居清倍画    ◯『増訂武江年表』1p139(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「享保年間記事」)   〝浮世絵師、奥村文角政信(芳月堂)、西村重長(仙花堂)、鳥居清信、同清倍、近藤助五郎清春、富川    吟雪房信等行はる〟    ☆ 元文四年(1739)    ◯「芝居番付画像データベース」(元文四年刊)   ◇顔見世番付    鳥居清倍画 十一月 河原崎座 署名「鳥居清倍筆之」小川半助板    ☆ 延享二年(1745)    ◯「日本古典籍総合目録」(延享二年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清倍画『風流鱗魚退治』    ☆ 延享四年(1747)    ◯「日本古典籍総合目録」(延享四年刊)   ◇草双紙    鳥居清倍画『七福神宝あらそひ』(注記「草雙紙と読本の研究等による」)     ☆ 寛延三年(1750)    ◯「日本古典籍総合目録」(寛延三年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清倍画『金平ばけ物たいぢ』      ☆ 宝暦二年(1752)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦二年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清倍画『尋陽江出世猩々』『中昔犬の手柄』『男色鑑』    ☆ 宝暦六年(1756)    ◯『草双紙事典』   (宝暦六年(1756)の新版「広告一覧」〔『播州曽根松』所収〕)   〝子正月【新板】目録    絵師 鳥居清倍 鳥居清満      【東岸柳南枝梅】箎管隅田川 五冊物 大織冠鎌倉開 三冊    【山椒太夫】老花婿     三冊  唐崎愛護松  三冊    【篠原合戦】錦母衣     三冊  播州曽根松  三冊    【延命】味噌豆由来     三冊  通天橋楓縁  三冊    【対面曽我】赤木柄     二冊  竹斎老匙加減 二冊    【頼光金臣】本末記     二冊  男色狐敵討  二冊    【琵琶法師】三筋糸桜    二冊  春袋地口種  二冊    (◯の中に三つ鱗の印)板元 鱗形屋孫兵衛    珍敷新板物 御慰ニ追々出し御覧ニ入可申候〟    〈この「子」歳を、『草双紙事典』は宝暦六年のものとする〉    ☆ 宝暦七年(1757)       ◯『役者名物略姿』上下 鳥居清倍 鳥居清満画 鱗形屋孫兵衛   (国立国会図書館デジタルコレクション)〈稀書複製会本・昭和5年刊〉   〝丑正月 新板目録 絵師 鳥居清倍/鳥居清満     実盛本末記     五冊 【延喜聖代】鉢敲濫觴 三冊     【大塔宮】 熊野篠緊 三冊 【油やほそめ小実久待】思妖競 二冊    【亀山曽我】念力岩  三冊 【福◎】萬穀◎    二冊    【山本勘助】軍配団  三冊 【弥陀次郞】踊大文字 三冊     【役者名物】略姿   二冊  家内儀魔離     三冊     【伏見夜舩】沖津白波 三冊 【浮世】めつけゑ   全     弁慶分身石     三冊  元木阿弥手柄噺   二冊    (◯の中に三つ鱗の印)板元 鱗形屋孫兵衛    珍敷新板物 御慰ニ追々出し御覧ニ入可申候〟  ◯『稗史提要藁本』p415(宝暦七年刊)   ◇黒本 青本    〝板元の部 鱗形【鳥居清倍/同清満】〟    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦七年刊)   ◇黒本 青本      鳥居清倍画『役者名物略姿』    ☆ 宝暦八年(1758)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦八年刊)   ◇黒本 青本      鳥居清倍画 同清満画 同清重画 『仇敵打出小槌』    鳥居清倍画『清盛名所盃』    ◯『草双紙事典』   (宝暦八年(1758)の新版「広告一覧」〔『孖孖孖』所収〕)   〝寅正月【新板】目録    絵師 鳥居清倍 鳥居清満    【通神】吾妻伽羅夫   五冊  【武勇熊谷】鉈捨山     三冊    【梅雨左衞門】名所井筒 三冊  【飛騨規矩】指南車     三冊    【吉田兼好】北山桜   三冊  【加茂長明】狸の腹◎    三冊    【伊豆御山】旭梛葉        道成寺昆原記       三冊    【本朝俚諺】藪香物   二冊  【酒餅陰陽】無間鐘     二冊    【分福】丹頂鶴     二冊  【うしにひかれて】善光寺詣 二冊    【助読】孖孖孖     二冊  【諸道まめ助】息才男    二冊    (◯の中に三つ鱗の印)板元 鱗形屋孫兵衛    珍敷新板物御慰ニ追々出し御覧ニ入可申候〟    〈「日本古典籍総合目録」および『草双紙事典』ともに、この「寅」を宝暦八年とする〉    ☆ 宝暦十年(1760)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清倍画『御たがじやくし』    ☆ 宝暦十一年(1761)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十一年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清倍画『娘敵討念刃』丈阿作    ◯『草双紙事典』   (宝暦十一年(1761)の新版「広告一覧」〔『娘敵討念刃』および『倭詞元宗談』所収〕)   〝ゑ本 巳之年新板目録    倭詞元宗談    上中下    今物語青柳塚   上中下    ◎帯日高川    上下     紅白三人女    上下    貧偸却恋歌    上下     勅宣養老水    上下    娘敵討念刃    上下    【化物】大穴底隠坊 上下   【化物】大居座後座 全      画師 鳥居清倍 鳥居清満    扨御断り申上げまする    一 めづらしきしんはんもの御なぐさみにおひ/\にいだし御らんに入奉り可申候 以上    戯作(麥沾宇)丈阿    彫工 町田平七 上村兵吉 橋上定七     通油町丸屋(◯の中に「山」の字の印)丸小 山本小兵衛版〟    ☆ 宝暦十二年(1762)    ◯『稗史提要藁本』p411(宝暦十二年刊)   ◇黒本 青本   〝作者の部 丈阿    画工の部 清倍 清満 房信〟    ◯『草双紙事典』   (宝暦十二年(1762)の新版「広告一覧」〔『寺子短歌』所収〕)   〝【壬午】春新板物目録     画工 鳥居清倍 鳥居清満        【和田阿佐利】努陰陽尺鏡 五冊   可児才蔵花降里      三冊         義女再来記       三冊  【笛寄鹿手白猿】音曲猿沢月 三冊         吾妻権現由来      三冊   本津間之由来       三冊         盛遠夢浮橋       上下   源九郎狐出世咄      上下         鳥跡槿物語       上下   童子廓雛形        上下         往古噂放鳥       上下   八重桜倭歌        上下         御三稔奥羽鏁      上下  【木丸判官】太平樲     上下        【いろは文字】寺子短歌       珍敷御慰ニ新板物追々出し御目かけ可申候 已上〟    ☆ 宝暦十三年(1763)(十一月二日没・五十八歳)  ☆ 宝暦年間(1751~1764)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦年間刊)   ◇黒本 青本    鳥居清倍画『煙草恋中立』     ◯『増訂武江年表』1p170(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「宝暦年間記事」)   〝浮世絵師鈴木春信、石川豊信(秀葩と号し、六樹園飯盛の父にして馬喰町の旅店ぬかや七兵衛といへり)、    鳥居清倍、山本義信(平七郎と称す)、鬼玉其の外多し〟     ☆ 刊年未詳    ◯「日本古典籍総合目録」(刊年未詳)   ◇絵本・絵画    鳥居清倍画「市川海老蔵五関破」一枚 鳥居清倍画 鱗形屋板    ◯『草双紙事典』(刊年未詳)    鳥居清倍画 『蟹金猿栄』    鳥居清倍筆 『吉備大臣』    画工鳥居清(倍)『はん女があふき』    ☆ 没後資料    ◯『草双紙事典』(明和九年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清倍?『栄花物語』    〈『栄花物語』の画工は表紙に清倍と墨書のある一本に拠るようだが、確証がないとも言う〉     ◯『浮世絵考証(浮世絵類考)』〔南畝〕⑱441(寛政十二年五月以前記)  〝鳥居清信弟子〟〝一枚絵、草双紙をかけり〟    〈この「一枚絵」も紅摺の一枚絵の意味〉    △『稗史億説年代記』(式亭三馬作・享和二年(1802))〔「日本名著全集」『黄表紙二十五種』所収〕   〝草双紙の画工に限らず、一枚絵の名ある画工、新古共に載する。尤も当時の人は直弟(ヂキデシ)又一流あ    るを出して末流(マタデシ)の分はこゝに省く。但、次第不同なり。但し西川祐信は京都の部故、追て後編    に委しくすべし    倭絵巧(やまとゑしの)名尽(なづくし)     昔絵は奥村鈴木富川や湖龍石川鳥居絵まで 清長に北尾勝川歌川と麿に北斎これは当世      鳥居庄兵衛清信  清倍  清重  清満  清秀  清経  清広      とりゐ清長 関   (他派の絵師は省略)〟
   『稗史億説年代記』式亭三馬自画作(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)        〝赤本 表紙一面(イツパイ)の表題に絵を画かず、紙を黄色に染める    同 赤紙の外題に、白紙の表題をはる。この時、表題に絵を画入るゝ事はじまる    画工 鳥居庄兵衛といふ者大きにはやる。つゞいて清倍行はる〟    ◯『反故籠』〔大成Ⅱ〕⑧252(万象亭(森島中良)著・文化初年成立)   (「江戸絵」の項)   〝(奥村政信や元祖鳥居清信の漆絵記事あり)    夫より後、清信色摺の紅絵を工夫し、紅藍紙黄汁の三色を板にし以て売出せし所、余り華美なる物なり    とて差留られしが、幾程なくゆるされぬ。宝暦の頃まで皆是なり。其比の画工は清信が子の清倍、門人    清広、石川秀信、富川房信などなり〟    〈本文「紅絵」となっているが「三色を板にし云々」とあるから紅摺絵であろう〉    ◯『浮世絵類考』(式亭三馬按記・文政元~四年)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)      〝三馬按、三芝居看板ヲ受継タル順当ハ       元祖  庄兵衛清信      四代  清長  清満門人也       二代  清倍  清信男也   五代  清峯  清満孫也、今清満ト改ム。清長門人也。       三代  清満  清倍男也      三代清満ノ実子ハ、浮世絵ヲ学バズシテ縫箔屋ヲ業トシ、和泉町ニ住ス。仍之清長姑ク看板絵      ヲ相続セリ。其縫箔屋ニ忰アリテ、清長門人トナリ清峯トナル。今二代目清満ト改テ三芝居番      附絵、看板ヲ画ク。是即三代清満ガ為ニハ実ノ孫ナリ〟   ◯『麓の花』〔燕石〕⑥191(山崎美成著・文政二年四月成立)   (「竹之丞寺」の項、曽我五郎に扮する市村竹之丞の絵あり)   〝市村竹之丞 絵師鳥居清倍筆(三鱗印)鱗形屋板元    享保のうつし絵 好問堂所蔵 此の間に団十郎の画あれど今界内へ収載することあたはさるをもて省け    り〟    〈竹之丞の出家は延宝七年であるから、掲載図の享保の竹之丞の絵は出家の竹之丞ではないのであろう〉   ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③291(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   (「鳥居清長」の項、初代清信門人)
   「鳥居清信系譜」〝二代目 清信男イニ信 清倍【俗称(空白)住居(空白)】兄早世〟    〈「イニ信」は異本に清信と記するものがあるというのだ〉    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)   (「鳥居清信」の項、鳥居初代清信門人)
   「鳥居清信系譜」〝二代目 清信男 清倍(マスのルビ) 俗称(空白) 住吉(ママ)難波町 兄早世〟    ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」p中1380(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)
   「鳥居清信系譜」〝三代目 清信 住難波町、早世、門人多、一枚摺ニ清倍ニ作ル二代目ノ弟トス〟    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪192(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
   「鳥居清信系譜」〝(鳥居清信門人)二代目 清倍 清信男、難波町ニ住ス〟  ☆ 明治年間(1868~1911)  ◯『扶桑画人伝』巻之四(古筆了仲編 阪昌員・明治十七年(1884)八月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝清倍 鳥居氏、名ハ清倍。清信ノ画風ヲ学ンデ能クセリ〟    ◯『古代浮世絵買入必携』p3(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝鳥居清倍    本名〔空欄〕   号〔空欄〕   師匠の名〔空欄〕   年代 凡百七八十年前    女絵髪の結ひ方 第三図・第四図(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)    絵の種類 漆絵、丹絵、紅絵、墨摺絵本、肉筆    備考   鳥居家の二代目なり〟    ◯『浮世絵師便覧』p230(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝清倍(マス)    清信の男、鳥居二代目、宝暦十三年死〟    ◯『名人忌辰録』上巻p13(関根只誠著・明治二十七年(1894)刊)   〝鳥居清倍 二世    俗称庄助、清信男。宝暦十三未年十二月二日歿す、歳五十八。浅草寺町法成寺に葬る〟    ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(24/103コマ)   〝鳥居清倍【正徳元~五年 1711-1715】    清信の男にて、鳥居家の二代目なり、難波町に住みて、宝暦十三年に没す〟  ◯『新撰日本書画人名辞書』下 画家門(青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年(1899)三月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)42/218コマ   〝鳥居清倍    世に大和絵師と称す 江戸の人なり 清信の画風を学びて最も工(たくみ)なり(鳥居家譜・燕石十種・    扶桑画人伝)〟  ◯「集古会」第五十三回 明治三十八年(1905)五月(『集古会誌』乙巳巻之四 明治38年9月刊)   〝高柳重昌(出品者)蟹は金猿は栄 鳥居清倍 上中下 三冊〟    (〔国書DB〕の統一書名は『蟹金猿栄』。巻末に署名「鳥居清倍画」とあり)  ◯「集古会」第七十三回 明治四十二年(1909)五月(『集古会誌』己酉巻四 明治43年6月刊)   〝林若樹(出品者)鳥居清倍筆 細絵富士図 一枚〟  ☆ 大正年間(1912~1925)  ◯「集古会」第九十六回 大正三年(1914)一月(『集古会志』甲寅二 大正4年10月刊)   〝池田金太郎(出品者)鳥居清陪(ママ) 雛屏風虎の子渡 半双〟  ◯『罹災美術品目録』(大正十二年九月一日の関東大地震に滅亡したる美術品の記録)   (国華倶楽部遍 吉川忠志 昭和八年八月刊)   ◇小林亮一所蔵 鳥居清倍「芝居荒事篠塚碇を揮ふの図」〈小林文七嗣子〉  ☆ 昭和以降(1926~)  ◯『狂歌人名辞書』p59(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝鳥居清倍(二代)、通称庄次郎、清信の男、絵看板の外、丹絵漆絵等に巧みなり、宝暦十三年十二月二    日歿す、年五十八〟    ◯「日本小説作家人名辞書」p799(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)    〝鳥居清倍    通称庄次郎、鳥井清信の男、鳥居派の二世、江戸難波町に住む浮世絵家、画看板、丹絵、漆絵に巧であ    つた。宝暦十三年十二月二日歿、年五十八。「尋陽江出世猩々」(赤本)、「男色鑑」(赤本)等の作    者〟    ◯『浮世絵師伝』p42(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝清倍 二代    【生】宝永三年(1706)  【歿】宝暦十三年(1763)十一月二日-五十八    【画系】初代清信門人   【作画期】享保~宝暦    鳥居氏、俗称半三郎(或は四郎とも弟四郎とも)、諸書に初代清信の実子の如く伝へたれども、恐らく    は誤りならむ。いま諸種の資料を綜合して按ずるに、彼は享保九年に清信の長女と結婚せし者にして、    其の年より清倍の号を継、且つ初めて作品を発表せり、其の一例として、享保十三四年頃の細判漆絵あ    り(口絵第十一図参照)、爾後宝暦二年までは連続的に作画せしが、それ以後は不明なり。蓋し此の年    (宝暦二)には、次男清満鳥居の画系を継ぎしが爲めに、己は隠居して表面上の交渉に遠ざかりしもの    にはあらざるか。彼は四男六女を儲けしが、長男及び三男は早世し、次男は即ち清満、四男は画を学ば    ずして、三味線弾きを業とせしとぞ、但し彼に就て諸書に「芳町に住し後三味線弾きに成る」とせるを    見れば、或は画界隠退後彼自身其の業に携はりしものなるやも知るべからず。晩年芳町より住吉町に転    居せり。法名を清巌院宗林日浄信士とし、鳥居家の菩提所たる淺草南松山町法成寺に葬れり〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「宝暦一三年 癸未」(1763) p117   〝十二月二日、鳥居清倍没す。行年五十八歳。(清倍は清信の弟にして通称庄二郎といへり。漆絵・丹絵・    紅絵等の作あり。二代の清倍もある如く。或はこの宝暦十三年に歿したる清倍こそ二代にあらずやと想    はるゝ疑あり、世の識者の教と後の考を待つ)〟     ◇「明和元年(六月十三日改元)甲申」(1764)   〝正月、鳥居清倍の画に成れる青本『尋陽江世猩々』出版〟、    △『東京掃苔録』(藤浪和子著・昭和十五年序)   「豊島区」法成寺墓地(駒込六ノ七五六)寺は浅草松山町(顕本法華宗)   〝鳥居清倍(画家)二代、通称半三郎。宝暦十三年十一月二日歿。年五十八。清巌院宗林日浄〟    △『増訂浮世絵』p54(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝二代清倍    清倍にも亦二人あることは、浮世絵類考の載つて居る。然し写本の写しくづれで、誤り易いから、誤写    であらうといふ人もあるが、遺作の上からいふと、清倍に二人あつたやうに思はれる。(中略)    正徳年間までは盛んに立派な清倍の作が現はれたのに、その後少しも出版されず、享保九年以後また陸    続として現はれたのを見ると、初代清倍は正徳六年頃に死んだのではあるまいかとの想像がつく。墓で    みると、清信の子に生得六年に没したものがある。それが果して清倍かどうか明かでないが、それに当    てはめることも強ち無理ではあるまい。そうすると享保九年頃から書き初めて清倍は、清信の次男か三    男であらうが、恐らく三男であるまいかと思はれる。ともかくこの清信は漆絵を盛んに作り、また紅絵    も少なからず作つて、宝暦十三年に没したことになるのである〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔鳥居清倍画版本〕    作品数:22点    画号他:鳥居清倍    分 類:黒本青本7・黒本7・青本5・絵本番附1・浮世絵1・草双紙1    成立年:享保年間  (1点)        延享2・4年(2点)        寛延3年  (1点)        宝暦2・7~8・10~11(8点)(宝暦年間合計9点)