☆ 明治三十二年(1899)
 
 ◯「見世物興行年表」(ブログ)
  (明治三十二年五月十九日「新愛知」名古屋榎町の愛知パノラマ館記事)
  〝画工はパノラマに名を知られし京都寺町錦小路の野村芳国〟
  (同年六月二十九日「新愛知」記事)
  〝画は日清戦争平壌陥落事実を画工野村芳国が東京に出でて見聞し、充分実地を模写(うつし)、軍人を
   始め観客(けんぶつ)をして如何もと称賛さるるやう熱心に執筆中なり〟
   〈開館は九月二十日の由〉
  (同年九月二十日「新愛知」記事)
  〝大パノラマは京都の画家野村芳国、芳光父子の筆になる日清戦争中有名なる平壌陥落を都合五十八図に
   描きしものにて、他に比類なく〟
 ☆ 明治三十五年(1902)
 ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪(鳥井正之助編集・出版 明治三十五年正月刊)
  (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)
  〝各派序位混淆
   (西京 田村宗立 守住勇魚〔大サカ〕鈴木雷斎 山内愚仙 石川小陰)
   〔大サカ〕林基春  長谷川貞信 武部芳豊 稲葉芦国 長谷川小信 田口年信 稲野年恒
       哥川国峰 藤原信一  坂田耕雲 尾竹国一
   〔西京〕野村芳光 野村芳常  三村芳貞〟
 ☆ 明治三十五年(1902)
 ◯『大日本絵画著名大見立』番付 京都(仙田半助編集・出版 明治三十五年十二月刊)
  (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)
  〝浮世画 野村芳光 京寺町錦上ル〟
 ☆ 明治三十八年(1905)
 ◯「大日本絵画著名大見立」(仙田半助編 明治三十八年刊)
   浮世絵師番付〝浮世画席不問 野村芳光 京寺町錦上ル〟〈本HP「浮世絵事典」の「浮世絵師番付」所収〉
 
 ☆ 明治四十三年(1810)
 
 ◯「見世物興行年表」(ブログ)
  (明治四十三年二月十六日「新愛知」名古屋舞鶴公園共進会会場パノラマ館記事)
  〝桶狭間合戦パノラマ館の工事(中略)邦パノラマ画の鼻祖京都野村芳国画伯の男野村芳光画伯は門人数
   名を引連れ来名し、今明日中より揮毫に着手する由〟
  (同年3月十二日「新愛知」記事)
  〝同館は桶狭間の大合戦を現はす筈にて、本邦パノラマ画の元祖たる故野村義国の遺子野村義光画伯は目
   下門人数名と共に故実を糺して揮毫中なるが、両三日中には全部出来上る由なれば、愈よ来る十六日の
   共進会開会当日と倶に同館も花々しく開場すべし〟
   〈開館は三月二十三日の由。芳光の父芳国は明治三十六年没〉
 ☆ 大正元年(1912)
 ◯『大日本画家名鑑』大正二年度改正 現代之部(前田鐘次郎編 東洋画館 大正元年12月刊)
  (国立国会図書館デジタルコレクション)
  「浮世画之部」〝野村芳光 京都寺町錦上る〟