☆ 天明三年(1783)
△『狂歌師細見』(平秩東作作・天明三年刊)
(「入山形に蔦の図」に「唐丸」の漢字を配した旗印、屋号「つたや三十郎」の狂歌連、松風、元成、
高見などに続いて)
〝うたまる〟
〝けい者 浮世ゑし うたまる 外のもかゝせ申候〟
〈天明三年当時は「歌麿」を「うたまる」と呼んでいたか。『狂歌師細見』は「吉原細見」にならって、狂歌師を遊女
に見立てて連ごとに括った戯作。「うたまる」は「吉原連」に所属する。この「うたまる」記事も、天明三年正月の
『新吉原細見』に「つる屋忠右衛門」方の記事「げい者 千次 外へも出し申候」のもじりとされる。なお「外のも
かゝせ申候」とは、抱え主「つたや三十郎(蔦屋重三郎)」以外の求めにも応ずるという意味。(濱田義一郎編『天
明文学』(昭和五四年刊)所収『いたみ諸白』渡辺守邦解説)〉
うたまろ?うたまる? 歌麿
◯『浮世絵師便覧』p219(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝歌麿(ウタマル)喜多川師、名は、豊章、鳥山石燕の男、俗称勇助、紫屋と号す、文化三年死、五十三〟
〈明治時代の飯島虚心は「うたまる」と呼んでいる〉