Top 浮世絵文献資料館浮世絵師総覧 ☆ とよあき きたがわ 北川 豊章浮世絵師名一覧 (喜多川歌麿参照) ※①〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」 『黄表紙總覧』(棚橋正博著・日本書誌学大系48) ☆ 宝暦十一年(1761)◯「読本年表」 〔目録DB〕(宝暦十一年刊) 『故実今物語』北川豊章画 清凉井蘇来作 宝暦十一年(注記「安永八年再摺、文化元年三摺版あり」) 〈『改訂日本小説書目年表』の頭注は「北川豊章画 安永八年再摺、文化元年三摺版あり」とする。渋井清著『歌麿』に は「画工 北川豊章画」の署名がある安永八年の再版本が紹介されており、写真版によると「宝暦十一辛巳正月吉日/ 安永八己亥正月再版」の刊記があり、署名は「画工 北川豊章画」となっている〉 ☆ 安永四年(1775)◯『黄表紙總覧』前編 (安永四年刊) (黄山堂作・北川豊章画・黄表紙・安永七年刊『通鳧寐子の美女』の備考 豊章(歌麿初代)の初筆を安永四年(1775)十一月の富本正本『四十八手恋所訳』とする) ☆ 安永七年(1778)◯『黄表紙總覧』前編 (安永七年刊) 北川豊章画 『通鳧寐子の美女』署名「豊章画」「黄山堂作(シュンマム)印」伊勢惣板(備考、豊章(歌麿初代)の初筆を安永四年(1775)十一月の富本正本『四十八手恋所訳』とする。黄山堂は窪俊満) ◯『俗曲挿絵本目録』 (漆山又四郎著)北川豊章 『大津絵姿花』(長唄)豊章画 和泉屋板 安永七年板〔安永07/02/18〕 ☆ 安永八年(1779)◯『黄表紙總覧』前編 (安永八年刊) 北川豊章 『東都見物左衛門』署名「北川豊章」「松壹舎戯作」西村屋板(備考、松壹舎は板元・西村与八とする) ◯「国書データベース」 (安永八年刊) ◇黄表紙 北川豊章画 『振袖近江八景』豊章画 松壺堂作 板元未詳◯『洒落本大成』第八巻 (安永八年刊) 北川豊章画 『女鬼産』署名「豊章画」無気しつちう作◯『噺本大系』巻十一 「所収書目解題」(安永八年刊) ◇咄本 北川豊章画 『寿々葉羅井』署名「豊章画」志丈作 竹川藤助板◯「日本古典籍総合目録」 (国文学研究資料館) ◇黄表紙 (安永八年刊) 北川豊章画 『通鳧寝子の美女』『東都見物左衛門』〈豊章は喜多川歌麿〉 〈『黄表紙總覧』は前出のように『通鳧寝子の美女』を安永七年刊とする〉 ☆ 安永九年(1780) ◯『戯作外題鑑』〔燕石〕⑥56(岩本活東子編・文久元年) (「安永九庚子年」) ◇⑥55 〝芸者呼子鳥 一冊〟
◇⑥56 〝補 芸者虎の巻 二冊 松泉堂作 北川豊章画 西与 呼子鳥同書にや、弁天於豊、於富の噂ばなし也、画工北川豊章は北川歌麿の師なるべし、洒落本をも画 く〟〈「北川豊章は北川歌麿の師なるべし」とあるのは豊章と歌麿とを別人とするものであるが、同人とする説もあり、豊 章は喜多川歌麿の前名であるとされる。歌麿の師匠は鳥山石燕、名を豊房と云う、『戯作外題鑑』は豊章と豊房とを 混同した可能性もある。ところで『戯作外題鑑』の原本とされる『稗史提要』の安永九年の項を見ると、「松泉堂」 は作者の部ではなく画工の部にあり、画工の部に豊章の名はない。また出版の部の「西村」のところには『芸者よぶ 子鳥』とあるものの、作者と画工の合い印はない。つまり『芸者よぶ子鳥』と松泉堂との関係を示すものはないし、 ましてや、北川豊章との関係を示すものもない。『戯作外題鑑』(⑥55)も『芸者呼子鳥』の書名をあげている が、作者と画工名はない。それを「補」者は、「呼子鳥同書にや」と、やや疑問を呈しながらも『芸者呼子鳥』の改 題本である『芸者虎の巻』(天明七年刊)の作画者を松泉堂作・北川豊章画とすることによって、間接的に『芸者呼 子鳥』の作画者も同人としたのである。それはそれとしてよかったのであるが、⑥55の『芸者呼子鳥』が黄表紙で あるのに、その改題本を洒落本『芸者虎の巻』としたのは間違いであった。ちなみに「国書基本DB」によると、 『妓者呼子鳥』には二種あり、ひとつは洒落本『妓者呼子鳥』(田螺金魚作・湖竜斎画・安永六年刊)、もうひとつ は黄表紙『芸者呼子鳥』(松泉堂作・北川豊章画・安永九年刊)である。そして洒落本『妓者虎の巻』は洒落本『妓 者呼子鳥』の改題本である。「(豊章は)洒落本をも画く」とした『戯作外題鑑』の「補」者は、どうやら洒落本と 黄表紙を混同したのではないだろうか〉 ◯『黄表紙總覧』前編 (安永九年刊)〔 〕は著者未見、諸書によるもの。角書は省略した 北川豊章画 『近江八景』署名「北川豊章画」「松壺堂作」西村屋板〈備考、作者松壺堂は板元・西村与八の戯作名かとする〉 『呼子鳥』 署名「北川豊章画」「松泉堂作」西村屋板 〔恋の浮橋〕署名「北川書」 「松壺堂作」西村屋板◯「日本古典籍総合目録」 (安永九年刊) ◇黄表紙 北川豊章画 『近江八景』松壺堂作『芸者呼子鳥』松泉堂作『恋の浮橋』松壱舎作〈喜多川歌麿〉 ☆ 天明元年(1781)◯『江戸小咄辞典』 「所収書目解題」(天明元年刊) 北川豊章画 『鳴呼笑』鼠足舎万化作〈解題「丑年とあれば、寛政五・文化二年刊かもしれぬ」とする〉 ☆ 没後資料 ◯『浮世絵師便覧』p208(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊) 〝豊章(アキ)歌麿の名〟 ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)(国立国会図書館デジタルコレクション) (34/103コマ) 〝北川豊章【安永元年~九年 1772-1780】喜多川歌麿の初名なり〟 ◯『浮世絵師伝』p131(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝豊章 歌麿の別名〟◯「日本古典籍総合目録」 (「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません) (北川豊章名の作品) 作品数:8 画号他:豊章・北川豊章 分 類:黄表紙5・洒落本1・咄本1・読本1 成立年:宝暦11年 (1点) 安永8~9年(7点)〈「国書基本DB」は北川豊章と喜多川歌麿とを同人とする。ただ「国書基本DB」は、宝暦十一年の清凉井蘇来作読 本『故実今物語』を北川豊章画とする。同人だとすると、歌麿は宝暦三年頃生まれとされているから、当時十歳に満 たないわけで、後に歌麿を名乗る豊章の画とは思えない。『戯作外題鑑』は「画工北川豊章は喜多川歌麿の師なるべ し」と明らかに別人説であるが、書名に誤りがあったり、歌麿の師匠・鳥山石燕「豊房」を北川「豊章」と混同する など、怪しげな点もあるので、この記事にどれほどの信頼をおいてよいのかが悩ましい。参考までに、大修館『原色 浮世絵大百家辞典』第二巻「浮世絵師」所収の「豊章」を引くと、〝歌麿Ⅰの前名と同名であるため両者が混同され ることがある〟として別人説をとっている〉 <『大歌麿展』図録(1998年・南アルプス市立春仙美術館)石田泰弘氏の解説は喜多川歌麿・北川豊章別人説をとる>