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             「曲亭馬琴資料」「寛政年間(1789~1800)」
 ◯ 寛政六七年頃(1794~5)三月十九日 馬琴宛・滝沢羅文(第六巻・書翰番号-来100)⑥302   〝(長兄。寛政十年没、四十歳)    (馬琴注記「伯兄賜解書【寛政六七年のころの手簡なり】)    (表書「馬琴様用事 羅文」)    明日油町へ御出被成候ハヾ、にしき絵墨摺など交、五七枚御見繕御調可被下候。田舎へ土産物ニ遣候間、    其心得ニて御見繕可被下候。尤、一枚廿四文位之処、可然候。此段御頼申候。已上      三月十九日〟    〈馬琴は、寛政四年春、日本橋通油町の蔦屋重三郎の手代となり、翌五年七月、飯田町の会田家の入り婿となり、同七年読本     『高尾船字文』を蔦屋から出す。この長兄羅文の書翰にある油町とは蔦屋のことを指すのであろう。その蔦屋で調えた一枚     二十四文位の錦絵や墨摺とはどんな作品であったのだろうか。当時の蔦屋では写楽の作品が刊行の最中、また歌麿も蔦屋の     専属ではなくなりつつあったというものの錦絵が出版されていた。馬琴は兄の土産物のために誰の錦絵を見繕ったのであろ     うか〉