Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ とよくま うたがわ 歌川 豊熊浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③304(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年(1833)成立)
   「歌川豊広系譜」〝(豊広門人)娘実子 豊熊【俗称熊吉、豊広ノ為ニハ実ノ孫ナリ】〟    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
   「歌川豊広系譜」〝(豊広門人 他家へ嫁した豊広の女子の)実子 豊熊 俗称熊吉 豊広の実孫なり〟    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪189(竜田舎秋錦編・慶応四年(1868)成立)
   「歌川豊春系譜」〝(歌川豊広門人)実子 豊熊 俗称熊吉、豊広ノ実孫也〟    ◯『浮世絵師便覧』p208(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝豊熊(トヨクマ)歌川、豊麿の孫、俗称熊吉、◯文化〟    ◯『日本美術画家人名詳伝』補遺(樋口文山編 赤志忠雅堂 明治二十七年(1894)一月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝歌川豊熊 通称熊吉 文化年中 浮世絵を画く〟  ◯『浮世絵師歌川列伝』「歌川豊広伝」p121(飯島虚心著・明治二十七年(1894)、新聞「小日本」に寄稿)   〝豊清一子あり。豊熊と云、また画を善くせしが、父に次ぎて没せり。桜川慈悲成、豊熊が名弘の時、報條    を作りて曰く、故人歌川豊広が孫なりける熊太郎に、くま筆のはこびをおしえ、歌川なにがしとなれよと、    常にはげませける、予は歌川と竹馬の友なり、また一盃の友にして、かん徳利のしゃくとらすころ、けし    の髪撫で豊熊豊熊とたわふれけるが、今歌川の後宝老い、孫の名つけてよとあるに、とく興じおきけるを、    先の翁も知り給うべしと、こたび草葉の露の手むけといとなみ、祖が書残しおきける水くきを梓にものし    て、豊熊ちょう名弘することを、絵の事は白きを後に卯の花の、さかりをつける杜字かな(【桜川慈悲成、    豊熊が名弘の時、以下「小日本」になし】)〟    ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(58/103コマ)   〝歌川豊熊【文化元~十四年 1804-1817】通称熊吉、豊清の男にて、豊広の実孫なり〟  ◯『浮世絵師伝』p136(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝豊熊    【生】  【歿】  【画系】豊広の孫  【作画期】文政    歌川を称す、俗称熊吉、豊広の女某、嫁して生む所の子、即ち豊広の孫なり〟