Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ きよはる こんどう 近藤 清春浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」   〔霞亭文庫〕:東京大学附属図書館・電子版霞亭文庫   『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」木村八重子著   『吉原細見年表』八木敬一、丹羽謙治共編  ☆ 延宝年間(1673~1680)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(延宝年間刊)   ◇赤小本   『大福長者富貴物語』画作者名なし(近藤清春画 平野屋版)    〈解題、漆山天童カード「赤本 小本 画工近藤助五郎清春筆 平野屋板」を引くが、画工名・板元を含めて疑問あり     とする〉    ☆ 元禄年間(1688~1703)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(元禄年間刊)   ◇赤本   『御りやうけんなさい』(近藤清春画)題簽「芝神明前 井筒や板」    〈解題、絵師未詳と近藤清春画と両説あるという。刊年も未詳であるが、「仮年表」は画工名と刊年を記さず、元禄と     宝永の間においている〉    ◯『瑣々千巻』〔南畝〕⑩331(蜀山人著・文化八年記)   〝どうけうき世ばなし かる口もみぢ傘 きげん直してけら/\わらひ    画工近藤助五郎清春筆  もと石町 いがや板〟    ☆ 宝永元年(元禄十七年・1704)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝永元年刊)   ◇地誌    近藤清春画『諸国道中記』一冊 近藤清春編    ☆ 宝永年間(1704~1710)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝永年間刊)   ◇絵本    近藤清春画『遊君女郎花』一冊 近藤清春画  ☆ 正徳三年(1713)  ◯『近世奇跡考』〔大成Ⅱ〕⑥362(山東京伝著・文化元年(1804)刊)   「助六狂言の考」   〝正徳三年、始て助六の狂言せし時の絵本をすきうつしにして左にあらハす。是すなハち近藤助五郎清春    が筆也〟    〈透き写しにした図あり〉    ☆ 正徳年間(1711~1715)    ◯「日本古典籍総合目録」(正徳年間刊)   ◇絵本    近藤清春画『なごや筋書』一冊 近藤清春画(注記「絵本の研究等による」)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(正徳年間刊)   ◇赤本   『寛闊あそび』(近藤助五郎清春筆)    〈解題、文化八年(1811)の合巻『凧雲井物語』(式亭三馬作・歌川国貞画)の十四オに赤本の表紙の模刻あり。その題     簽に「近藤助五郎清春筆」とあるとする。「仮年表」刊年を記さず、宝永と享保の間におく〉    ☆ 享保四年(1719)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(享保四年刊)   ◇赤本   『かいちやう』(二種の合綴)(画工近藤助五郎清春筆 さがみや板)    〈解題、この開帳は享保四年の奈良興福寺および浅草寺のものという。画工名・版元名・刊年は漆山天童のカードに拠     るとする〉    ◯「日本古典籍総合目録」(享保四年刊)   ◇浄瑠璃    近藤清春画『弘法大師之御本地』近藤清春画    ☆ 享保五年(1720)    ◯「浄瑠璃年表」〔霞亭文庫〕   ◇浄瑠璃本(享保五年刊)    近藤清春画『熊井太郎』署名「画工近藤清春図」刊記「享保五年子ノ正月吉日」西村屋板
   『熊井太郎』近藤清春画    ☆ 享保七年(1722)    ◯「浄瑠璃年表」〔霞亭文庫〕(享保七年刊)    近藤清春画『新田四天王』署名「画工 近藤助五郎清春筆」刊記「享保七とらノ年正月吉日」村田屋板    〈刊記の「とらノ年」は享保六年になるが「享保七」の方を採った〉
   『新田四天王』近藤助五郎清春筆     ☆ 享保八年(1723)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(享保八年刊)   ◇雛本   『もゝ太郎』画作者名なし 刊記「享保八歳うの正月吉日 丸や九左衛門」(近藤清春画)    〈解題、近藤清春画とするのは漆山天童のカードに拠るとする〉     ◇赤本   「道中双六」(仮題)画作者名なし(近藤清春風)    〈解題、佐藤悟氏の「「傾城道中双六」は享保八年正月市村座「真鶴加増曽我」第二番目に演じられたのでこの時の刊     行と思われる」を引く〉    ◯「浄瑠璃年表」〔霞亭文庫〕(享保八年刊)    近藤清春画    『なれそめ曽我』署名「画工 近藤助五郎清春」 刊記「享保八年卯正月吉日」藤田板    『かるかや』  署名「画工 近藤助五郎清春筆」刊記「享保八年ウノ正月吉日」
   『なれそめ曽我』近藤助五郎清春画 『かるかや』近藤助五郎清春筆    ☆ 享保九年(1724)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(享保九年刊)   ◇雛本   『四天王の始』 刊記「享保九年正月吉辰 伝馬町三丁目 山本九左衛門板」(近藤清春画)    〈解題、漆山天童カード「豆本 赤表紙 十毎九丁(近藤清春画)(以下上記刊記と同じ、略)」を引く〉   『おぐりの判官』刊記「享保九年正月吉辰 大伝馬町三丁目 山本九左衛門板」(近藤清春画)    〈解題、漆山天童カード「豆本 赤表紙 九丁(近藤清春画)(以下上記刊記と同じ、略)」を引く〉   「ひしん」(仮題)刊記「享保九年甲辰正月吉日 大伝馬三丁目 山本九左衛門板」    ☆ 享保十年(1725)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(享保十年刊)   ◇赤本   『大友のまとり』署名「画工近藤助五郎清春筆」 小川板    〈解題、享保十年初演、竹田出雲作・浄瑠璃「大内裏大友真鳥」の絵尽くし風の作品とする〉   『大友のまとり』署名「画工近藤助五郎清春筆    〈解題、上記小川板『大友のまとり』とは別本とする〉    ◯『近世遊女評判記年表』(享保十年刊)>   『吉原細見図』一舗 享保十年(1725)刊    画工 近藤助五郎清春画 版元 江戸 相模屋与兵衛・伊賀屋勘右衛門・小松屋伝四良相板    ◯『吉原細見年表』(享保十年刊)   「新吉原細見図」(仮題)享保十年 一枚物    刊記「享保十年乙巳月日改 筆工  近藤助五郎清春       はんもと ゆしまてんじん女さか下 さがみや与兵衛」   『吉原細見図』享保十年 一枚物?    刊記「一舗 近藤助五郎清春画 江戸 相模屋与兵衛・伊賀屋勘右衛門・小松屋伝四郎相板」    〈この『吉原細見図』は上記『近世遊女評判記年表』のものと同じもの〉    ☆ 享保十一年(1726)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(享保十一年刊)   ◇赤本   「大友真鳥」(仮題)署名「画工近藤助五郎清春筆」 商標「△に七」通塩町 小川板元    〈解題、享保十年初演、竹田出雲作・浄瑠璃「大内裏大友真鳥」の絵尽くし風の作品とする。「仮年表」は享保十一・     二頃刊とする〉   「大友のまとり」(仮題)署名「画工近藤助五郎清春筆    〈解題、上記小川板『大友真鳥』とは別本とする。二本ともに、浄瑠璃上演との関係から享保十一・十二年頃の刊行と     される)〉   『【ねこ鼠】大友のまとり』署名「画工近藤助五郎清春筆」 さがみや板    〈解題、漆山天童カード「赤本 画工近藤助五郎清春筆 湯島天神女坂 さがミや版」をひく。「仮年表」は享保十一     ・二頃刊とする。稀書複製会 第5期第3回『祢こ鼠大友のまとり』米山堂 昭和2年刊 国立国会図書館デジタルコ     レクション参照〉     ◇咄本   「軽口こらへふくろ」(仮題)署名「筆工 近藤清春筆」「画工近藤助五郎清春筆」    刊記「享保十一年丙午正月吉日 筆工 近藤清春筆 芝神明前角井筒屋開板」    ◯『噺本大系』第六巻(享保十一年刊)    近藤清春画『軽口こらへ袋』    〈第六巻の「所収書目解題」によると、清春画の『軽口こらへ袋』は元禄十四年(1701)刊『露五郎兵衛新はなし』の     新刻・改題本の由である〉    ◯「日本古典籍総合目録」(享保十一年刊)   ◇咄本    近藤清春画『軽口こらへ袋』一冊 近藤清春画 露五郎兵衛作(注記「日本小説年表による」)    ☆ 享保十二年(1727)    ◯「日本古典籍総合目録」(享保十二年刊)   ◇赤本    近藤清春画『大友真鳥』『猿蟹合戦』『目附絵』    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(享保十二年刊)   ◇赤本   『【ねこ鼠】大友まとり』署名「画工近藤助五郎清春筆」 さがみや板    〈解題、『どうけ百人一首三部作』の「享保十一年冬作画、十二年正月刊行」という考証を記す〉   『猿蟹合戦』(近藤清春画 享保十二年刊)    〈解題、清春画、享保十二年は「日本古典籍総合目録」に拠るとする〉   『めつけゑ』署名「画工近藤助五郎清春筆」    刊記「享保十二丁未正月吉日 はんもと 山本九左衛門」    ◯『吉原細見年表』(享保十二年刊)   「新吉原細見」(仮題)享保十二年 横小本 伊勢屋板    刊記「筆工近藤清春図(空白)二 ひのと未 年月改」    板元「(◯に「久」)伊勢屋」板    〈口絵「日本堤から大門口にかけての賑わい」署名はないが、清春画か。吉原細見に口絵が現れるのはこれが最初のよ     うである。また冊子型の吉原細見もこの年から始まるとされる〉    ☆ 享保十三年(1728)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(享保十三年刊)    近藤清春画『金之揮』半紙本「筆工近藤清春」奧村源六板    ◯『歌舞伎年表』②135(伊原敏郎著・昭和三十二年刊)   〝正月、近藤清春『金の揮』出版〟〈『金之揮(きんのざい)』は歌舞伎年代記〉
   『諸芸評判金之揮』近藤清春画(東京大学附属図書館・電子版霞亭文庫)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(享保十三年刊)   ◇赤本   「花ういらう」(柱題)署名「画工近藤介五郎(空白)」題簽(後補書題簽「花かつら」)    〈解題、内題「やぶいりみやげ花ういらう売せりふ 市川舛五郎」とある。舛五郎の外郎売りのせりふは享保十三年正     月中村座興行の時のものであるから、同年の刊行とする。〉    ☆ 享保十四年(1729)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(享保十四年刊)    近藤清春画『いせ物がたり』小本二巻「画工近藤清春筆」うころかたや板    ◯『瑣々千巻』〔南畝〕⑩331(蜀山人著・文化八年記)   〝いせ物語 画工近藤清春筆【土佐上るりの本のごとき本也】〟    〈蜀山人(大田南畝)は刊年に言及せず〉    ◯「日本古典籍総合目録」(享保十四年刊)   ◇赤本    近藤清春画『象のはなし』    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(享保十四年刊?)   ◇赤本   『象のはなし』(近藤清春画作)    〈解題、水谷不倒著『古版小説挿画史』以来、享保十四年刊とする由〉    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕(享保十四年刊)   「ぞうでもおかしきじぐち双六」「近藤助五郎清春筆」さがみ屋 刊記なし   〈象の長崎渡来は享保十三年六月、翌十四年五月には江戸着そして将軍吉宗の上覧〉    ☆ 享保十五年(1730)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(享保十五年刊)   ◇赤本   『御けさはなし』署名「画工近藤助五郎清春筆」「画工近藤清春筆」 いがや板 (享保十五年刊)    〈解題、内容に象の話題があることから、象が渡来した享保十四年の翌年を刊年とする、武藤禎夫氏の説を引く〉    ☆ 享保十六年(1731)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(享保十六年刊)    近藤清春画    『當流小謡断錦集』枕本一巻「筆工近藤助五郎清春筆」平野屋善六板    『酒餅論』    小本一冊「画工近藤助五郎清春筆」村田治良兵衛板    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕(享保十六年刊)   「なんげんけれどもばけ物双六」「近藤助五郎清春筆」井筒屋「享保十六年亥正月」墨摺    ◯『吉原細見年表』(享保十六年刊)   『吉原さいけんの絵図』享保十六年 横小本 平野屋善六板    挿絵「筆工 近藤助五郎清春筆」刊記「享保十六亥毎月改 ひらのや善六板」  ☆ 享保十九年(1734)    ◯『本の覚』(三村竹清著「本道楽」・昭和十四・五(1939-40)年)   (『三村竹清集三』日本書誌学大系23-(3)・青裳堂・昭和57年刊)   ◇「吉原全盛鑑」   〝中本一冊、年号なし、吉原細見なのだが、見返しの吉原図に、筆工近藤助五良清春筆とあり、福田文庫    と関根奈々米の蔵書印がある。芝の村忠で、洒落本のまわし枕と一所に買つた。十五丁ウに、享保十九    年甲とら正一位大明神とくわんゐ有トあるので見当はつく。八丁ウ中万字やの所に、入山形に一、玉ぎ    くの名もあつた〟  ☆ 享保二十年(1735)    ◯『吉原細見年表』(享保二十年刊)   『くるハ女良うき舩草』享保二十年閏三月 縦小本 相模屋平助板    序「享保二十年閏三月改」署名「筆工 近藤助五郎清春筆」    (五十間道茶屋の見取図、方位表)    板元「神田新石町  板元  さかみや平助 新吉原揚屋町 うり所 三文字や亦四良」    ◯「日本古典籍総合目録」(享保二十年刊)   ◇評判記    近藤清春画『四海波』一冊 近藤清春画    ☆ 享保年間(1716~1735)    ◯「絵入狂歌本年表」〔狂歌書目〕(享保年間刊)    近藤清春画    『今様職人尽百人一首』一冊 近藤清春自画・自詠 版元不記載    『どうけ百人一首』  一冊 近藤清春自画・自詠 版元不記載    『道外百人一首』   一冊 酔放逸人画 清春詠 森屋治兵衛板    『江戸名所百人一首』 一冊 署名「画工 近藤助五郎清春筆作」    〈国会図書館、近代デジタルライブラリー、稀書複製会本『江戸名所百人一首』より。なお刊年については、〔狂歌書     目〕は正徳年間(1711~1715)、〔目録DB〕は寛文三年(1663)とするが、諸説に従って享保年間にした〉    ◯「浄瑠璃年表」〔霞亭文庫〕(享保年間刊)    近藤清春画『真鳥兼道』署名「ゑし 近藤助五郎清春図」刊記「享保(空白)年正月吉日」鱗形屋板
   『真鳥兼道』近藤助五郎清春図    ◯「日本古典籍総合目録」(享保年間刊)   ◇赤本    近藤清春画『鼠花見』『富貴長命丸』『文福茶釜』   ◇浄瑠璃(享保年間刊)    近藤清春画『岡部六弥太』一冊 近藤清春画   ◇狂歌    近藤清春画    『今様職人尽百人一首』一冊 近藤清春(ママ)    『とうけ百人一首』  一冊 近藤清春画    ◯『草双紙事典』(享保年間刊)   ◇赤本    近藤助五郎清春筆『赤本うたひづくし』    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」   ◇赤本〈刊年未詳だが、享保年間に入れたものもある〉   『ゑんまきぶつなりやきがうかぬ』署名「画工近藤助五郎清春筆」題簽「横山町(扇面枠に「大」近江屋」    〈解題、書名は当時の歌謡の詞章「閻魔木仏なりや気が浮かぬ」から採ったとする〉   「ぶんぶくちやがま」(後補摺題)署名「画工近藤助五郎清春筆」 題簽「ゐつゝや板」井筒屋板    〈解題、原本未見、書名・署名・版元名は稀書複製会本のものとする〉   「逸題歌謡絵本」(近藤清春画)享保刊    〈「仮年表」木香丸の薬売りの内容から享保刊とする。赤本「花うりらう」と合綴〉   「むま」(柱題)署名「画工近藤助五郎清春筆    〈解題「未見赤小本「日本むまぞろへ」の赤本版というべき作品か」とする〉   「どうけ百人一首」(後補摺題)署名「画工近藤介五郎清春筆」「画工近藤助五郎清春筆」   「ゑ入どうけ百人一首」(尾題)画作者名なし 刊記「板元 江戸通油町 村田次郎兵衛」(近藤清春画)    〈清春画とするのは「日本古典籍総合目録」だが、解題は清春とは考えにくいと否定的〉   『鼠花見』 署名「画工近藤助五郎清春筆」題簽「さかい町 中島屋」    〈解題、署名・板元は稀書複製会第二期の複製本に拠るとする〉   「魚鳥合戦」(後補書題)署名「画工近藤助五良清春筆」   「冥途懺悔物語」(後補書題)署名「画工近藤助五郎(二字分空白)」 六ウ「平野の板」   『どうけうたひかる口』署名「画工近藤助五郎清春筆」 五ウ「いづゝや板」井筒屋板   「うたひ」(柱題)署名「画工近藤助五郎清春筆」 五ウに「西村板」   『【工夫】富貴長命丸』署名「ゑし近藤清春筆」   「相生・きん・せうね・てつ・あれ」(仮題)   「相生」画作者名なし 「きん」「せうね」署名「画工近藤助五郎清春筆」    「てつ」署名「画工近藤助五良清春筆」 「あれ」署名「画工近藤助五良清春筆    〈解題「歌謡ものの滑稽な絵本零葉五種を集めた合綴本」とする。享保十八年前後に流行した歌謡が使われていること     から享保年間後期の刊行とされる〉   「ふつき」(柱題)署名「画工近藤助五郎清春筆」 刊記「江見や板」   「しやん」(柱題)署名「画工近藤助五郎清春筆    〈解題、柱題「しやん」は吉原「しやんこぶし」の詞章に拠るとする〉   『大福長者富貴物語』(近藤清春画作)    〈解題、漆山天童カード「赤本 小本 画工近藤助五郎清春筆 平野屋板」を引く。また解題者・木村八重子氏の所見     本には次のような式亭三馬の識語があるという〉    〝享保の頃開鎸ありし赤本絵冊子なり。近藤助五郎清春は画作せしもの多くあり。鳥居元祖庄兵衛清信     と時を同うして哥舞伎芝居絵看板を画り。故に哥舞伎絵本狂言番附など書画共に清春筆なり。且吉原     細見記等、此人の書画せしものあまたあり。文化十四年丁丑霜月中浣、表装を更て文庫に蔵む。三馬     (印「式亭」)〟   『【ねこ鼠】大友まとり』署名「画工近藤助五郎清春筆」題簽「湯島天神女坂 さがみや板」   『御りやうけんなさい』(近藤清春画) 題簽「芝神明前 井筒や板」    〈解題、絵師未詳と近藤清春画と両説あるという。刊年も未詳であるが、「仮年表」は画工名と刊年を記さず、元禄と     宝永の間においている〉   『花見鼠』(近藤清春画 中島屋版)    〈解題、井上和雄著『浮世絵師伝』の「清春」の項に享保年間作の赤本とある由を記す〉   『聖徳太子』(近藤清春画)    〈解題、漆山天童カード「赤本 近藤清春画 鹿田目録にも」を引く。また享保年間刊とするのは井上和雄著『浮世絵師     伝』の由である。「仮年表」は画工名を示さず〉   『うたひ』 署名「画工近藤助五郎清春筆」(後補書題簽「井筒屋板」)    〈以上二本、板元の異なる『うたひ』、刊年未詳だが、便宜上享保年間に入れた〉   『どうけづくし』(近藤清春画作)    〈解題、水谷不倒著『草雙紙と読本の研究』等、近藤清春画とするとある〉   『こうぶく寺』 画作者名なし(近藤清春 さがみや版)    〈解題、漆山天童カード「赤本 画工近藤助五郎清春筆 さがみや新板」を引く〉   『歌おんどへんづくし』 画作者名なし(近藤清春画 安田)    〈解題、漆山天童カード「赤本(近藤清春画)安田」を引く〉   「はんじもの」(仮題)画作者名なし     〈解題、見返しに「画は近藤助五郎清春」の墨書がある由を記す。作中、手妻人形遣いの辰松八郎兵衛が話題になってい     ることから、享保年間の刊行とする。「仮年表」は画工名を示さず〉   「まつのうち」(柱題)画作者名なし(近藤清春画)    〈解題、題簽に「まつのうち 近藤清春画」という打付書があるという〉   「よい」(柱題)署名「画工近藤助五郎清春筆    〈解題、内容は「囃子詞「よいやんな」による歌謡ものらしい」とする〉   『霞冨士』(解題「『地本錦絵問屋譜』の「小川屋」の項に「近藤正春画赤本冨士」あり」)   『新地口』〈解題、漆山天童カード「赤本(近藤清春画)安田」を引く」   『桃太郎』〈解題、『古版小説挿画史』に近藤清春画とある由を記す〉      ◇咄本(近藤清春画)   『【新板】かる口初かつほ』署名「画工近藤助五郎清春筆」(享保) 一オ「板元芝神明町ます屋」    ☆ 元文元年(享保二十一年・1736)    ◯『吉原細見年表』(享保二十一年刊)   「新吉原細見」(仮題)享保二十一年春 横小本 平野屋善六郎板    署名「筆工 近藤清春筆」(廓内茶屋、揚屋町見取図)    刊記「享保廿一丙辰年正月改 売所 新吉原揚屋町 三文字屋又四郎       板元 人形町通り 平野屋善六郎」   『所縁桜(ユカリノサクラ)』享保二十一年春 横本 山本九左衛門板     刊記「筆工 近藤清春        板元 大伝馬町三丁目 山本九左衛門板 改役 浅草田町 万や清八」    ☆ 元文年間(1736~1740)    ◯「日本古典籍総合目録」(元文年間刊)   ◇黒本 青本    近藤清春画『いろは短歌』    ☆ 刊年未詳    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(刊年未詳)   ◇行成表本   『物くさ太郎』    〈解題、漆山天童のカードの「清春? ものくさ」を引く〉   ◇赤本   『ゑんまきぶつなりやきがうかぬ』 署名「画工近藤助五郎清春筆」近江屋板    〈解題、書名は当時の歌謡の詞章「閻魔木仏なりや気が浮かぬ」から採ったという〉   『相生・きん・せうね・てつ・あれ』(五種合綴)    署名「画工近藤助五郎清春筆」「画工近藤助五良清春筆」   『めいどざんげ物語』署名「画工近藤助五郎清(空白)」 平野や板   『寛闊あそび』 署名「近藤助五郎清春    〈解題、文化八年刊(1811)・式亭三馬作・歌川国貞画の合巻『凧雲井物語』の中に、この署名のある赤本の表紙が摸写     されているとのこと。これに以下のような三馬の添書があるという〉    〝近藤助五郎は正徳前後の画工最高名也〟   『霞冨士』(近藤清春画)    〈解題、『地本錦絵問屋譜』の「小川屋」の項から「近藤清春画赤本霞冨士」を引く〉   『新地口』(近藤清春画)    〈解題、近藤清春画とする漆山天童のカードを引く〉   『桃太郎』(近藤清春画)    〈解題、近藤清春画とする水谷不倒著『古版小説挿画史』を引く〉    ◯「絵入狂歌本年表」〔目録DB〕(刊年未詳)    近藤清春画『吉原百人一首』一冊 近藤清春画    ◯「浄瑠璃年表」〔霞亭文庫〕〔谷村文庫〕(刊年未詳)    近藤清春画    『出世稚握虎』署名「画工近藤助五郎清春図」    『太閤軍記』 署名「画工近藤清春」
   『出世稚握虎』近藤助五郎清春画(東京大学附属図書館・電子版霞亭文庫・古浄瑠璃)
   『太閤軍記』近藤清春画(京都大学附属図書館・谷村文庫・浄瑠璃「(珍書大観)金平本全集」所収)    ◯『草双紙事典』(刊年未詳)   (署名と作品名)    近藤助五郎清春  『ゑんまきぶつなりやきがうかぬ』    近藤助五郎清春筆 『大友真鳥』『魚鳥合戦』    近藤清春     『聖徳太子』    近藤清春画    『鼠花見』    ◯「百人一首年表」(本HP・Top)(刊年未詳)    近藤清春画    『道化百人一首絵抄』挿絵 書誌「近藤清春作 画工不詳」板元未詳 刊年未詳〔跡見1184・1185 異種〕    『新板絵入 どうけ百人一首』挿絵 書誌「画工未詳 近藤清春作」鱗形屋板 刊年未詳〔跡見1304 異種〕    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕(刊年未詳)   「大平楽川ざらへすご六」「近藤助五郎清春筆」うろこがたや孫兵衛 墨摺    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇絵本・絵画(刊年不明)    近藤清春画『うたひづくし』一冊 近藤助五郎清春画    ☆ 没後資料    ☆ 宝暦二年(1752)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦二年刊)   ◇教訓    近藤清春画『心要集』一冊 清春画    ◯『増訂武江年表』1p139(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「享保年間記事」)   〝浮世絵師、奥村文角政信(芳月堂)、西村重長(仙花堂)、鳥居清信、同清倍、近藤助五郎清春、富川    吟雪房信等行はる〟    ◯『浮世絵考証(浮世絵類考)』〔南畝〕⑱442(寛政十二年五月以前記)  〝近藤助五郎清春  赤本、金平本などにあり。正徳、享保の頃なり〟     ◯『古今大和絵浮世絵始系』(笹屋邦教編・寛政十二年五月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)       〝浮画役者 西村重長 近藤助五郎清春〟    ◯『近世奇跡考』〔大成Ⅱ〕⑥362(山東京伝著・文化元年(1804)刊)   (「助六狂言の考」の項)   〝正徳三年始て助六の狂言をせし時の絵本をすきうつしにして左にあらはす。是すなはち近藤助五郎清春    が筆也〟    ◯『街談文々集要』p29(石塚豊芥子編・万延元年(1860)序)   (「文化元甲子之巻 第十八 太閤記廃板」)   〝一 文化元甲子五月十六日絵本太閤記板元大阪玉山画同錦画絵双紙      絶板被仰渡           申渡    絵草紙問屋                                   行事共                                 年番名主共      絵草紙類の義ニ付度々町触申渡候趣有之処、今以以何成品商売いたし不埒の至りニ付、今般吟味の      上夫々咎申付候      以来右の通り可相心得候    一 壱枚絵、草双紙類天正の頃以来の武者等名前を顕シ書候儀は勿論、紋所、合印、名前等紛敷認候義      決て致間敷候    一 壱枚絵に和歌之類并景色の地名、其外の詞書一切認メ間敷候    一 彩色摺いたし候義絵本双紙等近来多く相見え不埒ニ候 以来絵本双紙等墨計ニて板行いたし、彩色      を加え候儀無用ニ候    右の通り相心得、其外前々触申渡趣堅く相守商売いたし行事共ノ入念可相改候。     此絶板申付候外ニも右申渡遣候分行事共相糺、早々絶板いたし、以来等閑の義無之様可致候    若於相背ハ絵草紙取上ケ、絶板申付其品ニ寄厳しく咎可申付候            子五月      此節絶板の品々    絵本太閤記 法橋玉山筆 一編十二冊ヅヾ七編迄出板     此書大に行ハる。夫にならひて今年江戸表ニて黄表紙ニ出板ス    太閤記筆の聯(ツラナリ)【鉦巵荘英作 勝川春亭画 城普請迄 寛政十一未年三冊】    太々太平記【虚空山人作 藤蘭徳画 五冊 柴田攻迄 享和三亥】    化物太平記【十返舎一九作自画 化物見立太閤記 久よし蜂すか蛇かつぱ】    太閤記宝永板【画工近藤助五郎、清春なり 巻末ニ此度            歌川豊国筆ニて再板致候趣なりしか相止ム】    右玉山の太閤記、巻中の差画を所々擢て錦画三枚つゞき或ハ二枚、壱枚画に出板、画師ハ勝川春亭・歌    川豊国・喜多川哥麿、上梓の内太閤、五妻と花見遊覧の図、うた麿画ニて至極の出来也、大坂板元へ被    仰渡候は、右太閤記の中より抜出し錦画ニ出る分も不残御取上之上、画工ハ手鎖、板元ハ十五貫文ヅヽ    過料被仰付之〟    〈「日本古典籍総合目録」によると、竹内確斎著・岡田玉山画『絵本太閤記』は寛政九年(1797)~享和二年(1802)に     かけての出版。荘英作・勝川春亭画『太閤記筆の連』は寛政十一年刊。虚空山人作・藤蘭徳(蘭徳斎春童)画『太々     太平記』は天明八年(1788)刊とあり、『街談文々集要』がいう享和三年(1803)のものは見当たらない。『絵本太閤     記』の評判にあやかって、この年、再版本を出したものとも考えられる。十返舎一九作・画『化物太平記』は享和四     年(1804)(文化元年)の刊行。さて最後、宝永板、近藤助五郎清春画の「太閤記」とあるのが、よく分からない。東     北大学附属図書館・狩野文庫の目録に、近藤清春画『太閤軍記 壹之巻』なるものがあるが、あるいはそれを言うの     であろうか。しかし、そのあとに続く、歌川豊国初代の記事「再板致候趣なりしが相止む」の意味も、それ以上に分     かりずらい。清春の「太閤記」を下敷きに、豊国が新趣向で再板するという意味なのであろうか。結局のところ、企     画倒れになってしまったようであるが、それならば「此節絶板の品々」に名を連ねるのは不自然ではないのか。春亭     と一九の「太閤記」ものが名を連ねるのは分かるが、藤蘭徳と清春の「太閤記」ものがどうして入っているのか、よ     く分からない。なお「日本古典籍総合目録」には清春の宝永板「太閤記」に相当するものはない〉    ◯『筆禍史』「絵本太閤記及絵草紙」(文化元年・1804)p100(宮武外骨著・明治四十四年刊)   〝是亦同上の理由にて絶版を命ぜられ、且つ著画者も刑罰を受けたり『法制論簒』に曰く     文化の始、太閤記の絶版及び浮世絵師の入獄事件ありき、是より先、宝永年間に近藤清春といふ浮世     絵師、太閤記の所々へ挿絵して開板したるを始にて、寛政の頃難波に法橋玉山といふ画工あり、是も     太閤記の巻々を画き(以下略)〟  ◯『浮世絵師之考』(石川雅望編・文化五年(1808) 補記)   〔「浮世絵類考論究10」北小路健著『萌春』207号所収〕   〝近藤助五郎清春【正徳・享保の比の人】    赤本、金平本などにおほし    〈大田南畝の『浮世絵考証』と同文〉    ◯『凧雲井物語』(合巻・式亭三馬作・歌川国貞画・文化八年刊)   〝寛闊(クワンクワツ)あそび  近藤助五郎清春筆(はんもと鶴金)     (模写絵)    赤本(あかぼん)の図ハ好事家の鑒(らん)に呈するのみ、近藤助五郎清春ハ正徳前後の画工最高名也〟
   『凧雲井物語』式亭三馬作 (早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)    ◯『瑣々千巻』〔南畝〕⑩331・332(大田南畝著・文化八年(1811)四月八日記)  〝いせ物語 画工近藤清春【土佐上るり本のごとき本也】〟   〝どうけうき世はなし    かる口もみぢ傘 画工近藤助五郎清春筆    きげん直してけら/\わらひ     もと石町 いがや板〟    〈『国書総目録』によると、『いせ物語』は享保十四年(1729)の刊。『かる口もみぢ傘』の方は元禄年間の刊とある。     ただし画工名の記載はない。南畝は清春の版本しか見ていないようだ。『瑣々千巻』はTopの凡例参照〉    〈訂正、国文学研究資料館「日本古典籍総合目録」には画工近藤清春の『いせ物語』が見当たらない。ただし井上和雄     著『浮世絵師伝』「近藤清春」には享保十四年版の『伊勢物語』とある。ところで上記「南畝は清春の版本しか見て     いないようだ」の意味は、大田南畝には清春の一枚絵を見る機会がなかったらしいという意味である。2010/10/17     追記〉    ◯『骨董集』〔大成Ⅰ〕(山東京伝著・文化十年序)   ◇「目黒の餅花」の項。⑮373(模写あり)  〝(目黒不動にて、白餅を犬に与えしこと)“近藤助五郎清春がかきたる江戸名所百人一首の絵草紙に、    その図あり”
  〝(図の注)享保年中印本江戸名所百人一首之絵〟
  ◇「臙脂絵売(べにゑうり)」の考証 ⑮376  〝元禄のはじめより丹黄汁にて彩色す。これを丹絵といふ。元禄のすゑつころより鳥居清信、其子清倍等    これを画けり。宝永、正徳に至て近藤清春出たり〟  ◯『若樹随筆』林若樹著(明治三十~四十年代にかけての記事)   (『日本書誌学大系』29 影印本 青裳堂書店 昭和五八年刊)   ※(原文に句読点なし、本HPは煩雑を避けるため一字スペースで区切った   ◇巻五(近藤清春画『金のざい』に付された式亭三馬の識語)p117 〈明治42年記事〉   〝清春は中村座の看板書(き)なり 清春没後に中村座の絵看板は鳥居家ものとなりて 今日に及べり    此話は通油町の治郎右衛門(栄邑堂といふ今は居所替れり)の話也    清春は「どうけ百人一首」を画きてより 目(め)盲(めし)いて云々 本私事にてかゝる事を知りたるも    のは今なく 僅(か)に三五人云々(採大意)       文化十四丁丑年春四月  本町庵三馬〟  ◯『浮世絵類考』(式亭三馬按記・文政元年~四年)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)       〝三馬按、清春ハ吉原細見記、并ニ芝居狂言本等、自書画ニテアマタ開板セリ。此伝、委クハ別記ニ録ス〟   〝三馬按、此三人(奥村政信・西村重長・近藤清春)ハ清信門人ニ非ズ。各独立ナリ。此時代ノ浮世絵ハ、    スベテ鳥居風ノ画風ヲ慕シモノナリ。既ニ北尾重政モ、壮年ノ画ハ鳥居流ナリ。コレヲ以テ知ベシ。     ◯『牟芸古雅志』〔大成Ⅱ〕(狂言堂如皐(二世瀬川如皐)編・文政九年跋)   ◇「役者金の揮(ザイのルビ)の序」④190   〝近藤助五郎清春〟(以下序文、歌舞伎及び曽我狂言の歴史を評判記の体裁で述べる。略)
  ◇「どうけ百人一首元本」④225   〝近藤清春は宝永正徳中に専ら行われし浮世画師也。是も百余年の星霜を経たり〟   (四首の挿絵に)〝近藤助五郎清春筆〟〝百人一首どうけ歌 作者近藤助五郎〟    〈「国書基本DB」『金の揮』は享保十三年刊。狂歌本『とうけ百人一首』は享保年間刊〉    ◯『尚古造紙挿』〔大成Ⅰ〕②459(暁鐘成編・文政十二年刊)   (『どうけ百人一首』の原本模刻あり。「てんぢ天わう」「ちとうてん王」「ごとばのゐん」「しゆんと    くゐん」の四図。図中に「近藤助五郎清春筆」「百人一首どうけ歌作者近藤助五郎」の落款あり。暁鐘    成の頭注に〝近藤清春は宝永正徳中に専ら行われし浮世絵師也、是も百余年の星霜を経たり〟とあり)   ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③291(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   〝近藤清春【正徳、享保ノ比ノ人也】     俗称助五郎、居住(空白)、江戸産也、    近藤助五郎清春と画名を誌し、金平本、赤本に多く有り    三馬按に、清春は、吉原細見記并芝居狂言本等に、自筆画にてあまた開板せり〟   △『近世物之本江戸作者部類』p29 (曲亭馬琴著・天保五年成立)   〝近藤助五郎清春    享保より宝暦の比まで行れし画工にて戯作をも兼たる也。享保中、象の来つる折の赤本もこの清春の自    作自画也。赤本の作多くありしが、今ハ世に得がたくなりぬ〟    △『声曲類纂』(斎藤月岑著・天保十年成立)   ◇「巻之三」「【天下一】桜井丹波少掾正信」の項。p176   (岡清兵衛作、和泉太夫(桜井丹波少掾)の金平浄瑠璃に関する記事)   〝中古金平本とて小児のもて遊ひし草紙は、肥前節の古上るりを絵入にせしより始れりと。此時代の正本皆絵入にして、    享保の頃にいたりても板本多く、近藤助五郎清春・奥村政信・羽川珍重等が画多し〟
  ◇「巻之五」「歌祭文」の項。p308   〝享保の半の頃、市川門之助追善かつら供養哥祭文地蔵和讃ぶしとて、浮世絵師近藤助五郎清春の文句を    つゞりしものあり。其文拙けれと、作者の珍らしければ、こゝに挙ぐ。〈以下歌詞あり、省略〉〟    ◯『用捨箱』〔大成Ⅰ〕⑬180(柳亭種彦著・天保十二年刊)   「質屋の看板」(模写あり)   〝享保年間印本 道外百人一首近藤清春画〟    ◯『足薪翁記』〔大成Ⅱ〕⑭120(柳亭種彦著・天保十三年以前成立)   (「籠屋の看板 今云ふざるやなり」の項)   〝「しよく人百人一首」〔割註 近藤助五郎清春画〕に載せたるかごやに此図(模写)あり〟    ◯『柳亭筆記』〔大成Ⅰ〕④279(柳亭種彦著・成立年未詳)   (「法衣屋の看板」の考証)   〝「しょく人百人一首」【享保年間印本 近藤清春画】〟    ◯『筠庭雑考』〔大成Ⅱ〕(喜多村筠庭著・天保十四年序)   ◇「看板類」の考証 ⑧173   〝道外百人一首享保年間   近藤清春画    へうたんか杉のはか 酒のかんばん〟    ◯『近世風俗史』(『守貞謾稿』)巻之二十八「遊戯」④290   (喜田川守貞著・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)   〝目附絵(メツケエ)    跋文のごとく、享保中の小賈を集めたり。十六人内、初めに目標(メジルシ)し、第二、第三に至り、ある    ひは右、あるひは左りを告ぐれば、心中の標ある者を中すの法あるなり。この弄(モテアソ)び、今も往々    これあれども、その制略すなり。     (この絵の板元・山本九左衛門の「目附絵見やうの事」(日付は「享保十二丁未正月吉日」)とい      う文あり。そこに遊び方が示されている。略。また十六人の小商いを描いた模写図が掲載されて      いる。その図に以下の説明がある)    原本、五葉半なり。右図は、第一葉を模写す。毎葉図中、商人の次第を異にす。第五葉の傍に、画工近    藤助五良とあり。山本九左衛門は、江戸〟    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)   (( )は割註・〈 〉は書入れ・〔 〕は見せ消ち)   〝近藤清春 正徳享保の頃の人也 江戸の産也     俗称 助五郎 居住(空白) 、    近藤助五郎清春と画名を誌し、金平〈本〉赤本に多くあり。〈類考〉に元祖鳥居清信の門弟といふは非な    り。奥村政信、西村重長、近藤清春の三人は各独立也。此時代の浮世絵は、すべて鳥居の画風を慕ひしも    の也。既に北尾重政も壮年の画は鳥居流也。是を以て知るべきよし、三馬が附録にいへり〈月岑按るに享    保の頃の板刻に近藤清信といへるあり。可考〉     三馬按、清春は吉原細見記并芝居狂言本等に、自書画にて数多開板せり。委く別記に知す      江戸名所百人一首(自作)〈画 狂歌入〉〟    △『戯作者考補遺』p5(木村黙老編・弘化二年序)   〝近藤助五郎清春    享保より宝暦の比まで行れし画工にて、戯作をも兼たる也。享保中、象の来つる折の赤本も、この清春    の自作自画也。赤本の作多くありしが、今は世に得がたくなりぬ〟    ◯『歌舞伎十八番考』〔新燕石〕④168(石塚豊芥子・嘉永元年序)   (「嬲」の項)   〝『金之揮』【享保十三戊申正月板、通り塩町板元奥村源六、近藤清春筆】〟   (挿絵に〝【同年の七月十五日】【甲賀三郎鬼神退治】一心五界王〟)    ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」p中1383(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   〝同(元祖清信)門人    近藤助五郎清信【赤本金平画本ニアリ、正徳享保頃、宝永正徳頃ノ人、画江戸名所、百人一首、草紙、    享保年中印本】〟    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪202(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   〝俗称助五郎、正徳、享保の人、江戸産也。金平本赤本多くあり。又吉原細見記并芝居狂言本等、自ら書    画とも数多開板せり。類考に、元祖鳥居清信の門弟といふは非なり。奥村政信、西村重長、近藤清春の    三人は各独立也。此時代の浮世絵はすべて鳥居風を慕ひし也。     月岑子按に、享保の頃の板刻に近藤清信といへるあり。可考〟    ◯『於路加於比』〔新燕石〕①322(柳亭種秀(笠亭仙果)著・成立年未詳)   〝目付絵 享保十二丁未正月吉日、はんもと山本九左衛門”   (六丁に)“画工近藤助五郎清春筆とあり、此画工、当時の物の本あまたかけり〟    ☆ 明治年間(1868~1911)  ◯『扶桑画人伝』巻之四(古筆了仲編 阪昌員・明治十七年(1884)八月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝清春    近藤氏、名ハ清春、通称助五郎ト云フ。能ク邦俗ノ浮世絵ヲ画ク。又赤本・金平本【草双紙ナリ】ノ板    下ヲ画ク。又吉原細見記・江戸歌舞妓狂言ノ本等、自書画ヲ以テ多ク開板セリ。正徳享保中ノ人。明治    十六年迄凡百七十年余〟  ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   〝正徳 近藤清春    宝永正徳頃の人也、多く武者を画き、当時の風俗を善く写し、自ら戯作せし読本数種行はる、世に此を    黒本と云〟    ◯『日本美術画家人名詳伝』下p366(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)   〝近藤清春    助五郎ト称ス、江戸ノ人鳥居清信ノ門人ニシテ、当時風俗ノ人物美人遊女等ノ画ヲ能クス、又草双紙ノ    板下ヲ画ク、又吉原細見記、江戸歌舞妓狂言ノ本等(俗ニ所謂金平本赤本ノ類)自ラ書画ヲ筆シテ、多    ク開板セリ、又始テ泥画ヲ画ク、享保年中ノ人(浮世絵類考)〟    ◯『古代浮世絵買入必携』p15(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝近藤清春    本名〔空欄〕  号〔空欄〕  師匠の名〔空欄〕  年代 凡百七十年前より二百年迄    女絵髪の結ひ方第四図 (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)    絵の種類 丹絵、漆絵、一枚絵、墨摺 細絵、長絵、絵本、肉筆    備考〔空欄〕〟    ◯『浮世絵師便覧』p230(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝清春(ハル) 近藤氏、俗称助五郎、金平本および読本あり、◯正徳〟  ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(24/103コマ)   〝近藤清春【正徳元~五年 1711-1715】    通称助五郎、江戸の人にて、多く赤本、金平本を画けり、また吉原細見記、芝居狂言本等を、自書画に    て開板したりと云ふ、自作の赤本もありしが、世に得難くなりぬとぞ、此の清春をもて、鳥居清信の門    弟なりしといふ説は、或は非なるべし〟  ◯『新撰日本書画人名辞書』下(画家門 青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年(1899)三月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(172/218コマ)   〝近藤清春    通称助五郎といふ 江戸の人なり 鳥居清信に師事して画法を研究し 浮世絵を描く 最も邦俗の人物    ・美人・遊女等の図に巧(たくみ)なり 又初めて泥画を描けり 正徳・享保年中の中なり(浮世絵類考    扶桑画人伝)〟  ◯『浮世画人伝』p38(関根黙庵著・明治三十二年(1899)五月刊)   〝近藤清春(ルビこんどうきよはる)    清春は通称を助五郎といひ、正徳享保年間の人にして、妙腕の筆をもて、赤本或は金平本を画きて名を    顕(アラ)はせり。又吉原細見記及び芝居のことを自作画にて著せしもの多し、とりわけ『江戸名所百人一    首』(自作画にて狂歌の書添(カキソエ)あり)一冊を刊本にして大に行(オコナ)はれぬ。清春のことを浮世絵    類考に、鳥居清信が門人なりとあるは誤りにして、清信重信【西村】政信【奥村】はおの/\独立せし    ものなり、さるを清信が門人とせしは、其頃の浮世絵は皆鳥居風なりし故にやあらん。当時に近藤清信    といへる人ありしが、清春の子なるか、はた門人なりしか詳ならず、尚(ナホ)考ふべし〟  ◯「集古会」第五十七回 明治三十九年(1906)三月(『集古会誌』丙午巻之三 明治39年5月)    林若樹(出品者)近藤清春筆 享保年間 浅草観音開帳絵本 一冊  ◯「集古会」第六十六回 明治四十一年(1908)一月(『集古会誌』戊申巻二 明治41年10月刊)   〝林若樹(出品者)近藤助五郎清春 享保板職人どうけ百首 一冊〟  ◯「集古会」第七十六回 明治四十三年(1910)一月(『集古会誌』庚戌巻二 明治44年1月刊)   〝林若樹(出品者)    近藤清春筆『大福長者富貴物語』赤小本 小一冊 延宝板         『大福長者富貴物語』赤本  中一冊 享保板(以上二冊内容は花咲爺なり)  ◯「集古会」第八十二回 明治四十四年(1911)三月(『集古会誌』辛亥巻三 大正1年9月刊)   〝林若樹(出品者)近藤清春筆 どうけ百人一首 一冊 牟芸古雅誌二冊添  ☆ 大正年間(1912~1925)  ◯「集古会」第八十六回(明治四十五(1912)年一月)(『集古会誌』壬子巻二 大正2年9月刊)   〝村田幸吉(出品者)     近藤清春筆 赤本 鼠の花見 一冊 享保頃     同清春筆  赤本 逸題名  一冊 柱にふくとあり 福神遊か     同     福神寿命袋   一冊〟  ◯『浮世絵画集』第一~三輯(田中増蔵編 聚精堂 明治44年(1911)~大正2年(1913)刊)   「徳川時代婦人風俗及服飾器具展覧会」目録〔4月3日~4月30日 東京帝室博物館〕   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇『浮世絵画集』第三輯(大正二年(1913)五月刊)    (絵師)  (画題)  (制作年代) (所蔵者)    〝近藤清春 「丁子屋」  享保頃    政尾久子〟  ◯「集古会」第九十五回 大正二年(1913)十一月(『集古会志』甲寅一 大正4年10月刊)   〝林若樹(出品者)近藤助五郎清春筆 享保四年浅草観音開帳絵本〟  ◯「集古会」第九十六回 大正三年(1914)一月(『集古会志』甲寅二 大正4年10月刊)   〝林若樹(出品者)近藤清春 いせは津でもつ津はいせでもつ双六 一枚〟  ◯「集古会」第百二回 大正四年(1915)三月(『集古』庚辰第五号 昭和15年11月刊)   〝林若樹(出品者)     近藤清春画 役者金の揮 一冊     近藤清春画 享保十四年板 役者評判太平楽十四こよみ 一枚 番付風のもの〟  ◯『浮世絵の諸派』上下(原栄 弘学館書店 大正五年(1916)刊   (国立国会図書館デジタルコレクション) 上(101/110コマ)   〝近藤清春    江戸の人、俗称助五郎。文才ある人で金平本・赤本・吉原細見・芝居狂言本等を自ら作つて自ら画いた    ものがある(自画作の版本名あり 中略)「類考」には清春を鳥居清信の門人としてあるが「増補類考」    では非難して西村重長・奥村政信などゝ同じくこの清春を独立画家というて居る。作画期は正徳享保頃〟  ◯「集古会」第百三十五回 大正十一年(1922)一月(『集古』壬戌第二号 大正11年2月刊)   〝林若吉(出品者)近藤清春 赤本 大福長者富貴物語 五丁一冊 享保板〟  ◯「集古会」第百四十四回 大正十三年(1924)一月(『集古』甲子第二号 大正13年4月刊)   〝林若樹(出品者)清春筆 赤本 福遊 五丁一冊 享保版  ☆ 昭和以降(1926~)  ◯『傾城百人一首』〔未刊随筆〕④5(三田村鳶魚解題・昭和二年)   (柳亭種彦の「吉原書籍目録」に基づき『吉原百人一首』に関する書誌を引く)   〝近藤助五郎の画にて、享保年間の印本なり〟    ◯「集古会」第百六十六回 昭和三年五月(『集古』戊辰第四号 昭和3年8月刊)   〝林若吉(出品者)近藤清春 浅草寺開帳 一冊 享保四/同上 偽版本 一冊〟  ◯『狂歌人名辞書』p59(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝近藤清春、通称助五郎、東都の浮世絵師にして多く赤本狂言本を画けり、「江戸名所百人一首」「どう    け百人一首」の如きは自作自画なり、享保頃の人、歿年未詳〟    ◯『浮世絵師伝』p40(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝清春    【生】  【歿】  【画系】  【作画期】寶永~元文    近藤氏、俗称助五郎、鳥居風の画を描き、兼ねて文字の版下をも書す、寶永二年版の『源義経軍歌百首』    の奥附には、筆工近藤清春筆、和泉屋助五郎開板とあり、此の版元と彼とは蓋し同一人ならむか、然れ    ども、彼の筆に成れる享保十三年版の『役者金之犀諸芸鑑』、同十四年版の『伊勢物語』、同十七年版    の『鳰鳥新万葉集』(河東節)、年代不記の『江戸名所百人一首』、同じく『道外百人一首』等は、何    れも和泉屋助五郎の出版には非ず、されば彼が一時版元を兼ねしにもせよ、享保半ば頃には既に兼業を    廃せしこと明かなり。    右の外、彼が享保年間の作には、『猿蟹合戦』・『鼠花見』・『聖徳太子』などの赤本、及び其他に金    平本の挿画もあり、また一枚絵中には大判墨絵の或る双六、細判漆絵の「東海道五十三次」(横絵六枚    揃)などあり。彼が作画の特徴は、すべて童心を失はざる点にありて、しかも細画によく人物の動作を    現はしたり。其が歿年は明かならざれども、享保末頃に挿画せし以後、他に何等画蹟をとゞめざるを以    て、爾後数年ならずして世を去りしものかと思はる。因みに、鳥居清春と彼れとを同一人とする説あれ    ども精確ならず、恐らくは別人なるべし〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「享保七年 壬寅」(1722) p76   〝正月、近藤清春(清春は鳥居清信の門人にして俗称助五郎といひ、当時の六段本に多く画けり)六段本    『新田四天王』に画きて出版〟
  ◇「享保一二年 丁未」(1727) p81   〝此年近藤清春、赤本『猿蟹合戦』の目附絵を画きて出版〟
  ◇「享保一三年 戊申」(1728) p82   〝正月、近藤清春『諸芸評判金の揮(ザイ)』を画きて出版。板元は奥村源六なり〟
  ◇「享保一六年 辛亥」(1731) p85   〝此年近藤清春の挿画ある『酒餅論』『当流小謡断錦集』あり〟
  ◇「宝暦三年 癸酉」(1753) p104   〝此頃近藤清春歿せりといふ〟    ◯「集古会」第二百五回 昭和十一年(1936)三月(『集古』丙子第三号 昭和11年5月刊)   〝木村捨三(出品者)近藤清春画 猫鼠大友真鳥 一冊 赤本「さかみや板元」享保頃〟〈享保11年参照〉  ◯『明治世相百話』(山本笑月著・第一書房・昭和十一年(1936)刊)   ◇「絵双六の話 道中双六」p154   〝道中双六は貞享ごろに作り出したものだちうと柳亭種彦がいっているが、宝永ごろのものを私は見た覚    えがある。    近藤清春(?)の正徳ごろのがまず古い方で、時代が降って、お馴染の北斎には「新板往来双六」とい    う優れたものがあり、広重には「東海道富士見双六」「諸国名勝双六」「東海道木曽振分道中双六」等    がある。    地方板としては「米沢道中双六」という米沢から江戸までの道中双六で、宝暦前後のものがある。また    名古屋板、仙台板があるそうだ〟  △『増訂浮世絵』p58(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝近藤清春    近藤と署名した清春の作は版画で、一種の古致を帯びたものが多い。若し鳥居清春が肉筆を主として立    つたとすると、これは版画家といふべきであらう。肉筆と版画を比較すると、どうも同人ではないであ    らう〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔近藤清春画版本〕    作品数:41点    画号他:清春・近藤清春・助五郎・助吾郎・近藤助吾郎・近藤助五郎清春    分 類:赤本20・絵本5・狂歌4・浄瑠璃4・黒本2・謡曲2・咄本1・評判記1・地誌1・教訓1    成立年:寛文3年 (1点)        宝永1年 (1点)(宝永年間合計2点)        正徳年間 (1点)        享保4・11~14・16・20年(10点)(享保年間合計16点)        元文初年 (1点)        宝暦2年 (1点)        〈寛文三年刊『江戸名所百人一首』近藤助五郎清春画は不審〉