☆ 文政八年(1825)
◯ 正月七日、初代歌川豊国没(五十七歳)
◯「合巻年表」(文政八年刊)
歌川豊重画
『女風俗吾妻鑑』「歌川豊重画」表紙 歌川豊国 市川三升作 五柳亭徳升代作 今利屋板 ⑤①
〔国書DB画像〕巻末〝「豊重」豊国門人峯吉画〟
〈作者三升と代作者徳升と豊重、三者とも裃姿。三升と徳升は口上を述べる体、豊重は平伏。表紙は師匠の豊国、こ
の作が豊重の合巻初筆なのであろう。「豊国門人峯吉画」の峯吉は豊重の俗称と思われるが、飯島虚心の『浮世絵
師歌川列伝』(明治27年)以降の諸書は俗称を源蔵としており、整合しない〉
◯『伊勢物語』合巻 鶴屋喜右衛門板 巻末「文政八年乙酉新版」目録
(早稲田大学「古典籍総合データベース」)
〝尾上松緑百物語 豊国伜 哥川豊重画 尾上梅幸作 全六冊〟
〈これは文政八年正月出版の合巻目録。ここに豊重は初代豊国の伜とあるから、養子となったのは文政七年かそれ以前
と思われる。なお『尾上松緑百物語』の刊行は翌年の九年〉
☆ 昭和以降(1926~)
◯「梅ヶ枝漫録(一)」伊川梅子(『江戸時代文化』第一巻第六号 昭和二年七月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝私の祖母は、初代の後妻だつたらうと思ひます。直次郎とかいふ息子があつた由ですが、放蕩のため行
方が知れないといふ話がありますが、母は何とも申しませんでしたから、知りません。「豊重」と云つ
てゐますが、国虎などは「国重」と云つてゐました〟
〈伊川梅子は初代豊国の孫〉