※〔白倉〕:『絵入春画艶本目録』
☆ 文政十一、十二年(1829・30)
◯「艶本年表」〔白倉〕(文政十一年刊)
歌川豊春二世画
『玉の盃』前後編 墨摺 中本 四冊「好川艶春画」色亭乱馬(式亭小三馬)作 文政十、十一年
(白倉注「後摺本に、多色摺の板がある。合本仕立てなので、正しくは前後編二冊。後編は宝暦八年刊・北尾雪坑
斎画『玉の盃』を草双紙に作り替えたもの」)
☆ 没後資料
◯『浮世絵師便覧』p208(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝豊春(ハル)歌川、◯二世豊春錦絵あり、◯天保〟
◯『浮世絵師歌川列伝』「歌川豊春伝」p80(飯島虚心著・明治二十七年、新聞「小日本」に寄稿)
〝豊春の没するや、門人等ふかくこれを悼み、亡師が嘗て信仰せし押上春慶寺の普賢堂の傍らに、一碑を
建てて記念となし、永く追慕の情を伝う。碑面に、花は根に名は桜木に普賢象、のりのうてなも妙法の
声、正面文化十一年戌春、二代目歌川豊春、行年八十、元祖歌川昌樹、歌川妙歌、歌川貢、大野規行、
歌川豊秀、歌川豊国、歌川豊広と刻してあり。
按ずるに、二代目歌川豊春は、何人なるを知らず。ちか頃発行の画家人名辞書に、二代目豊春は文政
中の人とのみありて、錦画、絵ぞう紙、読本類のうちに、其の名見えざれば、詳かならず、蓋し門人
が師名を継ぎて称えしものならん。類考に後年豊春を名のりしものあり、文政のはじめなりしとあり。
或はこれか、なお考うべし〟
◯『浮世絵備考』梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(72/103コマ)
〝二世 歌川豊春【文政元~十二年 1818-1829】其の伝詳ならず、錦絵を画けり〟
◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝豊春 歌川氏、二世豊春と称す、錦絵ありと、東都押上春慶寺、初代豊春の面碑に二代豊春とあると同
人ならん、天保頃〟
◯『浮世絵師伝』p139(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝豊春 二代
【生】 【歿】 【画系】初代豊春門人 【作画期】文化
歌川を称す、押上春慶寺に建てりし歌碑(初代豊春に対する記恩の)に豊国・豊広等と共に「二代目歌
川豊春」の名あり、按ずるに、初代豊春の女婿なるべし。又『浮世絵師系伝』に「後年豊春と名乗りし
者あり、文政の初め頃なりし、血脈の者は其後なし、京橋銀座二丁目新道に住せり」とある者、恐らく
は此の二代豊春ならむか〟
◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
「歌川系図」〝豊春門人〟