☆ 弘化四年~嘉永五年(1843-52)(改印:名主二印)
◯「おもちゃ絵年表」〔本HP・Top〕
歌川芳廉画
「しん板手あそびづくしはんじもの」「一隣斎よし廉戯画」佐野屋喜兵衛「村松・福」 ①⑥
「新板諸職諸商人十二支見立尽」 「一隣斎よし廉戯画」辻岡屋文助 「米良・渡辺」①
☆ 嘉永四年(1851)
◯「日本古典籍総合目録」(嘉永四年刊)
◇滑稽本
歌川芳廉画『人真似目覚旅路』一隣斎芳廉画 永楽舎一水作
☆ 嘉永五年(1852)
◯「おもちゃ絵年表」〔本HP・Top〕(嘉永五年刊)
歌川芳廉画「志んぱんむし尽」「一隣斎芳廉画」版元未詳 嘉永5年2月⑥
☆ 安政元年(嘉永七年・1854)
◯「百人一首年表」(本HP・Top)(嘉永七年刊)
歌川芳廉画『勇猛百人一首』色摺表紙・挿絵〔跡見112 異種〕〔目録DB〕
表紙「源満昭撰 画工 芳廉 東都梅寿堂」嘉永七年刊
改印「名主:濱・馬込」
〈〔跡見〕と〔目録DB〕の書誌は嘉永7年刊とするが、画像の改印は名主二印で、これは弘化4年~嘉永5年に相当する〉
◯「日本古典籍総合目録」(嘉永七年刊)
◇和歌
歌川芳廉画『勇猛百人一首』芳廉画 源満昭撰
☆ 刊年未詳
◯「日本古典籍総合目録」(刊年未詳)
◇絵画
歌川芳廉画『しんはん浄瑠璃尽はんじもの』歌川芳廉画
◇川柳
歌川芳廉画
『新ぱん柳樽』よし嘉堂編
『柳樽句合』一隣斎芳廉画
◇歌謡
歌川芳廉画『葉うた一つぶより』一隣斎画
※古谷義昭様(青森県)御示教
◇合巻
歌川芳廉画『菅原天神記』三巻(古谷義昭様蔵本)
上巻表紙 「外だい 一鱗齋芳廉画」
中巻表紙 「菅原天神記 芳嘉堂画」
下巻表紙 「式亭三馬作 歌川豊国画 外題 一隣齋芳廉画」
上巻序 「天保癸巳初春 木公亭(「謹」か?以下欠)」
〈この『菅原天神記』は「日本古典籍総合目録」に記載がない。序者の木公亭は松亭金水の別号。これは不思議な本です。
というのも、上記の人々、三馬、豊国、金水、芳廉が、天保四年時に、一緒に仕事することは不可能だからです。(三
馬、文政五年(1822)没・豊国、文政八年(1825)没・松亭金水、寛政九年(1795)~文久二年(1863))古谷様によると、
下巻の版心に「花がた」とある由。これを手掛かりに「日本古典籍総合目録」に当たってみると、『菅原流梅の花形』
(五巻・合巻・松亭金水作・歌川貞房画・天保四年刊)が出てきました。版心の「花がた」は書名の「花形」の名残、
また序の「木公亭 天保癸巳」は松亭金水作、天保四年の刊記と一致します。するとこの『菅原天神記』はこの『菅原
流梅の花形』の表紙を替えただけの改題本と考えられます。その際、表紙を担当したのが一鱗斎芳廉ということになり
ます。下巻の表紙にはなぜか「式亭三馬作・歌川豊国画」とあります。「松亭金水作・歌川貞房画」とあるべきところ、
こう改竄したのは板元の商魂によるものか。なお版元・刊年とも未詳〉
『菅原天神記』上巻表紙(古谷義昭様提供)