Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ゆうせつ かいほく 海北 友雪浮世絵師名一覧
〔慶長3年(1598) ~ 延宝5年(1677)9月3日・80歳〕
 ☆ 寛永十二年(1635)  ◯『扁額軌範』二編巻之上(速水春暁斎編・文政四年序・国立国会図書館デジタルコレクション画像)    海北忠左衛門画     目録「清水寺 頼政射怪鳥図 附源三位頼政像・鵺之図 海北忠左衛門画 竪一間 横一間半」     扁額「奉掛御宝前 寛永十二乙亥年六月吉日 海北忠左衛門筆 宿坊成就院 願主敬白」     ☆ 明暦三年(1657)  ◯『扁額軌範』二編巻之上(速水春暁斎編・文政四年序・国立国会図書館デジタルコレクション画像)    海北友雪画     目録「清水寺 田村麿退治夷賊図 海北友雪斎画 竪二間 横六間」     扁額「明暦参季仲冬廿八日 海北友雪斎図 宿坊執行宝性院僧都」    ☆ 没後資料  ◯『浮世絵師伝』p203(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝友雪    【生】慶長三年(1598) 【歿】延宝五年(1677)-八十 【画系】狩野風 【作画期】元和~寛文    狩野風の画家なり、海北友松(カイホクユウセウ)の男、名は道暉、通称忠左衛門、友雪は其号、京都の人、初    め父の画法を学び、後ち之を改めて狩野正風に復す、京都清水寺の頼政怪鳥を射る図有名なり、延宝五    年九月三日歿す年八十。    (以上大日本人名辞書より抜萃)    彼の作品に職人尽絵屏風あり、六曲一双にて一枚毎に製作、註文を取るゝ戸外の人等六七人動作して居    る図にて、川越町喜多院所藏の職人絵尽の屏風に比較して遜色なく、一折毎に揮毫されたる職人の種類    は仏具師、弓師、馬具師、筆師、経師製本師、鎧師、縫箔師、糸師、靱師、琴三味線師、刀師、馬具師    等で日常生活の職は少なく、武士、上流階級にて使用する器具の職人多し。此屏風の一枚毎に捺印あり、    長方形の中に海北と黒肉で、また左側の一図には道暉斎図と書き、海北の印の下に鼎形の中へ友雪と捺    印あり、落款は楷書の字体故、壮年の筆なること首肯せらる。浮世絵初期の盛りは慶長-元和-寛永ま    で、慶安頃から下火に成る様である。此の落款に拠て、道暉斎を画号と判断するより肩書きとし、海北    を家名、友雪(ユウセツ)を画号と推定することが至当である。(本項、渡辺庄三郎氏執筆)〟