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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ つねゆき かわまた 川又 常行
浮世絵師名一覧
〔延宝5年(1677)・寛保元年(1741)65歳 ~ 没年未詳〕
◯『時代品展覧会出品目録』第一~六 京都版(大沢敬之編 村上勘兵衛 明治二十八年(1895)六~九月) (時代品展覧会 3月25日~7月17日 御苑内博覧会館)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝「第五」徳川時代浮世絵画派之部(244/310コマ) 一 汐汲図 一幅 常行筆 上野光君蔵 東京市麹町区〟
〈川又常行か〉
◯『浮世絵画集』第一~三輯(田中増蔵編 聚精堂 明治44年(1911)~大正2年(1913)刊) 「徳川時代婦人風俗及服飾器具展覧会」目録〔4月3日~4月30日 東京帝室博物館〕
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇『浮世絵画集』第二輯(明治四十五年(1912)五月刊) (絵師)常行(画題)「夏の夜」(制作年代)天明頃(所蔵者)高嶺俊夫〟 ◯『浮世絵』第弐拾二(22)号(酒井庄吉編 浮世絵社 大正六年(1917)三月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「浮世絵漫録(四)」桑原羊次郎(14/24コマ) 〝△「常行の姓氏」 (前略)小林(文七)氏所蔵の常行筆の長巻を見たる際に、其の姓氏を発見せり即ち 風俗長巻画極彩色 落款「常行 行年六十五歳筆(印文〔常行〕)」とし、箱は共箱にして、蓋裏に「寛保元辛酉歳四月十六 日 依好川又常行画之」とあり、常行の姓氏と其生年の判明したるは難有(ありがた)し。又其後、同家 に常正の画にて 川又氏の長形三字朱文の印あるもの出て、両人とも川又姓なる事の知れたると、其筆 意と着色の極似せるより、両人の関係は子弟か父子か兄弟ならんと想像し得るの、予には未だ確説無し。 唯だ常行落款の画は、人物の面貌少しく下細にて千篇同律なりと云ふを得べきに、同じ千篇同律にても 常正は常行と同様と、少しく下脹れにて祐信に近きものとの二通あるの差あり〟
〈川又常行、寛保元年(1741)65歳。延宝5年(1677)生〉
◯『罹災美術品目録』(大正十二年九月一日の関東大地震に滅亡したる美術品の記録)
(国華倶楽部遍 吉川忠志 昭和八年八月刊)
◇小林亮一所蔵
〈小林文七嗣子〉
川又常正 「美人侍女図」 「遊里絵巻」
(前後二局は一般の遊所、中は半七三勝、おはつ徳兵衛、椀久松山等の情事を描く)
◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝常行 川又氏、常正に似たり、兄弟か、寛保元年、行年六十五歳筆とせるものあり〟 ◯『浮世絵師伝』p123(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝常行 【生】延宝五年(1677) 【歿】 【画系】 【作画期】宝永~寛保 川又氏、肉筆美人画あり、其の作品の一に風俗絵巻ありて、落款に「常行行年六十五歳筆」とし、箱書 に「寛保元年酉歳四月十六日依好川又常行画之」と記せり、是を以て其の生年を立証するに足らむか〟 △『増訂浮世絵』p77(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊) 〝川又常行 美人画を専門として、流麗なる伎倆を有し、特に賦彩に巧である。誰を師としたか明かでないが、ある 書には、狩野常信の門下とする説もあるが、年代の上からも、また画風の上からも、少しその系を異に するのである。恐らく常の一字あるが為めに、常信門に付会したのであらうと思ふ。常行の作に、風俗 画巻があつて、その落款に常行行年六十五歳筆とし、箱書に、寛保元年酉歳四月十六日依好川又常行画 之と記したものがあるといふので、延宝五年の生れであることがわかる。但し没年は不明である。従つ てその作画期は、宝永寛保の間であらうと思はれる。又、常行は印章に川又氏の文字を以ていたものを 用ひゐる。常行の作品で優れてゐたのは、故小林文七氏の所蔵で、美人が室内を歩み、侍女がこれに従 つてゐる図であつたが、惜しいことの、大正震災で焼失した〟